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中学1年生の美術では、夏休み明けから粘土で自分の顔を制作する「自塑像」に取り組みます。その準備として、現在は自分の顔を鏡で見ながら鉛筆によるデッサンを行っています。 

まず大切になるのは、「どのような思いを込めて作品をつくるのか」というテーマです。 

例えば、 

  • 力いっぱい挑戦している顔 
  • 爽やかな気持ちの顔 
  • おいしそうなにおいを嗅いでいる顔 
  • 集中して物事に取り組んでいる顔 

など、表情にはそれぞれの思いや個性が表れます。 

しかし、生徒たちはまず「どのように描けばよいのだろう」と悩みます。顔は単純な形ではなく、目や鼻、口の位置や比率、骨格や筋肉の構造、眼球が収まる眼窩(がんか)などの立体的な仕組みを理解しながら表現しなければなりません。 

顔のパーツの輪郭を描くところまでは比較的順調に進みますが、多くの生徒が苦手とするのが「陰影」の表現です。 

4月にはオリヅルランの鉛筆デッサンを行いました。その際、 

「葉や植木鉢、布の模様をすべて同じ筆圧で描くと平面的に見えてしまう」 

ということを学びました。 

立体感を生み出すためには、濃淡の変化や前後関係を表現することが必要です。この学習を、自画像にも生かしてほしいと思っています。 

例えば顔では、鼻筋から頬骨へ続く面の変化や、眼球とまぶた、おでこの位置関係を表現するために陰影が欠かせません。ただ暗く塗るだけではなく、「どこが手前で、どこが奥にあるのか」という前後関係を考えながら描く必要があります。 

オリヅルランの葉を例にすると、一番手前に見える葉は強い筆圧で描きます。また、一枚の葉の中にも微妙な起伏や前後の位置関係があり、その変化に応じて濃淡をつけます。植木鉢も中央部分は手前に出て見え、左右は奥へ回り込むので、描き方を変えなければなりません。 

顔も同様です。まぶたの中央部分は比較的強く表現され、下まぶたには陰が生まれます。さらに鼻は顔の中で最も前に出ている部分の一つなので、鼻の下には強い陰影や影ができます。上唇の中央部分も左右に比べると立体感があり、それに応じた陰影が必要になります。 

このように、形や構造を理解しながら陰影を描き、その上で自分の思いや表情を作品に込めていくことが大切です。 

また、立体作品にする段階では、正面だけではなく、側面や上から見た形も観察しなければなりません。写真や鏡を活用したり、友達同士で頭部を観察したりしながら、少しずつ粘土で形をつくっていきます。 

制作期間は8月から1月までを予定しています。時間をかけて試行錯誤しながら作品を完成させ、3月には渡り廊下への展示を予定しています。 

生徒一人一人が、自分自身と向き合いながらどのような表情をつくり上げるのか、そして作品にどのような思いを込めるのか、今からとても楽しみです。 

 

突然ですが、皆さんは「キャラ弁」を作ったことがありますか? 我が家には小学4年生の娘がいます。保育園時代からこれまで給食にお世話になりっぱなしで、お弁当を作る機会といえば小学校に入ってからの遠足など年に数回。私が作る定番弁当は「茶色は正義!」と言わんばかりの渋い「のり弁」。親子揃って「お弁当はのり弁が一番美味しいよね」と疑わずに生きてきました。 

そんな我が家に、今年の春、激震が走りました。 春の遠足のわずか2日前、娘が突然こう切り出したのです。 

「お友達と見せ合いっこする約束しちゃった。……スンスンのキャラ弁作って!」 

スンスン!?(最近人気のあのキャラクターです)。これまで海苔を切る作業といえば、のり弁の土台として大胆にちぎるくらいしか経験がありません。しかし、娘がお友達と約束してしまった以上、母のプライドにかけて引くわけにはいきません。すぐに100円ショップへ走り、ピンセットや型抜き、ご飯に色をつける専用ふりかけなどの「キャラ弁便利グッズ」を買い込み、YouTubeで「スンスン キャラ弁 作り方」を検索して研究しました。 

「久しぶりのお弁当だから、全部手作りがいい!」という娘の強い思いに応えるため、母の起床はなんと午前3時。暗闇の中、せっせとおかずを仕上げ、いよいよ本番のキャラ弁作りに突入しました。 

