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校長・教員ブログ

校長・教員ブログ  2022.06

我が家の台所に小さな出窓,そこにはいつもおもちゃが置かれています。爪の折れたティラノサウルス,しっぽのちぎれた魚,動かなくなったコナン君の時計…そこは,子供たちが遊んでいるうちに壊れてしまったおもちゃを置く場所。お父さんはそれらを直すおもちゃドクターです。

瞬間接着剤や,パテなどを使い恐竜を直し,精密ドライバーで時計の裏蓋を開けて,配線の確認,レジンで無くなったパーツを再生など,その修理は様々です。ちいさな部品は作業が大変で,絨毯の上に落そうものなら,もう大変!でも,次の日の朝におもちゃを受け取る子供たちの笑顔が大好きです。

 

そんな日々を送っていると,妻と子供たちから一つのオーダーが入ります。「Switchのジョイコンスティックが正しく動かず,『集まれ動物の森』ができない!」というものです。勝手に動いて,穴が掘れない…というのです(共感できる人いるよね?)が,僕はゲームをしないので一体なんのこっちゃ…?!さっそく症状を確認します。家族の期待を一身に背負っての修理でした。次の日の朝,動作確認をお兄ちゃんに頼みます。ばっちり直ったようで安心しました。

最近のおもちゃは電子部品が多く、修理が複雑です。しかし、基本は電源からのプラスとマイナスを確認し、電流の流れを追いかければ故障個所が突き止められます。あとは故障した部品を修理・交換すれば終了です。理科の授業でならった,乾電池と豆電球の仕組みと同じですね。

電力を使用しないおもちゃは,可動部分の破損がほとんどです。ひもが切れた,ヒンジ部分が外れるなど、こちらの修理のほうが大変です。物理的に壊れてしまったものは,僕の手に負えないものが多いからです。まだまだ修行が必要です。

 我が家の怪獣たちの遊び方はずいぶん激しいので,もう少しおもちゃドクターは活躍しそうです。息子たちよ!いつだって直してあげるから,これからも仲良く遊んでね!

 

 

 

 

 

 

ときどきぼんやり写真を眺めたりします。そこからストーリーが見えそうな奥行きのあるものにひかれるのですが、以前たまたま渡部雄吉さんの『張り込み日記』という写真集に目がとまりました。1950年代に実際の(!)捜査に張りつき撮った写真らしいのですが、漂う緊張感や雰囲気にひかれ、この写真集のみならず、別の出版社から出された後発の写真集も買ったくらいです。

 ところが、この後発版がどうもしっくりきません。同じ写真が載っているので、細かい違いはあるにせよそんなに違うはずはない。そう思い、繰り返し見比べてみましたが、やはり印象は変わらず……わけがわからないまま、その疑問だけがずっとくすぶっていました。後発版は先のものを意識してか、写真だけでなく、合間に名うての作家さんによる事件概要の書き下ろしや凝ったデザイン、構成など制作側の意気込みが伝わるような気合いの入ったつくりになっていて、見るまではそれも楽しみにしていたのです。ですが、あとで振り返ってみると、どうもそれがノイズになっていたのではと思うようになりました。

 それは、写真の好みで言うと鮮やかすぎるものよりも彩度を抑えた方が、カラーよりもモノクロのほうが好みだと意識し出したこととつながっていると感じます。感覚なので微妙なことばづかいになってしまいますが、適度に隙間があった方が見ていて心地よいというのでしょうか。見ていてイメージ的な何かを盛り込めないと楽しくないのだと思います。鮮やかすぎるものはその鮮やかさに圧倒されて、きちんと見られない、あるいは見るだけのキャパが自分にはなくなっているのかもしれません。

 ただ、そういう余白を読むのは、時間があればなかなか楽しいものです。自分にとっては広告のコピーもそうした素材の一つです。学生時代の授業がきっかけですが、限られた情報で読み手のイメージをかき立てるというテーマが明快で、その意味でとても良く出来ています。

