校長・教員ブログ
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数年前から、我が家の日曜日夕方は、NHK大河ドラマを見る時間となっています(我が家ではBSで見ているため、18:00から視聴しています)。大河ドラマというと、「戦国時代」「明治維新前夜」のような、武士が中心となった時代劇という印象が強いと思います。しかし2024年は紫式部を主人公とした「光る君へ」、そして今年は蔦屋重三郎を主人公とした「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」が放映されています。どちらも、直接的には武士とは無関係な人物が主人公となっています。この二人、接点がないように見えますが、実は「文学」に携わったという点が共通しています。かたや平安時代中期に『源氏物語』を執筆して同時代以降の物語に多大な影響を与えた人物、かたや江戸時代の出版人で、蔦屋が手がけた出版物には浮世絵以外に戯作(江戸時代の通俗小説類の総称)があります。ちなみに、蔦屋重三郎とTSUTAYAは無関係という記事が、NHKのHPで紹介されていました(「べらぼう」蔦屋重三郎とTSUTAYA(ツタヤ)の関係は? 大河ドラマ時代考証担当・鈴木俊幸さんが語る主人公の魅力、NHK首都圏ナビ)。閑話休題その一。
さて、今回は二人が直接関わった文学作品について……ではなく、どうして1,000年以上前の本を現代の私たちが読むことができるのか? ということがテーマです。先ほど、蔦屋重三郎は江戸時代の出版人と紹介しましたが、江戸時代には木版印刷が普及し、多数の書籍が「出版」されていました。では、紫式部が活躍していた時代、彼女は『源氏物語』を手書きした後、印刷したのでしょうか? ちなみに、印刷技術自体は奈良時代には日本に輸入され、経典の製作方法として受け継がれてきました。なんと、現存する世界最古の出版物は日本にあります。770年に法隆寺などに納められた仏教経典「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)」が、それです。閑話休題その二。
『源氏物語』は、紫式部が手書きした後、すぐに印刷されたのか? という問いの答えは×です。「光る君へ」では紫式部が『源氏物語』の一部を書き上げ、藤原道長がその原稿を受け取った後、「では、さっそく書き写させよう」というやりとりが描かれていました(道長の科白はうろ覚えのため、ちがっているかもしれません)。平安時代から江戸時代初期まで、物語のような書物が「印刷」されることはなかったのです。
では、どうやって『源氏物語』は広まっていったのかというと、「面白い」と思った人間が自分で手書きしたり、あるいは書き写させたりして複数の「写本」が生み出されたのです。
人間の手作業ですから、現代のように同じタイトルの本が一度に何万部も作られるわけもなく、そんなに数多くの本が書き写されたわけではないでしょう。しかも「紙」ですから、虫に食われたり火事で焼失してしまったりなど、本が生き残るには過酷な環境が数百年以上続いていたのです。なお、江戸時代には木版出版が普及と書きましたが、それでも1,000部を印刷・製本するには、かなりの労力が必要だったはずです(「江戸時代のベストセラー」もうひとつの学芸員室HP参照)。
そんな過酷な環境で、多数の本が生き残ってきたのはなぜでしょう? 残念ながら、執筆はされたものの消えてしまった作品は、現存する古典作品の何倍、何十倍もあったはずです(「散逸物語」の研究、という分野が国文学にあるくらいです)。しかし、様々なアクシデントを乗り越え、今の世まで作品が残ってきたのは、ひとえにそれぞれの本を「面白い」と思い、「大切にしよう」と考えた一人一人の読者の熱意によって生み出された奇跡だと思います。
人は、時に『本』によって成長したり、癒やされたり、救われたりするものです。そんなステキな本との出会いを求め、「奇跡」を生み出す一人になってみませんか?