校長・教員ブログ
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今年も教育実習の季節がやってきました。若々しい実習生に会うと自分もこうだったのだろうか?と思います。今回はこの若々しさにちなんで、「庄助さん」をご紹介しようと思います。
庄助さんは短編集『茗荷谷の猫』(木内昇・文春文庫)に登場する大学生のあだ名で、同時にその物語のタイトルでもあります。芸術を学ぶ大学生の彼は、若さあふれる熱意をすべて映画に注ぎ込み、ある浅草の映画館に通い詰めます。そのあまりの熱心さからそこで働くまでになった彼は、「僕は、いずれ活動写真の監督になりますので」と口癖のように語ります。
しかし「庄助さん」の主役は庄助さんではありません。それは彼を雇った映画館の支配人です。庄助さんからはおっさんと呼ばれ辟易する支配人でしたが、同じ時間を過ごすうちふたりは心を通わせ、おっさんは奥底にしまい込んでいた過去を語ります。この支配人も、かつては庄助さんのように芸で身を立てようともがきつつ、かなわなかったのです。
そのおっさんのもつ泣き笑いを映画に昇華しようとする庄助さんに、おっさんの思いが重なります。そしてふたりの思いが開花しかけたそのとき、突然庄助さんは姿を消してしまいます。失意に沈むおっさんでしたが、再会した庄助さんに彼は言葉を失うのでした…
…
この物語からは、若い庄助さんの一途さや熱意があちこちににじみ出ていますが、そのエネルギーの大きさが強く印象に残るのは、むしろそれが失われる瞬間です。その喪失感こそが、庄助さんが持っていたものがどれほど大きく貴いものだったかを感じさせます。だから、おっさんは発したことばを言い切ることができなかったのです。
青春の情熱と哀惜、そして喪失までぎゅっと詰まったこの珠玉の一遍は発表から10年以上たった今も全く古びません。興味を持たれた方はぜひ、この『茗荷谷の猫』を手に取っていただければと思います。