「本気の大人でいたい」 聖書科教員・宗教主任 小西陽祐
わたしは学校で働く以前に、教会の牧師と幼稚園の園長として働いていました。園長として勤める中で、子どもたちと何かをする時には本気でするということを心がけていました。たとえば、子どもたちと一緒にリレーをする時には本気で走る、サッカーボールを蹴る時も本気で蹴る。わたしが 子どもたちに本気で接するようになったのは、一つの出来事がきっかけでした。ある冬の日、園庭の雪山を登って降りるリレーをしていた時のことです。いよいよ、わたしが走る番。本気で走ったら、明らかに自分が勝ってしまう。だから、手を抜いて、いつもより走るスピードを抑えることにしました。結局、わたしが走ったチームは負けました。リレーが終わった後、勝ったチームや負けたチームに関係なく子どもたちがわたしのところに詰め寄ってきて言いました。「園長先生、どうして本気で走らなかったの!!本気で走ってよ!」。子どもたちから本気で走らなかったわたしへの失望感を感じられたのです。わたしとしては良かれと思ってしたのですが、子どもたちからすると期待はずれの行動だったのです。子どもからみると圧倒的に足が速い園長先生は憧れの存在であったようです。
その時から子どもたちが「あんなふうに早く走ってみたい」と思えるロールモデルになれたらいいなと考え始めました。だから、子どもたちと走る時には、手を抜かず本気を出すことにしたのです。
幼少期にこういう大人になりたい、一つの指標となるような人に出会えることは、自己を形成するのに重要なことです。逆に幼少期からロールモデルになり得る人がいないと、自我の形成にかなり課題が出てくると言われています。また、思春期の頃にロールモデルといえるような人に出会えないと、「こういう人になりたい」「こうありたい」という思いが育ちにくいとも言われています。
そうであるならば、せっかく学校で働いているのですから中学生や高校生たちにとっても憧れの大人でと思います。とは言っても、45歳の中年のおじさん。そんなおじさんに女子中学高校生が憧れるとは思えないと一方では思いつつ…。
先日、中学1年生の「緑の教室」が1泊2日×3クラスで開催されました。緑の教室は「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(フィリピの信徒への手紙2:4)という聖書の言葉をテーマにして、クラスづくりを目的にしています。一日目の午後、公園に出かけました。面白いもので、どのクラスも自然と鬼ごっこが始めます。もちろん、わたしは鬼になって本気で追いかけます。「先生、足早い」と言われながら、40分間ほぼ走り続けました。後で「先生、走り方が本気すぎてこわい」と言われました。きっと本当にこわかったのかもしれませんね…。園長をしていたあの時のわたしは20代後半から30代後半。あれから15年の月日が流れ、明らかに瞬発力も体のしなやかさも落ちてきています。でも、45歳になっても中学生よりも早く走れる大人でいたい。70歳になっても本気で走る大人でいたい。それが今のわたしの願いです。