ピンセットを震わせながら海苔やチーズで作ったパーツを配置し、なんとか完成! ……うん、ちょっと動画でお手本として見たスンスンとは顔のパーツのバランスが違う気がしますが、そこは「母の愛」という名のご愛敬。娘は「すごーい!」と大喜びで学校へ向かいました。 帰宅後、「友達からも可愛いって褒められたよ!」と満面の笑みで報告してくれた時は、3時起きの睡魔も吹き飛ぶほどの達成感でした。 

味を占めた娘と、謎の使命感に目覚めた母。 先日の社会見学当日には、早くも第2回キャラ弁大会が開催されました。今回のお題は「たまごっち」。青いスンスンの次は黄色いご飯に挑戦です。 まだたったの2回ですが、今回も早朝からピンセットを握り、気分はすっかりキャラ弁職人です。細かいパーツをピンセットでつまみながら、「すべては娘の笑顔のため……」と奮闘した結果、今回も大成功を収めました。 

最近の私は、娘が夢中になっているキャラクターを「これ、海苔や食材の色で再現できるかな?」と、キャラ弁職人としての視点でチェックするようになってしまいました。そして、キャラ弁なんて無縁だと思っていましたが、大人になってからこうして未経験のことに頭を悩ませ、試行錯誤する「新たな挑戦」は、やってみると意外と楽しく、どこかワクワクしている自分に気づきました。 

子どもが「キャラ弁作って!」なんて頼んでくれる時期は、きっとあっという間に過ぎ去ってしまいます。できることが増えて、どんどん親の手を離れていってしまう子ども。そう考えると、こうして新しい挑戦にワクワクさせてもらいながら、ピンセットと格闘させてもらえる今こそが、実は一番幸せで「いいとき」なのかもしれません。 

 ……と言いつつ、次の遠足はもう少しパーツの少ない、簡単なキャラクターをお題にしてくれないかな、と密かに願う母でした。 

いつも廊下等で出会うと「元気ですか?」と声を掛けてくれる先生がいます。その言葉をもらうと嬉しくていつも以上に元気になります。そう、「元気」って人間にとって本当に大切だなと常日頃感じています。なぜ、そう考えるかというと元気でいると何にでも挑戦できる、頑張れるからです。もちろん食事も美味しいし、仕事もパワフルにできます。当たり前ですが、元気って本当に大切なのです。そんな大切な元気がどこから来るのでしょうか。私の元気の源は「トレーニングジム」にあります。通いだして、はや数年長い期間ジムに通っています。きっかけは、体力増加・ダイエットと色々あったのですが、入会してからは真面目な性分もあって、ひたすら頑張る場所でした。黙々と1人で頑張る時間、それはそれで良かったのですが、ある日、1人で頑張ると笑顔が消え、ジムにいる私は元気でないことに気づきました。そして、1人で頑張るには限界があるし、1人だといつでもサボれます。そんな時、「そうだ!お友達を作って元気にジム活をしよう」って沸々と思うようになりました。思うと願いは叶うもので、あっという間に気の合う仲間たちが私にも出来ました。ジムでの情報交換やお茶に行ったり、食事に行ったり。時には、お揃いのウエアを購入して、一緒にフロアに並んで、再々青春を楽しんでいます。たくさんの仲間が出来ると1人で頑張ってた時以上に効果は抜群!元気はやる気をパワーアップしてくれます。改めて元気って1人で作れるものではないのだと学ぶ日々です。やっぱり、人間って1人では生きられない生き物で元気人間同士のつながりの中で得られることが多いものですねみなさんの「元気の源」は何ですか元気は世界を明るくしてくれますよ。 

 本校には現在,11名の教育実習生が訪れ,生徒と共に学校生活を送っています。教員よりも 

接しやすく優しいお姉さんの存在に生徒たちも喜び,いつも以上に校舎には元気や明るさが溢れている気がします。また実習生が生徒のために奮闘している姿を見て,私にもこんなフレッシュなときがあったなぁ,と懐かしい気持ちにもなります。 

