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校長・教員ブログ

校長・教員ブログ  2022.10

いい歳になってきたので、自分の趣味について気ままに書き連ねようと思い、念のためライフワークについて調べてみました。そうしたら何と「ずっと愛好したい趣味」のことではなく「人生をかけてする仕事」ということで、「音楽教師」が私にとって正にライフワークであると再認識されました。でもやはり、最近再開した趣味について書きたいと思います。

私は大学の音楽科で管弦楽を専攻しました。具体的に言うと管楽器のファゴット(=イタリア語・英語ではバスーン)を学びましたが、「大学では何を専攻されましたか」という話題になると「ファゴットです」と言ったとたん、そこで会話が終了することが度々ありました。みなさんはファゴットが中低音の木管楽器なのはご存じですよね。私はこの楽器が大好きです。大学時代も友人たちから「似合ってる、ぴったり」と言われ続けていました。そしてついに昨年(2021年)の7月から市内のアマチュアオーケストラに入団し(正確には26年ぶりの復帰)活動を始めました。これまでも細々とアンサンブル活動は続けていましたが、毎週合奏があるとなるとさすがに継続した準備は欠かせません。仕事もあるため練習の質や量を工夫し、主に土曜日に個人練習をし日曜日の合奏に備えるのをパターンとし真面目に実行してきました。その甲斐(かい)あってか少しずつ演奏の感覚が戻り、復帰後、三回のオーケストラ演奏会も無事に吹ききることができました。

老後の趣味は盆栽か家庭菜園が人気なのでしょうが、音楽教師の趣味が楽器演奏なんて、正にライフワークと言っていいのではないかと思っています。音楽の授業や吹奏楽部の指導の時でも「先生もがんばっているんだぞー」と言えることに幸せを感じている今日この頃です。

娘が京都の大学に進学し、京都を訪れる機会が増えました。大好きな古典文学ゆかりの地が沢山ある京都。オープンキャンパス、受験、入学、引っ越し、etc.と、本来の目的を済ませ、(あるいは済ませないうちに)ここぞとばかり、京都のあちこちを訪れています。

 

 京都の魅力は、言わずもがな、古風でうつくしい町並み、和食や和菓子はもちろんのこと、土地の人の舌が肥えているのか、何を食べても大概おいしい(と、私には感じる)食べ物、伝統を生かしたお土産品の数々…ですが、中でも街中に、あるいは市中からほんの少し離れただけのところにあるたくさんの寺社仏閣でしょう。その空間に身を置くことで、日常の喧騒から離れ、リフレッシュすることができます。私の中では「気持ちがさっぱりする」というのが、最もふさわしい表現になるでしょうか。長い歴史の中で多くの人の思いと手がかけられている場所、自然との融合、霊的なものはやはり言葉にならない…。

 

 洛西にある世界遺産龍安寺石庭もそのような場所の一つです。方丈の縁に座って石庭を眺めると、石が何を意味しているのか、そんな難しいことはわかりませんが、何だか日ごろの塵埃が洗い流されるように感じます。

 さて、この石庭は多くの謎に包まれていることでも有名です。いつ、誰が、何のために作ったのか?石の配置が意味していることは?石庭の大きさや石の配置を数学的に解き明かすことも研究されています。

私が最も心惹かれるのは石庭を眺める視点です。置かれている石の数は15個。しかし、方丈の縁側のどこに座って見ても15個の石を全て見ることはできないのです。東洋では完全数と考えられる「15」という数を、留まった「人」の視点で見ることはできない。唯一か所、立ち上がった視点からは15個の石を見ることができる。

 

 私たち人間が不完全な存在であることを思い知らされます。もちろん、天空からみればすべてが明確に見えますが、私たちの通常の視点から物事のすべてを見ることは難しいということを肝に銘じなければなりません。

ともすれば謙虚さを忘れがちな現代社会だからこそ、大事にしたい視点であり、ひとときです。

 

 

 

 

「もう親の言うことなんて聞かないですよね。」「本当に言うこと聞かなくて困っています。」・・・保護者の方とお話をすると、よく聞く言葉です。

 でも、私は子どもが言うこと聞かなくて困った記憶が無い。あれ?うちの子どもたちはそんなに良い子なのか?・・・いやいや、特に上の子はとっても困った子で、忘れ物大将でプリント類はいつもどこに行ったか分からない。色々なものをなくしてしまう。などなど。

