検索 OPEN/CLOSE

校長・教員ブログ

校長・教員ブログ

今から20年以上前の話。「結婚して良かったことは?」と生徒に聞かれ、「卵焼きを失敗せずに作れるようになったこと」と答えました。私の父はあまり卵焼きが好きではなかったので、実家暮らしの中で卵焼きにお目にかかるのは運動会の時くらい、あえて作る機会もありませんでした。ところが、夫は大の卵好き、加えて娘が三歳になると毎日のお弁当作りが始まり、自然、卵焼きを作る機会が増えていきます。

 

卵焼きは基本料理の一つですが、きれいに仕上げるのは意外に難しいものです。フライパンとの相性や油の加減もあり、何度卵焼きからスクランブルエッグへの変更を迫られたことでしょう。ぐちゃぐちゃ、ボロボロになって気持ちも荒む・・・元来不器用なので、苦手意識があります。しかし、作り続けていくうちに、「上手くいかない!」と思ってもなんとかかんとか、最終的には卵焼きの形に持って行くことができるようになりました。『継続は力なり』。習い事も部活動も長く続かなかった私にとって、卵焼きが上手に焼けるようになったことは、繰り返してやること、継続してやることの大切さを実感させてくれました。

 

今年5月のある朝、娘のお弁当にいれる卵焼きを作りながら、ふと「私って何回卵焼き焼いたかなぁ?100回?いやいやそんなもんじゃないか⁉」「いろんなアレンジしたけれど、結局定番の数パターンに落ち着くのねぇ~」。回想にふけってフライパンを見ると、あらら!!まとまらない・・・ここからは集中してなんとか挽回、無事にお弁当箱に収まりましたが、『慢心は人間の最大の敵』!何事も気持ち半分ではうまくいかないもの、集中しないとね。

 

卵焼き作りは人生の教訓にもつながることを教えてくれます。日常の些細なことからこそ、学ぶことは多いのかもしれません。今でも「料亭のよう・・・」とまではいえない我が家の卵焼きですが、娘たちにとっては「一番おいしい卵焼き」として、毎日のお弁当を支えてきました。そんなお弁当作りも次の3月で一旦終了の予定。どうやら、私にとっての「卵焼き」に替わるものを、探す時がきたようです。

 

1歳になって8日目、私の娘は人生の、初めの1歩を踏み出した。ああ、ついに歩けるようになったんだなあとか、ついこの前まで仰向けに寝っ転がっていることしかできなかったのになあ、とか色々考えたけれども、私は理科の教員なので、少し科学的に分析してみたいと思う。

 

彼女が歩くときの様子を観察した。まず地面に手をついて、お尻を上げてから頭を持ち上げ、上体を起こして立つ。ここからずっとぐらぐらしている。頭が重たいので、胸当たりに重心がある。前を見据え、右足を踏み出して、しばらくそのまま揺れて、次に左足ではなくまた右足を踏み出すこともある。右、左、と順番に足を出す無意識は、生まれた時から脳にプログラムされているものではないらしい。両手はパーのまま、顔の高さあたりで広げて、バランスを取っている。2歩から5歩ほど前に進み、バランスを崩して前に転ぶ。転んだショックよりも歩けた嬉しさが勝るのか、両手を前についたまま顔はニコニコしている。しばらくして、お尻を上げ、頭を持ち上げ上体を起こしてまた立ち上がる。

これを、彼女がほかのことに興味をうつすまで、もしくは疲れて立ち上がれなくなるまで飽きることなく繰り返す。

 

「歩く」ということは、意外と複雑な動きからなっている。私たちは普段まったく意識せずに、カバンを肩にかけながら歩いてみたり、少し早足になってみたり、顔を上げ空を見ながら歩いてみたり、信号でふいに止まってみたりするが、そこには非常にたくさんの要素が含まれる。ただまっすぐ歩くだけでも、右足を出して、体重をその上に移動し、地面に右足を付ける。勢いにのせて、同時に左足を出す。またその上に体重を移動する。地面に左足を付ける。また、右足を出すと同時に左腕を前に出す。反対の腕は後ろへ。足がついたら、両腕を反対向きに動かす。