 当たり前ですが,私も教育実習を行いました。実習が始まる1ヶ月ほど前に学校(母校の高校)に連絡をし,指導教官や担当する学年などを尋ねました。教官は高1,3年時の担任で実習時は高3の担任そして,担当している授業は高3の物理(週14時間),高2の物理基礎(週2時間)でした。つまり,私の実習の主な相手は高3です。夏休み前とはいえ,大学受験を控えた生徒たちの貴重な3週間を教育実習させていただくことになると知り,身の引き締まる思いでした。そこから1ヶ月,できる限りの準備を行い,教育実習に臨みました。 

 そしていよいよ始まった3週間の教育実習。教員の仕事を実際に体験してみて,準備をしていて良かったと感じたと同時に,全く準備が足りないことも痛感させられました。特に,実習2週目から授業実習をさせてもらってからは,やればやるほど自分の至らなさを感じ,打ちひしがれる暇もなく,ひたすら反省をし,次の授業の活かす,ということの繰り返しでした。週16時間の授業というと,空き時間もありそうですが,授業準備だけではなく,提出物の確認や日誌のチェックなど他の仕事もその時間でこなさなければならない,という考えてみれば当たり前のことを体感しました。教員のリアルな日常を体験できたのは,教員志望の私にとって,非常に大きな学びとなりました。疲弊しているけれど,目の前に生徒がいるのだから,授業をしない・できないというわけにはいかない。最後は,気力を振り絞って,教育実習を走り抜けました。 

 来週以降には研究授業もあり,教育実習生の皆さんは今が疲れのピークかもしれません。しかし,これを乗り切り,「やりきった!」という気持ちで教育実習を終えることができれば,この数週間はかけがえのない素敵な思い出として昇華されます。残りの実習期間も臆せず様々なことにチャレンジし,多くを学んでいってくれることを願っています。 

好きなことを話していいということだったので、私の第二の故郷沖縄での経験を紹介しようと思う。第2の故郷というだけあって、私の沖縄愛はなかなか年季の入ったものである。だが、観光客が行くような高級ホテルやおしゃれなカフェなどは残念ながら知らない。ただ、どこの岬に行けば満点の星空が見れるとか、どのタコス屋さんのソースがおいしくてボリュームがあるとか、不定休だけど絶品の沖縄そばが食べられる店といった実にマイナーな情報しか知らない。そんな沖縄偏愛が始まったきっかけを語りたい。 

私が沖縄に行った理由は、大学進学時に冬に雪が降らない地域に住みたい!という単純な理由からだった。私が大学を卒業したころにNHK朝ドラ「ちゅらさん」が放映され、沖縄が大ブレイクしたので、その後北海道から沖縄に来る人は増えたようだが、私が大学在籍中は「あの北海道から来たとか「雪のように色の白い(盛り過ぎか?)」学生といえば私のことだと分かるくらい北海道出身者は少なかった。今のようにインターネットなど普及していないなか、何かを知りたければ本を調べるか人に聞くしかなかった時代。正直、地元のことを知るには、本を調べるよりも地元の人と話すほうが早かったし、実際楽しくもあった会話の基本は挨拶!そう信じて、私は人に挨拶することを始めた。毎朝アパート前を掃除する大家さんにも、「おはようございます」と挨拶をしていたそのうち大家さんから今はどこのガソリンスタンドが安いとかどこそこの魚てんぷらがおいしいだとか色んな情報を手に入れた。私は、その情報を大学の友達に伝え、実際に友達と出かけたりして友達の輪もどんどん広がった。ある日、大家さんから「海側の部屋が空いたけど、使うかい?」と声をかけられた。私の部屋はアパートの4階で残念なことに海側の景色が見えない山側(崖みたいな景色が広がっていたの)だったのだが、北海道から来た大学生に海側の(しかも沖縄の海!の)景色のいい部屋を使ってもらおうと申し出てくれたのだ。小さな挨拶から始まった人間関係だが、最終的に大きなつながりになっていくものだと感じた沖縄での学生生活では挨拶をしっかりとすること、感謝の言葉を伝えること、そうすることで広がる人間関係を学んだ。私の愛する沖縄の名所は、そういった人達から伝え聞いた場所が多いかもしれない。インターネットで得られる情報とはまた違う、人を介して知ることのできた場所が私の大切な場所となっている。 

昨今、知らない人と話すことは危険な世の中かもしれない。でも、礼節のない世の中は生きづらい。そんななか、北星女子で過ごす私のお気に入りの習慣は、どの生徒も気さくに挨拶してくれることである。通り過ぎる時「おはようございます」「こんにちは」という挨拶を交わすたびに、毎日気分良く過ごすことができている彼女たちの笑顔と挨拶がこれからの彼女たちの世界をどんどん広げていくことは間違いない 

