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先日の高校の強歩会は生徒たちと多くのインスピレーション(やる気、元気、感動)を共有することを楽しみに参加しました。 最初の校長ブログでも書きましたが、私は同僚や生徒たちから日々インスピレーションをもらっています 強歩会が行われた週、私は同僚たちの精神的な強さや、生徒たちの好奇心とユーモアから刺激を受け、たくさんの活力をもらったので、できればこの日に何かお返ししたいという気持ちでいました。 

強歩会にはちょうどよい天気のもと、私は最初の 8 km を生徒たちと一緒に歩き、その後は同僚の賢明なアドバイスに従って、バスで移動、生徒たちがゴールに到着したら迎えられるようにしました。 最初にゴールする生徒たちは体力的にも余裕があり、自信に満ちた顔です。でも、20キロメートルを歩き切るのはそんなに楽な人ばかりではありません。私は歩き疲れて気持ちまで落ち込んでしまった生徒たちを元気づけるために何ができるだろうかと考えました。そこで、 ゴールから歩いているルートをたどって生徒たちに会いに行き、頑張っている生徒には激励と称賛の言葉を送り、疲れているように見える生徒とはゴールまで一緒に歩き最後は一緒に写真を撮って20キロ完走を祝うことができました。 

たくさんハイタッチをしたくさんの楽しい会話と楽しい写真撮影ができた素晴らしい一日となりました 

A few days ago, we held our annual WalkStrong event, where high school students walk 20 km from Chitose to Lake Shikotsu. At that event, I decided to see if I could share some inspiration with students. As I wrote in the first principal blog, I continue to get daily inspiration from my colleagues and our students.  This week, I have been inspired by the resilience of my colleagues and the curiosity and humor of the students, so I wanted to give something back. 

I walked the first 8 km of the WalkStrong course and then, at the wise advice of my colleagues, took a bus to the goal so I could welcome students when they arrived there. I didn’t want to get in the way of the top finishers celebrating their success, so I waited until the line of finishers was starting to thin out. I asked myself what I might do to bolster students up at a time when they might be feeling down.  I walked up the hill from the goal to meet students, offering encouragement and praise to those who were finishing strong and escorting those who seemed tired back to the goal, where we could take a picture together to celebrate their completing the 20 km walk. 

I gave a lot of high fives, had a bunch of great conversations with students, and even got a few fun pictures at the finish!  All in all, it was a great day! 

 

 先日,スタディーラウンジから見える電柱の上に,カラスが巣を作っていました。足場?の悪いところに,上手に枝や針金を重ねて作っていました。カラスには申し訳なかったですが,あの場所で子育てをされると,登下校の生徒や通行人が大変なことになってしまうと思い,北電に連絡しその日のうちに駆除してもらいました。

 鳥はどんな理由で巣の場所を決めているのでしょうか?実は我が家の玄関の屋根にある小さな隙間に,数年前からスズメが巣を作るようになりました。最初は気付かずに過ごしていましたが,玄関の下に小さな枝が落ちていたり,鳥の「落とし物」が多くみられるようになりふと見上げてみるとスズメがちょうど帰宅してくるところでした。調べてみるとスズメは鳥獣保護法により,ヒナのいる巣は駆除できないと書いてありました。そこで,子供が巣立つのを見届け,親もいなくなったようなので巣を取り出し,入口をふさぐことにしました。しかし翌年の春、詰めていたものをどかし、また巣を作り始めてしまいました。このままではまた落し物が…。ということで,本格的に対策をすることにしました。材料を探しに百円ショップへ行き,入口をふさぐネットと,足場となる屋根に置くとげとげを購入し設置しました。これでもう安心と思った今年の春。家の周りに諦めたスズメさんがいるのかなと思いきや,ちょっとしたネットの隙間から出入りをするスズメさん…。とげとげの隙間に止まるスズメさん…。どうしてもこの場所が良いようなので,今後は同居する方法を考えようかなと思っています。

 終戦の年に生まれた私の母は喜寿を過ぎましたが、耳が遠くなったのと歩くスピードが落ちたことを除けば、変わりなく我が家の家事を支えています。そんな母の突然の引退宣言「もう庭仕事はしない!」 いや、正確には突然ではなく、ここ数年「草取りがつらい」とか「庭どうしよう」とか「もう無理」とか呟いているのは知っていたのですが、そのたびに私は聞き流してきたのでした。

 10年以上前、母と同居するにあたって、何か家でできること、土が感じられる生活…と、家も庭も狭いながらも、戸建てに引っ越しました。その時から、庭仕事は母のテリトリーという感じで、任せっきり。私と娘たちは窓から眺める季節の移ろいや、果実の収穫、おいしいところだけを享受してきました。

