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私が新卒で勤務した高校で出会った女子バスケ部の顧問の先生が言っていた言葉をずっと忘れられないでいます。

 その言葉は「ラッキーポイント」という言葉です。これは、自分が貯めてきた運、例えば「廊下に落ちているゴミを拾った」という「人のためにした行動」が自分の「ラッキーポイント」になって返ってくるという仕組み(考え方)です。これを女子バスケ部の生徒が本当に真面目にやっていて、廊下や体育館、大会会場など様々な場所でごみを拾っているのを見てきました。

私も皆と同じように、色々な場面でラッキーポイントを貯めるための行動をするようになりました。ごみを拾ったり、掃除をしたり、物を整頓したり…

ちなみにラッキーポイントは、思わぬタイミングで使われるらしいです。例えば、「今日は赤信号にひっかからずに通勤できたな…」とか「今日のスタバのクリーム少し多めだな…」とか。そういう小さいラッキーで使われると聞きました。そして、その小さいラッキーが起きた時、「あ、今ポイント使ったしまたポイント貯めなきゃな~」となる感じです。

 ごみを拾い始めた時は、自分のラッキーポイントのためだけに始めた行動でしたが、この行動には色々な利点があると考えています。

・廊下や体育館など色々な場所がきれいになる。

・皆がきれいな環境で過ごせる。

・いい気持ちでいられる。

・人のために動けるようになる。

・人のために動ける自分がいいなと思える。

・小さな変化に気付けるようになる。

・細部にこだわれるようになる。

など…これは私が考えた利点ですが、この考え方を教えてくれた先生の真意はほかにもあるかもしれません。ただ単にごみを拾うという行動ですが、意味を持ってやってみると人としての成長も見込める素晴らしい行動だと思っています。

ちなみに初めて自分がコーチをしたバスケ部の子に同じ話をして、同じように皆でごみを拾うようになったんですが、生徒に「廊下に落ちているゴミ拾いだしたらきりがなくて前に進めません、どうしたらいいですか?!」と言われたことがあります。(笑)

 北星はありがたいことに、いつも廊下などは清掃員の方がきれいにしてくれているので逆に拾うポイント(ごみ)がない…!ということもあるかもしれませんが、もし、興味があれば皆さんも一緒にラッキーポイントを貯めてみませんか?

我が家の家族構成は、夫・私・娘(1)・息子(4)です。必ず毎年、長期休みを利用してささやかな家族旅行を楽しんでいます。コロナ禍の中ではstayhomeが続きましたが、昨年からまた我が家の家族旅行も復活しました。

家族で旅行する際に私が必ず用意するものに、「旅行のしおり」があります。短い宿泊の中で、めいっぱい家族には楽しんでもらいたいので、タイムスケジュールや宿泊するホテルの様子、現地での食事のメニューなど、出発する前からわくわくするようなページを作っています。その中には、学びの要素も少し入れたい・・・という親のエゴも盛り込んで。

学びの要素とは、ずばり、その地域の歴史です。必ず、現地の重要文化財に触れてもらいたくて、多少距離があっても実際に足を運んで子どもたちの目で見て、手で触って、何かを感じてもらえたらと思っています。










 

名古屋では、まだ小さい息子のレゴランドが目的でしたが、足を延ばして名古屋城へ。ちょうど本丸御殿がリニューアルしたことで、金をふんだんに使った当時のふすまや欄間の装飾、やぐらを支える石積みや、天守閣の金のしゃちほこの煌びやかを実際に観てもらいたくて。

沖縄では、ビーチで遊ぶことが目的でしたが、まず、ひめゆりの塔にお参りし、おきなわワールドで伝統芸能を肌で感じたり、首里城の異国情緒あふれる雰囲気に堪能してもらいたくて。

大阪では、ユニバが目的でしたが、大阪城や仁徳陵古墳まで足を延ばし、長い歴史の中でどれだけたくさんの人々が先代の築き上げた遺産を大事にしてきたかを感じてもらいたくて。

 

さながら、家族の修学旅行のようですが、我が子どもたちに伝えたいことは、自分たちの国っておもしろいよね!という気持ちです。これからますますグローバル化される中、いい意味でのナショナリティをもつことで、多文化との比較ができ、共生への道を模索できるのではないか?なんて、思ってしまうわけです。そんな我が家は、次の行き先を広島にしました。もちろん厳島神社と原爆ドーム!・・・私だけです、わくわくしてるの。

もう1月も終わり、今日(2/3)は節分です。時間はあっという間に過ぎていきますね。

さて、今の暦で考えると完全に時季外れではありますが、お雑煮の話題をしてみたいと思います(暦の話は、これはこれでとても複雑で面白いものです。『古今和歌集』には「年のうちに春はきにけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ」という有名な和歌があります。新年になる前に立春を迎えた、という内容ですが、今の暦では考えられないですよね。ちなみに2/3は旧暦では1/13になります)。

さて、最近では、お正月でも特におせちやお雑煮を食べないというご家庭も増えているようですが、今まで一度もお雑煮を食べたことがないという人は、まだ少数派だと思います。さあ、ここで思い出してみてください、あなたの家のお雑煮は、どのようなものですか?

