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校長・教員ブログ

校長・教員ブログ  2023.09

 夏休み中盤の8月上旬、私は鹿児島へ行ってきました。目的は高校演劇の全国大会を観に行くため。ウチの学校が出場したわけではないのですが、私自身、高校時代に演劇部だったということもあり、毎年の恒例行事になっています。高校野球ファンが毎年甲子園を観に行くのと同じ原理です。 

 

 しかしながら毎年開催地が異なります。これは演劇の全国大会は全国高等学校総合文化祭(文化部のインターハイ)の一部門として開催されているためです。さかのぼっていくと、鹿児島、東京、和歌山、高知、佐賀、長野、宮城・・・というふうに、全国各地で行われています。 

 

 私もそれに合わせて毎年旅をしています。全国大会以外でも旅をしていたりしています。大学時代に国内を周り始めてから、すでに43都道府県を踏破しています。そこでの出会いや事件も魅力的です。岐阜で出会った人に朝昼晩をご馳走してもらったり、愛媛では傷害事件に巻き込まれて事情聴取を受けたことも。鳥取で出会った人とは10年近く経った今でも交流があり、今度結婚式に呼ばれることになっています。 

 

 しかしいまだに行ったことがない都道府県が、山形、石川、福井、沖縄です。沖縄はずっと行きたいなと思っているのですが、なかなか行けていません。そんなことを考えていると、11年前のことを思い出します。私が大学2年生のとき、長崎の全国大会で出会った沖縄出身のおじさんの言葉を思い出します。私が「次に彼女でもできたら、沖縄行きますよ」と言うと、おじさんは「じゃあ一生来れないね」と返してきたのです。それから11年。私にはまだ沖縄に行ける見込みはありません。おじさんには先見の明があったようです。 

 

 そんなことはさておき、演劇を観ることと旅をすることは同じようなものだと思います。新しい人や出来事との出会いなのです。さて、929()104()にかけ、江別市のえぽあホールにて高校演劇の石狩支部大会が行われます。本校演劇部の上演は103() 14:20~となっています。平日の真ん中ですが、興味のある方はぜひご観劇ください。 

多くのアメリカ人がコーヒーを飲み、多くのイギリス人が紅茶を飲むのはなぜか?アメリカ人は独立戦争前、戦争中、戦争後に紅茶をボイコットし、イギリス政府は紅茶に課税することでより多くのお金を得たからだ。

両国はともに正反対の国として始まり、正反対の国として終わった。アメリカの初期には紅茶の方がコーヒーよりも人気があったが、今ではコーヒーの方が人気がある。1600年代以降はコーヒーの方が紅茶よりも人気があったが、今では紅茶の方がコーヒーよりも人気がある。

まずイギリスを見てみよう。イギリスでは1600年代までコーヒーも紅茶も知られていなかった。コーヒーの飲用はアフリカで始まり、中近東を経てオスマン帝国全体にゆっくりと広がっていった。南ヨーロッパには1500年代半ばに上陸し、1600年頃にオランダ人によってイギリスに伝えられた。コーヒーの需要が高まり、多くのコーヒーショップができた。イギリス政府は植民地でのコーヒー栽培を始め、コーヒー栽培は広まった。非常に人気のある飲み物で、人々はコーヒーショップの環境だけでなく、その味と効果も好んだ。数十年のうちに、イギリスには何千ものコーヒーショップができた。

紅茶が英国に伝わったのは、コーヒーのほぼ半世紀後のことだった。アジアで飲まれていたお茶は知られていたが、イギリスでは売られていなかった。1650年、紅茶はイギリスに紹介され、トーマス・ガーウェイは自分のコーヒーショップで初めて紅茶をドリンクとして販売した人物として知られている。あまりに斬新な飲み物だったため、彼は紅茶と一緒に配ったパンフレットでそれが何なのかを説明しなければならなかった。紅茶は一般的に薬として、健康に良いものとして売られていたが、非常に高価で、本当に裕福な人しか飲めなかった。紅茶は喫茶店でもよく売られていたが、それほど人気はなかった。最初の紅茶店ができたのは1706年で、トーマス・トワイニングの店だった。