強歩会のために私たちが集まった朝は、心地よい涼しさに恵まれました。過去にはとても暑い日もありましたから、この天気には本当に助けられました。風も強すぎず、雨の心配もありません。歩くには、これ以上ない一日でした。 

出発した瞬間から、いつもとは違う空気が流れていました。教員も生徒も、制服や学校でのいつもの姿から少し離れ、いつもとは違う表情を見せていました。するとすぐに、普段の教室では見えにくい、一人ひとりの個性が少しずつ見えてきました。鮮やかな色合いの服、お気に入りの帽子、履き慣れたスニーカー。誰もがいつもより少しだけ、自分らしくいられているようでした。 

私たちは東札幌の街並みを抜け、サイクリングロードへと踏み出しました。目指すはエスコンフィールド。長い一列になって進むその道のりは、決して競争ではなく、全員で挑む「自分自身への挑戦」です。私は列の後ろの方を歩いていたので、朝が進むにつれて3つの学年すべての生徒たちの間を行き来することになり、彼女たちがどこを歩いていても、声をかけて話をする機会に恵まれました。 

最初、会話はとても気軽なものでした。「一番好きなお菓子は何?」「歩きながら何を見ているの?」といった具合です。「私はね、花や木を見ているよ。今、季節のどのあたりにいるのかを感じるのが好きなんだ。それから、家々を眺めながら、その中ではどんな暮らしがあるのかなって想像したりするよ」と私は話しました。生徒たちにもそれぞれの答えや理由があり、それを聞くのがとても心地よい時間でした。 

4、5キロほど進むと、みんな自分なりのリズムを掴んできました。外の空気と、机から離れた解放感もあって、にぎやかに盛り上がっているグループもあれば、お菓子を食べたり、お気に入りのプレイリストをシェアしたりしながら、一歩一歩着実に進んでいるグループもありました。しかし、あちこちで、足取りが重くなり始めている生徒たちの姿が目に入ってきました。それは痛みのせいではなく、言葉にするのが少し難しい、何か別の理由のようでした。歩くペースが落ち、自分の内側に閉じこもるような表情。気持ちの面で限界を迎えつつあるように見える生徒を見つけると、私は歩調を緩め、しばらく彼女たちの隣を一緒に歩きました。 

「調子はどう?」 

「もう限界です……」 

「足が痛むの?」 

「いえ、足は大丈夫です」 

「それなら、何が辛いのかな?」 

「20キロは遠すぎます」 

あの朝、私は何人もの生徒とこれによく似た会話を交わしました。途中のやりとりはそれぞれ違っていましたが、始まりと終わりはいつも同じでした。 

「あの先の桜の木、見える? あそこまでなら歩けそう?」 

「はい」 

「よかった。じゃあ、まずはあの桜の木まで歩こう。あそこに着いたら、今度はまた次に見える近くの目印を探すの。そうやって細かく分けていけば、きっとできるよ。20キロという道のりすべてを、一度に頭の中で抱え込む必要なんてないんだから。やってみない?」 

「はい、やってみます」 

誤解のないように言っておきますが、この考え方はその場でパッと思いついたものではありません。数年前、あるポッドキャストで耳にした、大きな目標を目に見える小さなステップに分けるというシンプルな原則でした。 

ただ、この強歩会の中で気づかされたのは、彼女たちがそれを必要としていたのは、身体的に苦しんでいたからではないということでした。ただ、心が圧倒されてしまっていたのです。足は大丈夫でした。重荷になっていたのは、頭の中から離れない「20キロ」という数字そのものだったのです。 

歩きながら、生徒たちと話し続ける中で、私はこの強歩会でいつも感じるのに、つい忘れてしまいがちな、ある感覚を思い出しました。それは、自分がどんどん元気をもらっている、ということです。長い距離を歩いているのに元気が出たのではなく、道中での彼女たちとの会話があったからこそ、私の中に新たなエネルギーが湧いてきたのです。私たちは、一度にすべての道を歩ききる必要はありません。ただ、すでに目に入っている次のポイント、つまりあの桜の木を見つけて、そこまで歩けばいいのです。できれば、友だちと一緒に。 

 

