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コロナの影響で、旅行の仕方に変化が現れていますよね。海外はもとより、国内の旅行すら、誰もが思う存分行けない、楽しめない状況が続いています。私も、これまで年に数回旅行へ行くことが楽しみでもありました。

旅で何を一番の楽しみにしているかというと、食です。ここで「音楽」と格好よく言いたいところではありますが、食を楽しみに色々なところを旅していることがほとんどです。日本だと季節を感じられる食材を旬の時期に楽しむという習慣があり、地域ごとでさまざまな食文化・ご当地グルメがありますよね。海外だとすれば、歴史や気候、文化の違う土地で本場の雰囲気を味わいながら食べることが醍醐味です。味が想像できないような、少し苦手そうな食べ物だとしても、雰囲気にのせられて果敢に挑戦できたりもします。「これを日常の味と感じる生活ってどんなだろう」「くさいけど、これっておいしい…?」どうにかして現地の感覚に近づきたい!と踏ん張るのも楽しみのひとつです。おそらく、納豆を美味しそうに食べる私たちのことも、海外の方からはそのように見られているのでしょう。

そして旅の最中、たくさんの現地の音(音楽)にも耳を傾けます。聞こえてくる音は、やはり地域によって全く違い、街の喧騒や自然の音、人の話す言葉に耳をすませると、より自分がそこに存在していることを心地よく感じられます。また、音楽が地域の歴史を知るきっかけともなります。音は耳で聴くもの、というのも間違いではないと思いますが、音の振動を身体で感じることが、心に響く感動につながるのだと思っています。旅と音楽によって、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五感を最大限に使い、右脳が刺激され、感性を増幅させてくれるような気がします。最近は、旅をすることが苛まれ、生の演奏を見に行く機会や活動自体が足を止めていますが、正解なく進んでいかなければいけないときこそ「音楽でしょ!」と、この数か月はその思いが加速しっぱなしです。旅行や観光の楽しさや感動に音楽が寄り添い、癒しや活力を得られるまで、歩みを止めずに想像力を働かせましょう。

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 体育科の小倉と申します。私は、バスケットボール部の顧問をしています。中学校2年生の時にバスケットボールというスポーツに出会い、そのスポーツにずっと魅了されています。中学、高校、大学と選手として活動し、社会人になった今でも、仕事の合間に選手としてやっているほど、私はこのバスケットボールというスポーツが大好きです。よくバスケットについて生徒に話をすると、好き過ぎて話が長くなってしまうほどです。

 今回はこのバスケットボールについて皆さんも聞いたり、テレビで見たりしたことのある、一人の日本人バスケット選手について紹介したいと思います。

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この選手を皆さんはご存じでしょうか。八村 塁(はちむら るい、1998年〈平成10年〉28)は、日本の男子バスケットボール選手。富山県富山市出身。身長203cm、体重104.3kg、父親がベナン人、母親が日本人。ポジションはパワーフォワード/スモールフォワード。2019年のNBAドラフト一巡目でワシントン・ウィザーズより指名を受けました。NBAといえば、世界最高峰アメリカプロバスケットボールのリーグです。子供のころからNBAの選手たちのプレーに興奮し、憧れたものです。このドラフト一巡目での指名は、日本人初の快挙でした。この事実をニュースで聞いたときに、とても驚き、日本のバスケット界の進歩に喜びを感じました。

 