 ・お餅は入っていますか? それとも入っていませんか?

 ・お餅は四角い形ですか? それとも丸い形ですか?(丸餅のご家庭では、小豆餡は入っていますか?)

・お餅は焼きますか? それとも焼きませんか?

 ・おつゆは醤油仕立てですか? それとも味噌仕立てですか?

 ・具材には何が入っていますか? 鶏肉? 鰤? 鮭? 人参? 牛蒡? 三つ葉? ほうれん草?

  お雑煮のような、「ハレ」の食事には、それぞれの地域性が色濃く出ます(「ハレ」は民俗学などの用語で、お祭りや年中行事が行われる「非日常」という意味です)。東日本では四角い形の餅で醤油系のすまし汁、西日本では丸い形の餅で白味噌の汁という雑煮が一般的なようです。ただ、北海道は本州各地から入植してきた人々が多いため、同じ場所であっても様々な雑煮が残っている、とても面白い地域です。私は北海道の十勝地方出身で、正月は地元に帰省しています。十勝には「十勝毎日新聞」という地方紙があり、いつも正月には特別号として様々な記事が紹介されるのですが、数年前、「十勝のお雑煮 ルーツ各地に」という特集ページがありました。そこには、本当に様々な見た目や味のお雑煮が紹介されていて、驚いた記憶があります。同時に、伊藤家のお雑煮の由来もわかってうれしかった覚えもあります。我が家のお雑煮は、①醤油仕立てのすまし汁、②四角い餅をそのなかで煮込む、③具はほうれん草と削り節(大量にかけます)、というとてもシンプルなもので、この話をすると、とても驚かれることが多いのです。「そんなに珍しいのかな?」と思っていたのですが、先ほどの特集によると、岐阜地方のお雑煮がまったく同じ作り方をしていました。そう! 伊藤家は岐阜から北海道に入植してきていたのです。

 何気ない生活の中にも、文化は存在しています。それぞれの人の「当たり前」が、実は当たり前ではないということは、なかなか気づかないかもしれませんが、それこそ「当たり前」の事実です。特に食に関わることは、地域やそれぞれのご家庭の文化が色濃く反映しているものです。

そんな「当たり前ではないこと」を楽しむ姿勢が、多様性を尊重する、ということにつながるのかもしれません。

2022年中東カタールでサッカーワールドカップが開催された。多くの人々と同様に筆者も、テレビの前で日本代表選手を応援していた。ハーフタイム中のコマーシャルから懐かしいメロディーが流れてくる。

 

負けない事 

投げ出さない事 

逃げ出さない事 

信じ抜く事 

駄目になりそうな時

それが一番大事

 

負けない事 

投げ出さない事 

逃げ出さない事 

信じ抜く事 

涙見せてもいいよ

それを忘れなければ

 

https://www.youtube.com/watch?v=K_CA3rhbcM4

(みずほフィナンシャルグループ サッカー日本代表:CM「届け、僕らの代表へ。」編(60秒)より)

 

皆が歌える歌はそれだけで素敵だと思うし、ただ根性論で頑張る事だけを歌っていない部分も共感できる。今回は、サッカーの話ではなく、英語科教員として、英語の勉強法について、研究からわかっていることと私見を交えて述べてみたい。

 

筆者は、英語学習者であり、英語教師である。中学から学校の授業として英語を学び始めた。その時は、I am Kumi.という単純な英語が理解できずに、4つ上の姉を相手に「私 です 久美」というのは意味が通じないではないかと、泣き叫んでいた。そんな筆者も何があったか、英語教員を15年ほど続けている。英検1級、TOEIC980, IELTS7.0など英語の資格試験を取得してきたが、それでも英語という言語を学び続けている。おそらく、一生続くのだろう。

 

冒頭に紹介した歌は、大事MANブラザーズバンド「それが大事」という歌である。若い読者の方々はあまり馴染みがないだろうが、1990年代を代表する曲の一つであると筆者は思っている。英語学習という観点で紹介した部分の歌詞を考えてみたい。

 