簡単に分けても、これだけの動作を含んでいる。これらはいちいち考えているわけではない。いちいち考えながら動くと、動作がロボットのように、とても不自然になる。

 

私が大学3年生の時、基礎実験の時間にロボットのプログラミングと、動きのシミュレーションの実験をした。一人一台の、身長30 cmくらいのヒト型ロボットを組み立て、プログラムを打ちこみ、ロボットに転送してプログラム通りにロボットを動かす。手を上げる、立ち上がる、片足で立つ、床に座る、歩く、など人間が簡単にできる動作が課題とされていたが、これが本当に難しかった。特に歩くことは、私も含めクラスのほとんどの学生が時間内にできなかった。足をつくタイミングと、もう片方の足を持ち上げるタイミングが少しずれるだけでもロボットは転ぶ。また、足を上げる角度が大きすぎたり小さすぎたりしても、ロボットはつまずいて転ぶ。腕の振りが小さすぎると、足を上げるたびにロボットが回転してしまう。

「歩く」というたったそれだけのプログラムは、たしか100行を優に超えていた。当時、すでに割とスムーズに歩行することができていたASIMOは、どれほど緻密で繊細なプログラムを組まれ、どれほど気が遠くなるような回数の試行を繰り返したのだろうかと感服した記憶がある。

 

しかし、技術の革新は本当にすごいもので、もはやバク転やパルクールまで軽々とこなす二足歩行のロボットができている。「ロボットのような、とても不自然な歩行」は今となっては過去のもので、歩行や走行も実にスムーズ、服を着せてマネキンの顔でもはめたら普通の人間と遜色がないくらい、自然な動作をする。

近年、二足歩行ロボット以外にも、非常に高い段差を越えられたり、でこぼこの経路も進めたりする、災害救助などへの応用が期待される四足歩行ロボットや、人間の筋力を高めるパワースーツのようなロボットなど様々なロボットが開発されている。人間が簡単にできることがロボットにできない分、ロボットにしかできないことやロボットが人間の何倍も活躍できることがたくさんある。今後もいろいろなロボットが開発されて、私たちの身の回りでも利用されていくだろうし、ひょっとすると卒業生でも、これらの開発に携わる人が出てくるかもしれない。

 

娘のたどたどしい歩行を見ながらそんなことを考えていると、真鍋叔郎氏のノーベル物理学賞受賞のニュースが耳に飛び込んできた。研究者が熱意を失わない限り、科学の発展は続く。新しい時代を生きていく世代が、希望に満ちた人生を歩めますように。

「あの麒麟はこれですよ」と橋の上をカメラ片手にウロウロしている私に白髪の紳士が銅像を指さして教えてくれました。あの麒麟とは何のことかわかりますか?

そう、それは東野圭吾の小説「麒麟の翼」に出てくる麒麟のことです。加賀恭一郎シリーズのほとんどは映画化されているので知っている人も多いと思いますが、そのシリーズの「麒麟の翼」です。私がもっとも好きなシリーズです。

 では、「この麒麟」は、一体全体どこにいるのでしょうか?

答えは「日本橋」です。日本橋の高欄中央部にある青銅製の照明灯を飾っているのが麒麟の像なのです。麒麟とは、中国神話に現れる伝説上の動物で、外見は鹿に似ていて、顔は龍に似ていて、牛の尾と馬の蹄を持ち角が生えているそうです。あくまでも想像上ではありますが。ただ日本橋の麒麟は、「翼が生えている」日本橋オリジナルの特徴を持っています。日本橋は、日本中の道路の起点でもあり、「日本橋から飛び立つ」という意味を込めて翼が付けられたと言われています。まさしく、その思いが叶うような勇ましさにあふれています。

Picture1

 

 

 

 

 

 

 