その日の午後、学校へ戻るバスの中で、私は話をした生徒たちのことをずっと考えていました。問題なく歩けていた生徒たちのことではなく、距離の長さに圧倒されてしまっていた生徒たちのことです。彼女たちに必要だったのは、気合の入った励ましではありませんでした。頭の中の「20キロ」という重荷を一度おろし、ただ目の前にあるものだけに目を向けられるよう、そっと手助けしてくれる誰かだったのです。 

そのことは、普段の生徒たちとの関わりにもつながっているように感じます。あふれる情報やノイズの中で、「自分らしさ」を見つけようとしている生徒にとっての「桜の木」とは、一体何なのだろうか、と。 

彼女たちのペースが落ちた瞬間に気づけるほど近くに寄り添いながらも、本人が自分で次の一歩を見つける前に、大人が先回りして問題を解決してしまわないこと。そんな風に、彼女たちの「伴走者」として共に歩むとは、一体どのような姿なのでしょうか。 

私にもこれらの問いに対する答えがすべて分かっているわけではありません。ただ、この強歩会が教えてくれたことが一つあります。それは、こうした重荷は、一人で抱え込まないとき、ずっと軽くなるということです。 

今年、私は北星の生徒たちが育っていく世界(テクノロジー、友人関係、プレッシャー、そしてあふれる情報やノイズ)について、そして彼女たちの人生に関わる大人として、どう寄り添っていけるのかを深く考えています。私にも完全な答えがあるわけではありません。でも、こうした問いは、一人で抱えるより、誰かと一緒に持ち歩く方がいい。皆さまと一緒に、この道を歩いていけたらと思っています。  

もし皆さまも同じように感じていらっしゃるなら、ぜひ一緒に考えていただけませんか。6月10日(水)に、在校生のご家族を対象とした「コーヒーアワー」を開催します。私たちが日々何に気づき、何を悩み、何と向き合っているのかを、ざっくばらんに語り合う場です。決まった議題も、簡単な答えもありません。ただ、この道のりを、ほんの少しでも一緒に歩いてみませんか。 

会場でお会いできるのを楽しみにしています。 

 

 

The Next Cherry Tree 

The morning was pleasantly cool as we gathered for the Long Walk. We’ve had some hot days for this walk in the past, so the weather came as a relief — cool without too much wind, no threat of rain. A perfect day to walk. 

You could tell from the moment we set out. Teachers and students alike were free from the uniforms and carefully polished appearances we tend to cultivate at school. The effect was immediate — personalities emerged that you don’t always see in the classroom: bright colors, favorite hats, worn-in sneakers — everyone a little more themselves. 

We set out along the streets of Higashi Sapporo toward the Cycling Road, walking in a long line toward Escon Field — not as a race, but as a personal challenge, faced together. I walked toward the back of the group, which meant I passed through all three grade levels as the morning went on, and had a chance to talk with students wherever they were. 

The conversations were easy at first. What’s your favorite snack? What do you look at while you’re walking? I look at the flowers and trees, I told them — I notice where we are in the season. I look at the houses and imagine what life might feel like from inside them. The students had their own answers, their own reasons, and I liked hearing them. 

After four or five kilometers, we had all found a rhythm. Some groups were exuberant, buoyed by the open air and the day off from desks. Others were moving steadily, fueled by snacks and shared playlists. But here and there, I noticed feet beginning to drag — not from pain, but from something harder to name. A slowing of the pace. A face turned inward. 

When I found students whose feet seemed to have lost the bounce in their step, I slowed down and walked with them for a while. 

“How are you doing?” 

“Already exhausted.” 

“Do your legs hurt?” 

“No. They’re fine.” 

“What is it, then?” 

“20 km is too far.” 

I had this conversation — or something close to it — with more than one student that morning. The middle was different each time, but the beginning and end were always the same. 

“Do you see that cherry tree up ahead? Can you walk that far?” 

“Yes.” 

“Good. Walk to that cherry tree, and when you get there, find something else in the distance that’s not too far. If you break it down, you can do it. We don’t have to hold the whole 20 km in our minds at once. Can you do that?” 

“Yes, I can.” 

I should say — this idea didn’t come to me on the spot. I’d heard it on a podcast a couple of years ago, a simple principle about breaking big goals into visible steps. What came to me on the walk was that these students didn’t need it because they were physically struggling. They needed it because they were overwhelmed by the idea of the distance. Their legs were fine. It was the 20 kilometers living in their heads that was too heavy to carry. 

