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校長・教員ブログ

校長・教員ブログ  2023.02

子供のころ、私の実家は生き物にあふれていました。都心に近い住宅街で、狭い庭に小さな菜園を作り、ウサギ、モルモット、鶏、アヒル、犬、猫(勝手に住んでいた)、ネズミ(屋根裏に勝手に住み着いていた)などと一緒に暮らしていました。鬱蒼とした木々の間から鶏の鳴き声や犬の遠吠えが聞こえてくる我が家は、友人たちから住宅街のジャングルと言われていました。両親は東京の小学校の先生で、ちょっと変わった両親だったと思います。

夏休みに、父が勤務している小学校のアヒルを一時預かることになりました。都会の小学校の飼育小屋はコンクリート張りで土がなかったそうです。そのせいか、都会のアヒルはコンクリートの軒下から出ようとせず、土に触れるのを嫌がっているようでした。一方我が家のアヒルは野生的で、畑の土をひっくり返してミミズを漁り、自家製の池に潜って遊んでいました。都会のアヒルは泳げませんでした。今まで水場はコンクリートの小さなくぼみにたまった水しか見たことがなかったからです。池で泳がせようとしたら溺れかけました。都会のアヒルは偏食で、あまり餌を食べようとしません。普段学校では、パンとキャベツしか食べていなかったそうです。なんでもおいしそうに食べる野生化したアヒルたちを奇異な目で見ていました。

そんな都会のアヒルに転機が訪れます。少しずつパンとキャベツ以外も食べるようになったころ、アヒルたちにミミズを与えました。他のアヒルたちは狂ったようにミミズに襲い掛かります。都会のアヒルはそれを怯えたように見ています。そこで、他のアヒルを遠ざけ、都会のアヒルだけにミミズを与えてみました。他のアヒルたちがおいしそうに食べるのを見て興味をもったのでしょう。恐る恐るくちばしを伸ばしました。そして食べた瞬間、彼女の目の輝きが変わりました。庭で育った天然のミミズは、1匹のアヒルの世界観を変えるほどのインパクトがあったようです。よほどおいしかったらしく、もっと出せと私の後をついてきました。それから彼女は変わりました。他のアヒルと一緒に泥に頭を突っ込んでミミズを漁り、全身泥だらけになって遊ぶようになりました。忘れていた野生を取り戻したのだと思いました。

夏休みが終わり、彼女は都会の学校へ帰っていきました。その後、彼女がどうなったのかは知りません。住み慣れた我が家に戻りほっとしたのか、泥だらけの日々を恋しく思い出していたのか。今でも都会のアヒルを時々思い出し、今の自分はどちらだろうかと考えます。みなさんは野生のアヒルでしょうか、都会のアヒルでしょうか。

私が新卒で勤務した高校で出会った女子バスケ部の顧問の先生が言っていた言葉をずっと忘れられないでいます。

 その言葉は「ラッキーポイント」という言葉です。これは、自分が貯めてきた運、例えば「廊下に落ちているゴミを拾った」という「人のためにした行動」が自分の「ラッキーポイント」になって返ってくるという仕組み(考え方)です。これを女子バスケ部の生徒が本当に真面目にやっていて、廊下や体育館、大会会場など様々な場所でごみを拾っているのを見てきました。

私も皆と同じように、色々な場面でラッキーポイントを貯めるための行動をするようになりました。ごみを拾ったり、掃除をしたり、物を整頓したり…

ちなみにラッキーポイントは、思わぬタイミングで使われるらしいです。例えば、「今日は赤信号にひっかからずに通勤できたな…」とか「今日のスタバのクリーム少し多めだな…」とか。そういう小さいラッキーで使われると聞きました。そして、その小さいラッキーが起きた時、「あ、今ポイント使ったしまたポイント貯めなきゃな~」となる感じです。

 ごみを拾い始めた時は、自分のラッキーポイントのためだけに始めた行動でしたが、この行動には色々な利点があると考えています。

・廊下や体育館など色々な場所がきれいになる。

・皆がきれいな環境で過ごせる。

・いい気持ちでいられる。

・人のために動けるようになる。

・人のために動ける自分がいいなと思える。

・小さな変化に気付けるようになる。

・細部にこだわれるようになる。

など…これは私が考えた利点ですが、この考え方を教えてくれた先生の真意はほかにもあるかもしれません。ただ単にごみを拾うという行動ですが、意味を持ってやってみると人としての成長も見込める素晴らしい行動だと思っています。

ちなみに初めて自分がコーチをしたバスケ部の子に同じ話をして、同じように皆でごみを拾うようになったんですが、生徒に「廊下に落ちているゴミ拾いだしたらきりがなくて前に進めません、どうしたらいいですか?!」と言われたことがあります。(笑)

 北星はありがたいことに、いつも廊下などは清掃員の方がきれいにしてくれているので逆に拾うポイント(ごみ)がない…!ということもあるかもしれませんが、もし、興味があれば皆さんも一緒にラッキーポイントを貯めてみませんか?