18世紀半ば、東インド会社は中国との貿易を始め、インドで茶の栽培を始めた。供給は増え、価格は下がった。より多くの中流階級や労働者階級の人々が紅茶を買えるようになったが、紅茶を飲むことは上流階級と結びついていたため、紅茶はとても立派な飲み物だった。1700年には外国産とみなされていた紅茶も、世紀末にはイギリスらしい飲み物とみなされるようになった。紅茶がコーヒーを上回るようになったのは、コーヒーの価格が不安定になったからだ。それと同様に、東インド会社はイギリス市場にできるだけ多くの紅茶を押し込んだ。政府は税収のために彼らを支援した。19世紀には、紅茶はコーヒーよりもはるかに人気があった。

アメリカはこの逆だ。1600年初頭、オランダ人入植者がアメリカの植民地に紅茶を持ち込んだ。紅茶はアメリカ植民地で最も人気のある飲み物となった。紅茶はオランダ東インド会社によって輸入された。イギリスがすべての植民地を支配したとき、彼らの東インド会社は分け前を欲しがり、紅茶の輸入を始めた。紅茶は中国から輸入され、東インド会社にとって非常に有利なビジネスだった。しかし、1773年までに東インド会社は大赤字を出すことになる。イギリス政府は東インド会社を支援するため、紅茶法を制定し、東インド会社にアメリカ植民地での独占権を与えた。これによって東インド会社の紅茶は安くなったが、多くのアメリカの紅茶輸入ビジネスに打撃を与えた。ボストン茶会事件では、大量の英国産紅茶が船から投げ捨てられた。これによりイギリスは報復に転じ、やがて宣戦布告された。

これ以降、アメリカ人は紅茶を飲まなくなった。紅茶は裏切り者の飲み物として知られるようになり、アメリカが戦争状態にあったイギリスと結びついたのだ。独立戦争中、紅茶はボイコットされ、人々はコーヒーを飲むようになった。戦争が終わる頃には、人々はコーヒーに慣れ親しむようになり、紅茶は依然として敵国イギリスを連想させ、復活することはなかった。アメリカは依然としてコーヒーを飲む国なのである。そして、これが今日私が学んだことである。

 今年度、北星女子に来た伊勢です。私は昨年6月まで約3年間ベトナムのハノイに住んでいて、日本に留学することを目指すベトナム人中高生に理科を教えていました。今回は少しだけですがベトナムについて紹介させてもらおうと思います。これから世界を舞台に活躍するみなさんの視野を広げることができれば幸いです。

ベトナムというと、緑豊かな山に水牛がいる長閑な景色を想像する人が多いかもしれません。確かにそのような地域もあるのですが、私が住んでいた首都ハノイは高層ビルが立ち並ぶ大都会です。ショッピングモールも多く、日本のイオンやダイソー、業務スーパーだってあります。そのため必要なものは何でも手に入り、生活するのにほとんど不便はありませんでした。不便を強いてあげるとするならば交通渋滞が多いこと。きっとみなさんもベトナムに行くことがあれば道路を走るバイクの多さに驚くことでしょう。

ベトナムは観光地としても魅力があり、世界遺産となっている古都フエやハロン湾は有名です。歴史等の難しい話は少し苦手…という人には南部のビーチリゾートが穏やかに過ごすことができるのでおすすめです。また、食べ物は何を食べても安くておいしいので、きっと旅行で訪れたときには満足することができるでしょう。

たくさんの魅力があるベトナムで私が一番好きだったのは、カフェが多いこと。じつはベトナムは世界第2位のコーヒー豆の産地で、コーヒー好きには最高の環境です。街のいたるところにカフェがあり、朝早くから夜遅くまで練乳入りの甘いベトナムコーヒーを飲むことができます。カフェには平日昼間でもなぜかたくさんの人がいて、楽しそうに話をしている雰囲気も含めて好きでした。

現在、力強く経済成長を見せるベトナム。しかし人々の生活に目を向けると、時間が穏やかに流れていてどこか懐かしい雰囲気があります。もし少しでも興味をもった人は是非一度行ってみてください。

