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仕事010「声楽家」

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声楽家

歌の素晴らしさを多くの人に伝えるのが使命。また、指導者として歌う喜びを教えたい。

長島 剛子さん [音楽科 1980年卒]

国立音楽大学声楽科卒業。同大学院修士課程独歌曲専攻修了。ドイツデットモルト音楽大学卒業。ケルン音楽大学マスタークラスにてリート解釈法の研鑽を積み、帰国後東京、札幌等で毎年リサイタルを開催。平成14年度文化庁芸術祭優秀賞受賞。また国立音楽大学准教授として長年後進の育成に携わっている。

生涯の恩師との出会い

小3より中3までHBC少年少女合唱団、中学校では聖歌隊に所属して、歌には関心がありました。中2の時に高校の音楽科に進みたいと思い、音楽担当の須田實先生に相談。声楽科が良いのではとアドバイスを受け、生涯の恩師となる青木恵美子先生に出会いました。

先生はドイツ歌曲が専門で、「いつかドイツに行って勉強できるように」と、手取り足取り熱心に指導してくださいました。中学の卒業式で「城ケ島の雨」を歌ったことは、後に先生方の間で語り継がれていたようです。

高校の音楽科に進み、国立音楽大学入学を目標に掲げて、仲間同士で切磋琢磨して勉強一筋の高校生活でした。地方都市である札幌でも、先生方に恵まれ、質の高い勉強ができていたことに後から気づきました。

 

リサイタル開催とドイツ歌曲の魅力

▲国立音楽大学の学生にレッスン中の長島さん。熱い指導は発声など基礎の力を高め、やがて「歌う喜び」につながる。

国立音楽大学で6年間学び、その後ドイツに留学。帰国後、毎年ドイツ歌曲のリサイタルを開いていますが、それに向けての準備、そしてステージで歌っている時が最も幸せだと思えるようになりました。「世紀末から20世紀へ」というリサイタルシリーズを15回続け、19世紀末から20世紀に書かれた歌曲を中心に、のべ40人の作曲家を取り上げました。あまり取り上げられることが多くないこれらの作品はとても魅力的です。

作曲家ヴィクトル・ウルマンの歌曲もその一つです。以前、彼が収容されていたチェコのテレジーン収容所を訪れました。いつ自分の命が絶たれるのか分からない状況で、五線紙すら調達するのが困難だった中で、何と美しい歌曲を書いたのだろう。この曲を演奏するたびに彼の当時の状況に思いを馳せ、あの時見た美しい夕焼けを思い出し、ウルマンも鉄格子越しに夕焼けを見たであろうと、胸が締め付けられるような気持ちになりました。

 

学生たちが歌う喜びを体得するまで

指導者としては、母校の国立音楽大学で20年以上教えています。学生が歌う喜びを体得するためには基礎の力が大切だと信じ、歌の発声、ディクションに力を入れています。妥協を許さず厳しく教えることがモットーでしたが、最近の学生と共に私も変わったのか、昔の生徒に「先生も優しくなりましたね」と言われることもあります。4年間で、その後一生歌と関わっていけるような下地を作るのが、自分の役目だと思っています。

 

「マイグレの会」がつなぐ音楽の絆

現在の私のクラスには卒業後も歌を続けていきたい学生が多く、音楽以外の職に就きながら自分にできる範囲で歌い続けている卒業生もいます。そこで、年に一度、「マイグレの会」という発表会を行っています。マイグレはドイツ語の「すずらん」の略で、北海道出身の私にちなみ、会を設立し出演を続けている生徒たちと考えた名前です。2018年1月で22回目となりますが、毎年40人以上の卒業生が出演し、彼女らの歌を久しぶりに聴き、近況報告も楽しみです。

私は北星女子に入って、先生方、友達に恵まれ、音楽の勉強の楽しさを知ると同時に人間として成長することができました。北星の同級生とは今も絆が深く、演奏会を開くたびに必ず駆けつけてくれます。

何事も本物を究めるのには時間がかかります。音楽を志す若い方には、小さな結果に一喜一憂せず、長い目で見て勉強を続けてほしいですね。

 

※記事中の所属・役職等は2018年2月、本校制作の冊子『130人の私が輝く仕事』掲載のものです。

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