 ではどうして私は「子どもが言うことを聞いてくれない。」と悩まなかったのか。

  最近気がついた。私はそもそも子どもに言うことを聞かせようと思ったことが無かった。

忘れ物をして困るのは本人で、私ではなかった。だから本人がいつもランドセルをパンパンにして忘れないように全教科の道具を持ち歩いていた。市電に乗るときにウィズユーカード(今は懐かしい)の残金が無くて、困ったときには運転手さんに「次回2回分払います」と言って降ろしてもらったことが何度もあるそうで、そんなことできるのか?と思ってしまったが、何度も怒られつつも何とかなっていたようだ。

  私は貧血がひどく、たびたび「めまい」で倒れるとても頼りないママである。子どもたちは私が倒れないようにできるだけ家事を手伝ってくれている。お皿洗いもお風呂掃除も子どもたちが担ってくれている。お買い物にも付き合ってくれて、荷物は子どもが担当する。

私は子どもたちより早く寝る。毎晩私のベッドに子どもたちが入ってきて、ぼそぼそと話していく。お友達関係に悩んだ時、進路に悩んだ時、一緒になって泣くことも何度もあった。

私は〇〇をしなさい。とは言えない。自分が一番体力も無く、いつも子どもたちに助けられている存在だから。私が言えることは、生まれてきてくれてありがとう。いつもママを助けてくれてありがとう。ママはいつもあなたの味方で、どんな時でも応援しているからね。大好きだよ。ということ。

それで子どもたちは安心して自分で考えて行動してくれる。自分が何かやらかすと自分が困るし、ママも困るかもしれない。と思ってやらかさないように気をつけるようになるようだ。

 かくいう我が家の息子も私を心配しつつ妹に託して巣立って行った。苦労しつつも何とか自分で頑張っているようだ。大好きだよ!これからも応援してるよ~!

今年の4月から北星女子で勤め始めました、皆川といいます。実は私、英語を教える傍ら、高校時代から続けている演劇活動もしています。昨年は勤務していた旭川で、久しぶりに俳優として出演もしました。今年は高校の演劇部の顧問もやっています。そんな私から、みなさんに問題があります。

 

“演劇と映画の違いって何でしょうか?”

 

この問題が槍玉にあがったのが、一昨年の春、コロナウイルスの流行が始まったころです。劇場でクラスターが起こったことをきっかけに、演劇活動は「三密を回避できない」と指摘され、劇場に立って活動をすることに逆風が吹きました。「すべての劇団は映像を作って配信すればよい」とする風潮もありました。実際に配信をしたり、ZOOMで公演をする劇団もありました。陽性者や接触者が出て公演の中止を余儀なくされた団体もありました。こうして挙がったクエスチョンが“演劇と映画(映像)の違いは何?”なのです。

 

明確な答えはないと思いますが、少なくとも私は「エネルギーを生で感じられるか否か」だと思います。想像してみてください。例えばあなたが好きなアイドルが、目の前で「好きだよ」と言ってくれるのと、画面越しに「好きだよ」と言ってくれるのの二択だったら、確実に前者を選ぶと思います。ほかにも目の前で誰かが殴られるのと、画面越しに誰かが殴られるのでは、感情の動きが変わってくるのではないでしょうか。こうした生のエネルギーを体感できる場が演劇なのだと思います。だから私はこれからも演劇を続けていきたいし、演劇をやろうとしている高校生を応援していきたいとも思っています。

 

さて、今週末10月8日(土)13:00~、本校高校演劇部が石狩支部大会で上演をします。部員たちの生のエネルギーを感じ取ってみてください。場所は札幌市教育文化会館です。