さて、話しは変わりますが、我が家では東京に出かけることが本当に多いです。どこに行くにも必ずと言っていいほど東京経由で行きます。東京に寄ってから国内外に出かけていきます。なぜ東京経由なのかと言うと、日本橋周辺のお気に入りのお店に立ち寄るのが目的です。では、どんな目的があるのか・・・それは、それは美味しいものを食べるためです。美味しものを食べると幸せになりますよね?だから日本橋に行くのです。ここには美味しいものがたくさんありますが、まずは「榮太樓總本舗」で団子をたべます。日本橋のすぐそばにある文政元年から続く老舗和菓子店は、宝石店のようにガラスケースに団子たちが上品に並べてあります。その中でも鰹節がたっぷりかかったみたらし団子は絶品。しかもボリュームたっぷり。1本で満足の一品です。もちろん店内で食べることが出来るのでお茶と一緒にゆっくり団子を堪能できます。帰りは必ず缶入りのお馴染みの榮太樓飴をお土産に購入します。この缶には歌川広重の浮世絵の江戸時代の日本橋が描かれています。食べ終えると奇麗に洗って小物を入れて大切に使っています。そして、もう一つのお楽しみは、「あなご専門店 玉ゐ」で穴子を食べることです。店の周辺には、白い煙と共に穴子のいい匂いが充満していて、近くに来ただけで食欲がわきます。日本橋の本店は、日本家屋の実に味のある建物で客足が途絶えることはなく、いつ行っても賑やかな店内です。穴子料理も絶品ですが、店員さんたちの丁寧な接客が料理をさらに美味しくしてくれます。そして、締めは、焼いた穴子の骨からとった特製のお出汁を注いだお茶漬けです。これで大満足、幸せな気持ちでいっぱいになります。そして、どちらのお店も出たら日本橋が見えます。1603年に木造の橋から石造りの二重二連のアーチ橋となるまでは、火事で焼け落ちるなどして何度も架け替えられました。現在の日本橋は20代目のようです。この長い年月を数えきれないほどのたくさんの人たちが往来してきたことを考えるだけでもワクワクします。私のように美味しものを食べるために日本橋周辺を散歩する人も少なからずともいるのでしょうね。以前のように、自由に旅行が出来るようになったら日本橋周辺を探検することもおススメですよ。その時は、日本史もちょっぴり勉強していると面白さが倍増します。こちらも合わせておススメです。

先週、誕生日がきた。授業中に「おめでとう~!」と生徒が言ってくれたので、大きな声で「ありがとう~。55才になりました!これからもGOGO!って感じです。」と元気よく言ったら、シーンと静まり返った・・。よくある空回り・・・。

宮崎駿の『風の谷のナウシカ』がヒットしたのは高校時代だった。ナウシカというカタカナ表記に、ナウマンゾウとシカがオーバーラップ、得体のしれない映画に思えて気持ちが向かわなかった。教員になってすぐ、たまたま見る機会があり、風を操るナウシカの真っすぐで清らかな在り方にすっかりとりこになった。

「風の谷」のモデルになった谷がパキスタンにあると知ったのはつい最近(といっても10年ぐらい前)のこと。どんなところなんだろう・・・と、ある夏行ってみることにした。

パキスタン北部の山岳地帯にあるフンザは人口15000人ほどの小さな村だ。トレッキング目的の旅行者やバックパッカーが訪れる、知る人ぞ知る観光地。急峻な山脈を縫うようにフンザ川が流れ、「風の谷」を形成していた。夕暮れ時にゲストハウスの窓から見えた「風の谷」は、うす紫色に染まった空に、白い小さな月が浮かび、ただただ美しくて涙がこぼれた。

翌日、4-5キロ離れた市場まで行ってみようと思ったが、路線バスもタクシーもない。現地のパキスタン人にきくと、「SUZUKIに乗れ~」と。鈴木?日本人と悟られて、からかわれてるのかと思ったが、パキスタンでは乗り合いバスのことを「SUZUKI」と呼んでいるそう。バス停はない。道端で手を上げたら止まってくれて市場まで乗せてくれるミニバンのこと。ちなみにメーカーはSUZUKIとは限らない。