「負けない事」
:誰かと比べるのではなく、自分に負けない事。You Tubeなどの誘惑に打ち勝ち、英語学習をする時間を確保すること。結局は、やらないと英語に限らず何事もできるようにはならない。

 

「投げ出さない事 逃げ出さない事」

:投げ出す時があっても、逃げ出す時があっても良いと思う。そうして、少し距離を取ると、もう一度英語をやってみようと思える時が来るかもしれない。英語学習というのは、長期戦である。数日で英語ができる様になっているなんてことはあり得ない。ドラえもんの暗記パンのような便利道具はない。続ける意志というよりは、やめない事が大事である。語学教育研究には、「動機付け」という分野があり、多くの論文が発表され続けている。「動機付け」というのは、言い換えると、やる気である。やる気が出る時もあれば、出ない時もあるのが人間である。まして、日常生活の中で英語を喋らなくても生活できる環境(EFL環境とも言います)に入れば、学習の必然性というのを感じにくいというのも理解できる。「英語は必要だからやりましょう!」という言説も正しいが、「この課題は面白そうだからやりたい」ということでやる気が出ることもある。これをタスクモチベーションという。ある課題を解決したら面白そうと思えたら、それに対するやる気が出てくる時もある。

 

「信じ抜く事」 

:言い過ぎかもしれないが、誰かが薦めるやり方に踊らされるのではなく、自分にとって良い・効果的だと信じられるもの(先生)をやることである。個人個人で好みの学習スタイルというのがある。音・動き・視覚情報についての好みは人それぞれなので、誰かにとって有効な学習方法はまた別の誰かにとっては有効ではないかもしれない。

 

「涙見せてもいいよ それを忘れなければ」

:北星女子高等学校専門英語科では、これまで数多くの生徒を留学に送り出してきた。留学した生徒のほとんどは、留学先で辛い思いをしたはずである。涙で枕を濡らした夜もあったことは想像に難くない。留学というのは、英語学習において有効な手段の一つである。英語が日常生活を送る上で必要な言葉である環境(ESL環境とも言います)に身を置き、学校に通い、生活することは圧倒的な体験となります。留学を通して全般的な英語力が身につくことも多いとは思いますが、適切な言葉使い(専門的には「語用論的能力」と言います)が身につきやすいと言われています。Could you open the window?という英語の意味は「あなたは窓を開けることができますか」という言葉通りの意味以外に、「窓を開けてもらえますか」という頼み事をしていることの方が多いでしょう。実際に英語を使って、伝わった喜び、伝わなかった悔しさを経験することはきっと一生の財産となります。

 

最後に具体的な学習ツールを少しだけ紹介して、終わりたいと思います。

 

リーディング:

じゃれマガ

http://catchawave.jp/jm/

非常に短い英語で、読みやすいです。一例をあげておきます。

もし記事が気に入れば、購読申し込みをしてみてはどうでしょうか。

料金はかかりません。(2023126日現在)

 

2023126

Why are there so many fires in winter? One reason is heating. People use heaters to keep warm, but sometimes they put things near the heater, and those things catch fire. Fires burn fast and spread quickly in winter because the air is drier than in summer. I am a little worried because there have been two fires in my area of Nagoya this month. The first one was about 2 kilometers away. It was a big fire, and nine buildings burned down. Luckily, no one was badly hurt. Then, yesterday, there was another fire much closer to my apartment. One house burned down, but this time someone died. Be careful of fires this winter!

 

 

リスニング:

NHK ニュースで学ぶ現代英語

https://www2.nhk.or.jp/gogaku/gendaieigo/

NHKの国際放送を元にした番組です。

 

ライティング:

Write & Improve

https://writeandimprove.com/workbooks#/wi-workbooks

AIによる自動添削機能を利用した、ライティング練習ツールです。

 

スピーキング:

TED Ed

https://ed.ted.com/lessons?direction=desc&sort=featured-position

教育的に配慮がなされた映像を見ながら、字幕を出して、一緒に音読してみましょう。

 

発音:

Tim’s Pronunciation Workshop

https://www.bbc.co.uk/learningenglish/english/features/pronunciation

丁寧な解説と実例が非常にためになります。

 

 

 

日本は資源のない国だと思われてきましたが、近年になって日本の南鳥島周辺にレアアースが海底に大量に眠っていることが明らかになってきました。私はそのニュースに、日本の将来の希望の一部を見たような気がします。

レアアースとは何に使われるかというと、風力発電や高性能磁石、燃料電池などで必要とされていて特に、今後は電気自動車が普及してきた場合、とても大切な資源となります。そのため、円安などの影響で石油などの燃料を高く輸入している現在の日本にとって安定的な確保が急務です。