 どうして、この八村選手について紹介をしているかというと、八村選手はバスケットを始めたばかりの中学時代、あるコーチと出会い、そのコーチとの出会いが、この素晴らしい選手への成長の出発になったと思っているからです。その人は、八村選手が通っていた富山県の奥田中学校のバスケットボール部の外部指導者であった、坂本さんという方です。私は、北星の中学生が今年の初めに行った名古屋遠征の時に、この坂本さんのお話を聞く機会があったのです。坂本さんのお話では、八村選手は中学入学してからはどの部活にも所属しておらず、ゲームセンターへ毎日遊びの行くような生徒だったそうです。坂本コーチは、そんな八村少年がバスケットをやらせたらすごい選手へと成長すると確信しており、やる気のない八村少年にアイスクリームをあげて、バスケットボール部に誘ったそうです。高校、大学、日本代表、NBA選手として、素晴らしい経歴を持っている彼ですが、バスケットを始めたころはドリブルもまともにできない、へたくそな選手だったそうです。八村選手自身も上手くいかない自分のバスケットのことや、ハーフである彼の見た目から近所の子どもに馬鹿にされたこともありました。悩みも多く、辛い状況が続き、練習をさぼることもあったそうです。しかし、そんな彼を坂本さんは絶対に見捨てず、「お前はNBAプレーヤーになりなさい」と言い続けました。その言葉に八村選手は何度も救われ、夢を諦めず、バスケットを続けていたことによって、現在の彼が存在していると、お話ししていました。

 そのお話から「人との出会い」の素晴らしさを改めて感じました。バスケットやスポーツを頑張っている子どもたちも含め、たくさんの子どもたちが、その様な経験が出来ると良いなと感じ、また自分自身も生徒に夢を与えられるような教師、指導者になりないと強く感じました。皆さんも「人との出会い」大切にしてほしいです。

 

1週間の短い夏休みが終わり,1週間の授業を経て,今週は定期試験という目まぐるしい日々を過ごしました。残暑も厳しい中で,生徒たちは本当によく頑張りました。ご存知のとおり,このような事態になったのは,新型コロナウイルスが原因です。これにより,私たちの生活様式は大きく変えられ,また戻せそうな気配もありません。むしろ,最近では「アフターコロナ」や「ウィズコロナ」といった言葉も見受けられます。少なくともしばらくは新型コロナウイルスを意識して生活することになるのかもしれません。

 ところで,新型コロナウイルスやそれによる感染症が確認されて既に半年以上が経過したわけですが,皆さんはこれらについてどこまで知っているでしょうか。毎日,感染者数の推移や芸能人の誰が陽性であったか等のニュースは見ますが,新型コロナウイルスやその感染症についての情報は意識的に受け取らなければ,そこまで得られないような気がします。しかし先にも書いたように,しばらくは新型コロナウイルスを気にかけて生きていかねばなりません。必要な情報や知識を得て,自分で考え,納得した上で行動できるようになりたいものです。また,そのような能力を子どものときから練習し,身につけておくべきだとも考えます。

 遡ること約半年,新型コロナウイルス感染症が想像以上の猛威を振るい,残念ながら2月下旬から自宅学習期間になってしまったときに,授業を担当していた中学12年生(23年生)に以下のような課題を出しました。

 

どうすれば新型コロナウイルスの感染拡大を抑えられるか,

新型コロナウイルスに関して調べた上で,あなたなりの考えを論じなさい。

 

 

この課題の意図は上記の通りです。未だに私たち大人も悩んでいる「どうすれば新型コロナウイルスの感染拡大を抑えられるか」について自分ごととして考えてもらいたかったのです。そして,生徒たちは私の意図をしっかり汲んで課題に取り組み,それぞれが自分なりの答えを用意していました。「よく笑い,免疫力を高める」などのユニークな答えもあった一方,「よく食べ,よく寝る」,「手洗い・うがいをする」,「マスクをつけて外出する」などの私たちが普段当たり前にやっていることを書く人もいました。これらが答えとして出たことはとても意味があります。つまり,私たちがやっていることは間違っておらず,また必要なことだと納得することができたからです。人(例えば親)に言われて,何となくではなく,自分にとって必要だから行うので,しっかり行えるはずです。

 TVや新聞等が「〇〇をしましょう」,「〇〇は避けましょう」と伝えてくれたとき,その情報はどのような意図や考えを基にしているのでしょう。これからは,私たちもそのようなことを少し気に留めて,過ごしていきませんか。

20200817
8月の礼拝メッセージから」

私たちの学校は前期後期の二学期制なので始業式はありませんが、
今日は夏休が終わって最初の一日でした。
短い夏休み、あっという間の夏休みでした。

今年度は4月の入学礼拝後すぐに約2か月の学校閉鎖があり、
多くの学校行事が中止あるいは延期になりました。
いつもとは全く違う学校生活を送って夏休みがやってきました。