 「庭どうする?つぶす?コンクリートで。」「いやいや、つぶせないでしょ。」「じゃあ誰やるの?」「誰って…」

というわけで、今シーズンからは私の担当です。4月、雪がすっかり解けると、まずは枯れ葉の掃除から。はいはい、枯れ葉を拾えばよいのねと始めましたが、やってみるとビニール手袋の中はびしょびしょ、汗だくになります。大して広いスペースでもありませんが、枯れ葉は次から次に出てきて、芽吹きだした植物と絡まり、キリがありません。これ以上やったら、いやになる!と思い、90分で打ち止め。でも、普段はあれこれ考えるばかりで身体を動かすことが少ない私にとって、無心に作業する時間は爽快感につながることを教えてくれる、久しぶりの体験となりました。

そもそも、枯れ葉を掃除するという過程も私の認識にはなかったもので、維持すること、自然に触れること、何かと向き合うこと…いろいろと考えさせられます。これは、「卵焼き」に続く大事な作業になるかもしれない!(以前のブログで毎朝の「卵焼き」作りは人生の教訓につながることを書いています。)次は草取りだ!何事も形から入ってしまう私は、さっそく草取りグッズをAmazonで検索し、ぽちっとしたのでした。

ここ数年で、自分の「おでこ」の髪の毛の両端から少しずつ後退してきたことが気になっています。毎日、効いているのかわからない育毛剤を塗りながら、マッサージをして、手入れをしています。スキンヘッドの友人からは「全部そったらいいやん」と言われますが…とてもそんな気持ちにはなれません。まだ44歳、諦めはつきませんが、諦めるのではく、髪は薄くなってもポジティブな髪形をしていたいなあと思っています。

 

小学生の頃、キリスト教の教会に通っていた時に「ひかりひかり」という讃美歌をよく歌っていました。3番はこのような歌詞です。「ひかりひかり わたくしたちは 光のこども ひかりのように 正しいこども いつもただしく はげみましょう

「ひかりひかり」に、「励みましょう」と歌うわたしの隣には、光る頭の年配の人が一緒に歌っていました。小学生だったわたしは讃美歌の歌詞から「禿げ」を連想せずにはいられませんでした。それ以来、失礼ながらこの讃美歌を歌うと禿げた人を思い出すようになりました。

けれども、いざ自分自身の髪の毛が薄くなる「当事者」になってみて、小学生の自分の姿を振り返ってみると、自分がいつか禿げるなんて思ってもいなかったことがわかります。

 

実は、旧約聖書の列王記下223節~24節にも「はげた人を笑う」という物語が出てきます。預言者エリシャの頭が禿げていたのでしょうね。坂を登っていくエリシャの頭を見て、「はげ頭、上って行け。はげ頭、上って行け」と後ろから子どもたち馬鹿にして笑いました。いつの時代も変わらない子どもの姿があります。するとエリシャは激怒して、振り向いて子どもたちを睨みつけます。まあ、ここまではよかったのですが、そのままエリシャは神の名によって呪いの言葉を口にすると、森の中から二頭の熊が現れて、こどもたちのうち42人を引き裂いたと言います。

 

突っ込みどころ満載の物語です。

いやいや、いくら腹が立ったとしてもやりすぎでしょ。こどもたちの内、42人が引き裂かれたということはその場にはもっと子どもたちがいたはず。いったい子どもたちはどれだけ多くの人数でエリシャのことを馬鹿にして笑ったんだろうか。

 

聖書はいわゆる史実を記載しているわけではありません。史実も交えながら、神を信じるという信仰の立場から書かれている書物ですから、解釈を加えて読むことが必要です。でも、ここの箇所は聖書の中でも解釈が難しい箇所だと思います。今回は解釈はしません。

 

とにかく、エリシャは腹が立ったのでしょうね。

エリシャの「はげ頭」はスキンヘッドなのか、M字禿げ(おでこの両端から)、O字禿げ(頭頂部から薄くなる)、U字禿げ(M字とO字の両方)だったのかは聖書の記述からはよくわかりません。

それぞれの禿げ方には似合う髪型があるそうですよ。M字禿げの人の場合はショートレイヤー、ソフトモヒカン、おしゃれ坊主。O字禿げの場合はベリーショート、ナチュラルモヒカン、オールバック。U字禿げの場合はベリーショート、坊主、ショートツーブロックが似合うそうです。エリシャにもこうした選択肢があったなら、馬鹿にされてもそこまで怒らなくてもよかったのかもしれないなあと勝手なことを思っています。わたし自身も髪形だけではなく、人生には様々な選択肢があることを心に留めながら前向きに生き続けたいです。

 

今年もこの季節がやってきました。もはや、このブログを書くために、我が家は任務のごとく、家族旅行を計画し実行しております。今回も私の趣味満載の手作りしおりを娘や息子になかば強制的に読ませながら、4 月の始め、家族4人で桜が咲き始めた京都へ。

今回は3泊4日、京都の世界遺産をめぐる王道ルートです。初日は娘と私で外国人観光客でごった返す着物レンタル店で和装にお召しかえ。着物で八坂神社をまわります。この神社、「神武天皇祭遥拝式」の時期もあってか、たくさんの参拝者でした。圧巻な、祇園しだれ桜も。