我が家の家族構成は、夫・私・娘(1)・息子(4)です。必ず毎年、長期休みを利用してささやかな家族旅行を楽しんでいます。コロナ禍の中ではstayhomeが続きましたが、昨年からまた我が家の家族旅行も復活しました。

家族で旅行する際に私が必ず用意するものに、「旅行のしおり」があります。短い宿泊の中で、めいっぱい家族には楽しんでもらいたいので、タイムスケジュールや宿泊するホテルの様子、現地での食事のメニューなど、出発する前からわくわくするようなページを作っています。その中には、学びの要素も少し入れたい・・・という親のエゴも盛り込んで。

学びの要素とは、ずばり、その地域の歴史です。必ず、現地の重要文化財に触れてもらいたくて、多少距離があっても実際に足を運んで子どもたちの目で見て、手で触って、何かを感じてもらえたらと思っています。










 

名古屋では、まだ小さい息子のレゴランドが目的でしたが、足を延ばして名古屋城へ。ちょうど本丸御殿がリニューアルしたことで、金をふんだんに使った当時のふすまや欄間の装飾、やぐらを支える石積みや、天守閣の金のしゃちほこの煌びやかを実際に観てもらいたくて。

沖縄では、ビーチで遊ぶことが目的でしたが、まず、ひめゆりの塔にお参りし、おきなわワールドで伝統芸能を肌で感じたり、首里城の異国情緒あふれる雰囲気に堪能してもらいたくて。

大阪では、ユニバが目的でしたが、大阪城や仁徳陵古墳まで足を延ばし、長い歴史の中でどれだけたくさんの人々が先代の築き上げた遺産を大事にしてきたかを感じてもらいたくて。

 

さながら、家族の修学旅行のようですが、我が子どもたちに伝えたいことは、自分たちの国っておもしろいよね!という気持ちです。これからますますグローバル化される中、いい意味でのナショナリティをもつことで、多文化との比較ができ、共生への道を模索できるのではないか?なんて、思ってしまうわけです。そんな我が家は、次の行き先を広島にしました。もちろん厳島神社と原爆ドーム!・・・私だけです、わくわくしてるの。

もう1月も終わり、今日(2/3)は節分です。時間はあっという間に過ぎていきますね。

さて、今の暦で考えると完全に時季外れではありますが、お雑煮の話題をしてみたいと思います(暦の話は、これはこれでとても複雑で面白いものです。『古今和歌集』には「年のうちに春はきにけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ」という有名な和歌があります。新年になる前に立春を迎えた、という内容ですが、今の暦では考えられないですよね。ちなみに2/3は旧暦では1/13になります)。

さて、最近では、お正月でも特におせちやお雑煮を食べないというご家庭も増えているようですが、今まで一度もお雑煮を食べたことがないという人は、まだ少数派だと思います。さあ、ここで思い出してみてください、あなたの家のお雑煮は、どのようなものですか?

 ・お餅は入っていますか? それとも入っていませんか?

 ・お餅は四角い形ですか? それとも丸い形ですか?(丸餅のご家庭では、小豆餡は入っていますか?)

・お餅は焼きますか? それとも焼きませんか?

 ・おつゆは醤油仕立てですか? それとも味噌仕立てですか?

 ・具材には何が入っていますか? 鶏肉? 鰤? 鮭? 人参? 牛蒡? 三つ葉? ほうれん草?

  お雑煮のような、「ハレ」の食事には、それぞれの地域性が色濃く出ます(「ハレ」は民俗学などの用語で、お祭りや年中行事が行われる「非日常」という意味です)。東日本では四角い形の餅で醤油系のすまし汁、西日本では丸い形の餅で白味噌の汁という雑煮が一般的なようです。ただ、北海道は本州各地から入植してきた人々が多いため、同じ場所であっても様々な雑煮が残っている、とても面白い地域です。私は北海道の十勝地方出身で、正月は地元に帰省しています。十勝には「十勝毎日新聞」という地方紙があり、いつも正月には特別号として様々な記事が紹介されるのですが、数年前、「十勝のお雑煮 ルーツ各地に」という特集ページがありました。そこには、本当に様々な見た目や味のお雑煮が紹介されていて、驚いた記憶があります。同時に、伊藤家のお雑煮の由来もわかってうれしかった覚えもあります。我が家のお雑煮は、①醤油仕立てのすまし汁、②四角い餅をそのなかで煮込む、③具はほうれん草と削り節(大量にかけます)、というとてもシンプルなもので、この話をすると、とても驚かれることが多いのです。「そんなに珍しいのかな?」と思っていたのですが、先ほどの特集によると、岐阜地方のお雑煮がまったく同じ作り方をしていました。そう! 伊藤家は岐阜から北海道に入植してきていたのです。

 何気ない生活の中にも、文化は存在しています。それぞれの人の「当たり前」が、実は当たり前ではないということは、なかなか気づかないかもしれませんが、それこそ「当たり前」の事実です。特に食に関わることは、地域やそれぞれのご家庭の文化が色濃く反映しているものです。

そんな「当たり前ではないこと」を楽しむ姿勢が、多様性を尊重する、ということにつながるのかもしれません。

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