10分ほど待つと、すでに7-8人の乗客を乗せた「SUZUKI」がやってきた。ぎゅうぎゅう詰めの座席に乗り込む。となりは私より年上に見える一人旅の女性、韓国人のナヤだった。英語が堪能で話がはずみ、いっしょに市場へ行くことに。「野菜を買ってキムチをつけるけど、手伝ってくれる?」と聞かれ、出会ってすぐ一緒にキムチをつけるなんて旅の醍醐味、「もちろん!」と答えた。その日は、韓国からの若者バックパッカーたちのために韓国料理を作る、と言ってはりきっていた。市場を二人でぶらつく。パキスタンに白菜があるはずもなく、結局カブをたくさん買い込んで、ナヤのゲストハウスへ。帰りも「SUZUKI」を止めて乗り込んだ。

ナヤの指示通りにカブをうすく切り、バスルームのバケツにどんどん入れていく。キムチの素は韓国食材店のある大きな町で買っておいて、ペットボトルに入れていつも持ち歩いているとのこと。真っ赤なキムチの素をバケツに注ぎ、カブを手で混ぜた。ご飯も炊いて、わかめスープと玉ねぎの酢漬けも作った。夕方になると韓国人の若者が4人でやってきて、私とナヤがつけた浅漬けキムチをおいしそうに食べた。パキスタンの山奥の村で思いがけずふるまわれた故郷の味に皆笑顔がこぼれた。ナヤも満足そう。私にはちょっと辛すぎたけど・・・。

ナヤは、定年を待たずに55才で小学校の教員を辞めてこの旅にでた。5年間の旅!体力がまだあるうちに一人旅がしたいと、夫と息子を説得し、退職を決め、フィリピンから東南アジアを回り、インドからパキスタンに入った。この先は中央アジア、中東そしてヨーロッパへ、あと3年かけてユーラシア大陸を横断するという。

2日後、帰路につく前にナヤに会いに行った。楽しかったキムチづくりのお礼を伝え、行く先々で人びとに愛情を届けながら逞しく歩き続ける彼女の旅の安全を祈り、ハグして別れた。

誕生日が近づくにつれてナヤのことを考えるようになった。5年間の旅はどうだったんだろう。旅を終えてどんな人生を送っているんだろう。今も沢山の人たちを幸せにしているだろうか。

「風の谷」で出会ったナヤに55歳の自分を重ねて、この先に広がる未来を空想してちょっとワクワクしている。

異常気象かと思うくらい暑かった夏も過ぎ、季節はもうあっという間に秋になってしまいました。最近は朝起きると空もまだ暗く、時には冬の香りもするので「もう一年も終わりに近づいているんだなぁ…」としみじみ感じています。

 みなさんの夏の思い出と言えばなんですか?「海」「キャンプ」「オリンピック」など様々あると思いますが、私の夏の思い出は「ゴーヤ」です。ちなみに、タイトルにもあるMomordica Charantiaは、英語でゴーヤのことを意味します。

 なぜゴーヤ?沖縄でもないのに?と思った人もいるかもしれませんが、私の実家では毎年夏になるとゴーヤを植えて育てています。

最初は通常の家庭菜園と同じように鉢植えから始まるのですが、一日一日少しずつ時間をかけて大きくなっていき、最終的には自分の身長よりも高いところまで伸びていきます。

近くで成長を見ていると、だんだんと愛着が湧いてきて、今日はどのくらい大きくなっているだろうかと毎日の楽しみになってきます。

 ゴーヤは皆さんも知っている通り、栄養たっぷりの野菜です。主に含まれる栄養分としては、高血圧やむくみを予防するカリウム、貧血予防になる葉酸、そしてビタミンC。今挙げただけでもたくさんありますね。