 

必ず、行く先々で子どもたちに問題を出します。たとえば、清水寺で一番最初に目にするのが「仁王門」。でも、その門は地形的になぜか周りとそぐわない門の造りです。別名「目隠しの門」と言われますが、なぜそんな名前がついたのか。それは、本殿に足を運ぶうちに少しずつ謎が解けていくのですが、清水寺は見晴らしの良い場所に建ててあります。その本殿から京都の街並みを一望すると、京都御所が遠くに。そうなんです、「天皇を見下ろす」ということがあまりにも不敬だったのですね。だから、みなの目線を仁王門で遮りたかった。ほかにも、「清水の舞台から飛び降りる」なんて慣用句あるけど、実際は

80%の確率で生き延びることができたそうだから、願掛けにはちょうどよかったんだねー、など。

 

 

伏見稲荷神社では、鳥居をくぐる観光客の列を離れて、竹林の中へ。こちらは『竹取物語』の舞台となったと言われている「伏見神宝神社」で、息子は初めて見る竹に興味津々。東京出身の私は、「竹は家屋をダメにする」と家族が言っていたことを記憶していますが、まさに「破竹の勢い」です。息子も触って硬さを確かめていました。さらに、京都御所では当時使っていた乗り物の問題を。「ぎっしゃ」は、牛が引っ張っていたんだよ~。え、馬車じゃないんだ。当時は天皇の乗り物とされていて、格式を重んじていたんだね、などなど。まさに、修学旅行です。

我が家の旅は、行く先々で、その地の歴史を紐解く作業。が、しかしいにしえの都、京都。恐るべしです。情報量がありすぎて、紐解けないっ!でも、今回感じたことは、寺社仏閣にはそれぞれに長い歴史があり、また今でもその場所を大切に、後世に残そうと尽力されている方々が数えきれないほどいらっしゃることこそ、ロマンだなぁと。国語科の教員としては、仁和寺から石清水八幡宮に足を運びたいんですけどね。これは、いつの話になるのでしょう。 

  最近再確認できたことですが、インスピレーションというものは伝染するのです。私にとってはこれはとてもラッキーなことです。校長になったばかりの私にとっては毎日なれない事ばかりで時間を過ごしていますから、周りの人からインスピレーションを受けることによって助けられていることがあります。自然の美しさからインスピレーションをもらうこともあって、雪をかぶっている山や夕日で桃色になっている空やずっと眠っていた枝の先っぽに出てきている若緑によって気持ちが和らぐ事もよくあります。でも、私にとって最も刺激を受けるのは人間です。その中でも、一番心に響くのは一緒に過ごしている人たちから受けるインスピレーションです。

今週、私の心を高揚させてくれたのは周りにいる生徒や教員の言葉でした。月曜日に新入生のプログラムで学校の歴史について講演をすることになりました。北星女子が大切にしている価値観の一つとして「つながり」がありますから、生徒が学校の歴史と個人的繋がりを感じることができる活動をしようと思いました。北星を形作った宣教師の先生方について、それぞれの先生が何をしたかだけではなく、それぞれの行動から伝わってくる先生方の性格についても話しました。その話の中で、新入生には自分と一番近いつながりを感じる先生はどれでしょうかという質問について考えてもらいました。その関連性は今の自分と似ているということでも、その先生のようになりたいということでもいいと説明しました。生徒の書いたことを読んで、スミス先生とモンク先生とエバンス先生のことを新たな目で見ることができました。

特に印象的な生徒の回答としてはこんなのがありました:

     スミス先生誰かのために努力をして結果を出していたのが凄いと思った。私もこんな風に誰かのためになることをしてみたい。

     スミス先生目的地がどんな場所か分からなくても、自分がやりたいことに全力になれて、それを実現させているのが尊敬できる。

     モンク先生のようになりたい。誰もが嫌がることでも大切なことだからと自分で積極的に行動するという。周りを思いやる、支える姿勢が素敵だと思った。また、世の中を知るためなど、自分の目的に向かって努力できる人になりたいと思った。

     モンク先生のような人間になりたいと感じた。一度何かに挑戦して失敗したら、何度も再挑戦してみることの重要さを再認識させられた。

     エバンス先生の活発なところが自分と似ているかなと思いました。厳しさよりも愛情の方を大事にしていきたい。他人のために愛のある行動をとれるようになりたい。生徒のこういう声を聴いて、それぞれが学校の歴史とのつながりを見つけて、そこから自分の未来に向けて頑張る力を得たことに、教員として感動しました。

