検索 OPEN/CLOSE

校長・教員ブログ

校長・教員ブログ

  新聞の投稿欄に目がとまった。今から77年前に終わった太平洋戦争を生き抜き、数年前に他界した私の両親と同じ世代の高齢の女性からの投稿だった。投稿された女性は過酷な体験を経て終戦をむかえた。にわかには受け止めることが出来なかった戦争のない社会の到来を生活の中で体感して受け取れるまで時間が必要だったこと。戦争が終わってから77年間、戦争が終わってから始まった「戦後」がずっと続けて欲しいと願いながら生きてきたことが綴られていた。しかし数か月前ヨーロッパで始まった戦争のニュースを知り、自分が高齢になり社会と人々の日常が少しずつ変化していくのを感じ始めながらも心中で祈り願い続けてきた、続いて欲しい「戦後」の文字が薄れていくのを感じ始めていることに気がついたこと。今社会に漂う空気は自分が青春時代に過ごした空気に似てきたように思う。そして、その時代の空気を吸って「戦争」をむかえた者にしかわからない記憶が頭をよぎろうとする時、薄らいでゆく「戦後」の文字が気がつくと「戦前」という二文字に置き換わろうとしているように見える、と言うものだった。全てのことが突然起こるのではないと思う。「戦前」という二文字は突然私たちの目の前に現れるのではない。未だにあの時の衝撃か消え去らない“東日本大震災”、今まさに渦中にある“新型コロナウイルス感染症”からの問いかけに、私たちはまだ答えていない。私たち人間が地球上にある全てを手中にしたかのような生き方を続けていることへの警鐘に対して。

PAGE TOP