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英語科の短期留学レポート

英語科の短期留学レポート

大角 舞の留学レポート

 オーストラリア留学を終えて

 留学を終えて2か月以上たったいまレポートをかいていますが、忘れられない思い出や経験がたくさんありました。すごくすごく長いレポートになりますがお許しください。

 

まず初めに、留学前、私は、体調的にも精神的に不安定な状態になってしまっていて正直留学にいくのをやめようか迷っていました!!学校も行けなくて、友達からホストファミリーの情報が載った紙も手渡しでもらいました。

そんな私でしたが、北星に留学した一番の理由が「留学にいきたい」だったので、親からも「具合が悪くなったら迎えに行くから」と心強い言葉をもらい、なんとか初めての海外に飛び立つことができました。その言葉があったから安心して行けました。感謝しかないです。

留学1か月前くらいから全く動けないくらいだったのに、留学から帰ってきたらかなり元気になったので、何事も挑戦してみるのがやっぱり大事だなと学びました。

 初めての国際線に乗り、夕食は私の人生で初の機内食だったのですが、メニューや飲み物を選ぶときにキャビンアテンダントさんに尋ねられたとき英語を使われて“あ、ここは海外だ”と初めて認識したことを覚えています。

 

なんやかんやで爆睡したら着陸して、スーツケースにつけていた南京錠は壊され新品のスーツケースも謎の黒い傷がついていましたが無事オーストラリアに到着しました。

 

 私の一組目のホストファミリーは、マザー、ファザー、私の弟と同い年のブラザー、私と同い年シスターとすごく大きな犬のナディアでした。

 

ブラザーはフットボールをしていて、毎週土曜日は6,7時間フットボールの試合を見ていました。ファミリーがそこのスポンサーをやっていたので朝から試合を見て夜にはスポンサーの集まりみたいなこともよくあって、ず~~~~~~っと外にいる時間が私は正直いって苦痛でした笑。シンプルに寒い。ブラザーの試合は一試合やったら終わるし、ファミリーはファミリーの知り合いだけで会話をするために孤独感がすごくて…笑。でも、オーストラリアのフットボールは面白くて、真ん中に長い棒が二本、その二本を挟むように短い棒が二本あって、玉を蹴っていれます。ラグビーに少し似ているようにも見えました。

 

まぁそのフットボールが引き金となって私はマザーと喧嘩になったわけなのですが。

 

“毎週土曜日はフットボールを見に行く“ということが絶対しなきゃいけないことだと思っていなかった私は土曜に友達と遊びに行く予定をいれてマザーに伝えたのですが、色々と会話でのミスがあって遊びに行く当日に「フットボール見にいかなきゃいけないよ!!」とブチ怒られたので私も負けじと、でも伝えたじゃん!!と言い返したら、めちゃくちゃにマザーから悪口を言われ、最終的にはマザーが現地校の先生に連絡してフットボールの試合が優先されたわけです。が、そのあとマザーと現地校の先生のダブルパンチがしんどすぎて母親に泣きながら電話をかけていた(今考えるとアウトなのかも)のですが、それを無慈悲にもマザーは電話を切れ、と泣いていた私を前にスマホをボックスの中にいれさせました。そのあと結局フットボールを見に行くことになったのですが、スマホ持って行っていい?と聞いたらNO.と言われて、「もしなにかあったらどうするんだ」とかなり怖かったのを覚えています。日本語を使うなって言われました!まぁ確かにそうですがこの時は帰りたいと思いましたね。かなり呪いました。

 

しかしマザーに言われたことから学んだこともあります。すべては“言わなきゃわからない”ということです。このあとマザーに謝罪と今まで不安に思っていたことを手紙という形で伝えましたが、そこでも1回揉めていい方向には働きませんでした。食事中の会話に入ることができないこと予定や目的地をつたえてもらえないことが不安だと伝えたらマザーから、「それは私にはどうすることもできない。私たちは変えられない。」と言われたので、ここにいても楽しくないまま留学が終わってしまう!と思いホストチェンジにも踏み込めました。マザーからの無視やあたりが強くなっていて、辛かったのを覚えています。現地校の先生が新しいホストファミリーの家まで送ってくれることになっていたのですが、迎えに来る予定の30分以上前から玄関前で立たされて「あなたは最低だ。どれだけ失礼だったかを私の知り合いに話して聞かせる必要がある。」とメタメタに言われていました。私をホストしてくれてありがとう、とメタメタに言われた後にマザーに伝えられた私はよく頑張ったと思います。