I kept walking, kept talking, found my way through all three grade levels and back again. And somewhere in the middle of it all, I felt something that I always feel on this walk but sometimes forget to expect: I was energized. Not despite the long distance, but because of the conversations along the way. The reminder, given back to me by the students themselves, of how to approach something that feels too big to hold. 

We don’t need to walk the whole road at once. We just need to find the next point, one that is already in our sights, and walk as far as that cherry tree. Preferably with a friend. 

 

On the bus back to school that afternoon, I kept thinking about the students I’d talked with — not the ones who were fine, but the ones who were overwhelmed by the thought of the distance. What they needed wasn’t a pep talk. It was someone to help them put down the weight of the whole 20 kilometers and just look at what was right in front of them. 

I find myself thinking about that in my work with students more broadly, and I find myself wondering: what is the cherry tree for a student who is trying to figure out who she is in a world full of noise? What does it look like to walk alongside her — close enough to notice when the pace is slowing, without rushing ahead to fix things before she’s had a chance to find her footing? 

I don’t have those questions worked out. But there is one thing the walk reminded me of: these things are lighter when you don’t carry them alone. 

This year I’ve been thinking a lot about the world today’s students are growing up in — the technology, the friendships, the pressure, the noise — and how we as the adults in their lives can walk alongside them well. I don’t have complete answers, but I’d rather sit with those questions in good company than carry them alone. 

If you feel the same way, I’d love to have you join us. On Wednesday, June 10, we’re hosting a Coffee with the Principal gathering for current families — an open conversation about what we’re all noticing, wondering, and sitting with. No set agenda, no easy answers. Just a chance to walk a little of this road together. 

I hope to see you there. 

 

みなさん付箋、使ってますよね?

私はポストイットという名前で先に知ったので、正直付箋よりもこちらの方がなじみ深いのですが、最近その誕生にまつわるエピソードを偶然耳にしました。キリスト教とも微妙に関わっていたようなので、ここで紹介するのもいいかと思った次第です。

ただ少し心配だったのは有名な話らしいので、ご存じの方が多いかもしれないということでした。ですが、私のように知らない者にとっては興味深い話と思われましたので、ご存じない方は、よろしければお付き合いください。

このポストイットはアメリカのあるメーカーから生まれたものですが、始めからああいう文房具を作ろうとしたわけではなかったそうです。始めにできたのは、付箋とただのメモ用紙を分ける、貼れるけどきれいに剥がせるあの接着剤。元々は強力な接着剤を作る過程の、偶然の副産物でした。当初の目的からは失敗作とも言えますが、開発者のシルバーさんは、この特殊な接着剤には使い道がきっとある、と考え、それ以降、活用のアイデアを周囲に粘り強く聞き続けたのです。

それから6年後の 1974 年。シルバーさんの同僚フライさんは、教会で歌う予定の賛美歌に、しおり代わりの紙を挟んでいました。それがふと落ちてしまい、毎度のことながら剥がれなければいいのに、と思ったそのとき、シルバーさんの接着剤が頭に浮かびました。

ここから2人は開発を始め、紆余曲折を経ながら1980年に正式に販売されました。日本でも翌 81 年から売り出され、今やどれだけ日常に溶け込んだかは言うまでもありません。

シルバーさんは失敗作の使い道を問い続けました。答えが得られる保証はありません。しかし問い続けた結果、6 年という長い歳月を経て、答えを得ました。しかし、その答えは同僚であるフライさんが見つけてくれたものでした。ですが、フライさんが答えを見つけたのは、シルバーさんの話があってこそ。

シルバーさんは問いを分かち合うことで答えを見つけ、フライさんはシルバーさんの問いから物は落ちるという常識を放置せず、落ちるしおりを解決できる課題と見いだしました。

この話は 2 人の持つ様々なものがかみ合い、幸福な結末を迎えました。そこにはもちろん偶然が引き寄せた要素も多分に含まれるのでしょうが、その偶然を偶然として済ませなかった多くのなにかがあるように感じました。みなさんはいかがでしょうか。

