「大事なことはクロとクロに教わった」 国語科教員 北野 聡子
毎年、夏のこの時期は我が家の「生き物」たちが増えます。だいたいは「何かを育てたい」という意欲の強い息子の熱意に押されてのことですが…。現在の家族はクワガタ3匹、カブトムシ2匹(カブトムシは先日開催された北星バザーでオスとメスのつがいを購入しました!とっても元気!)、フナ1匹、ウサギ1匹。それに息子が外で育てている野菜たち。毎日大切にお世話しています。
考えてみれば、私は、「生き物」のお世話は得意ではないまでも、そんなに苦ではありません。それは、幼少期から常に周りに犬や猫たちがいたからかもしれません。今まで関わってきた犬や猫たちからは、本当に多くのことを学ばせてもらいましたが、特に忘れられないのは犬の「クロ」と、猫の「クロ」です。
私が5才くらいのとき、当時住んでいた家の物置に、犬の親子が住み着いてしまったことがありました。黒いオス犬と、白いメス犬と、その子どもであろう子犬と。住み着かれても困るので、両親は最初その3匹をなんとか追い出そうとしました。けれど、3匹ともとても穏やかで、子犬もいるし、季節も冬だったので、しばらく様子をみることにしました。あまりかわいがると情が移ってしまうので、「クロ」「シロ」と名前はつけても3匹の前では呼ばないようにして、家族みんなで家の窓から見守っていました。3匹の中でも「クロ」は賢い犬でした。ごはんをあげても、自分は食べようとせず、シロと子犬が食べ終わるまで待ちます。そして、夜は物置の中ではなく、わざわざ物置の外に出て、物置の戸の前で寝るのです。クロの毛が白く凍るくらいの寒い冬の夜です。どんなに寒くても、雪が降っても、クロは戸の前から動きませんでした。「ああやってシロと子犬を守っているんだろうね、健気だねえ」と話す両親の言葉を聞きながら、当時5才の私の脳裏に、雪に降られながらシロと子犬を守るクロの姿は強烈に焼き付きました。春になると、いつしかその3匹はいなくなってしまったのですが、あのクロの姿だけは、今でも鮮明に覚えています。
中学生の時、一番多いときで、家には15匹の猫がいました。一番の古株は黒猫の「クロ」。泰然自若のたたずまいで、どっしりと構え、周りの猫たちから一目置かれているような風格のある猫でした。新入りの猫がクロにあいさつしに行くと「よく来た」とばかりにゆったりと頷き(…そんな風に見える)、怖いもの知らずの子猫がクロにじゃれつくと軽く尻尾でいなし(…そんな風に見える)、とにかくかっこいい猫でした。さて、猫が15匹もいると、ごはんの時間は大変です。われ先にとごはんに群がり、すきあらば隣の猫のごはんを奪い…という感じでてんやわんや。しかし、クロだけは違います。他の猫たちがごはんを食べるのをじーっと見守り、自分以外の猫たちが食べ終わると、やっと立ち上がり、残り物をゆっくりと食べるのです。その姿は中学生の私が見ても拝みたくなるほど素敵で、クロの人生哲学(?)から、日々学ばせてもらっていました。
…犬の「クロ」も、猫の「クロ」も、動物の本能のようなものでそれぞれしていた行動なのでしょう。けれど、その姿から教えられたことは多く、その教えは私という人間の土台の一部にしっかりと組み込まれています。弱いものや小さいものを守ること、受け入れること、見守ること…。言葉ではなく、動物たちの行動と姿から教えてもらいました。
「クロ」と「クロ」を思い出すと、なんだか温かい気持ちになります。ちょっと優しい気持ちになれます。その優しい気持ちを忘れずに、日々過ごしていきたいものだと思っています。