2018年に、南鳥島周辺の特に有望な海域 (2,500 km2) におけるレアアース資源量が世界需要の数百年分にも達することが明らかとなりました。南鳥島とはどこにあるかと

いうと、日本の最東端にある島で東京から南東に1950kmも離れています。この小さな島の周辺になぜレアアースが多量に存在することになったかをつきとめたのが、東京大学のグループでした。彼らの研究によると、まずレアアースがどれくらい昔のものかを調べたところ、およそ3450万年前にできたものだということが分かりました。この時代は、地球全体が温暖な気候から寒冷な気候へと急激に切り替わった時期として知られています。恐竜が絶滅した6,600万年前から現在までの新生代と呼ばれる時代のうち、前半は北極や南極にも氷床が存在しない「温室地球」でした。そして、3,400万年前頃を境に南極大陸に大規模な氷床が発達し、現在のように両極に氷床が存在する「寒冷地球」へと、地球の気候モードのシフトが起こりました。超高濃度レアアース泥の生成は、その最初の南極氷床拡大の時期と一致します。その温かく豊かな海だった南鳥島周辺にいた大量の魚が「寒冷地球」へと向かったときに大量に死骸となり、その骨に

海水に含まれていたレアアースが高濃度に蓄積していったと考えられます。

 レアアースは地球が有限であるために、石油や他の資源と同様にいつかは資源が枯渇してしまいます。そのことによって、紛争や貿易摩擦、戦争が起きています。しかし、全世界の人々は「宇宙船地球号」という巨大な一つの船に乗っていることを自覚しなければなりません。なぜなら、人間は非常に弱い存在であり自然の力には勝てないからです。6600万年前には、あの強い恐竜までもたった1個の隕石によって滅亡したのですから。

 

昔のアニソンや懐メロ特集のテレビ番組を見ていると、「修学旅行で歌った!」「友達にCDを貸してもらったな~」など懐かしさと同時にその当時の記憶が戻ってくることがあります。音楽の持つ力の一つに過去の記憶を蘇らせるというものがあり、特に10代の頃に聞いていた音楽は人生で最も記憶に残っているそうです。

言われてみると、高校時代に練習したピアノや声楽の曲は、すぐに思い出すことができますが、大人になってから練習した曲については細部まで自分の中に留まってはいないと感じます。最近はもっと酷く、1年前の発表会で演奏した曲の記憶すら危うい状況…年齢を積み重ねたせいでしょうか。

 昨年秋に、高校時代の友人と声楽の恩師のコンサートを聞きに行く機会がありました。同じ門下生で伴奏をし合う仲だったこともあり、コンサート前からレッスンの思い出話で盛り上がっていました。コンサートが始まり、うっとりと先生の声に聴き入っていましたが、数曲目に演奏されたイタリア歌曲を聴いた途端!『高校時代に先生にレッスンしていただいた曲』であることを思い出してしまい…それに付随する様々なエピソードがどんどん蘇ってきました。あの時、先生が熱心にご指導してくださったこと、当時の自分はどれだけ理解していたのか…先生ごめんなさい(涙!)

色々な思いが溢れる中、演奏が終わり隣に座っていた友人に「過去を反省したよ」とつぶやくと「私も」との答えが。楽しいことも大変だったことも共有できる友がいる喜びと共に、音楽の持つ力を強く感じた瞬間でした。

 思いもよらない場面で音楽と共に蘇る記憶は、10代の自分と今の自分を繋げてくれるものであると思うと、次はどのような音楽で何時の記憶が蘇ってくるのか、少しだけワクワクする自分に気付かされた出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(英語で読みたい方がいれば、日本語の下に英語の版があります。)

なぜ猫は物を倒さないのか?猫には顔だけでなく、足にもヒゲがあることがわかった。

娘とドミノ倒しをしていると、必ずと言っていいほど、娘か私のどちらかがドミノを倒してしまう。二人とも感覚がないようだ。それなのに、うちの猫は何本も並んだその上を、まるで何もなかったかのように歩いていく。なぜだろう?猫には顔だけでなく、足にもヒゲがある。そして、足のヒゲがあるからこそ、簡単に物の上を歩くことができるのです。

猫には2種類のヒゲがあります。顔のヒゲと足のヒゲです。ヒゲは毛ですが、猫の他の毛とは違います。猫の爪の鞘(さや)と同じケラチンでできているのです。他の毛よりもずっと丈夫で長いのが特徴です。ウィスカーには、血管やたくさんの神経も通っています。ウィスカの毛根は他の毛根よりずっと深く、筋肉とつながっていて、単独でもグループでも動かすことができます。 ウィスカの神経は脳に信号を送り、脳にはウィスカを処理するための領域があります。猫の脳の40%は、ウィスカの情報を処理するために費やされていると言われています。

