~「8月の礼拝メッセージから」~
20200817
「8月の礼拝メッセージから」
私たちの学校は前期後期の二学期制なので始業式はありませんが、
今日は夏休が終わって最初の一日でした。
短い夏休み、あっという間の夏休みでした。
今年度は4月の入学礼拝後すぐに約2か月の学校閉鎖があり、
多くの学校行事が中止あるいは延期になりました。
いつもとは全く違う学校生活を送って夏休みがやってきました。
生徒たちはどんな夏休みを過ごしたのか気になります。
短いだけでなく、いつもとは違った感覚の夏休みを過ごしたように
自分では感じています。私のこれまでの夏休みは時間がない時であっても、
何か楽しいことも計画して休みが来るのを待ちました。
しかし今年はそんな計画を立てることは気持ちの上でも、
行動の制約上からも難しいまま夏休みを迎え、
これまでとはずいぶん違った印象で夏休みを終えました。
新型コロナウイルス感染症拡大の影響によって、
これまでと同じような生活が難しくなる経験の中で
色々なことを考える機会が増えました。
自分の気持ちをどこに向けたらよいのか分からなくなったり、
力が出てこない気分になったり。この後溜息ばかりが出てしまう毎日が
続くのだろうかなどと考えてしまうこともありました・・・。
それでは私たちは「落胆」し続けるのでしょうか。
「落胆」したままで夏休みを終えて毎日を過ごしていくのでしょうか。
わたしは断じて違うと確信しています。夏休み前に皆さんにお話しした
聖書箇所にある通りです。
「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある
永遠の栄光をもたらしてくれます。 わたしたちは見えるものではなく、
見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、
見えないものは永遠に存続するからです。」
~コリント人への第Ⅱの手紙4:16・17 ~
今はため息が出ることがあるかもしれませんが、
私たちが向かう先には神様によって用意された目的地があり、
明確な目標があることを忘れないで欲しいと願います。
しかし、目標に向かって歩いていくことはそれ程簡単なことでもありません。
乗り越えるべき課題に疲れてしまうこともあります。
もしかしたら今がその時かもしれません。
皆さんにぜひ知っておいて欲しいことがあります。
目標に向かっている時、疲れて休みたくなる時もあります。
そんな時自分の身体と心の状態を我慢しすぎたり隠したりしなくていいのです。
イエス様は「疲れたら休んでいいよ。私が疲れたあなたを休ませてあげるから」
と私たちに語りかけてくれています。
イエス様は私たちに困難の先にたどり着くべきゴールを用意してくれています。
私はそれを信じていますし、創立者スミス先生もそれを信じて50年間日本での
女子教育のために生涯を捧げました。同時にイエス様はゴールで私たちを
待っていてくださるだけでなく、もし私たちが途中で疲れたなら、
休む場所を用意してくれるのです。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、
わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」
~マタイ11:28・29 ~
夏休み後の前期の残りも、一緒に励まし合い、神さまを見上げて
目標に向かって一歩一歩歩いて行きましょう。