感覚過敏とは、その名の通り、聴覚・視覚・触覚・嗅覚・味覚といった五感のいずれか、またはいくつかに過敏さがある特性を指します。我が家の息子は二人ともこの感覚過敏を抱えていて、日常生活のさまざまな場面で困りごとが生じています。
例えば、人混みや物が多いスーパーマーケットに長くいられないこと。
口の中の感覚が過敏で、食べられるメニューが限られてしまうこと。
首元に衣服が触れるのがつらく、冬でも半袖Tシャツしか着られず上着も難しいこと。
教室の直射日光と照明がまぶしく感じられること。
音楽の授業のリコーダーや鍵盤ハーモニカの音が、耳に刺すように聞こえてしまうこと。
多くの人にとっては「普通」にできることでも、感覚過敏を持つ人にとっては一気に“普通ではない環境”になってしまうのです。
最近では、聴覚過敏にはノイズキャンセリングイヤホンや耳栓、視覚過敏にはカラーグラス(濃いサングラスではなく色付きレンズ)など、負担を軽減する道具も広がってきました。しかし、学校でそれらを使っていると周囲から何か言われたり、何も言われなくても視線を感じたりすることがあるようです。実際に私も、息子がイヤホンをつけて歩いていると、周囲から向けられる視線を肌で感じることがあります。
息子たちの様子を見守る中で、「感覚過敏は特別な誰かだけのものではなく、実は誰にでも小さな形で存在するものなのかもしれない」と感じるようになりました。そこで自分の子ども時代を振り返ってみると、音楽室でのリコーダーの一斉練習がつらかったことや、スーパーマーケットの魚売り場の匂いで息ができなくなるほど苦しかったことを思い出しました。私自身も気づかずに感覚過敏の傾向を抱えながら暮らしてきたのだと、息子たちを通して知りました。
こうした経験から視点が広がり、これまで教員として関わってきた生徒の中にも、同じように苦しさを抱えている子がいた(いる)ことに改めて気づきました。
暖房や冷房の「暑い」「寒い」も含め、同じ環境でも全員が同じように感じるわけではありません。感じ方は人それぞれで、違うのが当たり前です。しかしこれまでの社会(今もそうかもしれません)は、「みんな同じようにできること」を前提として我慢を求める暗黙のルールがあり、「同じ」に合わせることが重視されてきたように思います。
これからの多様性を大切にする社会では、学校でも、いろいろな事情を抱える人の状況を理解し、それぞれに合った対応を考えていくことが必要になっていきます。教育に携わる者として、そして“普通の社会”に生きづらさを感じる子を育てる母として、日々そのことを感じています。
その第一歩として、まずは多くの方に「感覚過敏」という特性を知ってもらいたい——そんな思いで今回の文章を書きました。
社会を一気に変えることは難しいかもしれません。それでも、さまざまな感じ方を持つ人がいることを認め合い、それが“普通”になる社会を目指して、できることを少しずつ続けていきたいと思います。