猫の種類によってヒゲの本数は異なるが、一般的には顔の両側に12本ずつ、合計24本ある。このヒゲは、空気中のわずかな振動を拾うことができるほど敏感である。 猫はこの敏感なヒゲをさまざまな用途に使っている。まず、猫の周囲を探ること。猫は近くの視力がとても悪いので、ヒゲを使って周りを「見る」のです。物体を感じたり、他の動物が通過する振動を感じたりすることができるのです。ヒゲは、物体から跳ね返る空気を感知するソナーに非常によく似ており、猫にそのエリアの心象風景を与えることができます。

また、ヒゲは、猫が通れる場所と通れない場所を教えてくれる。ヒゲは、猫の体の幅に相当する。ヒゲが通るなら、他の猫も通ることができる。また、ヒゲは猫の目を保護する役割も果たしています。猫が高い草や茂みの中を歩いているとき、目の高さに何かがあると、ヒゲが目を閉じるタイミングを知らせてくれるのです。

また、ヒゲはバランス感覚にも役立っている。猫がバランス感覚に優れているのは、ヒゲの先端にある固有感覚器によるものです。これは、猫の手足や体の位置に関する情報を脳に送ることができる。これが、猫がいつも足から着地できる理由のひとつです。

では、なぜ猫は物を倒さないのでしょうか?猫には前足と後ろ足にもヒゲがあります。これは手根ヒゲと呼ばれるもので、顔のヒゲと同じような働きをしていますが、少し違う目的があります。猫は近くを見るのがとても苦手です。ネズミや鳥を捕まえても、動いているかどうか、ちゃんとつかめているかどうかがわからない。手根のヒゲは、獲物がどこにいるか、じっとしているかどうかを感じ取るためのものだ。

また、手根のヒゲには、顔のヒゲが持っている神経や固有感覚器もあります。そのため、猫はヒゲだけで、近くにあるものを感じ取ることができるのです。うちの猫はドミノ倒しの上を軽々と歩いているように見えるが、実は両足のヒゲがドミノ倒しの跳ね返りを感知しているのである。まるで両足のミニソナー。

猫のヒゲは、毛と同じように抜けても生えてくる。猫のヒゲは決して切ってはいけない。猫はヒゲを頼りに移動しているので、切ってしまうとフラフラして動くのが怖くなる。私たちの指を切るのと同じことです。また、猫はヒゲ疲れを起こすことがあります。これは、猫が感覚過敏になったときです。餌が狭い器に入っていて、ひげが常に器とこすれていると、このひげ疲れを起こします。

そこで、彼らは足にあるこのヒゲを使って、自分が持っているもの、あるいは隣に立っているものを感じ取ります。だから、ドミノ倒しのようなものを倒さずに歩くことができるのです。倒したくなければね。うちの猫みたいにね。ちょうど私たちが食べ終わろうとするときに。なぜなら……彼は猫だから……そして、それが猫のすることだからです そして、それが今日私が学んだことです。

Why don’t cats knock things over? It turns out that cats have whiskers on their legs as well as their faces. 

When I’m making a line of dominos with my daughter, it is inevitable that either she or I will knock them all over. We both seem to have no sensory perception. And yet, my cat walks over multiple lines of them as though they are not there. Why? It turns out that cats have whiskers on their legs as well as their faces. And the whiskers on their legs are the reason why they can walk over objects so easily.

Cats have two types of whiskers. The whiskers on their face and the ones on their legs. The whiskers are hairs, but they are different to all of the other hairs on the cat. They are made of keratin, the same material that makes the sheaths over cats’ claws. They are much stronger and longer than any other hair. The whiskers also have blood vessels and lots of nerves in them. They have much deeper follicles than other hair follicles and are connected to a group of muscles which allows the cat to move them independently or as a group.  The nerves from the whiskers send signals to the brain, where there is an area of the brain reserved for dealing with them. Up to 40% of a cat’s brain can be devoted to dealing with whisker information.

Different species of cat have a different number of whiskers, but they generally have 24: 12 on each side of their face. The whiskers are so sensitive that they can pick up slight vibrations in the air.  Cats use these sensitive whiskers for many different purposes. The first purpose is to feel out the area around the cat. Cats have very bad vision up close, and they use their whiskers to “see” the area around them. They can feel objects and they can feel the vibrations of other animals passing. The whiskers are very similar to a sonar in that they can detect air bouncing off objects and can give the cat a mental picture of the area.