生徒たちはどんな夏休みを過ごしたのか気になります。
短いだけでなく、いつもとは違った感覚の夏休みを過ごしたように
自分では感じています。私のこれまでの夏休みは時間がない時であっても、
何か楽しいことも計画して休みが来るのを待ちました。
しかし今年はそんな計画を立てることは気持ちの上でも、
行動の制約上からも難しいまま夏休みを迎え、
これまでとはずいぶん違った印象で夏休みを終えました。

新型コロナウイルス感染症拡大の影響によって、
これまでと同じような生活が難しくなる経験の中で
色々なことを考える機会が増えました。
自分の気持ちをどこに向けたらよいのか分からなくなったり、
力が出てこない気分になったり。この後溜息ばかりが出てしまう毎日が
続くのだろうかなどと考えてしまうこともありました・・・。

それでは私たちは「落胆」し続けるのでしょうか。
「落胆」したままで夏休みを終えて毎日を過ごしていくのでしょうか。
わたしは断じて違うと確信しています。夏休み前に皆さんにお話しした
聖書箇所にある通りです。

わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある
永遠の栄光をもたらしてくれます。 わたしたちは見えるものではなく、
見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、
見えないものは永遠に存続するからです。

 ~コリント人への第Ⅱの手紙4:1617

今はため息が出ることがあるかもしれませんが、
私たちが向かう先には神様によって用意された目的地があり、
明確な目標があることを忘れないで欲しいと願います。

しかし、目標に向かって歩いていくことはそれ程簡単なことでもありません。
乗り越えるべき課題に疲れてしまうこともあります。
もしかしたら今がその時かもしれません。
皆さんにぜひ知っておいて欲しいことがあります。

目標に向かっている時、疲れて休みたくなる時もあります。
そんな時自分の身体と心の状態を我慢しすぎたり隠したりしなくていいのです。
イエス様は「疲れたら休んでいいよ。私が疲れたあなたを休ませてあげるから」
と私たちに語りかけてくれています。

イエス様は私たちに困難の先にたどり着くべきゴールを用意してくれています。
私はそれを信じていますし、創立者スミス先生もそれを信じて50年間日本での
女子教育のために生涯を捧げました。同時にイエス様はゴールで私たちを
待っていてくださるだけでなく、もし私たちが途中で疲れたなら、
休む場所を用意してくれるのです。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。 
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、
わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」
 ~マタイ112829

夏休み後の前期の残りも、一緒に励まし合い、神さまを見上げて
目標に向かって一歩一歩歩いて行きましょう。

 

 

 理科の中村と申します。今年度は5,6年生の専門化学と6年生の化学基礎および2年生の理科を教えています。食事を科学という視点から見つめなおし、食生活を改善することによって健康な毎日を送ることに興味をもっています。

食べることは人間にとって、基本中の基本です。栄養価の高い体に良いものを摂取することは、日々の生活をしていくためには重要です。今回は、人間の体の中では作ることができない体に良い影響を与える物質を含んでいるアボガドの食べ方を紹介します。アボカドは別名、森のバターと呼ばれる食べ物で大変栄養価が高いことでも知られています。今日は、誰でも簡単に作れるアボカドをオーロラソースにつけて食べる方法を紹介します。

まず、用意するものはアボカド、マヨネーズ、ケチャップ、あればウースターソースです。

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まずアボカドの切り方ですが、包丁で真ん中を半分に切れ目を入れていきます。包丁でアボカドを1周したら、真ん中の図のようにねじります。

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2つに割ると右図のようになります。

種子は小さなスプーンをつかうとうまくとることができます。

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包丁を使うときは、手を切る可能性がありますので、必ず大人にやってもらってください。

