検索 OPEN/CLOSE

校長・教員ブログ

校長・教員ブログ

娘が京都の大学に進学し、京都を訪れる機会が増えました。大好きな古典文学ゆかりの地が沢山ある京都。オープンキャンパス、受験、入学、引っ越し、etc.と、本来の目的を済ませ、(あるいは済ませないうちに)ここぞとばかり、京都のあちこちを訪れています。

 

 京都の魅力は、言わずもがな、古風でうつくしい町並み、和食や和菓子はもちろんのこと、土地の人の舌が肥えているのか、何を食べても大概おいしい(と、私には感じる)食べ物、伝統を生かしたお土産品の数々…ですが、中でも街中に、あるいは市中からほんの少し離れただけのところにあるたくさんの寺社仏閣でしょう。その空間に身を置くことで、日常の喧騒から離れ、リフレッシュすることができます。私の中では「気持ちがさっぱりする」というのが、最もふさわしい表現になるでしょうか。長い歴史の中で多くの人の思いと手がかけられている場所、自然との融合、霊的なものはやはり言葉にならない…。

 

 洛西にある世界遺産龍安寺石庭もそのような場所の一つです。方丈の縁に座って石庭を眺めると、石が何を意味しているのか、そんな難しいことはわかりませんが、何だか日ごろの塵埃が洗い流されるように感じます。

 さて、この石庭は多くの謎に包まれていることでも有名です。いつ、誰が、何のために作ったのか?石の配置が意味していることは?石庭の大きさや石の配置を数学的に解き明かすことも研究されています。

私が最も心惹かれるのは石庭を眺める視点です。置かれている石の数は15個。しかし、方丈の縁側のどこに座って見ても15個の石を全て見ることはできないのです。東洋では完全数と考えられる「15」という数を、留まった「人」の視点で見ることはできない。唯一か所、立ち上がった視点からは15個の石を見ることができる。

 

 私たち人間が不完全な存在であることを思い知らされます。もちろん、天空からみればすべてが明確に見えますが、私たちの通常の視点から物事のすべてを見ることは難しいということを肝に銘じなければなりません。

ともすれば謙虚さを忘れがちな現代社会だからこそ、大事にしたい視点であり、ひとときです。

 

 

 

 

PAGE TOP