Whiskers also tell cats what they can and can’t fit through. The whiskers are the width of the cat’s body. If the whiskers will fit, so will the rest of the cat. The whiskers help to protect the cat’s eyes as well. When the cat is walking through tall grass or bushes and there is something at eye height, the whiskers will alert the cat in time to close its eye.

The whiskers help with balance as well. Cats have superior balance because of proprioceptors at the end of each whisker. These can send information to the cat’s brain about the position of its limbs and body. This is one of the reasons why cats can always land on their feet.

So, why don’t cats knock things over? Cats have whiskers on their front and back legs as well. These are called carpal whiskers and they work in the same way as the whiskers on the face, but they have a slightly different purpose. Cats have very bad close up vision. If they catch a mouse or a bird, they can’t see if it is moving or if they have gripped it properly. The carpal whiskers let them feel where the prey is and if it is still or not.

The carpal whiskers also have the nerves and proprioceptors that the facial whiskers have. This allows the cat to sense when things are near just by using the whiskers. My cat appears to effortlessly walk over my dominoes, but the whiskers on each leg are actually sensing the air that is bouncing back off these objects. Like mini sonar on each leg.

Cats lose their whiskers and they grow back, the same as with all of their hair. You should never trim a cat’s whiskers. They depend on them so much to navigate that if you cut them off, the cat will be dizzy and afraid to move. It would be the same as cutting our fingers off. Cats can also get whisker fatigue. This is when they get sensory overload. If their food is in a narrow bowl and their whiskers constantly rub against the bowl, they can get this whisker fatigue.

So, they use these whiskers on their legs to feel what they are holding or standing next to. And that is how they can walk over things like dominos without knocking them over. Unless they want to. Like my cat does. Just as we’re about to finish. Because … he’s a cat … and that’s what cats do! And that is what I learned today.

校庭のクリスマスツリーにあかり が灯り、さあ 12 月だ。

12月 といえば いろいろ な作品があるなあ・・・ 樋口一葉「 大 つごもり」、荒井由実「 12 月の雨」 ・・・ ん? 、マルシャーク「森は生きている」の 原題は「 12 月」 、 ・・・ そして 「マッチ売りの少女」 、 12 月のクリスマスの夜の悲しい物語 ・・・ 。

「“マッチ売りの少女”にしましょう!」

と、幼いころ妹と繰り返し読んだというM 女史 。

「 NPO ことばの ひろば 五億の鈴の音 」 の仲間たちと今年の朗読会で読む作品を選んでいた。 朗読を 通して 、表現活動の場や技術向上の機会を提供 し 、 子どもたちの心と言葉を育むことを目的として活動する NPOである 。

今年は『 大人も子どもも朗読会 』 と題して、 「 12 月 に 「 豊平館 」 を会場に 朗読会のステージに立ってみませんか !」 、と SNS で 呼びかけ 、 8 名の子供と 12 名の大人が名のりをあげ てくれた。 彼らに読んでもらう作品を選んでいたのだ ・・・ 12 月 、 冬、雪の豊平館にふさわしい作品とは・・ ・

選ばれたのは、

1.「雪女」小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)作

2.「注文の多い料理店」宮沢賢治作

3.・・・

M

女史 の ひと 声に、「そうね、いいね」と私も賛成、他のメンバーもうなずき、決定!

「それにしても、 なんて悲しい 、 救いのない・・ ひどい話 ・・」と思っていると、作品担当は私になっていた!読み手に名乗りを上げた3 名の小学生と 3 名の大人の 朗読者に作品解説をし、朗読の練習をするのだ。

「マッチ売りの少女」は、 デンマークが生んだ 偉大な 童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン の名作 だ。「はだかの王様」「人魚姫」「すずの兵隊」「みにくいアヒルの子」「雪の女王」 ・・・アンデルセンの作品を読まずに大人になった人はいないのではないかと思うほど、子どもたちのそばにあった物語達。

彼の作品 に は、アンデルセン自身の波乱万丈 の 人生 が 投影 され、 初期の作品は救いのない結末が多く「死ぬことでしか生きる苦しみから解放されることのない貧しい人々、それに 無関心な冷たい 社会」 が描かれているという。生涯創作活動を続けたアンデルセンは、努力の甲斐あって晩年には社会に一目置かれる存在となり、物語も結末に希望の光が見えるも のに変わっていった。

