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校長・教員ブログ

校長・教員ブログ  2024.05

先日の高校の強歩会は生徒たちと多くのインスピレーション(やる気、元気、感動)を共有することを楽しみに参加しました。 最初の校長ブログでも書きましたが、私は同僚や生徒たちから日々インスピレーションをもらっています 強歩会が行われた週、私は同僚たちの精神的な強さや、生徒たちの好奇心とユーモアから刺激を受け、たくさんの活力をもらったので、できればこの日に何かお返ししたいという気持ちでいました。 

強歩会にはちょうどよい天気のもと、私は最初の 8 km を生徒たちと一緒に歩き、その後は同僚の賢明なアドバイスに従って、バスで移動、生徒たちがゴールに到着したら迎えられるようにしました。 最初にゴールする生徒たちは体力的にも余裕があり、自信に満ちた顔です。でも、20キロメートルを歩き切るのはそんなに楽な人ばかりではありません。私は歩き疲れて気持ちまで落ち込んでしまった生徒たちを元気づけるために何ができるだろうかと考えました。そこで、 ゴールから歩いているルートをたどって生徒たちに会いに行き、頑張っている生徒には激励と称賛の言葉を送り、疲れているように見える生徒とはゴールまで一緒に歩き最後は一緒に写真を撮って20キロ完走を祝うことができました。 

たくさんハイタッチをしたくさんの楽しい会話と楽しい写真撮影ができた素晴らしい一日となりました 

A few days ago, we held our annual WalkStrong event, where high school students walk 20 km from Chitose to Lake Shikotsu. At that event, I decided to see if I could share some inspiration with students. As I wrote in the first principal blog, I continue to get daily inspiration from my colleagues and our students.  This week, I have been inspired by the resilience of my colleagues and the curiosity and humor of the students, so I wanted to give something back. 

I walked the first 8 km of the WalkStrong course and then, at the wise advice of my colleagues, took a bus to the goal so I could welcome students when they arrived there. I didn’t want to get in the way of the top finishers celebrating their success, so I waited until the line of finishers was starting to thin out. I asked myself what I might do to bolster students up at a time when they might be feeling down.  I walked up the hill from the goal to meet students, offering encouragement and praise to those who were finishing strong and escorting those who seemed tired back to the goal, where we could take a picture together to celebrate their completing the 20 km walk. 

I gave a lot of high fives, had a bunch of great conversations with students, and even got a few fun pictures at the finish!  All in all, it was a great day! 

 

 先日,スタディーラウンジから見える電柱の上に,カラスが巣を作っていました。足場?の悪いところに,上手に枝や針金を重ねて作っていました。カラスには申し訳なかったですが,あの場所で子育てをされると,登下校の生徒や通行人が大変なことになってしまうと思い,北電に連絡しその日のうちに駆除してもらいました。

 鳥はどんな理由で巣の場所を決めているのでしょうか?実は我が家の玄関の屋根にある小さな隙間に,数年前からスズメが巣を作るようになりました。最初は気付かずに過ごしていましたが,玄関の下に小さな枝が落ちていたり,鳥の「落とし物」が多くみられるようになりふと見上げてみるとスズメがちょうど帰宅してくるところでした。調べてみるとスズメは鳥獣保護法により,ヒナのいる巣は駆除できないと書いてありました。そこで,子供が巣立つのを見届け,親もいなくなったようなので巣を取り出し,入口をふさぐことにしました。しかし翌年の春、詰めていたものをどかし、また巣を作り始めてしまいました。このままではまた落し物が…。ということで,本格的に対策をすることにしました。材料を探しに百円ショップへ行き,入口をふさぐネットと,足場となる屋根に置くとげとげを購入し設置しました。これでもう安心と思った今年の春。家の周りに諦めたスズメさんがいるのかなと思いきや,ちょっとしたネットの隙間から出入りをするスズメさん…。とげとげの隙間に止まるスズメさん…。どうしてもこの場所が良いようなので,今後は同居する方法を考えようかなと思っています。