これを読んで、私もいろいろ頑張りたくなりました。皆さんにとっては、どれが一番感動的でしょうか。

今年度から一つ新しい取り組みを始めました。先生方が忙しい中でさらに仕事が増えるようなお願いをすることは気になりましたが、校長として一番大切な役割の一つは教職員一人ひとりの活躍を支援することだと考えると、一人ひとりが頑張りたいところが分からなければ、その役割を果たすことができないと考えました。そこで先生方の今年度の個人目標を書いてもらうことにしました。上がってきた個人目標を読むと、それぞれの立場から学校の課題が見えてくるだけではなくて、それぞれの先生から、今年度、生徒のため、学校のためにできる大切なことを教えてもらっている気がします。一人一人が学校の改善についていろいろと考えてくれて、各々が一生懸命に取り組みたいところの説明を読んでいると、私まで感動して、もっと学校のため、先生方のため、生徒のために頑張りたくなるのです。

北星の先生方は今年こんなことに取り組もうとしています。

     自律した生活習慣を身に付け、自治の精神が根付いた集団作りを行う。

     女子単学の環境を生かし、自己を受け入れ挑戦できる土壌を構築する。

     生徒主体の授業をできる限り取り入れる。教員が話す時間を1授業あたり10分を目標にしたい。

     日々の声掛け(授業では1時間につき最低10人にあてる

     生徒たちみんなが楽しく、生き生きと前向きに学校生活を送ることが出来るように努力する。

     思考/判断/表現力を高める授業の研究、個別最適な学びの研究、ICT活用の研究

このように、一人ひとりの教員の、自分が鍛えたいところ、生徒のために工夫したいところを見ると私自身も難しいこと(大変なこと)に取り組む意欲がわいてきます。日本語でブログを書くように精一杯頑張らなければという気にもなり、久しぶりにSNSに取り組むことを決心しました。生徒や教員からの言葉に触れることによって、元気をもらうだけではなく、自分自身、教員(教育)として働くことができる機会を与えられていることが光栄なことだということに気が付きました。学校で働いていると毎日周りの人からインスピレーションをもらう出会いの可能性があります。その日その日の日常的な交流から刺激や元気をもらうことができます。そのために周りに目を向けて、しっかりと色々な人の声を聴き、心を込めて質問をし、その答えを心にとめておかなければならないと感じます。

毎日交流してくれる生徒たち、先生たち学校関係者の皆さまに改めて感謝したいと思います。皆さんは私が毎日仕事に来る理由になっています。皆さんからもらうインスピレーションの火花のおかげで、毎日少しずつ、皆さんが必要としているこの場所、皆さんが毎日元気よく楽しく通うことができる今の時代に合った学校の校長になれるように精一杯頑張りたくなります。力を合わせて、輝く未来に向けて一緒に頑張りましょう!

Inspiration is contagious

Inspiration is contagious – which is good for me, because I need all the inspiration I can get! I am in a new position, one that builds on the work I have been doing for years as an educator. While I do get inspiration from natural beauty – snow-capped mountains, pink sunsets, budding trees – for me, people are always the source of my inspiration. More specifically, I am inspired by people I know.

Recently I have had two chances to be inspired by those around me, and since I work in a school, the sources of my inspiration have been students and teachers. Earlier this week I was scheduled to speak to the student body for an hour about the history of our school. I was to give the second of three hour- long presentations. I have been a classroom teacher for 35 years, and I love the energy I get back from students, so I wanted to find a way to give the presentation that would energize both me and the students. I decided to tell stories about the three teachers who played a key role in our school’s past and challenge students to connect personally with one of the three teachers, to find someone they felt was similar to them or someone they wanted to become like.

I was inspired by the students’ responses:

     I thought it was amazing that Sarah Smith worked so hard to achieve things that would benefit others. I would also like to do something useful for others like this.

     I admire Miss Smith. Even though she didn’t know what her destination was, she put her all into everything she did so she could realize her goals.

     I want to be like Alice Monk. She took the initiative to engage in tasks that no one else wanted to do because she understood how important they were. I was impressed by how considerate and supportive she was of people around her. Like Miss Monk, I want to become someone who can strive towards my own goals, such as learning about the world.

     I want to be like Miss Monk. I was reminded of the importance of trying again and again even if I fail the first few times.

     I thought Elizabeth Evans’s active personality was similar to mine. She valued love more than strictness. Like her, I want to be able to act lovingly for others. From these responses, I could see that students were really trying to make a personal connection to our school’s past – to look to our shared past to find inspiration for their own futures.

I have also asked teachers to take on a new initiative this year – to set a personal goal for the year. I am hesitant to ask teachers to do something extra at a time when they are already so busy. At the same time, I believe that the most important thing I can do as principal is to support teachers in the things that matter most to them. By reading teachers’ goals, I get insight into what matters to them. And because I know how busy they are, I am all the more inspired by this insight into how each teacher saw themselves as an invaluable cog that keeps our school running through their unique contributions.

Here are a few of the responses that inspired me:

     Help students develop independence and build a class grounded in student autonomy.

     Take advantage of the all-girls’ environment to create an atmosphere where students can accept themselves and take on challenges.