そして、ゴーヤは「苦い野菜」のイメージが強いと思いますが、実は、その原因である「モモルデシン」という物質による苦みによって食欲を増進してくれる働きもあるのです。

 そんなこと言われてもやっぱりその苦みが嫌い…という人のために、今回は私のおすすめのゴーヤの食べ方3つを紹介したいと思います。

それは、① ゴーヤの鰹節和え、② ゴーヤのツナマヨ、③ゴーヤチャンプルー

です。

どれもお手軽に作れますし、おかずの一品としてもぴったりなので、ぜひ作ってみてくださいね★

 食材にはそれぞれの美味しさがあります。せっかく人として生まれて食事を楽しむことができるのだから、できる限り多くの魅力を発見していきたいと思います。

また、世界中にはまだまだ食べたことのない食材や料理がたくさんあります。

食欲の秋ということで、これからどんな新しい食べ物に出会えるか楽しみです。

そしてまた来年、ゴーヤの成長を間近で見られる季節が今から待ち遠しいです。

mao

土曜日の朝です。目覚ましが鳴ると、私はただベッドの中にいたいと思う。自分のベッドの中は暖かくてリラックスできる。でも、ベッドから出れば、下で何か特別なことが待っていることを思い出した。
私はベッドから這い出て、コーヒーを飲み、歯を磨き、シャワーを浴びる。着替えているうちに、エネルギーレベルが上がってきます。家を出ると、足取りが速くなる。ガレージのドアを開けると、そこには私のバイクがありました。
なぜバイクに乗るのがそんなに好きなのかとよく聞かれます。バイクに乗らない人に説明できることではありません。それは、手首を動かすだけでエンジンが唸りを上げ、その力の大きさを実感できるからだと思います。車のようにただ見ているだけではなく、道の祭りに参加すること。風、虫、雨、におい、音。丘の上に乗って、頂上を越えてしまうのか、それとも単に空に飛んでいってしまうのかわからないことです。
私の乗馬歴は39年になります。私は39年間バイクに乗っていますが、バイクから多くのことを学んできました。学んだことは、言葉ではうまく表現できません。私にとってライディングは精神的な修行です。私にとってバイクに乗ることは精神的な修行であり、神や世界、さらには宇宙に近づくためにすることなのです。次の39年も楽しみにしています。

MicrosoftTeams-image (51)

私の名前は 佐野 羽美(うみ)。雑種の女の子。別海町出身。年齢は獣医さんがだいたい9歳 ~ 11歳だって言ってた。性格は超~びびり。人がたくさんいるのは怖い。特に子どもは苦手。犬を連れて歩いている人はまだ平気だけど、自分からできれば構わないでいてほしい。毎日、朝と晩に散歩に行くけれど、一番楽しい散歩は夜中に人も車もいない静か~な時間に飼い主さんと二人っきりで歩く時間。アスファルトよりも土や葉っぱの上を歩くのが気持ちいい! 雨も気にならないし、雪は大好き! ふわふわの雪を食べたり、掘ってみたり、興奮してつい走っちゃう。台風でも吹雪でも毎日かならず散歩に行く。でも、ある程度歩いたら、できるだけ早く家に帰りたい。私の家。私の家には私専用のケージとベッドがある。ふかふかのベッド。誰にも邪魔されずに横になっていつでも好きなだけ眠っていられる。新鮮な水がいつでも飲めるし、毎日、カリカリのフードに茹でた野菜や好物のササミや鹿肉がのったおいしいごはんが出てくる。デザートやおやつもついてる!

Picture1

 

 

 

 

 

 

 

今の家に来る前は長沼の認定NPO法人である動物愛護団体「しっぽの会」に他のたくさんの犬や猫と暮らしていた。そこに来る前は道東の別海町にいた。飼い主はいない。家もない。人につかまるのは怖い。他の野犬や野生動物に襲われるのも怖い。いつもビクビク、気を張ってぐっすり眠ったことがない。いつもお腹が空いていた。何とか生き延びてこれた。ある日、赤ちゃんを産んで、かわいい男の子が6匹のお母さんになった。お乳はあまり出ない。人間が来た!逃げたかったけど、まだ目も開いていない赤ちゃんたちを置きざりにはできない。人間に捕まって、役場に連れていかれて、もうだめだと思っていたら、町の人たちが世話をしてくれて気がついたら、「しっぽの会」で安心して子育てすることができていた。助かった! 子犬たちが一人前になって、みんな優しい里親さんが決まって、家ができた。私は臆病で人も怖いから、誰かきてもすみっこで震えてた。吠えることもできなかった。でも、少しずつ会のスタッフやボランティアの人と散歩の練習をした。