私には趣味がありません。自己紹介では毎回何を言うか苦労していて、趣味は「片付け・整理整頓・断捨離」と言っています。今年、学校パンフレットのTeacher’s Voiceのページに載せていただきましたが、みなさんが趣味のもの、ラケット、地球儀や楽器を持って写っていた中、私はほうきを持って撮影していただきました。そんな無趣味の私ですが、年に1回は国内旅行でリフレッシュするようにしています。
ある日、携帯電話に入っているメールや写真の整理をしようと思って見てみると、旅行の写真がほとんどありませんでした。そもそも旅行先で写真を撮ってこなかったのです。自分って、写真を撮って思い出に残すとか考えないタイプなんだな・・・と思っていたころ、偶然にも高校生用の英語の教材で「写真を撮ることで、かえってその場の記憶が薄れてしまう」という内容の読解問題を見つけました。興味が湧き、さらに詳しく調べると、アメリカの心理学者であるリンダ・ヘンケル氏の研究で「写真撮影減殺効果」というものでした。記録することに集中しすぎると、体験自体への注意が散漫になり、撮影しなかった場合よりも詳細を覚えていないという結果が研究で報告されているそうです。 
確かに、写真に残っていなくても、私は行った先々で見たものや食べたもの、印象に残っていることを結構覚えており、一緒に行った人たちと「〇〇楽しかったね」「△△美味しかったね」という話は何年経っても会う度に繰り返しています。京都の二条城に行った際の歩くたびに「キュッ、キュッ」と音が鳴る「うぐいす張り」は今でも音を覚えており、和歌山のアドベンチャーワールドでパンダを見た際、暑い日だったので、パンダが暮らしている建物のひんやりした金属のポールに足をくっつけてずーっと寝ている姿を観察して、笹を食べているパンダが見られると思っていたのにイメージと違う!と今でも光景が目に焼き付いています。
旅先では調べものや記録用に携帯電話は必須かもしれません。でも、あえて写真を撮らず、自分の「目」を「カメラ」にして旅を楽しむのはいかがでしょうか?

今年に入り,アメリカとイスラエルがイランを攻撃したというニュースが流れてきました。今もなお対立が続いていると毎日のように報道されています。昔から社会は苦手教科だったので,報道をみてもなぜ攻撃しないといけない状況だったのか,何が目的で何がゴールかわからずにみていました。遠い国の争いなので,早く終わればいいのにな程度の関心しかありませんでした。 

しかし,この遠い国の争いが自分たちの生活にもどんどん影響が出てきています。まずスタートはガソリン価格の高騰でした。そしてその他の石油関連商品も値上がり始めました。このことが起こるまでは,どれが石油関連なのかも知らずに使っていたものも多くあり,アスファルトや日焼け止め,塗料にも含まれているそうです。宣伝になってしまいますが,昨年度のSTEAM活動で百周年記念館のペーパークラフトを広島の企業YumaYumacraftさんと制作を行ってきていましたが,ようやく4月にデータを完成させることができ,いよいよ印刷作業に入る!というときに,先方からインクの高騰で,費用が挙がってしまいましたと連絡が入りました。こちらの準備が遅かったのが原因ですが,これが価格高騰につながってくるのだなと実感した瞬間でした。何とか印刷スケジュールも決まり,あとは完成を待つだけです。6月には記念館のペーパークラフト発売開始になりますので,ぜひ購入をお願いします。 

3月のことでした。年度末ということもあって、中学校の先生たちのお疲れ様会がありました。1件目も2件目のお店も楽しくお話をして、おいしくご飯食べて、夜もいい時間になっていました。3人の先生と一緒に三件目に行くことになりました。楽しく話をしていると時計の針はいつの間にか午前0時近くになっていました。地下鉄の終電もなくなる時間です。僕は妻に連絡をして、車での迎えをお願いしました。深夜にもかかわらず、迎えに来てくれ、僕の家と同じ方向の2人の先生たちを少し遠回りして送ってくれました。家に帰ったのは深夜1時半。僕は心から感謝した、はずでした。

さて、次の日のこと。今度は妻が職場の食事会に出かける番でした。「今日は2件目行って帰るから、そんなに遅くならないと思う」。昨日、あんなに遅い時間に迎えに来てもらったわけですから、「おし今日は自分の番だ」と思っていたのです。

午後11時頃に妻からラインがきました。「ごめん、3件目に行くことになってしまった」。僕はソファに座ってテレビを観ながら、「大丈夫、起きて待ってるから」と返信しました。