     Incorporate student-centered classes as much as possible. I would like to aim to talk for only about 10 minutes per class. I also want to call on students more in class (so they have more chances to participate in the learning).

     Strive to ensure that all students experience school as fun, lively, and positive

     Research classes that improve thinking/judgment/expression skills; research optimal individual learning, and effective uses of technology in the classroom

When I see these examples of people challenging themselves, pushing themselves to do more, it inspires me to try things that are hard – things like publishing a blog in Japanese and diving back into social media to share my everyday inspiration with others. It also helps me to realize how lucky I am. Working in a school, I am surrounded every day by people who can be a source of inspiration to me, if only I take the time to look around, to listen, to ask questions, and to care about the answers.

In closing, I want to offer sincere gratitude to the teachers and students I work with every day. You are the reason I come to work each day, and your sparks of insight push me to become a better version of myself day by day as I strive to become the principal who will make you want to come to school every day. So, thank you! I couldn’t do it without you!!!

最近、私は茶髪より白髪が多い。なぜ髪は白くなるのか?

私たちの髪の毛は、毛根にある色素細胞で作られるメラニンによって着色されています。メラニンは私たちの肌にも色をつけています。メラニンはメラノサイトと呼ばれる細胞で生成され、メラニンの量や種類が異なると、髪や肌、目の色が変わります。太陽の下にいて褐色になるのは、体が紫外線から身を守るためにメラニンを多く分泌しているのだ。

メラニンには主に3つの種類があり、それぞれ微妙に色が異なる。これらはすべて体内に存在するが、皮膚や髪にすべて存在するわけではない。ユーメラニンは暗褐色です。髪がこげ茶色なら、ユーメラニンがたくさん含まれていることになる。フェオメラニンは黄赤色。あなたの髪が赤ければ、フェオメラニンが多く含まれていることになります。ニューロメラニンは非常に濃い茶色。脳だけに存在し、神経伝達物質を保護する働きがある。パーキンソン病の治療薬になるかもしれないということで、研究が進められている。

髪の毛はタンパク質の一種であるケラチンでできている。私たちの爪と同じ材料で、同じように成長する。私たちが目にすることができる髪の毛は、皮膚から突き出ている部分だけである。残りの毛髪は皮膚の表皮層の奥深くに隠れている。皮膚から突き出ている毛は死んだ細胞でできているが、毛の下の部分はまだ生きている。毛の根元は毛球と呼ばれる部分にある。これには血液が供給され、神経が通っている。だから髪を抜くと痛いのだ。毛球の中で毛母細胞が成長し始め、それが増殖するにつれて、その上の細胞をさらに押し上げる。また、毛球には筋肉がつながっており、筋肉を収縮させると髪を立たせることができる。寒いと毛が立ち、鳥肌が立つのはこのためだ。

髪を着色する色素は、メラノサイトで作られるメラニンに由来する。メラノサイトは毛球の上、毛が皮膚の上層に達する位置より下にある膨らみにある。メラノサイトはメラニンを生成し、毛球の下部まで移動し、そこで新しいケラチン細胞と結合して成長し、毛髪となる。メラニンの種類と量が違えば、髪の色も違ってくる。ユーメラニンの量が違えば、黒髪からブロンドまで、フェオメラニンの量が違えば、ユーメラニンと混ざったさまざまな色合いの赤毛ができる。髪の色は遺伝子によって決まるので、どうすることもできない。しかし、太陽の光によってメラトニンが脱色されるため、季節によって髪の色が変わることはある。

では、なぜ年をとると髪が白くなるのか?基本的には、メラトニンを作るメラノサイトが死んでしまうからだ。髪はもともと白い。爪もケラチンでできているが、髪に色をつけるのはメラニンである。私たちの体内の細胞はすべて死滅し、新しい細胞が生まれてくる。しかし、時間の経過とともに一部の細胞は死滅し、新しい細胞は生まれない。これが毛根のメラノサイトで起こる。メラノサイトが徐々に死滅すると、メラニンの生成量が減り、白髪が透けて見えるようになるため、髪の色がわずかに明るくなる。メラノサイトが死滅すればするほど、髪は白髪に近づいていく。まだ若干の色は残っているが、多くはない。メラノサイトが完全に死滅し、髪を着色するメラニンがなくなると、髪は完全に白くなり、着色されていない髪の色となる。

人によって白くなる時期は異なり、人種によっても白くなる時期は異なる。加齢に伴う自然な現象だが、加齢だけが原因ではない。ビタミンB12が不足すると、メラノサイトがメラニンを生成しなくなることがあり、また、いくつかの病気でもメラニンが生成されなくなることがある。ストレスが必ずしも人を白髪にするとは限らないが、喫煙はその可能性がある。喫煙者は非喫煙者に比べ、30歳までに白髪になる可能性が2.5倍高い。タバコの煙は白髪を黄色くすることもある。

白髪を抜けば問題が解決するか、問題が悪化するかのどちらかだと考える人がいるが、そのどちらでもない。問題は毛根のメラニン不足にあり、白髪を抜いても、その場所に別の白髪が生えてくるだけなのだ。そして、これが今日私が学んだことである。

Recently, I have more white hair than brown hair. Why does hair turn white? 