しかし、「マッチ売りの少女」は比較的後期の作品なのだ。この結末にしたアンデルセンの意図はどこにあるのか。マッチ売りの少女って誰なんだろう・・・ 謎解き「マッチ売りの少女」 の 始ま り靴職人の父と、その父よりかなり年上の 母のもとに生まれたハンス・クリスチャン・アンデルセンは、貧しいながら愛情を受けて育つ。父親は物語を読み聞かせたり、人形劇のおもちゃを手作りしてくれたそうだ。 母は信心深く息子を宝物のように大切にした。 しかし 10 歳でその父親を戦争で失う。生きるために母は再婚し (そうするしか女性には生きるすべがない時代だった) 、ハンスは 15 歳で家を出て自立の道へ。

最初はオペラ歌手 になろうとしたというハンス、挫折と失敗の連続の中、なぜか人に恵まれ、大学に行かせてもら い 、ひとかどの教養を得て文筆活動を始めたようだ。

40歳になり、童話作家として 認められるようになった アンデルセンは、ある日一枚の版画を渡され 、 それに物語をつけてほしいと依頼 され る。手に 、 火が 灯る 一本のろうそくを持った少女の 挿絵 、 そこに 描いた 物語 ・・・とは?

アンデルセンの心に浮かんだのは・・・極貧の家に育ち、幼いころから物売りに出され、稼ぎがないと継父にぶたれながら、なんとか自分の命だけを守りぬいて生きていた少女・・・それはアンデルセンの母のことだった。幼いころ母親から聞いた昔語り、現実とは思えないほど辛く悲しい現実を物語に込めた・・・

「マッチ売りの少女」が世に出たのは1848 年、ヨーロッパは革命の嵐が吹き荒れ、デンマークでも三月革命が起きた。ヨーロッパ全土は3 年に渡る大飢饉で食べるものも行き渡らず、持てる者と持たざる者の格差は広がり、それをどうすることもできない時代の「生きる権利」を求める革命であったそうだ。まさに「死ぬことでしか生きる苦しみから解放されることのない貧しい人々、それに無関心な冷たい社会」を描き出した物語だったのだ。

あまりの悲しい結末に、ある国では後半を大きく変えてハッピーエンドにして出版されたものもあったそうだ。

でも、それはどうなのだろうと思う。アンデルセンが伝えたかった事、残したかったことを読み継ぐことの意味をちゃんと受け止め伝えたい。読んだ者の心に残る「なんてひどい・・・」、いつの世も、どの社会にもいる辛く悲しい境遇の子供たちのことを忘れない、少しでもできることを考える一人であってほしい・・・。

10月、時節柄、オンラインで「朗読会」の練習が始まった。

小学生の理解力、学習力、表現力に感動する! 無垢な心に響いた物語を素直に表現してくる。

「おばあちゃん!」と、少女は大声を上げました。「ねぇ、わたしをいっしょに連れてってくれるの?でも…… マッチがもえつきたら、おばあちゃんもどこかへ行っちゃうんでしょ。……

(青空文庫 大久保ゆう訳「マッチ売りの少女」より)

のくだりを、担当するYちゃんに読まれると、毎回、涙腺崩壊しそうになる・・・

アンデルセンの時代も、今も、かのウクライナにも、ロシアにも、そしてこの日本にも、世界中のどこにでも、自分の力ではどうしようもない弱い立場の人々が存在してしまう人間社会。とりわけ「女の子」がその苦しみを背負わされることが多いことを私たちは知っている。「そのことに気付いて、どうぞ忘れないでいてほしい」、と心に刻みつけるような悲しい物語で、アンデルセンは世に訴えたかったのかもしれない。

『大人も子どもも朗読会』は12月11日日曜日、豊平館のステージでその思いが時を超えて読み継がれる。

教室から外を見ると、クリスマスツリーの輝く木。

スミス先生が創ってくださったこの学校にクリスマスが近づいている。

130年の時を経て、私たちは暖かい教室で、友達がいて、勉強ができていることがどういうことなのか・・・、

Shine like stars in a dark world. クリスマスの夜に、思い出してみてほしい。

 趣味の多い私ですが、その中でも息の長い趣味の一つに編み物があります。初めて編針を持ったのは小学校3年生の冬。冬休みの自由研究にマフラーを作りました。そこから、かれこれ30年以上、季節を問わず、ほぼ毎日のように編み続けています。仕事が忙しかった日も、寝る前に10~15分くらい編み物をすると、リラックスして眠りにつくことができます。編み物は私の生活に欠かせない、ルーティーンの一つです。

編み物の魅力は、なんといっても、自分が頭の中で思い描いた形を、一続きの糸で形作ることができる点だと思います。編み図の通りに作るだけでなく、自分のサイズに合わせたり、違う作品にアレンジしたりすることができます。糸の種類や色を変えれば、同じデザインでも、まったく違った印象のものを作ることも可能です。自分が思い描いたものが完成すると、なんとも言えない達成感を覚えます。最近はサマーニットやこたつカバーなどの大物を作ることが多く、完成した時の喜びもひとしおです。子どもが小さい時は、毎年オリジナルの帽子を作るのも楽しみの一つでした(が、小学生になるとあまり喜んでくれず、ちょっと寂しい……)。

