校長・教員ブログ
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新体操を始めたのは中学生になったとき、部活は体操競技がやりたかったけど「練習になるからと」顧問の先生、体操競技の練習のつもりで始めたのが私の新体操人生の始まりでした。当時の新体操は徒手体操に手具を持ったかんじのもの。今の新体操とは大きく違っていたように思います。1年生ですから文句もいえずいわれるままに一生懸命練習した記憶が有ります。その後、新人戦からは念願かなって体操競技に没頭しました。得意種目は床運動と跳馬でした。ですが頑張りすぎて怪我をしてしまい大会に出られたのは3年生の最後の中体連でした。思うような演技が出来ず散々な結果、では高校生になったらと…ここでも体操競技部に入ろうとしたら、学校では専門の先生がいないという理由で新体操を薦められます。
私のやりたいのは体操で新体操ではない!。なぜかと聞かれたとき中学のときの団体でとても嫌な思いをしたからと伝えたら個人の種目をするように勧められ、その時入部した1年生のほとんどが退部しており残っていたのは私ひとり(どうしよう私が辞めたら部活がなくなるかも…どうしてそう思ったかはわかりませんが)とりあえずやってみるか。ここではじめて自分の意志で新体操をやることになりました。前置きが長くなってしまいましたが、3年目にしてやっとです。自分でやると決めてからは何にも優先して新体操やめて行った仲間にもう一度声をかけひとり、興味のありそうなクラスメイトを誘い二人目、マネージャーならと言ってくれた友人と先輩が3人で体操部再出発。人生何があるかわかりません。いまのように社会体育、ジュニアクラブが沢山ありどんなスポーツも小さな時から選んでやれる環境ではなかったので学校の部活が全てでした。専門のコーチがいるわけでわないので先輩方が教えに来てくれました。叉、年に1度、県の強化練習で東京から大学のコーチの方が指導に来て下さいました。その素晴らしいこと❤️初めて本物の新体操を目の前に、さらにのめり込んでいきました。(こうなったら止まらないのが私です。)その後大学進学の時もあの指導にきてくださった方のいる大学へ、そしていまに至ります。自分が始めた頃の新体操とはずいぶん変わりましたが、指導できないから、わからないからでは生徒が可哀想、ルールの勉強も、審判の資格も他の人には…という思いでやってきました。最初はまるでやる気がなかった新体操との出会いでしたが、新体操を通してたくさんの人と出逢い、沢山の経験をすることができたのはやっぱりあの時の出会いがあったからなのでしょうね。
だから私はいつも思うのです。出会いはいつどんな時でも、その人にとって必然の出会いなのだから大事にしよう。いまの出会いが未来の貴方の大切な出会いになるかもですね。