幼少期からピアノを習っていた私は、コンクールに出たあと、ご褒美がありました。当時大好きだったディズニーなどのVHSを(生徒のみなさんVHSってご存じですか?)、コンクールが無事に終わるたび、買ってもらっていたのを思い出します。誕生日やクリスマスに買ってもらったものを合わせるとものすごい数になりました。人によっては、「モノで釣って意欲を引き出すのは邪道だ」と思われてしまいそうです。大人になった今は、それも一理あるし、そちら側の気持ちも十分に分かります。音楽ってその人を彩る飾りではなくて、もっともっと深く考え、本質を突き止めていくべき崇高なもの。
幼少期のピアノへの向き合い方を振り返ってみると、「大好きなもの」と言えるほどの気持ちには至っていなかったように感じます。生まれたころから姉のレッスンへ連れられていた→ハイハイができるようになったら姉のレッスン中にピアノの下を歩き回っていたらしい→気がついたら姉ととなりのトトロを連弾して遊んでいた→レッスンに行くようになっていた→発表会やコンクールの本番を経験していた。全て自分の意思とは関係なく、自動的に私のピアノ人生は始まっていたのです。だからといって、それが嫌だと反発するわけでもない私は、静かに本番を迎え、「冬は発表会、春からはコンクールの時期」毎年の恒例行事になっていました。
大きな声では言えませんが小さいころ練習熱心ではなかった私は、弾けるようになるために練習をするというよりは本番のために練習をする生徒でした。それでも本番が終わるたびに少しは成長して、達成感を得て、好きなVHSも増えていく、また次はどんな曲が待っているのか…。曲の難易度が上がっていくと、少しは曲の本質に目を向けるようにもなり、あっという間に今ここにいます。ちょっとしたお楽しみや遊び心があったことで、自分の機嫌をとりながら到達できたことも多かったように思います。メリーポピンズやサウンドオブミュージック、ライオンキングなどの数々の作品は、その時がんばった自分の記憶を呼び起こせるご褒美です。
強歩会の季節となりました。昨年は天候不良により実施できずにいたため、コロナ禍の影響も含め4年ぶりの実施となります。生徒たちは20㎞歩くこの行事に、少しマイナスなイメージを抱いているかもしれません。追い打ちをかけるように先生方に「昔はもっと長い距離を歩いた」などと言われ、ますます“どんな行事なの?”という雰囲気になっていきます。
私が北星の生徒だったのは30年ほど前のことです。当時の強歩会は地下鉄真駒内駅に早朝に集合し、そこからゴールの支笏湖までの国道をひたすら歩いていきました。
思い出といえば、支笏湖が見えてからゴールまでの道のりがとにかく長い!ということ。ゴール後の安堵とともに足に違和感を持ち、靴を脱いでみると靴下が赤くなっていたこと。次の日、筋肉痛になりながら登校したこと。(音楽科は土曜日も授業がありました。)一週間たっても足の水膨れが消えなかったこと。あれ?あまりいい思い出ではないような気が…。でも後味は決して悪いものではなく、この約33㎞を歩ききったからこその自信というか、達成感というか、何だか知らないけど、多少のことでも私は大丈夫!という気持ちになりました。何よりも、30年以上時が経過しても強歩会の話題で盛り上がれる元北星ガールズ。『どんどん無表情になっていた人』『体調不良でも完歩した』など、今でも話題に上ります。
北星の思い出は沢山ありますが、行事に対する関わり方がそれぞれという点で、友人と自分の思い出の濃さに差があります。しかし、皆が同じゴールに向かって歩く強歩会の思い出は、それぞれの心に同じように残っていると感じます。
友人に関わらず、同窓生に会うと「強歩会って今もあるんですか?」との質問を受けます。「ありますよ」と答えると“まだやってるのね”と驚きの半面、“まだ続いている!”という安心感も伝わってきます。続けて、「今は10㎞以上距離が短くなり、コースもなだらかです」と話すと、“なんですって!?”というリアクションが…。
かつて「北星の先生方は毎年大変そうだな」と思いながら参加していた行事にまさか自分がその立場で歩くとは…と思いつつ、心構えができているという点で(さらに距離が短くなっていることもあり!)強歩会は私の中で少し楽しみな行事でもあります。
久しぶりとなる今年の強歩会は、生徒たちにとって未知の世界への一歩です。ゴール後は疲れていると思いますが、そのことも含め時が経過しても友人と語り合える、良い思い出の一つになっていることを願っています。