もう大谷選手が日本ハムファイターズにいたのは何年前だろう…,今やメジャーリーグでも大活躍で世界のスーパースターとなった大谷選手!!私も小学校2年生からリトルリーグという硬式野球チームに入り,以後中学,高校,大学,社会人クラブとずっと野球チームに所属してきました。そんな私が,縁あってテニス部の顧問となり10数年。元々,どんなスポーツも見ることは好きだったので,テニスの基本的なルールやスター選手(ジョン・マッケンローとかグスティフィー・グラフとか,お父さんお母さん知ってるかも。)は知っていましたが、自分はテニスの経験はゼロです。

顧問として初めて大会の引率をしたとき,衝撃のルールを知りました。野球では当たり前のようにベンチや応援席から聞こえる声、「かっ飛ばせ―(打てー)」,とか「走れ!!」などがテニスでは絶対にしてはいけないというルール。試合中,ベンチにコーチは入れない,試合中に誰も選手と会話をしてはいけない、つまり試合中にアドバイスを受けることができない。一般のお客の応援ですら,「あっちに打て!」とか、「走れ!!」など、プレーに関わる声をかけてはいけないのです。今思うと,昔からプロのテニスの試合をテレビで見ると選手のコーチがスタンドに映っていた。(なんでだろう?とは思ったことはありますが、、)野球をしていた私には考えられないルールでした。野球では,常にお互い声を掛け合い,励ましあい,監督から細かく指示があり,監督のサインで攻撃や守備を行うことが普通です。テニスって,「なんて孤独なスポーツなんだろう。」それが第一印象でした。「孤独に戦う」、「孤独と戦う」そういうスポーツですね。北星のテニス部も頑張っています!!中学生は全国中学校テニス選手権大会(全中)で団体戦、3年連続10回目の出場をしました!!高校生も北海道の苫小牧で行われたインターハイに団体で出場をしました!!これからも頑張ってほしいです!!

そして,テニス部に限らず、これからみなさんは勉強や進路,仕事などなど、色々なことに孤独に考え行動しなければいけないことがあります。1人でも頑張れる強さを持てるといいですね!!

 

 小学生のころから釣りをしていました。もう45年以上していることになります。本格的に釣りを始めたのは北星に勤め始めた30年程前の話です。

 若かった僕は,部活が終わってから夜釣りに行っていました。当然辺りは暗いので明かりが必要です。自分の車にライトを追加して,暗闇でも釣りができるようにしていました。どんどん釣りにはまっていった僕は,とうとう「鮭釣り」を始めました。今では仲間と一緒に鮭釣りにいくのが毎年の楽しみの一つです。

 

 僕は「のんびり竿をだしている」釣りと,「ガンガン攻める」釣りの両方を楽しんでいます。そして,必ず食べるために釣りをしています。ゲームフィッシングはしません。かつて師匠に言われました。「魚からすれば釣られることは命がけなのだから,お前もしっかり魚と向き合え」と…

 それ以来,釣りをするときの2つのルールを決めました。①食べられる魚を食べられる分だけ釣る。②帰るときは釣り場を来たときよりきれいにして帰る。…です。今でもこれを守っていますし,自分の子供たちにも伝えています。

 

 釣りは色々なことを感じさせてくれます。釣れる魚種で季節を感じ,魚と真剣勝負をする。サケ,マス,サバ,イワシ,ホッケ,ハゼ,カレイ,イカ,ニシン,シャコ,カワハギ,サヨリ,ワカサギ…となんでも釣ります。変わり種として,カニ,タコ(もちろんリリースしました)等も釣れたことがありました。周りの方と釣り談義を楽しんだ後は,帰宅して自分の釣った魚を捌き,命をいただきます。命の連鎖に感謝です。

 

タイトルにあるのは僕が登録している釣りチャンネルのオープニングソング(*1)の歌詞の一部です。釣りの動画と,釣った魚を料理する動画がアップされています。魚がさばけるようになったのは,これらの動画を毎日見ていたからだと思います。おかげで,料理の腕は少しあがったかな?子供たちは,自分の釣った魚を刺身にして食べるのを楽しみにしています。

そんなこんなで,釣りに行くと釣れても釣れなくても,僕は気持ちよく帰ってくることができます。

 

だから,釣りは僕を日常の疲れから救ってくれます。今後も続けていきたい趣味の一つです。

 

 

*1 YouTube『釣りよかでしょう。』のオープニング『釣りよかでしょう。のテーマ』シンガーソングライターの頭 勇哉(えがしら ゆうや)さんが手掛けた曲。

 

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