半分に切ったものをさらに、4分の1に切ります。

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皮の部分は簡単に手で取ることができます。

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さらに一口サイズに切り分けて器に盛り合わせます。

 次にオーロラソースの作り方です。

マヨネーズ:ケチャップ:ウースターソース

=1:1:少量 の比で混ぜ合わせます。

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このソースにつけて食べましょう。

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まとめアボカドを食べると

  • 抗酸化作用のあるビタミンEがたくさん含まれているので血管が健康になり、老化を遅らせることができます。
  • 食物繊維がたくさん含まれているので、腸の働きが活発になり、血糖値を下げるので太りにくい食事をとることになります。
  • 葉酸が含まれており、細胞の生産や再生に役立ちます。特に胎児によい影響を与えます。
  • オレイン酸が豊富に含まれ、これが森のバターと呼ばれる由来です。オレイン酸は悪玉コレステロールの値を

下げる働きがあります。

旧約聖書(新共同訳) 539頁 列王記 上 723

「彼は鋳物の『海』を作った。直径10アンマの円形で,高さは5アンマ,周囲は縄で測ると30アンマであった。」

  私たちにとって,とても身近にある聖書の言葉です。その中でもこの箇所は,数学好きには,非常に興味深い場所です。僕はとってもこの箇所が気になっています。

 なぜって?それはこの箇所が世界最古の円周率に関する文献だからです!(千葉調べ)

円周の長さは直径×3.14ですね。旧約聖書はイエス キリストが誕生する前のお話しですから,今から約3000年ほど前の事です。円周率が3であることが示されました。ロマンを感じずにはいられません。

  2003年度入試において,東京大学が「π>3.05を証明せよ」という,今では伝説ともいえる問題を出題しました。すごいですよね!中学生の知識だけでも解けますが,入試当日にこの問題をみた受験生はとてもびっくりしたことでしょう。

 2015年,僕は1冊の本を買いました。「円周率 1,000,000桁表」という本です。お値段なんと314円!円周率の小数点以下の値が1,000,000桁並んでいるだけの本ですが,この本を手にしたとき,とても嬉しくなりました。ちなみに,1,000,000桁目の数字は1です。

  2019314日,日本出身の岩尾エマはるかさんによって円周率の小数点以下314000億桁まで発表されました。発表日やその桁数まで円周率にこだわっています。

 どこまでも終わることのない円周率…これほどまで人々を魅了する数字は他にないでしょう。そこに円周率がある限り,その小数点以下は永遠に続きます。

 ところで,円周率ってそもそも何だろう?3.14159265…ではありませんよ。この意味わかるかな?

 年に一度の人間ドックの日はとても憂鬱です。間違って水分を取ってしまわないか、バリウムを失敗せずに飲めるかという緊張感と、何より命に関わるテストに臨む気分で「あ~またこの日が来てしまった…」という思いからなんとか自分を奮い立たせて病院に向かいます。そんな人間ドックの唯一の楽しみは待合室に備えられている雑誌を読むこと。自分のお金ではもったいなくて買えない高価な雑誌をゆっくり眺める、少しだけ優雅な気分です。

 その時に読んだエピソードの一つが今でも心に残っています。あるファッション誌のコラムで、タイトルは「もしも…なら…」。「もしも…なら…」って何だろう?If構文か? ファッション関係の仕事をしている筆者(女性)が中学時代の同級生(男性)と再会したときのエピソードでした。当時を振り返っての話が盛り上がる中で、今では広告業界で勤務している彼が、忘れられない恩師への感謝として次のように語ったというのです。

中学の国語の授業でのこと、「『もしも…なら…』で短文を作りなさい。」という課題に、「もしもし、ならけんの人ですか。」と答えたのに対して、先生は否定をしなかった。そのことが今の自分を作っている。

なるほど!言葉って面白い。たしかに「もしもし、ならけんの人ですか。」もアリだ。中学時代の彼の自由な想像力に水を差すことのなかった先生の存在が、言葉を通してトレンドを作り上げていく広告業界での彼の活躍につながるのでしょう。

私自身も中学時代の音楽の先生のことが思い返されます。当時の音楽のテストは交響曲を聞き込んで、その主題構成を理解する、なかなか手強いものでした。レコードを買って、何回も聞いて、おかげでクラシックの良さをほんの少し垣間見ることができたように思いますが・・・その先生はテストを返却する際、毎回「珍回答」を発表するのです。

