「ペトロは激しく泣いた」 マタイによる福音書26:69-75 主教主任 小西 陽祐
3月のことでした。年度末ということもあって、中学校の先生たちのお疲れ様会がありました。1件目も2件目のお店も楽しくお話をして、おいしくご飯食べて、夜もいい時間になっていました。3人の先生と一緒に三件目に行くことになりました。楽しく話をしていると時計の針はいつの間にか午前0時近くになっていました。地下鉄の終電もなくなる時間です。僕は妻に連絡をして、車での迎えをお願いしました。深夜にもかかわらず、迎えに来てくれ、僕の家と同じ方向の2人の先生たちを少し遠回りして送ってくれました。家に帰ったのは深夜1時半。僕は心から感謝した、はずでした。
さて、次の日のこと。今度は妻が職場の食事会に出かける番でした。「今日は2件目行って帰るから、そんなに遅くならないと思う」。昨日、あんなに遅い時間に迎えに来てもらったわけですから、「おし今日は自分の番だ」と思っていたのです。
午後11時頃に妻からラインがきました。「ごめん、3件目に行くことになってしまった」。僕はソファに座ってテレビを観ながら、「大丈夫、起きて待ってるから」と返信しました。
ところがです。午前0時を過ぎた頃、僕は強烈な眠気に襲われたのです。皆さんも、テスト勉強をしなきゃいけないのに吸い込まれるようにまぶたが重くなる、あの感覚です。「ああ寝たらアカンアカン」。そう思いつつ、寝てしまったのです。
「ガチャガチャ……!」
その音で飛び起きました。妻がリビングのドアから入ってきたんです。一瞬何が起きているのかわかりませんでした。 「ちょっと!なんで話に出へんのよ!」
そう言われてスマホを見ると、着信履歴がずらりと並んでいます。一時間ぐらい僕は寝てしまっていたようです。時間は午前1時。
「なんで寝るんよ」
「いや、だって眠かったから」
「眠かったって、わたし昨日何時に迎えに行ったと思ってんの?」
そうですよね。自分はなんて身勝手な人間なのかとその時に思いました。
昨日の夜、あんなに感謝していたはずなのに。今日は自分が絶対に迎えに
いくと心に決めていたのに、彼女の期待を裏切ってしまったのです。
皆さんは、「私は絶対に友達や大切な人を裏切らない」と思っているかもしれません。でも、人間というのは、どんなに「こういう自分でいたい」と願っていても、いざその場に立たされると、自分の弱さに負けてしまうことがあります。
今日はイースターです。イエス・キリストが十字架にはりつけにされて死んだ日から、3日目に復活したことをお祝いする日です。イエスが逮捕されて、復活するまでの一連の物語が聖書に描かれています。
イエスには12人の弟子がいました。そのリーダーだったのペトロです。誰よりも熱い心の持ち主でした。イエスが逮捕される直前、彼は「たとえ一緒に死ぬことになっても、あなたのことを知らないなんて絶対に言いません」と誓いました。彼は本気だったでしょう。しかし、イエスは静かに言いました。「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」 その後、イエスが逮捕された時、11人の弟子たちは恐くなって、みんな逃げてしまいます。ペトロだけは勇気を振り絞って、こっそりと裁判所の庭までついていきました。庭にいると、周りの人から「お前も仲間だろう」と疑われます。「仲間だと認めれば自分も殺される」という恐怖から、思わず「あんな人は知らない!」と嘘をついてしまったんです。その後も問い詰められるたびに否定し続け、三度目に「知らない」と言った瞬間、「コケコッコー」と鶏の声が響きました。
ペトロはハッとします。自分は命を守るために大切な人を見捨てしまった、裏切ってしまった。彼は自分の情けなさに打ちひしがれ、外へ飛び出して激しく泣きました。僕はこの聖書の箇所を読む度に、自分の姿がペトロに重なります。他人事とは思えません。
イエスが十字架につけられて亡くなった後、ペトロの心は後悔でいっぱいだったはずです。ところが三日目の朝、葬られたはずのイエスが復活し、彼らの前に現れたのです。
その時、僕だったら、「怒られる」とまず思うでしょうね。でも、復活したイエスが弟子たちに最初にかけた言葉は「平和があるように、おはよう」でした。いつもと変わらない言葉。
イエスはペトロたちを責めるどころか、共に食事をし、もう一度彼を信頼して、新しい仕事を任せたのです。ペトロはそこでこう思ったはずです。
「自分はこんなにも弱くて、情けない人間だけど、ゆるされているのだ。」
イースターに起きた「復活」とは、単に死んだ人が生き返ったという魔法のような話ではありません。「わたしは弱くて情けなくて、人を裏切ってしまうような人間で、裏切ったという事実は消えないけれども、神はわたしたちをゆるして、何度でもやり直させてくれる」ということが弟子たちに知らされた日、それがイースターの日です。
わたしたちは生きていると、「あの人が許せない」と思うことがあるかもしれません。でも、その時に思い出したいのです。わたしだって、弱さや情けなさをたくさんもっている。それでもゆるされて、この世界を生かされているのだ。
今、世界ではイランとアメリカ、イスラエル、ロシアとウクライナなどで、「絶対に許せない」という怒りや憎しみが争いを生んでいます。その連鎖を断ち切るヒントは、わたしたちの日常にあるはずです。自分は完璧ではなく、ゆるされているからこそ、誰かをゆるす努力をしてみる。そこから始めていきましょう。