 終戦の年に生まれた私の母は喜寿を過ぎましたが、耳が遠くなったのと歩くスピードが落ちたことを除けば、変わりなく我が家の家事を支えています。そんな母の突然の引退宣言「もう庭仕事はしない!」 いや、正確には突然ではなく、ここ数年「草取りがつらい」とか「庭どうしよう」とか「もう無理」とか呟いているのは知っていたのですが、そのたびに私は聞き流してきたのでした。

 10年以上前、母と同居するにあたって、何か家でできること、土が感じられる生活…と、家も庭も狭いながらも、戸建てに引っ越しました。その時から、庭仕事は母のテリトリーという感じで、任せっきり。私と娘たちは窓から眺める季節の移ろいや、果実の収穫、おいしいところだけを享受してきました。

 「庭どうする?つぶす?コンクリートで。」「いやいや、つぶせないでしょ。」「じゃあ誰やるの?」「誰って…」

というわけで、今シーズンからは私の担当です。4月、雪がすっかり解けると、まずは枯れ葉の掃除から。はいはい、枯れ葉を拾えばよいのねと始めましたが、やってみるとビニール手袋の中はびしょびしょ、汗だくになります。大して広いスペースでもありませんが、枯れ葉は次から次に出てきて、芽吹きだした植物と絡まり、キリがありません。これ以上やったら、いやになる!と思い、90分で打ち止め。でも、普段はあれこれ考えるばかりで身体を動かすことが少ない私にとって、無心に作業する時間は爽快感につながることを教えてくれる、久しぶりの体験となりました。

そもそも、枯れ葉を掃除するという過程も私の認識にはなかったもので、維持すること、自然に触れること、何かと向き合うこと…いろいろと考えさせられます。これは、「卵焼き」に続く大事な作業になるかもしれない!(以前のブログで毎朝の「卵焼き」作りは人生の教訓につながることを書いています。)次は草取りだ!何事も形から入ってしまう私は、さっそく草取りグッズをAmazonで検索し、ぽちっとしたのでした。

ここ数年で、自分の「おでこ」の髪の毛の両端から少しずつ後退してきたことが気になっています。毎日、効いているのかわからない育毛剤を塗りながら、マッサージをして、手入れをしています。スキンヘッドの友人からは「全部そったらいいやん」と言われますが…とてもそんな気持ちにはなれません。まだ44歳、諦めはつきませんが、諦めるのではく、髪は薄くなってもポジティブな髪形をしていたいなあと思っています。

 

小学生の頃、キリスト教の教会に通っていた時に「ひかりひかり」という讃美歌をよく歌っていました。3番はこのような歌詞です。「ひかりひかり わたくしたちは 光のこども ひかりのように 正しいこども いつもただしく はげみましょう

「ひかりひかり」に、「励みましょう」と歌うわたしの隣には、光る頭の年配の人が一緒に歌っていました。小学生だったわたしは讃美歌の歌詞から「禿げ」を連想せずにはいられませんでした。それ以来、失礼ながらこの讃美歌を歌うと禿げた人を思い出すようになりました。

けれども、いざ自分自身の髪の毛が薄くなる「当事者」になってみて、小学生の自分の姿を振り返ってみると、自分がいつか禿げるなんて思ってもいなかったことがわかります。

 

実は、旧約聖書の列王記下223節~24節にも「はげた人を笑う」という物語が出てきます。預言者エリシャの頭が禿げていたのでしょうね。坂を登っていくエリシャの頭を見て、「はげ頭、上って行け。はげ頭、上って行け」と後ろから子どもたち馬鹿にして笑いました。いつの時代も変わらない子どもの姿があります。するとエリシャは激怒して、振り向いて子どもたちを睨みつけます。まあ、ここまではよかったのですが、そのままエリシャは神の名によって呪いの言葉を口にすると、森の中から二頭の熊が現れて、こどもたちのうち42人を引き裂いたと言います。

 

