校長・教員ブログ
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今年の夏もとても暑い日が続きましたが、皆さんはどんな思い出が残りましたか。私の2024年 夏の思い出をお話したいと思います。
今年の夏休み期間中に、京都に滞在する機会がありました。宿泊したホテルが京都駅の近くだったことと、早朝しか時間がとれないこともあったので少し早起きをして駅周辺のお寺に限定して参拝することにしました。
最初に参拝したのは東寺です。平安京への遷都とともに建立され、真言宗の宗祖である空海にたくされたお寺として歴史の授業で登場するお寺です。創建からおよそ1200年のたたずまいには圧倒されるばかりでした。
もう一つ訪ねたお寺は東本願寺です。こちらは、親鸞を宗祖とする浄土真宗の真宗大谷派の本山です。境(けい)内(だい)には、親鸞の御(ご)真(しん)影(ねい)(木像)を置(ち)している御(ご)影(えい)堂(どう)があって、自由に参拝できるようになっています。この御影堂は世界最大級の木造建築物で、敷(し)かれている畳(たたみ)は合計で927枚にもなるそうです。
午前7時を過ぎたころ、御影堂に約50名の小中学生の※奉(ほう)仕(し)団(だん)のグループが入ってきて、朝のおつとめ(本校では礼拝にあたります)を始めました。そのおつとめの最後のほうで、次の唱(しょう)和(わ)が始まりました。
「Buddham Saranam Gacchami (ブッダン サラナン ガッチャーミ)」
「Dhammam Saranam Gacchami (ダンマン サラナン ガッチャーミ)」
「Sangham Saranam Gacchami (サンガン サラナン ガッチャーミ)」
◇これは「三(さん)帰(き)依(え)文(ぶん)」といわれるもので、仏教徒がブッダに帰依(=心身を委(ゆだ)ねること)を誓うもので、3回繰り返すことで誓いを強調します。言語は、インドの古い言葉であるパーリ語です。
◇日本語訳「私は仏陀(ブッダ)に帰(き)依(え)します。」(ブッダ=悟りを開いた者)
「私は 法 (ダンマ)に帰依します。」(法=ブッダの教え)
「私は 僧 (サンガ)に帰依します。」(僧=ブッダの教えを実践する仏教集団)
※奉仕団=東本願寺がおこなっている全国の小中高生の交流を目的とした活動とそのグループ
その澄み切ったフレーズを聞いた瞬間、私が中学3年生だった39年前の夏に当時の奉仕団に参加していた記憶がよみがえってきたのでした。全国から集まってきた同年代の仲間たちと京都市内でのフィールドワークや奉仕活動を通じて、様々な友人関係を広めることができた貴重な体験でした。
さらには、33年前に訪ねたインドのブッダガヤ-にあるサマンバヤ・アシュラム(参照:教員ブログ「インド珍道記Ⅱ」)のことにも思いを馳(は)せることとなりました。それは、お世話になっていたアシュラムでも寄宿している約50人の子供たちが朝のお祈りで「三帰依文」を唱和することから1日を始めていたからです。彼らは、アウトカーストという厳しい環境の中でも決して希望をすてることなく、自身の夢の実現のために必死に生きている姿が大変印象的でした。
今年の夏は、たまたま京都を訪ねて、限られた時間内での観光だったのですが、思いもよらずに中学3年生の自分を振り返ることができたり、学生時代に関心があったインドにまでつながっていくことに出会いました。
「食べず嫌い」という言葉がありますね。
見た目や先入観、思い込みだけで判断するすることなく、まずは一度、挑戦してみませんか。
「まずは一度、食べてみるか」・・・今年の夏の思い出です。
このブログを読んでいるみなさんは毎日誰かの機嫌をとっていますか?
「あの人、もしかして怒ってるのかな?」、「あの人、なんだか悲しそうだな…」そんなことを考えながら毎日を過ごすなんて息が詰まってしまいそうですし、誰かと会うことが億劫になってしまいます。
でも、私はなるべく「機嫌をとる」ように毎日を過ごしています。それは他人の「機嫌」ではなく、自分の「機嫌」をとることです。「今日は疲れているな」とか、「なんだか今日は元気が出ないな」と思う日にとっておきの「機嫌をとる」方法を用意しておくのです。特に元気がない、疲れているなと感じている時にはお肉を食べるようにしています。私はジンギスカンが大好きですが羊肉はいいお値段がするので、「明日からの生きる活力が必要だ!」と思う時に奮発して買います。そうすると、昨日お肉を食べたから今日の私は頑張れる!と、自分を励ますことができるのです。
失敗をしてしまった日や、自分のだめなところを考えて落ち込むこともあります。そんな時には家に帰った後に自分の好きなアロマオイルを温めて、なるべくリラックスした状態で本を読んだり、漫画を読みます。最近はエッセイコミックにはまっていて、落ち込んでいる時やつらい時にはこの部分を読むぞと決めているページがあります。そのお話を読むと、「失敗してしまうこともあるよね」と自分に対して少し寛容な気持ちになれます。失敗したときには自分の嫌な部分がクローズアップされ、本を読んでも集中できないことがあるので、気軽な気持ちで読めるエッセイコミックがおすすめです。
周囲のことを考えることもちろん大切ですし、相手の気持ちを推し量ることも時には必要です。しかし、その前に自分自身が機嫌のいい状態でいることが大切だと考えています。疲れた時、落ち込んだ時、自分を元気にする方法をこれからもっと増やしていきたいです。
他の人はどうか知りませんが、私はボロボロなものが好きではありません。自分の部屋や学校の机が散らかっていると、不快な気持ちになります。無形資産にも当てはまると思います。
もう役に立たないものを手放すことは、私の人生における重要な教訓です。古い習慣、人間関係、考え方にしがみついていると、行き詰まってしまう可能性があることに気づきました。慣れ親しんだものを手放すのは難しいかもしれませんが、そうすることで、より良いことが自分の人生に入ってくる余地が広がることを学びました。
この旅は私に自分自身をもっと信頼することを教えてくれました。自分の成長に役立たないことにこだわらずに前に進んでも大丈夫だと理解するようになりました。手放すということは、何かを失うということではありません。それは、新しい機会、より健全な人間関係、より前向きな生き方のための余裕を作ることを意味します。
また、私は自分自身を信じているよりも強いことも学びました。役に立たなくなったものを手放すたびに、少しだけ回復力が増し、変化に対応できるようになったと感じます。結局のところ、手放すということは、自分を尊重し、自分には幸せで満たされる権利があると知ることなのです。それは、オープンな心で変化を歓迎し、これから先にあるものは私が自分の後に残していったものよりも良くなると信じていることです。