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校長・教員ブログ

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今から15年ほど前、当時恵泉女学園理事長を務め、神学者でもあった一色義子先生のお宅にお邪魔したことがありました。先生は東京世田谷にある古い洋館にお住まいでした。「こんな古い洋館が珍しいそうで、映画の撮影にも使われたのよ」と義子先生が笑いながら話してくれたのを覚えています。先生はわざわざご自分で紅茶を入れてくださり、本やひと時代昔の映画などからしか見聞したことのない、とても興味深いお話をしてくださりました。今思い出してもそれは歴史の重みが詰まった貴重なひと時でした。

その時、私たちの学校の始まりであるスミス女学校(正式名称:札幌長老派伝道教会女子寄宿学校)に最初に入学した7名の生徒の一人で、後に日本YWCAの総責任者を務め、恵泉女学園を創立した河合道先生や、河合道先生を友として同志として支えた一色義子先生の母親一色ゆり先生に関わる話などを伺うことができました。その話の中で義子先生が、「自分は子供のころスミス先生の膝に抱かれたことがある」という話をされました。それはスミス先生が日本を去る前、教え子の河合道先生のもとを訪れた際、遊びに来ていた義子先生をその膝の上にに抱いてくださったというお話でした。3才頃だったそうです。自分を膝に乗せて抱いてくれたスミス先生の手はゴツゴツしていたのを覚えているそうです。

スミス先生の手の話を聞いて思い出したことがありました。先生は花々がとてもお好きだったことが学校に残された記録から知ることができます。銭函で行われていた日曜日の教会学校の帰り、道端で目に留まった綺麗な草花を学校に持ち帰り校庭の花壇に植えていた話が残っています。

大正時代の本校の卒業生が、校庭に咲く花々の名前を書き残しているのを思い出しました。「老木の桜、白木蓮、ピンクのウツギ、シジミ花、つつじ、雪柳、枝垂桜、真赤なボケ、ボタン、藤、黄バラ、花かいどう、枝垂柳、ニセアカシヤ、モミジ、ライラック」。校庭の花々に関して生徒が記録したのは大正時代。創立から25年以上が経っていたはずです。そこからスミス先生に続く他の宣教師たちの先生も同じように花々を大切に育てていたことがわかります。今も校庭には多くの花が咲き続けています。

卒業生の書いた文章に次のようなのもが残っていました。

「先生の手の爪にはよく黒土が挟まっていました。」

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