Our hair is colored by melanin that is produced by the pigment cells in each hair follicle. Melanin is what colors our skin as well. Melanin is produced in cells called melanocytes and different quantities or types of melanin can alter the color of your hair, skin, or eyes. When you are out in the sun and you go brown, it is your body releasing more melanin to protect you from the UV rays.

There are three main types of melanin, and each one is a slightly different color. They are all found in the body but not all in the skin or the hair. Eumelanin is a dark brown color. If your hair is dark brown, then it has lots of eumelanin in it. Pheomelanin is yellow-red. If your hair is red, then you have a lot of pheomelanin in it. Neuromelanin is very dark brown. It is only found in the brain, and it works to protect neurotransmitters, although people are not sure why. Research is being done with it because it could be a treatment for Parkinson’s disease.

Hair is made of keratin, which is a type of protein. It is the same material that our nails are made of and grows in a similar way. The part of the hair that we can see is only the bit that pokes out through our skin. The rest of the hair is hidden deep in the epidermis layer of the skin. The hair poking out through the skin is made of dead cells, but the lower part of the hair is still alive. The very root of the hair rests in something called the hair bulb. This has a blood supply and nerve endings. That is why it hurts to pull your hair out. The hair cells begin to grow in the hair bulb and as they multiply, they push the cells above them further up, which is how the hair grows. There is also a muscle connected to the hair bulb, which can make the hair stand up when it is contracted. This is what makes our hairs stand up when we are cold and why we get goosebumps.

The pigment that colors our hair comes from the melanin which is made by the melanocytes. The melanocytes are located in a bulge that is above the hair bulb, but below where the hair reaches the upper layer of skin. The melanocytes produce melanin and it travels down to the bottom of the hair bulb where it is combined with the new keratin cells that are growing and becoming hair. Different types and different quantities of melanin make the hair different colors. Different quantities of eumelanin can make hair from black to blond, and different quantities of pheomelanin mixed with eumelanin can make different shades of red. The color of our hair is determined by our genes and there is nothing we can do about that. However, hair color might change with the seasons because sunlight can bleach the melatonin.

So, why does our hair go white when we get older? Basically, because the melanocytes that make the melatonin die. Hair is naturally white, as are your nails, which are also made of keratin, and it is the melanin which gives hair its color. All of the cells in our bodies die and new ones are born. However, over time, some cells die, and no new ones are created. This happens with the melanocytes in the hair follicles. As they slowly die, they produce less melanin, which means the color of the hair gets ever so slightly lighter because more of the white is showing through. The more melanocytes die, the closer the hair becomes to grey. There is still some color, but not a lot. When the melanocytes have completely died and there is no melanin coloring the hair, it is completely white, which is its color without coloring.

Different people go white at different times and different races of people also go white at different times. It is a natural part of the aging process, but it doesn’t only happen because of aging. A lack of vitamin B12 can stop the melanocytes from producing melanin, as can some diseases. Stress doesn’t necessarily make people go grey, but smoking can. Smokers are 2 and a half times more likely to have white hair before they are 30 than nonsmokers. The smoke from the cigarettes can also make the white hair go yellow.

Some people think that pulling out a grey hair will either fix the problem or will make the problem worse, but it will do neither. The problem lies with the lack of melanin in the root of the hair and if the hair is plucked out another grey one will simply grow in its place. And this is what I learned today.

去年の春から“庭いじり”をするようになった。きっかけは“笹”である。ゴールデンウィーク初日、ふと庭先に目をやると、私の母が物凄い勢いで笹を刈っていた。これは大変そうだ、と私も参戦したことから、それまで全く興味が湧かなかった“庭いじり”の世界に足を踏み入れてしまったのだ。

この時初めて私は笹が地下茎で増える植物であることを知った。自由奔放に増えた笹は庭の至る所に存在感を放っている。「笹を刈ると少しはすっきりするでしょ」と母。「そうだね」と私もハサミで地下茎の根本を切断するように笹を刈り、ゴミ袋に詰めていった。ゴミ袋の量が増えるにつれ、見晴らしも良くなり、もう少し、もう少し…と気が付くと夢中になっていた。

見晴らしがよくなると次に目に入ってきたのが雑草たちである。そう、地下茎で増えるのは、笹だけではない。庭のあちこちに“ドクダミ”と“スギナ”が顔を出している。その存在を知ってしまうと気になって仕方がない…プチプチと抜き始めたところで、ふと「この根はどこまで続いているのか…?」という興味が湧き、本来の目的を見失い、根元を掘り起こすことに熱中していた。するとなかなかどうして、思わぬところに繋がっていて、こっちで生えていた草とあっちで生えていた草が繋がっているではないか。面白い!!地下茎がぷっつり切れると、残念な気持ちと同時に、次なるターゲットを掘り起こすことに夢中になっていた。さらにその実態が気になり、ネットで検索をすると、「スギナの地下はどうなっているのか」というテーマの動画を発見。これまで見たことのないサイトを検索し、さらに沼にハマっていったのである。