 以前、「野菜を見ると、想像するもの」というコピーがありました。ことばはこの一言だけ、あとは紙面の端に赤ん坊を模した人形の、例のシンボルマークのみ。読み手が両者をつなげれば、マヨネーズなりドレッシングなりが思い浮かぶようになっていて、広告としてとてもよくできている。と同時に、そうでないことも思えるすきまも持っていて、広告としての機能を持ちつつ、それ以外の世界にも読み手を誘えるこのバランス感覚の絶妙さに感嘆したものです。

 ネットで知りたい情報をひたすらかき集めるのも楽しいのですが、たまにはこうして隙間を楽しむのもよいものです。最近、俳句がメディアで取り上げられているのは、そう思う人も少しは増えたのかな、などと思ったりもしています。

 

 

 

 

 

私は校庭がとても好きです。200万都市の中心にこんな緑豊かな校庭のある学校で仕事ができるのはとても恵まれていると日々感じていいます。市内北一条西4丁目から現在の南4条西17丁目に本校の校舎が引っ越してきたのは、今から95年ほど前のことです。三度目の引っ越しで現在の場所になりました。この場所に引っ越すことが決まった時、「どうして札幌の街はずれのあんな場所に移らなければならないの?」という声があがったそうです。それほど今の場所に引っ越しした当時は、札幌の西の外れにあったのですね。約6000坪の土地を購入し、長い間願って来た校舎を当時札幌農学校で教鞭をとっていたスイス人マックス・ヒンデルの設計で建築されたのでした。ですから北星女子中高の校舎は今もどこか西洋風です。例えば校舎内の教室だけでなく多くの部屋の戸は、ほとんどが開き戸(ドア)で引き戸は殆どないことを在校生のみなさんは気が付いていたでしょうか。後になって約1000坪の土地を購入して、校舎が敷地にゆったり配置されている形になりました。先日来校した関西の名門中高の先生が本校の校舎と校庭を見て回った後、「何てゆったりした校舎と校庭何でしょうね。意地悪く言えば何と無駄が多いのでしょう」と羨ましそうに笑いながら話してくれました。私はそんな無駄のある校庭がとても好きなのです(校舎も)

校庭は4月から11月までの8か月間、花々が途切れることなく咲き続けます。校庭の雪が解けてしばらくすると、スイセン、ゆきやなぎ、桜(市内で一二番目に早く咲きます)。もくれん、チューリップが続き、リンゴ、梅。そして私たち女子中高のみんなが愛してやまないライラックが咲き始めます。校舎の中にいてもライラックの香りがかおる私たちにとって大切な季節、スミス先生ありがとうございますと声に出したい気分になります。

そして6月。校庭を散策すると、はまなす、ルピナス、どうだんつつじ、アザレア、ベニバナとちの木(ドイツ語でKerzenbaumと呼ばれています)、そして足元に咲く可憐なひな菊。本当に花々がきれいな季節です。その中を冬服から夏服にかわった生徒たちが登下校する姿は、校庭に咲く花々と共に初夏の訪れを知らせてくれます。

 

 

風景画を描くときに、「真っ直ぐな直線部分」どのように表現しますか?

建物や道路、ガードレール等です。

つい、定規を取り出してしまうことはないでしょうか?

その結果、真っ直ぐな線が非常に目立って違和感が出てきます。

 「定規で描かないで、フリーハンドで描きましょう」という説明を、聞いたことがあると思います。今までの作品や風景をもう一度、観察してみましょう。

 例えば、ガードレールには、歪みや、錆による塗装の剥がれがあるのに気が付くと思います。ブロック塀を見ても、一つ一つブロックの角度が違ったり、欠けや割れがあります。道一本描くのにもかなり微妙な傾斜の表現が必要です。

その他、多岐にわたって目を凝らすことで、発見することが多く出てきます。

 気が付いた歪みや、時間が経って風化したところをできるだけ発見しどの様に表現するかを考える。少し強調して表現してみてください。個性的な作品に仕上がります。

自分ならではの表現方法を探求できる機会にたくさん気付くことでしょう。

扉 2015年 F8号 パネル・油彩 波田浩司

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