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校長・教員ブログ

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奈良時代から21世紀まで続くことば

 

古文に「係り結び」という文法用語があります。これは、大人になっても覚えている古典で習った二大巨頭の一つで、30代後半の時、中学高校の友人と話している中で「古典って、あれだべ? 「あり・をり・はべり・いまそがり(ラ変動詞 ※これがもう一つです)」と「ぞ・なむ・や・か・こそ」とかだべさ」と言われたことがあります。そのときに「そんなにインパクトのあるものなんだ~」と思ったことがあります。
さて、その係り結びを起こしていた「ぞ」「か」「こそ」の三語ですが、今、私たちも使っていることに気づいていますか? 「今日は勝つ。」という短い文で説明してみますね。
例えば、「勝ちたい!」という気持ちを表す場合、
「今日は勝つ!」
なんて言いますよね。この「ぞ」は係り結びを起こしていた「ぞ」と同じもので、意味を強める働き(=強意)を表しています。また、「今日」という機会に勝ちたい場合は、
「今日こそは勝つ!」
と言うでしょう。この「こそ」も「ぞ」同様、係り結びを起こし、かつ強意を表していた言葉が今でも同じはたらきをしているものです。では、「か」はどうでしょう? 勝ちたい、あるいは勝ってほしいけれど、相手が強い場合は、
「今日は勝つ?」(現実には、もう少しこなれた表現にしますが)
というはずです。そう、疑問を表すのに、今も使っていますよね。

ちなみにこの三語は『古事記』や『万葉集』に用例が確認されるので、奈良時代以前つまり1000年以上前から、同じ言葉を使っていることがわかるのです。
しかし、三語ともまったく同じではなく、用いられ方は変わっています。例えば「ぞ」「か」については文中で使われることはなくなりましたし、「こそ」を使っても文末をわざわざ変えたりはしていません。「や」「なむ」については、疑問や強意のために使うことはなくなっています。なぜ、このような変化が起こるのでしょう? それは単純に「使う人がいなくなったから」だと考えています。

話は大きく変わりますが、私は20代・30代のころ東京近辺に住んでいました。趣味の一つが「乗り鉄」で、全国あちらこちらを「青春18きっぷ」で旅したり、帰省したりしていました。20代のころ、秋田県内をJRで移動していた時、うとうとしていたのですが、ものすごい方言で女性同士が会話していて、びっくりして目を覚まし、顔を上げると、女子高校生数人が楽しそうに話していたことがあります。「やっぱり東北の方言は聞き取れないな~」と思い記憶に残っていたのですが、30代で同じエリアを通過したとき、あの方言を耳にすることがなく、驚いたものです。たった10年で言葉が大きく変化したことを実感できたのです。考えてみると、自分自身、使わなくなっている北海道弁は結構あります。最初の方で私の友人とのエピソードを書きましたが、文末表現で「だべ」「だべさ」を用いることも少なくなっている気がします。

言葉は日常的に使わなければ、変化し、消えていくものです。「ぞ」「こそ」「か」は1000年以上、多少、使われ方は変わったものの残ってきました。しかし「や」「なむ」はいつの時からか用いられなくなり、「古語」としてしかその存在を確認することはできません。

今、私たちが使っている言葉も、いずれは「古文」の世界のものになるのでしょう。その時に「ヤバい」の訳し方で未来の後輩たちが、「これは肯定表現なのか否定表現なのか、何を言いたいの?」と悩まないよう、豊かな語彙を残していきたいと思います。

 

 

※「ぞ」の用例:『古事記』「八千矛の神の命 萎え草の女にしあれば 我が心 浦渚の鳥ぞ」

※「こそ」の用例:『古事記』「汝こそは 男にいませば<略>若草の 妻持たらせめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を置て 男は無し」

※「か」の用例:『古事記』「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」

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