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校長・教員ブログ

校長・教員ブログ  2021.08

本校では中学1年生の行事でJICA札幌の「ほっかいどう地球ひろば」を訪問します。海外協力隊で活動した方からお話を伺ったり,施設内の様々な仕掛けに触れることで,JICAの活動や世界の現状について,学びます。ちなみに,併設されているレストランカフェ「地球こうさてん」ではリーズナブルなお値段で,世界の様々な美味しい料理をいただけます。機会があれば,是非訪れてみてください。

さて,コロナ禍で大変な状況で中止や延期する行事も少なくないなかで,今年度も7月に私たちを受け入れてくださり,無事に訪問することができました(JICA札幌の皆さま,本当にありがとうございました!)。そこで,私も生徒と同様に施設を探索しているなかで,ある展示()に目が留まりました。それがこちら!

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その名も『くらして初めて知ったどローカルごはん 日本で作れる世界のレシピとお話』です。

中身をパラパラとめくってみると,世界各国の料理が地域別・国別にその国を訪れた人の思い出・エピソードと共に紹介されています。これは面白そう!と感じ,帰宅後に即座にAmazonで購入しました。海外旅行にも気軽に行けない昨今,掲載されている料理やエピソードを見るだけでも異国情緒を感じることができます。さらに,この本の素敵なところは,日本ではなかなか手に入りにくい食材を,簡単に手に入るもので代替し,レシピを紹介してくれる点です。

このように書いている私ですが,実際のところ,ほとんど料理をしないので,だいたいの料理は目で見て満足してしまっています。しかし,そんな私でも簡単に作れそうな料理がありましたので,挑戦してみました。

その名は「デレレ」

「デレレ」とは,アフリカのザンビア共和国やジンバブエの郷土料理で,現地の言葉でオクラ,あるいはそのスープを指すようです。材料はオクラとトマトと塩と重曹,以上!作り方もいたってシンプル,オクラを輪切りにし,鍋にイン!!軽く浸す程度の水と塩と重曹を入れ,軽く煮立たせたら,なるべく小さくカットしたトマトを鍋に入れ,鍋の底が少し茶色っぽくなったらできあがり!!!

そして,私が実際に作った「デレレ」がこちら(ちなみに,私は重曹すらカットしています)

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1日目()は煮詰めすぎて,スープというよりはソースのようになってしまったので,リベンジしたのが2日目()です。どちらにしても,トマトの甘みやオクラの粘り気や旨味が存分に感じられ,紹介してくださった方が書いていたようにホッとする味でした。また,2日目にはクリームチーズを投入してみたのですが,これもまた,絶品!!やはり,トマトとチーズの相性はバツグンですね。ここにご飯を入れたら,トマトリゾットみたいになって…と妄想も膨らみます。

 せっかく,本を購入したので,これからも簡単な料理を少しずつやってみようかな,と思いました。皆さんも是非,この本を購入し,世界に思いを馳せてみませんか。

大学生時代に夢中になっていたものの一つに「インド旅行」があります。どうしてインドだったのか、少し振り返ってみたいと思います。

インドへの伏線は、中学生の時にさかのぼります。

 中一の時、英語の担当の先生から紹介されたペンパル(手紙による国際文通)はインドの男の子でした。「どうしてインドの生徒?」と心に引っ掛かるものがありながらもやり取りをしていたことがありました。中二のある時、週刊漫画雑誌の広告にあったネパール(インドとチベットの間に位置していて、エベレストがあるヒマラヤ山脈でも有名な国です)をテーマにした写真集『カトマンズ発 失われた風景を求めて』(中村保)の広告が目に留まりました。特に印象的だったのは「いつかのあなた いつかの日本を そこでみた」というキャッチコピーでした。

「遠く離れた国で自分や日本がどうして見えるのだろう?本当に見えるのだろうか?見えるとしたらどんな景色なんだろう?」という疑問が自然にわいてきて、その広告を切り取り、今でも大事にしまっています。南アジアに興味・関心が高まっていったのはこの頃からでした。

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 インドを強く意識するようになったのは高校生の時です。インドに行ったことがある知人の方から『河童が覗いたインド』(妹尾河童)を紹介してもいました。舞台美術家の著者が、全編手描き(文字もイラストも)で描いている空前絶後のインド読本決定版とも紹介されているもので、何度も読み返しては、いつかは行ってみたいなと思うようになりました。よかったら覗いてみてください。