ところがです。午前0時を過ぎた頃、僕は強烈な眠気に襲われたのです。皆さんも、テスト勉強をしなきゃいけないのに吸い込まれるようにまぶたが重くなる、あの感覚です。「ああ寝たらアカンアカン」。そう思いつつ、寝てしまったのです。

「ガチャガチャ……!」

その音で飛び起きました。妻がリビングのドアから入ってきたんです。一瞬何が起きているのかわかりませんでした。 「ちょっと!なんで話に出へんのよ!」

そう言われてスマホを見ると、着信履歴がずらりと並んでいます。一時間ぐらい僕は寝てしまっていたようです。時間は午前1時。

「なんで寝るんよ」

「いや、だって眠かったから」

「眠かったって、わたし昨日何時に迎えに行ったと思ってんの?」

そうですよね。自分はなんて身勝手な人間なのかとその時に思いました。

昨日の夜、あんなに感謝していたはずなのに。今日は自分が絶対に迎えに

いくと心に決めていたのに、彼女の期待を裏切ってしまったのです。

皆さんは、「私は絶対に友達や大切な人を裏切らない」と思っているかもしれません。でも、人間というのは、どんなに「こういう自分でいたい」と願っていても、いざその場に立たされると、自分の弱さに負けてしまうことがあります。

今日はイースターです。イエス・キリストが十字架にはりつけにされて死んだ日から、3日目に復活したことをお祝いする日です。イエスが逮捕されて、復活するまでの一連の物語が聖書に描かれています。

イエスには12人の弟子がいました。そのリーダーだったのペトロです。誰よりも熱い心の持ち主でした。イエスが逮捕される直前、彼は「たとえ一緒に死ぬことになっても、あなたのことを知らないなんて絶対に言いません」と誓いました。彼は本気だったでしょう。しかし、イエスは静かに言いました。「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」 その後、イエスが逮捕された時、11人の弟子たちは恐くなって、みんな逃げてしまいます。ペトロだけは勇気を振り絞って、こっそりと裁判所の庭までついていきました。庭にいると、周りの人から「お前も仲間だろう」と疑われます。「仲間だと認めれば自分も殺される」という恐怖から、思わず「あんな人は知らない!」と嘘をついてしまったんです。その後も問い詰められるたびに否定し続け、三度目に「知らない」と言った瞬間、「コケコッコー」と鶏の声が響きました。

ペトロはハッとします。自分は命を守るために大切な人を見捨てしまった、裏切ってしまった。彼は自分の情けなさに打ちひしがれ、外へ飛び出して激しく泣きました。僕はこの聖書の箇所を読む度に、自分の姿がペトロに重なります。他人事とは思えません。

イエスが十字架につけられて亡くなった後、ペトロの心は後悔でいっぱいだったはずです。ところが三日目の朝、葬られたはずのイエスが復活し、彼らの前に現れたのです。

その時、僕だったら、「怒られる」とまず思うでしょうね。でも、復活したイエスが弟子たちに最初にかけた言葉は「平和があるように、おはよう」でした。いつもと変わらない言葉。

イエスはペトロたちを責めるどころか、共に食事をし、もう一度彼を信頼して、新しい仕事を任せたのです。ペトロはそこでこう思ったはずです。

「自分はこんなにも弱くて、情けない人間だけど、ゆるされているのだ。」

イースターに起きた「復活」とは、単に死んだ人が生き返ったという魔法のような話ではありません。「わたしは弱くて情けなくて、人を裏切ってしまうような人間で、裏切ったという事実は消えないけれども、神はわたしたちをゆるして、何度でもやり直させてくれる」ということが弟子たちに知らされた日、それがイースターの日です。

わたしたちは生きていると、「あの人が許せない」と思うことがあるかもしれません。でも、その時に思い出したいのです。わたしだって、弱さや情けなさをたくさんもっている。それでもゆるされて、この世界を生かされているのだ。

今、世界ではイランとアメリカ、イスラエル、ロシアとウクライナなどで、「絶対に許せない」という怒りや憎しみが争いを生んでいます。その連鎖を断ち切るヒントは、わたしたちの日常にあるはずです。自分は完璧ではなく、ゆるされているからこそ、誰かをゆるす努力をしてみる。そこから始めていきましょう。

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