問題、ベートーベンの交響曲第9番(   )付き、(   )に当てはまるのは?(おまけ)付き、(折り紙)付き、(いわく)付き・・・

解答が紹介される度に、クラス中が笑いに包まれ、テストが終わった開放感も手伝ってか、ほんわか温かい雰囲気になりました。正解することしか頭になかった私にとって、世界の見え方が変わった出来事です。

 国語教育に携わって三十年近い時間が流れました。柔らかな発想を持つ中学生や高校生と一緒に言葉の面白さを楽しめているか、想像力を摘み取っていないか、改めて考えさせられ、大切にしていきたいこととして思いを新たにしています。

イギリスやアメリカで大人気のテレビ番組「Got Talent」を見たことがありますか?才能豊かな挑戦者が歌やダンスなどを披露し、多くの感動とドラマが生まれています。

 番組のタイトルにもなっているTalent(タレント)という言葉。日本語で「才能」と訳されますが、元々は古代ギリシャの通貨単位タラントンに由来します。では、1タラントンはどの位の価値でしょう?1万円?10万円?100万円?いいえ!何と6000日分の賃金で、仮に一日1万円なら6000万円にもなる大金です。このタラントンについて、イエス・キリストの有名なたとえ話が聖書に記されています。こんなストーリーです。

 ある主人が僕(しもべ)に、それぞれの力に応じて財産を預けて旅に出ます。それを元手に商売をしたところ、五タラントン預けられた人はさらに五タラントン、二タラントン預けられた人はさらに二タラントンをもうけました。でも一人だけ違いました。一タラントンを預けられた人です。この人は穴を掘り、金を隠しておくのです。月日が流れ、やがて主人が旅から戻り清算を始めます。主人は五タラントンを預けた者に言います。「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」(マタイ2521節)主人は二タラントンを預けた者にも同じ言葉を述べて喜びます。でも、一タラントンを預けた者には…。

 なぜ一タラントンの人はチャンスを生かせなかったのでしょう?主人が恐ろしかった?失敗するのが嫌だった?他の人より少ないので、すねた?…6000万円もの大金なのに。

 人と比べやすいわたしたち。あれもない。これさえあれば。あの人のようになれれば。ああ、人生不公平!そんな気持ちになることもあるかもしれません。でも、本当にそうでしょうか。実際は、誰もが使いきれないほどのタレント:才能や素質やチャンスなどを与えられていないでしょうか。それに気づいて養い育て、磨きをかけて、自分らしく輝くことができれば素晴らしいですね。

 ちなみに日常的に使われている聖書の言葉が他にもあります。「西暦」「新しい酒は新しい革袋に」「アルファ・オメガ」「偽善者」「砂上の楼閣」「地の塩・世の光」「一粒の麦」「日々の糧」「豚に真珠」「迷える子羊」「目からうろこ」など(創元社「キリスト教入門」参照)。ぜひ調べてみてください。

みなさんはいつもどんな時音楽を聞きますか?どんな時に音楽を聴きたいと思いますか?

私はどちらかというと、予定通りに物事が進んでいるときは音楽を聞きたいという気持ちになることは多くありません。それは、もしかしたら自分の中で音楽を意識できるからなのかもしれません。反対に身の回りの物事が停滞したり立ち止まらなければならない時、進むべき道を探っている時には、音楽を聴きたいという思いになるように感じます。

そのように感じるのは、私が50年以上音楽に係ってきたことが影響しているからかもしれませんが、身近に音楽がある生活は自然なことである以上に必要なことでもあるように感じます。

近年、技術の発展は目ざましく、聞きたいと思った音楽をあらゆる場所で聞ける時代になりました。聞く側だけでなく音楽を発する側にとっても、同じことが可能になりました。そんな便利になった時代に、私が大切にしたいと思っていることがあります。人工的な技術が介入しない音楽そのもの、音が生まれる瞬間を忘れないでいる事ことです。

