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校長・教員ブログ

校長・教員ブログ  2021.01

私が小学校に上がる前の話。父は、たくさん本を買ってくれた。「狼と七匹の小ヤギ」「ヘンゼルとグレーテル」など数々のグリム童話。本棚いっぱいに並べられたピカピカの本に私はワクワクしなかった。本が好きになれなかったのは、今も変わらない。(今の方が本を読んでるけど)

小学校高学年の時。ある時友達が、「ジャンプ、読んでる?」と聞いてきた。「うちでは、マンガ本はダメだって、読ませてくれない」そう答えると不思議そうな顔で私を見ていた。

高校生で初めて「ガラスの仮面」を読んだ。一気に読んだ。休み時間もお昼休みも夢中になって読んだ。部活に行かないで読みたいと思った日も何度もあったが、ちゃんと部活に行った笑。『転んだことのない人間に転んだ時の痛さはわからない』『どんなに影が濃くても光がなければ影はできないのですよ』なんだか勇気が出た。月影先生に励まされた気がした。

大人になって考えたこと。それは「マンガ本はそんなにダメな本か?」ということ。

マンガ本にも数々の名言がある。不安ばかりで後ろ向きな気持ちになった時、悲しくて泣きたい時、負けて悔しい時、言葉に勇気づけられた経験はないだろうか。

『SLAM DUNK』男同士のプライドがぶつかり合う勝負の世界で、名言が多く生まれるのは納得できる。『諦めたらそこで試合終了だよ』『お前のためにチームがあるんじゃねぇ。チームのためにお前がいるんだ!!』

『鬼滅の刃』大人も泣ける感動ストーリー。仲間や兄弟の絆も強く描かれているから、共感できる。『人のためにすることは、巡り巡って自分のためになる。そして人は自分ではない誰かのために信じられないような力を出せる生き物なんだよ』『ひとつのことしかできないならそれを極め抜け。極限の極限まで磨け。』『泣いてもいい、逃げてもいい。ただ諦めるな。極限まで叩き上げ、誰よりも強靭な刃になれ!』

『ハイキュー』経験者でも、未経験者でも楽しめる。そして個性豊かなキャラクターが多く熱くて感動的なシーンが多い。『俺が繋いだボールをアンタが勝手に諦めんなよ』『負けは弱さの証明ですか?君達にとって負けは試練なんじゃないですか?地に這いつくばった後、また立って歩けるのかという・・・君達がそこに這いつくばったままならば、それこそが弱さの証明です。』『村人Bには村人Bの良さがあるんだよ』ハイキューを読んでいると、自分も上手になった気分にさせられる。だから、試合前のイメージトレーニングにとてもいい。(うちの部活生はよく使っている笑)

数々の名言が私たちを勇気づけてくれる、前向きにさせてくれる、そんな生きるための参考書に出会えたら幸いだ。

収穫の秋。学校の花壇から生徒の叫び声が聞こえた。見ると、社会問題研究会の生徒がサツマイモを持って歓声をあげている。今年はサツマイモのできが良く、大きめの段ボール1箱分採れた。1キロサイズの芋を2個と小さめの芋を数個、寮に持って行った。寮の食事を作ってくれるまどりさんは教員向けの弁当も作ってくれるので、そのうち弁当に入ってくるかもしれない。大変楽しみである。

毎年、社会問題研究会では、学校の花壇で野菜の栽培を行っている。今年は、トマト、ナス、ピーマン、ズッキーニ、トウモロコシ、サツマイモ、スイカ、カボチャなどを植えた。サンチュ、小松菜は、一部花を咲かせて種を落としているので、毎年勝手に生えてくる。そうやって自家採取の種を作る実験も行っている。最近は自家採取では実をつけない品種も出回っている。ニュージーランド産のカボチャの種をとっておいて蒔いてみたが、実をつけなかった。最近人気のあるラグビー型のカボチャもだめで、昔ながらのみやこや恵比寿、雪化粧などは問題なく収穫できた。F1(かけ合わせで作った品種)や遺伝子組み換えの種が増えていく昨今、種の確保も大きな問題だと思う。数年勝手に生えてくるサンチュや小松菜も元はF1だったのでどうかと思ったが、程よく苦みと甘みがあり、大変美味しかった。

作った作物を収穫し、調理するところまでやる。花壇のラズベリーでジャムを作ったり、夏野菜でカレーを作ったり、枝豆を茹でたり、サツマイモでスウィートポテトを焼いたり・・・「なぜ、社会問題研究会で野菜の栽培を?」と不思議に思われるかもしれないが、一応理由はある。社会問題のうち、一番に取り組みたいのは食糧問題。食べることに不安がなければ、多少の問題があっても精神的に余裕をもって対処できる。生きることに直結する「食べる」ことを確保して、様々な問題に目を向けようということである。

もちろん、他の社会問題にも取り組む。社会的マイノリティの問題、原発とエネルギーの問題、銃社会について、貧困問題、婚活についてなど、それぞれ興味のあるテーマについて調べ、プレゼンをする。そのとき、調べた知識を述べるだけでなく、必ず自分たちの提案をすることになっている。それついて、みんなでディスカッションする。それが有意義で実効性が高いとなれば、みんなで行動することもある。研究会のメンバーだけでなく、外部に広く呼び掛けて発表したこともある。

「これからの時代、社会はこうなっていくから、それに対応しなければならない。」というような話が聞こえてくると、誰がその社会を望んだのだろうと疑問に思う。必要なのは、望んでもいない社会に対応する力ではなく、望む社会を創っていく力ではないだろうか。そんなことを考えながら、社会問題について楽しそうに議論する生徒たちを眺めると、日本もまだまだ大丈夫だと思ったりもする。

 

At Hokusei, we talk a lot about God. In fact, we try to incorporate God into all of our classes and events. Today, I would like to talk about what God means to me.

In my case, it seems that all of my life I have been trying to understand who, or what, God is. I was born and raised Catholic, and for the first 24 years of my life, that was sufficient for me. But then I started to question my religion. It felt like I was believing in something that other people told me to believe in, and not that I myself experienced. This episode of my life set me on a journey of 30 years, and which still continues today. I have looked for God in churches, synagogues, temples, and anywhere else humans might think God would be. While I have felt the presence of God in all of those places, I have come to realize that God does not need to be put into a house or a building. I can find God anywhere: in a forest, in a river, in people’s faces and hearts. In fact, I believe that God is everywhere, in all people and in all things. As my understanding of God grows deeper, I am able to see that God is present in situations that I never would have thought possible before. I hope that what I have written today reaches someone who might have the same questions about God’s presence. Thank you for taking the time to read this.

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