ほどなくして連休も終わり日常生活に戻ったが、私の中でスギナとドクダミが占める割合は確実に大きくなっていた。仕事に行く前に庭先をチェックし、新たに芽を出している植物たちをひと睨みした後出勤する日々。植物の逞しさと生命力に驚きを覚えつつ、週末になると無言で彼らに闘いを挑む自分がいた。少しずつ他の植物にも目が向くようになってきたが、これまで全く興味を持たずにいたため、植物の名前がわからない。スマホの写真検索機能が便利ということを知り、気になる植物の名前や特徴を調べることも楽しく思えてきた。

雪が降り一旦休憩となった“庭いじり”であるが、土の中では笹・ドクダミ・スギナたちがニョキニョキと地下茎を伸ばしているのかと思うと、気になって仕方がない。お洒落で素敵な“ガーデニング”には程遠いレベルであるが、私にとってこの“庭いじり”体験は、知らないことを知る楽しみと、夢中になれる時間に出会う経験となった。
春は、新しい出会いの季節である。我が家の庭先でもまた新しい出会いがあるのかと思うと、今から雪解けが待ち遠しく思える今日この頃である。

少し古い話ですが、先の年末に妻と義母が話しているとき、義母が 

 「これ、私のと○○(妻の名前)のと『ばくってあげるわ」 

と言いましたが、すぐ後で「『ばくる』って随分使ってないわね」と言い、笑っていました。 

さて、「ばくる」とはどんな意味でしょう? 今の生徒たちは知っているかな? 

 

 答えは「交換する」という意味で、北海道弁です。というわけで今回は方言の話題。 

と言っても、アクセントやイントネーションの話です。最近、語彙としての方言は、本当に廃れてきていると感じています。先程の「バクる」もそうですし、「ゴミを投げる」「ジョッピンかる」「したっけ」なども耳にしなくなりました(それぞれの意味、わかりますか? 最後に答えを書いておきますね。そうなると、「私は方言を使っていない」という感覚になると思います。 

ただ、語彙としては使っていなくても、アクセントやイントネーションが標準語と異なることは、まだまだ残っているのです。具体的な例としては、青森のご当地アイドル、王林さんの話し方がわかりやすいでしょう。彼女は弘前出身とのことですので、津軽弁のネイティブスピーカーはずです。もし彼女が、標準語話者を一切意識せず、他の津軽弁のネイティブスピーカーと話している場面に遭遇したら、おそらく、その内容を聞き取ることは困難だと思います。ですが、テレビで彼女が話している内容を聞き取れるのは、語彙を標準語にしようと、相当意識して話しているからです。ただし、アクセントやイントネーションは標準語と異なっていますよね。このように、語彙は意識的に変えることはできても、アクセントやイントネーションについては、方言を使わないようにすることは難しいのです逆パターンですが、標準語話者が方言を使うと、何か違和感がありますよね)。 

 さて、ここで本題。標準語と北海道弁のアクセントの違いが如実に表れているのは「幼稚園」と「コーヒー」の2語です。多くの北海道人が東京に行って、何かの拍子に「幼稚園」や「コーヒー」と言うと怪訝な顔をされることが多いでしょう。どうしてかと言うと、その2語については 

  標準語アクセント:平板 ⇔ 北海道弁のアクセント:語頭が強い 

という違いがあるからです。もう少しわかりやすく書くと、 

という違いになります。これ、実は結構色々な人がSNSやブログで記事にしていますので、気になる人は、検索し実際に音で聞き比べてみてください。ちなみに、アクセントの位置が違う言葉はまだありますので、それも調べてみてくださいね。 

 今回、このような話題としたのは、北海道出身者に、東京へ行ったときなどに気をつけてね、ということを伝えたかったからではありません。むしろ、自分の言葉を大切にしてしいという思いがあるからです。方言について、特に東日本や北日本の人たちはコンプレックスを抱き、標準語に直そうという気持ちになってしまう人が多いと思います。昔ほどではないと思いますが、気にする人はまだいるのではないでしょうか。でも、言葉には、その人が辿ってきた生き方が反映していると私は考えています。方言を気にしてしまい、言葉遣いやアクセント、イントネーションを直すことは、自分の人生の一部を否定することになってしまうのではないかと思っています。否定は言い過ぎだとしても、自分の人生の一部を隠すことになると思います。それって、とてももったいないし悲しいことですよね。 

多様性が大切にされつつある現在、言葉に対する意識も昔とは変わってきたと感じています。先の王林さんのような、ご当地アイドルが方言を直さず活躍しているのもその一端でしょう。このような動きがもっともっと広がっていけばいいな、と思っている今日この頃です。 