突っ込みどころ満載の物語です。

いやいや、いくら腹が立ったとしてもやりすぎでしょ。こどもたちの内、42人が引き裂かれたということはその場にはもっと子どもたちがいたはず。いったい子どもたちはどれだけ多くの人数でエリシャのことを馬鹿にして笑ったんだろうか。

 

聖書はいわゆる史実を記載しているわけではありません。史実も交えながら、神を信じるという信仰の立場から書かれている書物ですから、解釈を加えて読むことが必要です。でも、ここの箇所は聖書の中でも解釈が難しい箇所だと思います。今回は解釈はしません。

 

とにかく、エリシャは腹が立ったのでしょうね。

エリシャの「はげ頭」はスキンヘッドなのか、M字禿げ(おでこの両端から)、O字禿げ(頭頂部から薄くなる)、U字禿げ(M字とO字の両方)だったのかは聖書の記述からはよくわかりません。

それぞれの禿げ方には似合う髪型があるそうですよ。M字禿げの人の場合はショートレイヤー、ソフトモヒカン、おしゃれ坊主。O字禿げの場合はベリーショート、ナチュラルモヒカン、オールバック。U字禿げの場合はベリーショート、坊主、ショートツーブロックが似合うそうです。エリシャにもこうした選択肢があったなら、馬鹿にされてもそこまで怒らなくてもよかったのかもしれないなあと勝手なことを思っています。わたし自身も髪形だけではなく、人生には様々な選択肢があることを心に留めながら前向きに生き続けたいです。

 

今年もこの季節がやってきました。もはや、このブログを書くために、我が家は任務のごとく、家族旅行を計画し実行しております。今回も私の趣味満載の手作りしおりを娘や息子になかば強制的に読ませながら、4 月の始め、家族4人で桜が咲き始めた京都へ。

今回は3泊4日、京都の世界遺産をめぐる王道ルートです。初日は娘と私で外国人観光客でごった返す着物レンタル店で和装にお召しかえ。着物で八坂神社をまわります。この神社、「神武天皇祭遥拝式」の時期もあってか、たくさんの参拝者でした。圧巻な、祇園しだれ桜も。

 

必ず、行く先々で子どもたちに問題を出します。たとえば、清水寺で一番最初に目にするのが「仁王門」。でも、その門は地形的になぜか周りとそぐわない門の造りです。別名「目隠しの門」と言われますが、なぜそんな名前がついたのか。それは、本殿に足を運ぶうちに少しずつ謎が解けていくのですが、清水寺は見晴らしの良い場所に建ててあります。その本殿から京都の街並みを一望すると、京都御所が遠くに。そうなんです、「天皇を見下ろす」ということがあまりにも不敬だったのですね。だから、みなの目線を仁王門で遮りたかった。ほかにも、「清水の舞台から飛び降りる」なんて慣用句あるけど、実際は

80%の確率で生き延びることができたそうだから、願掛けにはちょうどよかったんだねー、など。

 

 

伏見稲荷神社では、鳥居をくぐる観光客の列を離れて、竹林の中へ。こちらは『竹取物語』の舞台となったと言われている「伏見神宝神社」で、息子は初めて見る竹に興味津々。東京出身の私は、「竹は家屋をダメにする」と家族が言っていたことを記憶していますが、まさに「破竹の勢い」です。息子も触って硬さを確かめていました。さらに、京都御所では当時使っていた乗り物の問題を。「ぎっしゃ」は、牛が引っ張っていたんだよ~。え、馬車じゃないんだ。当時は天皇の乗り物とされていて、格式を重んじていたんだね、などなど。まさに、修学旅行です。

我が家の旅は、行く先々で、その地の歴史を紐解く作業。が、しかしいにしえの都、京都。恐るべしです。情報量がありすぎて、紐解けないっ!でも、今回感じたことは、寺社仏閣にはそれぞれに長い歴史があり、また今でもその場所を大切に、後世に残そうと尽力されている方々が数えきれないほどいらっしゃることこそ、ロマンだなぁと。国語科の教員としては、仁和寺から石清水八幡宮に足を運びたいんですけどね。これは、いつの話になるのでしょう。 

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