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校長・教員ブログ

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2022年3月2日、北星学園女子中学高等学校は卒業礼拝の日を迎えた。

巣立ちの日は別れの日、喜びと寂しさが共存する心の中にあったもう一つの憂いが、この映画とある友人を思い出させた。

2002年に公開された映画「めぐりあう時間たち」(原題:The Hours)はマイケル・カニンガムの小説を映画化した作品である。日本語タイトルの秀逸さにも感心するが、映画作品として、原作、脚本、演者のすばらしさに感動する。ただし予備知識がないと内容理解が難解なため作品評価はそう高くはなく、名だたる映画賞の数多くの部門でノミネートはされたが、出演した有名女優たちが賞を手にしただけで最優秀作品賞とはならなかった。時代も場所も環境も異なる3人の女性をつなぐ小説「ダロウェイ夫人」。1923年、ロンドン郊外でその作品を執筆中の著者ヴァージニア・ウルフ。1951年、その作品を愛読するロサンゼルスに暮らす主婦のローラ。そして2001年、ダロウェイ夫人とあだ名されるニューヨークの編集者クラリッサ。3人の時間が交差する。

そして、2022年、そんな思いをめぐらしながら卒業礼拝が始まったスミス記念講堂に私はいて、

「全員、ご起立ください。」讃美歌465番

「神ともにいまして、ゆく道をまもり、日ごとの糧もて つねに支えたまえ また逢う日まで・・・」

歌いながら懐かしさが込み上げてきた。数十年前、函館で、私もこの歌を歌って卒業式に臨んでいた。

その頃の私は4月から始まる東京での大学生活に胸躍らせ、それまで毎日一緒に過ごしていた学友たちとの別れを実感できずにいた。「また逢う日まで・・・」またすぐに会えると思っていた。しかし、現実はそうではないことにずっと後で気づく。卒業の日を最後にもう二度と会えない学友たちの方が多いということに。

そんな現実は遠い先に思い知ることで、その3年後、教育実習で母校に戻った十数名と再会した。本気で先生を目指している者、肩書として教員免許があると就職に有利だから…と教育実習生もいろいろだ。そんな中に「むっちゃん」がいた。友人の友人という付き合いだったが、同じ教科ということもあり、実習期間を一緒に過ごすことが多かった。そういえば、その私の友人もむっちゃんも北星学園大学だった。友人とむっちゃんは同じ中学だったが、むっちゃんが転校してしまい、高校に進学して再会、同じ北星学園大学に進学して、寮では隣同士の間柄だったそうだ。母校から北星に進学する生徒は多く、今私がここにこうしているのも見えない何かに導かれているのかもしれない…と思ってしまう。

そして、実習から一年後、私は公立高校の教員となり、むっちゃんは母校で教職に就いた。

 さらに時は流れ、私は教員生活3校目の札幌月寒高校に勤務し、その年全道英語弁論大会の当番校業務にあたっていた。参加者名簿に母校からの参加者と引率者にむっちゃんの名前を見つけて再会を楽しみにしていた。数十年ぶりに会ったむっちゃんは生徒が思わず敬愛する「上戸先生」になっていた。生徒を引き付ける人間的な魅力と的確な指導力は同じ教科の教員としてすぐに感じ取れた。引率された母校の生徒は優秀な成績を手にして、「またいつかね」と祝福と笑顔でむっちゃんと別れた。

 それから数年後、進学講座と部活動指導で疲れ切って帰宅したところに電話が鳴った。こんな時間に・・・誰だろうと出てみると、例の友人が声を詰まらせながら、「むっちゃんが死んじゃった」と伝えてきた。

「???なにそれ?なに?」・・・あまりのことに黙って「うん…うん…」と話を聞くと、むっちゃんは、仕事に全精力を注いでいた、大好きな旅行を息抜きにしながら。母校の同僚だった先生によると、明らかに過労だと声をかけても、「仕事は楽しいし、無理はしていないから大丈夫」とこたえていたと言う。気づいた時には手遅れの不治の病だった。弁論大会の日のむっちゃんの笑顔が浮かんで、ただただ涙が止まらなかった。

 

 荒れ野をゆきときも

 あらし吹くときも

ゆくてをしめして

導きたまえ、主よ。

 

み国にいる日まで

いつくしみひろき

みつばさのかげに

はぐくみたまえ、主よ。

 

讃美歌が終わり、卒業礼拝が終わりに近づいていた。

そこに一報が届いた。あの映画を思い出させた一抹の憂いは、容赦なく、望まぬ早さで現実となって現れた。

私たちはかけがえのない大切な同僚を亡くした。

かわいい教え子たちの卒業の日を目標に、一日一日を懸命に頑張っていらしたそうだ。

昨年春に道立高校を退職して北星女子に入れていただいた私は、その先生に直接お目にかかることはできなかった。しかし、その先生がどれほどの情熱を持ってこの学校で輝いていたのか、彼女を失うことがこの学校にとってどんなに悲しく大きいことなのか、たった一年の勤務でも想像に難くなかった。

一報を受けて先生たちは、心がどんなに辛くても、目が赤くなっても、粛々と卒業礼拝をすすめ、生徒たちの未来に祝福あれと祈った。

そうだ、あの映画が描いていたのは、生と死、自分の存在と生きていく厳しさだった。だから思い出したのか。

道立高校の38年、そして北星で1年、私はなんとたくさんの人たちとめぐりあえたことだろう。もう会えない人もたくさんいるが、その人たちとの時間は、私の中に生涯消えずに存在し続ける。

「さあ、もう会えない人もいるんだよ・・・だからお互いちゃんとよく見て」と卒業式の日に私が言うと生徒たちは笑う「また先生そんなこと言って・・・。」と。

この世の存在の歴史と比べれば、私たちの人生の時間なんて、ほんの一瞬のことなのかもしれない。その一瞬の時間がめぐりあって、めぐりあって・・・誰とめぐりあうのか私たちは知らないし、いつ別れがやってくるのかも知らない。そのめぐりあいの奇跡、生きていることの不思議に、人知が及ばない大いなる何かを感じざるを得ない。私たちはそんな一瞬のめぐりあいの時間をただ大切に大切に生きていくだけでよい。そう言われているような気がした。

 

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