そんな思いを確認したくて、「つまびく」「奏でる」「声を発する」者と聴く者の間に人工的な何物も介入しない音楽を時々聴きくようにしています。

以前、「文字を持たない社会はあるが、音楽を持たない社会はない」と書かれた文章を読んだことがあります。その時思い浮かべたのが、アイヌ民族が持つ壮大な口承文学である抒情詩「ユーカラ」のことでした。音楽は時間と空間をも超えて、瞬時に私たち自身が必要とする場所に心を運んでくれる存在です。「ユーカラ」がつくりだした世界は言葉と音楽が融合することのすばらしさを思います。

私たちの生きる時代が、コロナ禍にあって、不安と苛立ちの中で音楽が排除される社会でなく、そのような状況の中で、音楽が必要とされ迎い入れられる社会であって欲しいと願います。

最後に、人間の身体にはリズムがたくさんあるといいます。ちなみに、心臓の鼓動リズムは『ド・ク・ン』『ド・ク・ン』『ド・ク・ン』の3拍子です(2拍子ではありません)。人は生まれる前からこの3拍子を聴いて成長します。3拍子の音楽を聴くと心が落ち着くと言われえるのはこのためでしょうか。

日本人に親しみのある代表的な曲、『ふるさと』、童謡の『ぞうさん』は何拍子でしょう?

Stay Home期間にSNS上で”My book cover challenge”なるものが回ってきました。1週間、毎日本を1冊ずつ紹介し、その都度1人の友だちにバトンを渡すというものです。忙しさや視力の衰えとともに最近ではすっかり読書から遠ざかっていたので、学生の頃読んだ小説やエッセー、勤めてからの朝読書用文庫本などを引っ張り出して本選びを始めました。

色々悩んだ末、私が選んだのは絵本でした。最近は話をすることも少なくなってしまった中3の息子に、幼い頃読み聞かせていたものです。数年前にかなり処分しましたが、私が大好きな絵本はどうしても捨てられず残してありました。読み返すと、当時の息子とのほのぼのとした時間が蘇ります。

 

「おこだでませんように」 くすのきしげのり・作  石井聖岳・絵

   家でも学校でも、いつも怒られてばかりの男の子。悪気はないのに、不器用なだけなのに、いつ  も怒られて、悔しくて悲しい思いをしています。そんな男の子が、七夕の短冊に「早く書きなさい!」と怒られながら一生懸命書いた願いごとが「おこだでませんように」。それを見て涙を浮かべて謝り、ほめてくれた先生。話を聞いて泣きながらぎゅうっと抱きしめたおかあさん。私も息子に「何をしても怒られる!」と言われることがよくありました。親はそんなつもりはなくても、子どもはそんなふうに思っているのかと思うと、読むたびに泣けてきます。

 

「よるくま」 酒井駒子

   小さな男の子の夢の中に現れたくまのこ・よるくまが、目を覚ますといなくなっていたおかあさんを探しています。男の子も一緒に探し回りますがどこにもいません。「おかあさんは?おかあさんは?」と泣くよるくま。真っ黒なよるくまの涙であたりはどんどん暗くなって、真っ暗になって…そこにおかあさん!「おかあさん、どこにいってたの?」と抱きつくよるくまの表情がツボです。おかあさんにお布団をかけてもらって安心して眠りにつくよるくまと男の子。だよね、だよね、本当はきっとこんなふうにおかあさんのこと大好きだよね?と思わせてくれるのです。

 

「はしるチンチン」 しりあがり寿

   シュールな作風の漫画で知られる作者の初の絵本。まさに「コドモそのもの」の3歳の男の子がフルチンで世界を駆け抜けます。苦しんだり悩んだりしているオトナに生きる希望ややり直す意欲を与え、世界中の争いや平和、不幸や幸福を目にしながらどんどん進んで行きます。やがて「スキスキダイスキ」は「うまれてくれてアリガトウ」という意味なんだと知った男の子は大きな「スキスキダイスキ」に包まれて…最後は温かなおかあさんの腕の中に戻ります。

 

 素直に大人の言うことを聞きたくないお年頃。悩まされることも多いけど、やっぱり「スキスキダイスキ」なんですよね。すべてのお父さん、お母さんもきっと同じ気持ちのはず。子どもたちにその気持ちが届きますように。

 

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