複雑な形や模様の物を編んでいる間は、編み目の数を揃えたり、模様編みにするために編み方を変えたりと、目の前の編み目に集中する必要があります。余計なことを頭で考えながら編むと、間違えてしまいます。反対に、単純な編み目でひたすら同じ編み方をすれば完成する物を作る時には、手だけが同じリズムを作り出し、いろいろなことを考えながら編むことができます。その時々の自分の精神状態に合わせて複雑か単純かを選ぶことで、リフレッシュ効果も高まる気がします。

 調べてみると、編み物には、私が感じているようなリラクゼーション効果が検証されており、欧米では「ニットセラピー」と呼ばれ、うつ病の治療などにも活用されているそうです。また、手先を使うことで脳の活性化につながるため、高齢者のリハビリテーションにも取り入れられることが多いようです。どんな色合わせにするかを考える点ではカラーセラピー的な要素もあり、編み物が持つ効能はさまざまです。

 休日など時間が取れる時は、つい根を詰めて編んでしまい、眼精疲労と肩こりに悩まされることもしばしばですが、これからもたくさん編み続けていきたいと思います。

 

 「絶対に再度、訪ねてみたい」もしくは「もう二度と行きたくない」

インドを訪ねた旅行者は、必ずどちらかに分かれるのだそうです。はたして自分はどちらになるのか実際に体験してみたいということもあって、大学2年生の2月に北部インドへ10日間のバックパッカー(低予算の個人旅行者)の旅に出かけました。


 「人の海」
 インドの第一印象は、人、人、人・・・の波が絶え間なく寄せては返す「人の海」でした。首都のデリー空港に到着して、宿泊するオールド・デリー(当時)のメインバザール(市場)の安宿までの移動中や食事をかねて散策したメインバザールでも、どこからともなく客引きが現れたり、すれ違いざまに耳元で売買できる物をささやく押し売りがいたり、レストランや屋台のボーイからは「ハロー、ジャパニー!(日本人)」「コンニチハ、ジャパニー!」「ゲンキデスカ!」の声が止むことはありませんでした。そのあまりの迫力に、たじろぐばかりでした。

よくよく考えてみれば、初めてのインド旅行で周りをキョロキョロと見回す青白い日本人観光客は、生活がかかっている彼らにとっては、都合の良いお客さんだったに違いありません。その時の自分のようすを思い出すと、苦笑せずにはいられません。しかしながら、滞在日数の経過と共に、次第に緊張もほぐれてきて、近寄ってくるインド人を受け流したり、声掛けに返答したり、時にはこちらから先に話しかけたりしながら「人の海」をかき分けていけるようになっていきました。

「オートリキシャの運転手にぼったくられる」高額料金をぼったくられた大失敗談です。

デリー郊外にあるクトゥブ・ミナール(世界遺産、インド最古のミナール(イスラム教のモスクに付属して建てられる塔))を観光していた時に、オートリキシャの運転手から「今日一日、デリーの観光地をガイドするよ。効率よく観光できて便利だよ。」と声を掛けられました。親切なインド人もいるんだなと思って、ガイドを頼みました。その後、一日をかけて観光が終わり、請求された料金を言われるままに支払いました。3000ルピー(当時の日本円で約10000円)でしたが、その後、ガイド料相場の6倍以上の料金であることを知りましたが、「時すでに遅し」でした。当時の3000ルピーは、1人のバックパッカーが約23週間の旅ができるほどの金額でした。この時は本当に気持ちが落ち込んでしまい、どうしてインドに来てしまったのだろうと自問自答していたことを覚えています。しかし、この大失敗は、その後の旅にとても活かされることとなりました。
 ①事前に料金の相場を調べておくこと。

(事前にホテルやゲストハウスで聞いておく、声を掛けてこない運転手に聞いてみる、

通りすがりのインド人に聞いてみる)

 ②声を掛けてきた運転手、客引きは断る。

③流していたり、声を掛けてこないオートリキシャを利用する。

④料金の交渉を済ませてから乗車する。

⑤交渉がうまくいかなかったら他のオートリキシャと交渉する。

⑥観光できるくらいの豊かさがあるので、ある程度のところで妥協する。

 

  海外での料金交渉のやり方について何も知らなかった青白い日本人のバックパッカーを鍛えて、成長させてくれたインドを再訪問できることを楽しみにしています。

 

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