カーネルの中の水分が加熱され、爆発するまで圧力がかかる。

人々は何千年もの間、ポップコーンを食べてきました。紀元前4700年のペルーからポップコーンの考古学的な証拠が見つかっています。トウモロコシとしてより一般的に知られているトウモロコシは、約1万年前に家畜化されましたが、現代のトウモロコシは最初のトウモロコシとは非常に異なっています。最初のトウモロコシは風媒花でしたが、数千年の間にトウモロコシは種が勝手に落ちないように選択的に品種改良されました。また、トウモロコシの種は、野生の同類と比べて15倍も大きい。トウモロコシはメキシコのテワカン渓谷で家畜化された(と思われる)。スペイン人が南米を植民地化したとき、彼らはトウモロコシをヨーロッパに持ち帰り、栽培した。トウモロコシは非常に多様な気候で育つことができ、同じ畑で2年続けても問題なく育つことができる。ヨーロッパのほとんどの地域で、農民の食べ物として知られるようになった。

 ポップコーンはアステカ族で食べられ、また儀式にも使われた。若い女性はポップコーンの花輪を身につけて踊っていた。あるスペイン人は、アステカ族が漁師を見守る神々に敬意を表して、乾燥したトウモロコシを地面にまいたと記録している。乾燥したトウモロコシは、暑い日差しの中ではじけ飛んだ。ポップコーンがアメリカで食べられるようになったのは1800年代半ばのこと。朝食用のシリアルが発明されるまでは、朝食によく食べられていた。19世紀半ばになると、蒸気やガスで動くポッパーでポップコーンを売る業者が現れた。大恐慌の時も、ポップコーンは一番安いスナックだったので、人気が落ちなかった。しかし、映画館で売られるようになったことで、ポップコーンはスナックとしての地位を確立したのである。

では、なぜポップコーンは弾けるのだろうか。ポップコーンの原料はフリントコーンというトウモロコシの一種です。トウモロコシの粒は種である。種が穂から落ちれば、その中にすべてが含まれているので、理論的には新しい植物になることができる。トウモロコシの粒は2層になっています。外側は外皮で、果皮と呼ばれています。これは硬くて防水性がある。完全に密閉され、中の胚乳と種子の胚芽を保護する。種を植えると、土の中の水分で3日ほどで柔らかくなり、種が割れて新しい植物が育つ。種子の胚芽には新しいトウモロコシの始まりがあり、胚乳がエネルギーを供給することになる。トウモロコシの背丈が完全に伸びるまで約56日、種子が新しい植物に完全に生着するまでには135日かかる。胚乳は主にデンプンと約14%の水分で構成されている。フリントコーンは秋(秋)に収穫され、水分量が16~20%になるようにする。その後、ビンに貯蔵し、強制送風で乾燥させ、水分を14%まで下げます。 

穀粒に熱が加わると、水分子はそのエネルギーを受けて熱を持ち始める。気相に移行するのに十分なエネルギーが得られるまで、エネルギーを取り続けるのである。しかし、トウモロコシの実の外側のケースは非常に硬く、水の出入りを許さない。カーネルは圧力鍋のような働きをする。蒸気が穀粒の中の空間を占め始め、圧力が高まり、熱も上昇する。圧力鍋には、圧力を均一に保つために蒸気を逃がす弁がついているが、トウモロコシの実にはそれがない。温度が高くなると、胚乳の中の硬いデンプンが糊化し、とても柔らかくなる。

フリントコーンの果皮は他のどの種類のトウモロコシよりも強く、より高い圧力に耐えることができるが、フリントコーンにも破断点がある。その破断点は135psiであることが判明した。135psiになると外皮が破裂し、穀粒の中の加圧された蒸気が一気に膨張する。これによってゼラチン化したデンプンが膨張する。蒸気がなくなると、温度が急速に下がり、柔らかい胚乳が固形になる。

ポップコーンはただのトウモロコシなので、かなりヘルシーな食品である。食物繊維が豊富で、カロリーも低い。ホットプレートやエアフライヤーを使ってポップコーンを焼けば、おいしい食べ物になる。しかし、現代のポップコーンの主な問題は、その多くが油を使って作られていることです。ポップコーンは油を吸収し、健康的ではなくなります。さらに、映画館で売られているポップコーンにトッピングされているものも多く、体に悪いスナックになっています。

では、なぜポップコーンは弾けるのでしょうか?それは、中の水分が蒸気となって圧力を上げ、中のでんぷんをゲル化させるからです。

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