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校長・教員ブログ

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ときどきぼんやり写真を眺めたりします。そこからストーリーが見えそうな奥行きのあるものにひかれるのですが、以前たまたま渡部雄吉さんの『張り込み日記』という写真集に目がとまりました。1950年代に実際の(!)捜査に張りつき撮った写真らしいのですが、漂う緊張感や雰囲気にひかれ、この写真集のみならず、別の出版社から出された後発の写真集も買ったくらいです。

 ところが、この後発版がどうもしっくりきません。同じ写真が載っているので、細かい違いはあるにせよそんなに違うはずはない。そう思い、繰り返し見比べてみましたが、やはり印象は変わらず……わけがわからないまま、その疑問だけがずっとくすぶっていました。後発版は先のものを意識してか、写真だけでなく、合間に名うての作家さんによる事件概要の書き下ろしや凝ったデザイン、構成など制作側の意気込みが伝わるような気合いの入ったつくりになっていて、見るまではそれも楽しみにしていたのです。ですが、あとで振り返ってみると、どうもそれがノイズになっていたのではと思うようになりました。

 それは、写真の好みで言うと鮮やかすぎるものよりも彩度を抑えた方が、カラーよりもモノクロのほうが好みだと意識し出したこととつながっていると感じます。感覚なので微妙なことばづかいになってしまいますが、適度に隙間があった方が見ていて心地よいというのでしょうか。見ていてイメージ的な何かを盛り込めないと楽しくないのだと思います。鮮やかすぎるものはその鮮やかさに圧倒されて、きちんと見られない、あるいは見るだけのキャパが自分にはなくなっているのかもしれません。

 ただ、そういう余白を読むのは、時間があればなかなか楽しいものです。自分にとっては広告のコピーもそうした素材の一つです。学生時代の授業がきっかけですが、限られた情報で読み手のイメージをかき立てるというテーマが明快で、その意味でとても良く出来ています。

 以前、「野菜を見ると、想像するもの」というコピーがありました。ことばはこの一言だけ、あとは紙面の端に赤ん坊を模した人形の、例のシンボルマークのみ。読み手が両者をつなげれば、マヨネーズなりドレッシングなりが思い浮かぶようになっていて、広告としてとてもよくできている。と同時に、そうでないことも思えるすきまも持っていて、広告としての機能を持ちつつ、それ以外の世界にも読み手を誘えるこのバランス感覚の絶妙さに感嘆したものです。

 ネットで知りたい情報をひたすらかき集めるのも楽しいのですが、たまにはこうして隙間を楽しむのもよいものです。最近、俳句がメディアで取り上げられているのは、そう思う人も少しは増えたのかな、などと思ったりもしています。

 

 

 

 

 

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