「はげ頭、上って行け。はげ頭、上って行け」聖書科教員・宗教主任 小西陽祐
ここ数年で、自分の「おでこ」の髪の毛の両端から少しずつ後退してきたことが気になっています。毎日、効いているのかわからない育毛剤を塗りながら、マッサージをして、手入れをしています。スキンヘッドの友人からは「全部そったらいいやん」と言われますが…とてもそんな気持ちにはなれません。まだ44歳、諦めはつきませんが、諦めるのではく、髪は薄くなってもポジティブな髪形をしていたいなあと思っています。
小学生の頃、キリスト教の教会に通っていた時に「ひかりひかり」という讃美歌をよく歌っていました。3番はこのような歌詞です。「ひかりひかり わたくしたちは 光のこども ひかりのように 正しいこども いつもただしく はげみましょう」
「ひかりひかり」に、「励みましょう」と歌うわたしの隣には、光る頭の年配の人が一緒に歌っていました。小学生だったわたしは讃美歌の歌詞から「禿げ」を連想せずにはいられませんでした。それ以来、失礼ながらこの讃美歌を歌うと禿げた人を思い出すようになりました。
けれども、いざ自分自身の髪の毛が薄くなる「当事者」になってみて、小学生の自分の姿を振り返ってみると、自分がいつか禿げるなんて思ってもいなかったことがわかります。
実は、旧約聖書の列王記下2章23節~24節にも「はげた人を笑う」という物語が出てきます。預言者エリシャの頭が禿げていたのでしょうね。坂を登っていくエリシャの頭を見て、「はげ頭、上って行け。はげ頭、上って行け」と後ろから子どもたち馬鹿にして笑いました。いつの時代も変わらない子どもの姿があります。するとエリシャは激怒して、振り向いて子どもたちを睨みつけます。まあ、ここまではよかったのですが、そのままエリシャは神の名によって呪いの言葉を口にすると、森の中から二頭の熊が現れて、こどもたちのうち42人を引き裂いたと言います。
突っ込みどころ満載の物語です。
いやいや、いくら腹が立ったとしてもやりすぎでしょ。こどもたちの内、42人が引き裂かれたということはその場にはもっと子どもたちがいたはず。いったい子どもたちはどれだけ多くの人数でエリシャのことを馬鹿にして笑ったんだろうか。
聖書はいわゆる史実を記載しているわけではありません。史実も交えながら、神を信じるという信仰の立場から書かれている書物ですから、解釈を加えて読むことが必要です。でも、ここの箇所は聖書の中でも解釈が難しい箇所だと思います。今回は解釈はしません。
とにかく、エリシャは腹が立ったのでしょうね。
エリシャの「はげ頭」はスキンヘッドなのか、M字禿げ(おでこの両端から)、O字禿げ(頭頂部から薄くなる)、U字禿げ(M字とO字の両方)だったのかは聖書の記述からはよくわかりません。
それぞれの禿げ方には似合う髪型があるそうですよ。M字禿げの人の場合はショートレイヤー、ソフトモヒカン、おしゃれ坊主。O字禿げの場合はベリーショート、ナチュラルモヒカン、オールバック。U字禿げの場合はベリーショート、坊主、ショートツーブロックが似合うそうです。エリシャにもこうした選択肢があったなら、馬鹿にされてもそこまで怒らなくてもよかったのかもしれないなあと勝手なことを思っています。わたし自身も髪形だけではなく、人生には様々な選択肢があることを心に留めながら前向きに生き続けたいです。