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そして、インド行きの決心をしたのは大学1年生が終わるころの3月でした。私は大学の寮に住んでいたので、3月は卒寮をひかえた4年生たちが卒業旅行先(当時は海外が主流でした)から次々と帰寮して、寮のあちらこちらで土産話を聞くことが恒例となっていました。その中にインドから帰国した先輩が「インドでの体験は人生観が揺さぶられるものだった。卒業旅行といわずにもっと早く、インドに行くべきだった。君も行きたい国があるなら学生うちに行くことをすすめるよ。もし、インドに行きたいのならば、行ってみるべきだよ。」と話をしてくれました。この話を聞いて、これまでの自分の体験や思いが次々と線で繋がり、迷うことなくインドへの旅行を決意することとなったのです。

その後、費用の工面等もあって、最初にインドに行ったのは大学2年生の2月でした。

自分の思いが他者との縁によって実現し、自分自身の世界が広がっていく貴重な体験でした。

 インド珍道記については、また別の機会にお話ししたいと思います。

 

 

こんにちは!(もしかしたら「こんばんは」や「おはようございます」かもしれません)今回、ブログの記事を担当します理科教員の三浦誠司(みうらせいじ)と申します。好きな食べ物は「ゆで卵」(ガチガチの固茹でが大好きで、口の中の水分が黄身にもっていかれる感じがたまりません。ちなみに、青じそドレッシングで食べるのがgoodです!)で、訪れてみたい場所は「タルヴァザガスクレーター」(トルクメニスタンにある燃え続ける大穴で、通称「地獄の門」と呼ばれています。知らない方は早速ネット検索だーー!!)です。ちなみに、愛犬の名前は「ぼりぼり」です。(動物病院では、受付のお姉さんに「三浦ぼりぼりく~~ん」と呼ばれます!)

産業革命以来、人間は石油や石炭などの化石燃料を燃やし、そのエネルギーを利用することで文明を発展させ、経済を成長させてきました。その結果、大気中の二酸化炭素濃度は産業革命以前に比べ約40%も増加し、地球規模での温暖化を引き起こしています。地球温暖化に歯止めをかけるためには、化石燃料に依存した社会から脱却する必要がありますが、現実的にはその依存を急激に止めることは難しいため、化石燃料の使用を許容しながら大気中への二酸化炭素の排出を抑制する必要があります。その方法として、二酸化炭素海洋隔離への関心が高まっています。簡単に言うと、「二酸化炭素を海洋へ溶かしてしまいましょう!」という方法で、二酸化炭素を液化し、海洋深くに投棄するというものです。海洋が極めて多量の二酸化炭素を溶かし込むことができるため、大量貯留の方法として有望視されており、また、工学的な困難さが少ない技術とされています。私は、20年ほど前にこの技術について勉強する機会があったのですが、仕事で携わっていた研究テーマが環境問題の側面を有していることもあり、興味を引かれて詳しく調べたことをおぼえています。そして、調べていくうちに疑問が浮かびました。それは、「前述した二酸化炭素の液化やそのプラント製造の過程で、多量のエネルギーを消費してしまい、二酸化炭素を排出してしまうのでは?」ということです。つまり、地球温暖化を抑制するための工法を構築する過程で、地球環境温暖化を促進しかねないのではないか・・・と。そう考えると、これまで人間が行ってきた様々な環境問題への対策が薄っぺらく感じ、何が地球環境改善への本質的な打開策になるのかが分からなくなりました(まぁ、私の勉強不足のためなのですが)。現在では、クリーンエネルギーの使用による化石燃料依存型社会からの脱却が急がれていますが、これについても地球環境破壊の要因が全く生じないと断言できるものではないと考えています。もしかしたら、人間が科学的発展を伴う生活水準の向上を求める限り、どんなに科学が進歩しても、地球環境の本質的な改善は無いのかもしれませんね。

