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校長・教員ブログ

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先週、誕生日がきた。授業中に「おめでとう~!」と生徒が言ってくれたので、大きな声で「ありがとう~。55才になりました!これからもGOGO!って感じです。」と元気よく言ったら、シーンと静まり返った・・。よくある空回り・・・。

宮崎駿の『風の谷のナウシカ』がヒットしたのは高校時代だった。ナウシカというカタカナ表記に、ナウマンゾウとシカがオーバーラップ、得体のしれない映画に思えて気持ちが向かわなかった。教員になってすぐ、たまたま見る機会があり、風を操るナウシカの真っすぐで清らかな在り方にすっかりとりこになった。

「風の谷」のモデルになった谷がパキスタンにあると知ったのはつい最近(といっても10年ぐらい前)のこと。どんなところなんだろう・・・と、ある夏行ってみることにした。

パキスタン北部の山岳地帯にあるフンザは人口15000人ほどの小さな村だ。トレッキング目的の旅行者やバックパッカーが訪れる、知る人ぞ知る観光地。急峻な山脈を縫うようにフンザ川が流れ、「風の谷」を形成していた。夕暮れ時にゲストハウスの窓から見えた「風の谷」は、うす紫色に染まった空に、白い小さな月が浮かび、ただただ美しくて涙がこぼれた。

翌日、4-5キロ離れた市場まで行ってみようと思ったが、路線バスもタクシーもない。現地のパキスタン人にきくと、「SUZUKIに乗れ~」と。鈴木?日本人と悟られて、からかわれてるのかと思ったが、パキスタンでは乗り合いバスのことを「SUZUKI」と呼んでいるそう。バス停はない。道端で手を上げたら止まってくれて市場まで乗せてくれるミニバンのこと。ちなみにメーカーはSUZUKIとは限らない。

10分ほど待つと、すでに7-8人の乗客を乗せた「SUZUKI」がやってきた。ぎゅうぎゅう詰めの座席に乗り込む。となりは私より年上に見える一人旅の女性、韓国人のナヤだった。英語が堪能で話がはずみ、いっしょに市場へ行くことに。「野菜を買ってキムチをつけるけど、手伝ってくれる?」と聞かれ、出会ってすぐ一緒にキムチをつけるなんて旅の醍醐味、「もちろん!」と答えた。その日は、韓国からの若者バックパッカーたちのために韓国料理を作る、と言ってはりきっていた。市場を二人でぶらつく。パキスタンに白菜があるはずもなく、結局カブをたくさん買い込んで、ナヤのゲストハウスへ。帰りも「SUZUKI」を止めて乗り込んだ。

ナヤの指示通りにカブをうすく切り、バスルームのバケツにどんどん入れていく。キムチの素は韓国食材店のある大きな町で買っておいて、ペットボトルに入れていつも持ち歩いているとのこと。真っ赤なキムチの素をバケツに注ぎ、カブを手で混ぜた。ご飯も炊いて、わかめスープと玉ねぎの酢漬けも作った。夕方になると韓国人の若者が4人でやってきて、私とナヤがつけた浅漬けキムチをおいしそうに食べた。パキスタンの山奥の村で思いがけずふるまわれた故郷の味に皆笑顔がこぼれた。ナヤも満足そう。私にはちょっと辛すぎたけど・・・。

ナヤは、定年を待たずに55才で小学校の教員を辞めてこの旅にでた。5年間の旅!体力がまだあるうちに一人旅がしたいと、夫と息子を説得し、退職を決め、フィリピンから東南アジアを回り、インドからパキスタンに入った。この先は中央アジア、中東そしてヨーロッパへ、あと3年かけてユーラシア大陸を横断するという。

2日後、帰路につく前にナヤに会いに行った。楽しかったキムチづくりのお礼を伝え、行く先々で人びとに愛情を届けながら逞しく歩き続ける彼女の旅の安全を祈り、ハグして別れた。

誕生日が近づくにつれてナヤのことを考えるようになった。5年間の旅はどうだったんだろう。旅を終えてどんな人生を送っているんだろう。今も沢山の人たちを幸せにしているだろうか。

「風の谷」で出会ったナヤに55歳の自分を重ねて、この先に広がる未来を空想してちょっとワクワクしている。

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