校長・教員ブログ
検索 OPEN/CLOSE
校長・教員ブログ
大学生の時にお邪魔したインドの体験談をお話します。
最初のインド旅行では定番ルートである北インドのニューデリー(インドの首都)➪ ジャイプール(別名ピンクシティ)➪ アグラ(タージ・マハールのある都市)➪ バナラシ(ガンジス川の沐浴)➪ コルカタ(混沌と雑踏の街)をめぐりました。
いい機会なので、このルートの近くにあるブッダガヤにも立ち寄ることにしました。ブッダガヤは、今からおよそ2500年前に、お釈迦さまが悟りをひらいてブッダ(サンスクリット語で目覚めた人の意味)になったところで、いわゆる仏教が始まった場所です。現地には、お釈迦さまが悟りをひらいた時にすわっていたと伝えられている台座があるとのことで、是非とも見てみたいと思ったのです。
バラナシから鉄道でガヤに移動し、バスでブッダガヤに向かう予定でしたが、ガヤ駅の到着時刻が4時間以上も遅れてしまい、時刻は夜10時を過ぎていました。そこで移動はあきらめて、宿泊する宿をさがすことにしました。
(インドあるある:鉄道の遅延はよくおこります。現地の人たちが口をそろえて言っていたのは「目的地に到着したのならばそれで十分じゃないか。何も問題はないじゃないか。」でした。また、遅延による運賃の払い戻しもありません。)
宿をさがすために駅を出たところで、突然後ろから女性の2人組から声をかけられました。
「すみません。ブッダガヤに行くんでしょ?」
「ええそうです。」
「これから、一緒にオート・リクシャー(三輪タクシー)で行きませんか?」
「これから? 一緒にですか?」
一瞬は驚いたのですが、今日のうちにブッダガヤに到着できる、3人で相乗りするとオート・リクシャーの運賃が安くなる、明日のバスでの移動よりも時間が短縮できると考えて、彼女たちと一緒に向かうことにしました。(本当は治安が悪い場所では、このような行動は厳禁です)
3人を乗せたオート・リクシャーは満天の星空の下、インドの田舎道を40分~50分走り続けました。
ブッダガヤまでの道中は、2人組は後部座席に、私は最後部の荷台に座って話をしました。
・2人組はイギリスから来たバックパッカーで、すでにブッダガヤに滞在しており、本当は明るい時間に滞在先に帰るつもりだったが、私も乗車していた鉄道が4時間以上も遅れて困っていたこと。
・ガヤではアジアからの観光客のほとんどがブッダガヤに向かうために声を掛けてみたこと。
・夜の10時過ぎに外国の女性だけで交通機関を使って移動することは大変危険であるので、安全のために男性である私に声を掛けてみたこと。
ブッダガヤに到着したのは夜11時半くらいだったと思います。
さて、到着したのはいいのですが宿泊先が決まっていません。どうしたものかと私が思案していると2人組から「私たちの滞在先で良かったらどうぞ。きっと大丈夫だと思うわ。」と言ってくれたので一緒に行くことにしました。彼女たちの滞在先は、お釈迦さまが悟りをひらいた場所から歩いて数分のところにある広い敷地内の二階建ての建物でした。
午前0時くらいだったと思いますが、彼女たちの交渉のおかげで無事に泊めてもらえることになり、小さなシングルルームに宿泊させてもらいました。
翌朝、次のことがわかりました。
ここは、サマンバヤ・アシュラム(調和のための道場・共同体)という施設でした。
インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンディーの高弟であるビノバ・バーべによって1954年に設立され、設立時からビノバの弟子ドワルコ・スンドラニさんが責任者として、アウトカースト(被差別カースト、ここでは主にダリット)の子供たちが養育・教育を受けている寄宿舎学校で、インドの長い歴史の中でしいたげられてきたアウトカーストの人々の自立には子供の教育が必要不可欠であるとの理念の下に現在も活動を続けています。
サマンバヤ・アシュラムでは、5歳くらいから12歳くらいまでの約50人が、お祈り、食事、清掃、農作業、家畜の世話、学習などの共同生活を送っていて、ここを卒業した後は各自の村に戻っていくのだそうです。
このアシュラムの理念に賛同する人々(イギリス、デンマーク、ベルギー、カナダ、アメリカなど)がボランティアとして次々と訪問・滞在をしており、声を掛けてくれた2人組もボランティアとして長期滞在しているとのことでした。
昨晩、私のために彼女たちが交渉し、宿泊を認めてくれたのが責任者のドワルコさんでした。
ドワルコさんの一番の印象はその「目力」です。鋭く、厳しい眼差しはすべてのことを見通しているように感じられ、また同時に、その瞳からは寛容で懐の深い愛情も感じられたことを今でもはっきりと記憶しています。
彼の次の言葉にも大きな影響を受けました。
「インドの問題はインド人の問題だから、インド人が解決しなければならないから努力を続けます。
世界の人達が、それぞれに自分たちの問題を解決する努力を続けるべきだと思います。」
それまでの点と点がつながってインドへの旅が実現しました。
インドを旅してみるといろんな出会いを通して世界が広がっていきました。
すべては「一歩」を踏み出すことから始まりました。
これからも恐れることなく「一歩」を踏み出し続けていきたいと思います。