Picture2

 

 

 

 

 

 

ちょうど4年前、私にも家ができた! 飼い主さんは数か月の間、週末になると私に会いに来て、一緒に散歩するようになった人だ。初めは知らない人と歩くのは緊張して嫌だったけど、だんだん慣れてきた。急に触ったり、大きな声をだしたり、無理に引っ張ったりしない。私が嫌がることはしないから悪い人ではないと分かった。子育ても終わったから、今度は私がこの家の子になってもいいのかなー。20179月、私を迎えにきてくれた。不安はたくさんあったけど、札幌にやってきた。どきどき。きょろきょろ。

Picture3

 

 

 

 

 

 

私のケージからリビングが全部見える。私のベッド。ピンクでふかふか。新しいリードと赤いハーネス。これは何だろう? 遊んでいいの? 犬のおもちゃだって。振り回してみよう。ブンブン。ちょっと破れちゃったけど、楽しい! おもちゃはすぐボロボロになっちゃったけど、飼い主さんは笑って見てる。私も嬉しくてしっぽをぶんぶん回してみる。ヘリコプターみたいに。――― それから毎日、散歩して、おいしいごはんを食べて、新鮮な水を飲んで、ブラッシングですっきりしたら、ゆっくりぐっすり私のベッドで眠る。静かな時間。飼い主さんの車の音! 帰ってきた!玄関まで迎えに行こう!「おかえり~、ちゃんとお留守番してたよ~」ぶんぶん。なでなで。ぶんぶん♪ そういえば、『犬の十戒』って知ってる? 私の飼い主さんは絶対守るって誓っていた。

 

『犬の十戒』 (「The Ten Commandments of Dog Ownership)

1   私の一生は、10年〜15年くらいしかありません。ほんのわずかな時間でも、あなたと離れていることは辛いのです。私のことを飼う前にどうかそのことを考えてください。

2   私が「あなたが私に望んでいること」を理解できるようになるまで時間が必要です。

3   私を信頼してください。それだけで私は幸せです。

4   私を長時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないてください。あなたには仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう。でも、私にはあなただけしかいないのです。

5   時には私に話しかけてください。たとえあなたの言葉そのものはわからなくても、私に話し掛けているあなたの声を理解しています。

6   あなたが私のことをどんな風に扱っているのか気付いてください。私はそのことを決して忘れません。

7   私を叩く前に思い出してください。私はあなたの手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるということを。私はあなたを噛まないようにしているということを。

8   私のことを「言うことを聞かない」「頑固だ」「怠け者」だと叱る前に、私がそうなる原因が何かないかとあなた自身考えてみてください。適切なごはんをあげなかったのでは?日中太陽が照りつけている外に長時間放置していたのでは?心臓が年を取るにつれて弱ってはいないだろうか?などと。

9  私が年を取ってもどうか世話をしてください。あなたも同じように年を取るのです。

10  最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送ってください。「見ているのがつらいから」とか「私のいないところで逝かせてあげて」なんて言わないでほしいのです。あなたがそばにいてくれるだけで、私はどんなことでも安らかに受け入れられます。そして、どうか忘れないでください。私があなたを愛していることを。

 皆さんの好きな遊びは何ですか?小学校や中学校、年代によって様々なものがあると思います。大人の皆さんは、子供のころに流行っていた遊びは、何でしょう?もちろん年代によって違いはあったり、現代ではパソコンやスマホが流通しているので、特に子供たちにはネットでゲームをしたり、YouTube等で好きなアイドルやアーティスト、アニメなどの動画を見る人が多いかなと思います。コロナ禍の現在、お家で過ごして遊べるようなことは安全で良いと思います。オンラインでお友達とコミュニケーションを取ることも、容易に出来ますね。とても便利ですね。