 

〔北海道弁〕 

「ゴミを投げる」→「ゴミを捨てる」 

「ジョッピンかる」→「鍵をかける」 

「したっけ」→「それでは」

皆さんは、心から親友と呼べる人はいますか?突然ですが、親友とはどんな人のことを言うと思いますか?私は親友とは、泥水をすするくらいに落ちぶれ、周りから嘲笑されている時でも、その人のために損得勘定なしで手を差し伸べられる人のことを言うと考えます。たくさんの友達がいるようにみえる人でも、本当に辛いことがあった時に誰からも助けてもらえないなら、その人は1人も友達がいない人だと私は思います。うわべだけの付き合いでは、本当の友情は生まれません。このことは歴史が証明しています。

今日は大谷吉継という1人の武士が、親友である石田三成を命がけで助けようとした話をしたいと思います。大谷吉継は幼少期より、石田三成とは仲の良い遊び相手でした。まだ豊臣秀吉が若かった時のことです。鷹狩の帰りにあるお寺に立ち寄りました。その時、小坊主だった石田三成は、豊臣秀吉にお茶を所望されました。秀吉が汗をかいているのを見た三成は、まず最初にぬるいお茶を持っていきました。秀吉はそれをすぐに飲み干すと、おかわりを要求しました。三成は次に少し熱いお茶を持っていきました。それをゆっくり飲んだ秀吉は、さらにおかわりを頼みました。これを聞いた三成は熱いお茶を入れて秀吉に差し出しました。そのお茶を、秀吉は時間をかけて飲みほしました。秀吉は三成の相手の喉の渇き具合を見て、お茶を出す頭の良さに感服し、家来にしました。これは江戸時代の歴史書である『武将感状記』に書かれた「三献茶」の話です。この時、三成は秀吉に対して、友達の大谷吉継も一緒に雇ってくれるなら、家来になってもいいと返答しています。

その後、石田三成は秀吉の寵愛を受け、五奉行に任じられました。一方で大谷吉継は6万石の知行を与えられたとはいえ、三成と比べると石高も3分の1、役職も三成に遠く及ばないなど、両者の差は歴然でした。しかし、三成はどんなに偉くなっても吉継に対して親友として接し続けました。秀吉に対しても、事あるごとに吉継を重用するように進言しました。

こんな逸話があります。ある日、大名が集まって茶会が開かれました。この時すでに、大谷吉継は重い皮膚病を患っていました。この茶会の茶の飲み方は、大きな器に茶を注ぎ、順番に一口ずつ飲み、隣の人に渡していくというものでした。吉継の番になり茶を飲もうとした時、吉継の顔の皮膚のかけらが茶の湯に入りました。これを見た他の大名は感染を恐れ、みんな飲むふりをして器に口をつけませんでした。これでは茶は減りません。三成はこのままでは吉継が恥をかくと考え、自分の所に来た時に、一気に器に入っていた茶を飲み干しました。三成の思いやりに吉継は涙が止まりませんでした。『士は己を知る者のために死す』という言葉があります。吉継はこの時に、三成のために死のうと考えたのかもしれません。

豊臣秀吉が亡くなると、豊臣氏を守ろうとする石田三成と、豊臣氏から天下を奪おうとする徳川家康との間で戦いが起きました。有名な関ヶ原の戦いです。この時、大谷吉継は石田三成から、家康を討つために力を貸してほしいと懇願されます。吉継は家康と戦っても勝てないことを、三成に親友として諭します。しかし、石田三成の考えは変わりません。迷った挙句、吉継は決心します。負けるとわかっていても、親友のために戦おうと。吉継は三成の陣のすぐそばに自軍を置きます。6万石の大名のため、兵力もわずか1500人ほどしかいません。それでも三成のそばに兵を配置します。それは少し離れた所に、西軍に組していながら東軍の徳川家康に通じ、三成を裏切りそうな小早川秀秋の軍勢15000人がいたからでした。戦闘が開始され、両軍は一進一退の戦いを繰り広げます。どちらかに裏切り者が出れば、形勢は大きく傾くような状況でした。そんな時、小早川秀秋の軍勢が突如として裏切り、石田三成の陣を目掛けて突進してきました。兵力差が10分の1とは言え、この事態をある程度予見していた吉継は、三成の盾となって小早川秀秋の軍勢を食い止めます。同時に伝令を走らせ、友人である三成に逃げて再起をはかることを伝えます。吉継は命を捨てて、三成を戦場から逃がそうとしたのです。その甲斐もあり、三成は戦場で命を落とすことなく、逃げることができました。三成の戦場離脱を見届けた吉継は、潔く戦場で切腹して果てました。友達を逃がすことができた吉継の心情を思えば、本望だったのかもしれません。

本当に大切なものは、お金では買えません。もう一度聞きます。皆さんには、心から親友と呼べる人はいますか?

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