今日、こんなことを知りました。オリンピックで優勝者が手にする金メダルは、金の割合が7.5%しかない。銀が92.5%で、金メッキが6gほどしかないのである。メダルの価値は、貴金属として売っても8万円程度である。もっとも、このメダルが純金製であれば、約300万円の価値があることになる。 東京オリンピックでは339個の金メダルが授与されたので、10億円になります。オリンピック委員会にとっては、ちょっと高すぎる金額ですね。金メダルを獲得することは素晴らしいことですが、元々のオリンピックではメダルは与えられていませんでした。優勝者にはオリーブの枝が与えられました。オリンピックは、紀元前1200年頃にギリシャのオリンピアで始まりました。この大会は4年ごとに開催され、ギリシャ帝国中から参加者が集まりました。紀元393年、キリスト教を信仰していたローマ皇帝テオドシウス1世が「オリンピックは異教徒の祭りだ」としてオリンピックを禁止するまで開催されました。その後、1,500年もの間、オリンピックは開催されませんでした。その後、18世紀から19世紀のヨーロッパでは、古代ギリシャの文化に魅了された人々が現れました。1892年、フランスの男爵ピエール・ド・クーベルタンは、オリンピックを見直すことを思いつきました。人々を説得するのに数年かかりましたが、クーベルタンが説得に成功すると、IOCが設立され、ギリシャのアテネで近代オリンピックの第1回大会が開催されました。この大会以降、優勝者にはオリーブの枝と銀メダルが贈られるようになりました。現在の金・銀・銅のシステムは、1904年のセントルイスオリンピックから始まりました。もし、あなたが金・銀・銅のメダルを獲得したら、どんな気持ちになるでしょうか?面白いことに、心理学者の研究によると、銅メダルをもらった人は、銀メダルをもらった人よりもはるかに幸せだということがわかっています。銀メダルを獲得した人は、金メダルを逃したことで非常に悔しい思いをしますが、銅メダルを獲得した人は、単純にメダルを獲得できたことを喜びます。私はこのような心配をする必要はないと思いますが。

英語版

I learned this today. The gold medal the winners at the Olympics get is only 7.5% gold. It is 92.5% silver with only a gold-plating of about 6g. The value of the medal would be about $800 if sold for its precious metals. Although to be fair, if the medal was made of solid gold, it would be worth about $31,000.  There were 339 gold medals handed out at the Tokyo Olympics, which would have come to $10,509,000. That’s a little too expensive for any Olympic committee to afford. Winning a gold medal is a great achievement, but there were no medals given at the original Olympic Games. Winners were given an olive branch. The Olympic Games started in about 1200 B.C. in  Olympia, Greece. The games were held every four years and contestants came from all over the Greek Empire to take part. The games ran until 393 A.D. when the Roman Emperor Theodosius I, who was a Christian, banned them because he thought the Olympic Games were a pagan festival. There were no games for 1.500 years. Then, in Europe in the 18th and 19th centuries, people became fascinated with ancient Greek culture. In 1892, a French baron, Pierre de Coubertin, had the idea of reviving the Olympics. It took him a few years to convince people, but, when he did, the IOC was formed and the first Olympic Games of modern times were held in Athens, Greece. In these games and the following, winners were given olive branches and silver medals. The gold, silver, bronze system we have now was started in the 1904 St. Louis Olympics. How would you feel if you won a gold, silver, or bronze medal? Interestingly, studies by psychologists have found that people who receive a bronze medal are far happier than people who win a silver one. Silver medalists are very frustrated because they missed a gold medal, while bronze medalists are simply happy to have won a medal. I don’t think I will ever have to worry about this, though.

オリンピックついに始まりましたね!

テレビでしか観戦できませんが家では盛り上がっています。

先日、盛り上がりついでにオリンピックについて調べてみました。その中でも個人的におもしろいなと思ったものを少し紹介したいと思います。

1つ目は、「ピクトグラム」です。

トイレや非常口などを示す絵文字のことです。東京オリンピックが開催された1964年以前の日本では、空港をはじめ街中の案内看板のほとんどが日本語表記だったため、海外から来る人たちが一目で意味が分かるように、という思いから誕生したそうです。今では当たり前のように使われているので驚きました。

 

2つ目は「日本選手が初めてメダルを獲得した競技」についてです。

私は体操か水泳あたりなのかなーと思っていたのですが、なんと「テニス」だそうです。銀メダルを獲得したようですが…。

 

他にも調べていくと色んな雑学があり、面白かったです。

調べた上で観戦すると、また違った視点で楽しめるかもしれません。

ぜひ試してみてください!

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