 しかし、外で過ごすことも魅力的であると、私は感じます。私の子供時代を振り返ってみると、家で弟や友達とテレビゲームで遊ぶことも好きでしたが、やっぱり外へ出て体を動かすことが、何よりも楽しかったと思います。小学校時代は、近所の公園でどろけい、野球やサッカー、冬は雪合戦に熱を注いでいました。そんな子供時代の思い出を最近は、とても懐かしく感じる瞬間が多いです。私には2歳になる息子がいます。息子は公園で遊ぶのが大好きで、いつも「今日はどこに行きたいの?」と私が聞くと、必ず、「こーれん!こーれん!(公園のこと)」と返してきます。時間があるときには、息子を連れて近所の公園に行くのが日課になっています。子供たちがたくさん遊んでいる時間帯は避けながら、午前中の早い時間や夕暮れ時に行くことが多いですね。息子が好きな遊びは、滑り台、ブランコ、ジャングルジム、砂遊びなどなど。その様子を私は危険がない限り、基本は見守っています。その様子の中で、大人になっていろいろな魅力を感じます。滑り台やブランコは、誰かが使っているとその子が使い終わるまで、順番待ちをしますね。まだ息子が1歳の時には、自分の番が来ないとぐずったりしていましたが、保育園などでも教えてもらっているんでしょうね。今では、誰かが使っていると「じゅんばんばん!」と言って、順番待ちをしている様子があります。人間の成長ってすごいと感じる瞬間でした。公園には、子供たちだけではなく、犬を散歩に来る人も多いです。うちの息子は犬を発見するセンサーがあり、犬がいた瞬間に、「ワンワン!いた!」と大きな声で言います。私犬は好きなので、かわいいなあと見ていると、飼い主さんがわんちゃんと触れ合いをさせてくれる時もあります。少しお話をしたりなど、コミュニケーションの場にもなっています。また、時間があるときには、家から離れた大きい公園に行くこともあります。木々やお花が綺麗だったり、広い芝生なども心が落ち着きます。車の音もあまりしないので、安らぎの時間にもなります。公園によって、景色は様々です。それぞれの魅力があると思います。

 子供から大人まで、公園はいろいろなことを感じさせてくれる存在ではないかと思います。近所の公園に行ってみるのも良いでしょう。Googlemapで「公園」と検索するだけで、現在地周辺の公園から、少し遠い場所まで、調べることもできますよ。様々な発見や出会い、自分のお気に入りの場所が見つかるかも知れません。もちろん感染症対策はしっかりと。帰ってきたら、手洗いを忘れずに。

新体操を始めたのは中学生になったとき、部活は体操競技がやりたかったけど「練習になるからと」顧問の先生、体操競技の練習のつもりで始めたのが私の新体操人生の始まりでした。当時の新体操は徒手体操に手具を持ったかんじのもの。今の新体操とは大きく違っていたように思います。1年生ですから文句もいえずいわれるままに一生懸命練習した記憶が有ります。その後、新人戦からは念願かなって体操競技に没頭しました。得意種目は床運動と跳馬でした。ですが頑張りすぎて怪我をしてしまい大会に出られたのは3年生の最後の中体連でした。思うような演技が出来ず散々な結果、では高校生になったらと…ここでも体操競技部に入ろうとしたら、学校では専門の先生がいないという理由で新体操を薦められます。

私のやりたいのは体操で新体操ではない!。なぜかと聞かれたとき中学のときの団体でとても嫌な思いをしたからと伝えたら個人の種目をするように勧められ、その時入部した1年生のほとんどが退部しており残っていたのは私ひとり(どうしよう私が辞めたら部活がなくなるかも…どうしてそう思ったかはわかりませんが)とりあえずやってみるか。ここではじめて自分の意志で新体操をやることになりました。前置きが長くなってしまいましたが、3年目にしてやっとです。自分でやると決めてからは何にも優先して新体操やめて行った仲間にもう一度声をかけひとり、興味のありそうなクラスメイトを誘い二人目、マネージャーならと言ってくれた友人と先輩が3人で体操部再出発。人生何があるかわかりません。いまのように社会体育、ジュニアクラブが沢山ありどんなスポーツも小さな時から選んでやれる環境ではなかったので学校の部活が全てでした。専門のコーチがいるわけでわないので先輩方が教えに来てくれました。叉、年に1度、県の強化練習で東京から大学のコーチの方が指導に来て下さいました。その素晴らしいこと❤初めて本物の新体操を目の前に、さらにのめり込んでいきました。(こうなったら止まらないのが私です。)その後大学進学の時もあの指導にきてくださった方のいる大学へ、そしていまに至ります。自分が始めた頃の新体操とはずいぶん変わりましたが、指導できないから、わからないからでは生徒が可哀想、ルールの勉強も、審判の資格も他の人には…という思いでやってきました。最初はまるでやる気がなかった新体操との出会いでしたが、新体操を通してたくさんの人と出逢い、沢山の経験をすることができたのはやっぱりあの時の出会いがあったからなのでしょうね。

だから私はいつも思うのです。出会いはいつどんな時でも、その人にとって必然の出会いなのだから大事にしよう。いまの出会いが未来の貴方の大切な出会いになるかもですね。

 今まで普通にできていたことができなくなったり、生活のリズムや周囲の雰囲気が変わって、戸惑いや不安な思いを感じる時があるかもしれません。そんな今は少し意識をして自分のペースを守り、深呼吸をしたり体を動かしたり好きなことをして、それぞれ自分の心と体を守って欲しいです。皆さん、無理しすぎないでくださいね。それに加えて、私のおすすめはお祈りです。

 お祈りにも色々あります。かしこまったお祈り、人前でのお祈り、自分だけしか知らない切実な秘密のお祈り、友だちに語りかけるような気楽なお祈りなどなど。皆さんも、大きな何かに向かって祈ったことがあるのではないでしょうか。

 聖書には、私たちと世界を造られた創造主なる神がおられて、私たちの祈りにも耳を傾けてくださると書いてあります。優しい天のお父さんです。この天の父なる神に、私たちの正直な思いや願い事を打ち明けてみてはいかがでしょう。上手く話さなくちゃと考える必要はありません。子どものように素直な気持ちを伝えるのがコツです。

 すぐに祈った通りになるとは限りませんし、その通りにならないことの方が多いかもしれません。それでも、その祈りは確かに聞き届けられ、私たちが思う以上に覚えられていて、最善の時に最善の形で応えられることが多いと思います。それに、祈ること自体が、自分を取り戻す時間にもなるはず。ぜひともお祈りを通して皆さんの心が守られますように!

 最後に有名なお祈りを幾つか紹介したいと思います。高尚過ぎて私には…そう感じるかもしれませんがご心配なく!このようなお祈りもあるのだなということで。May God be with you!!

 「フランチェスコの平和の祈り」
主よ、わたしを平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、争いがあるところに赦しを、分裂があるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、誤りがあるところに真理を、絶望があるところに希望を、闇あるところに光を、悲しみあるところに喜びを。
ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
 理解されるよりも理解する者に、愛されるよりも愛する者に。それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、許すことによって赦され、自分のからだをささげて死ぬことによって とこしえの命を得ることができるからです。

「ニーバーの祈り」
神よ、 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

「マザーテレサの祈り」
主よ、きょう一日、貧しい人や病んでいる人を助けるために わたしの手をお望みでしたら きょう、わたしのこの手をお使いください。
主よ、きょう一日、友を求める人々を訪れるために わたしの足をお望みでしたら きょう、わたしのこの足をお使いください。
主よ、きょう一日、優しいことばに飢えている人々と語り合うために、わたしの声をお望みでしたらきょう、わたしのこの声をお使いください。 
主よ、きょう一日、人は人であるという理由だけで どんな人でも愛するために、わたしの心をお望みでしたら きょう、わたしのこの心をお使いください。

PAGE TOP