 

私がホストチェンジしたのは帰国の4日前だったのですが、もう耐えられないと必死にホストチェンジを現地校の先生に求めてよかったなぁとその時心からおもいました。あのままでいたら地獄みたいな留学で終わっていたと思います。私が困っていることやマザーからいわれたことを話したら涙を流しながら抱きしめてくれて、新しい家を探すために一所懸命に動いてくださったWissel先生に本当に助けられました。心から感謝します。日本からのありがとう、オーストラリアまで届け~~!

 

新しいファミリーはマザー、ブラザー、シスターの三人家族でした。とても暖かく私を迎えてくれて今までの息苦しい毎日が嘘のように明るく変わりました。新しいファミリーと過ごせたのはたったの三日間でしたが、正直もうホストステイは行きたくないなあと思っていた気持ちからまた行きたい!と変えてくれたのもこのファミリーのおかげでした。

ブラザーはスクーターに乗りながら、トランポリンをするのが好きで何度も誘われました笑。シスターは器械体操を習っていてその練習風景を見せてくれたり技を教えてくれたりしました。マザーはヨガの先生をしていて、料理が上手で声が優しくて、寝る前は紅茶をいれてくれたりして、本当に家族みんなが優しくて、その温かさにとても救われました。もっと早くこの家にきたかったなぁと思いましたが、前の家があったからこそ、この家のありがたさが心からわかるのだと思うとすべてのことに意味があったのだと気づきます。前の家では、家族が会話をしていると間に割り込んで話すのもよくないなとおもっていたのですが、それによってマザーに「なんで英語を使わないの?」と怒られることがしばしばあったので、新しい家では積極的に話したりわからないことはわからないといったりしました。家族同士で会話をしていると、シスターがそっと「こういう話をしているよ」、とか「大丈夫?」と確認してくれるので本当にありがたかったです。家族のみんなが何かあるたびに「Are you happy?」と聞いてくれるので、毎回幸せだよ、うれしいよ、楽しいよ、と私がこの家族と会えてとても救われたことを何度も伝えました。

たったの三日間でしたが、自分の伝えられる限りの感謝を自分の感謝を表す方法を持っているだけ使って伝えた気がします。前はファミリーを待たせるのが申し訳なくて焦ってしていた服の買い物も、ファミリーと一緒に服を見て、「これが似合っているよ!」とかいいながら買い物できる幸せを感じていました。ネイルをやりあったり、髪を結びあったり、服を交換してみたり、夜遅くまで話したり、シスターとは妹がいたらやってみたいことができてとても楽しかったです。シスターは日本が大好きで「日本にいきたい!ロリータファッションや原宿ファッションがしてみたい!」といっていて、日本語にも興味がありました。もうかわいくて可愛くて沢山物をあげてしまいました。自分に貢ぎ癖があるなんて知らなかった。お揃いで買ったブレスレットを置いてきたことが心残りです。文房具のなかではフリクションがブラザーにもシスターにも大人気で、自分のもっていたものでしたが、反応があまりにもかわいいのであげてしまいました…。

 

家を発つ日の朝はパンケーキとコーリオという少し酸味があって色鮮やかな飲みモノとともに素敵な朝ごはんが準備されていました。とても幸せな時間のあと私はファミリーにお別れをいい、現地校の先生と先生の息子とはるひと少し観光をしたあとに飛行機にのりました。

 

全く学校生活について触れていなかったですが、楽しかったです!とても。はじめは家のほうがつらかったので学校がない日がきつかったです。日曜日は、あ~~明日学校だ~とワクワクしていました。特に私は音楽の授業が大好きで、私はベースを趣味で弾いていたのでバンドに参加してQueenRadio GagaThe cranberriesZombieを弾いたりして、授業を楽しんでいました。私たちが帰ったあとにそのバンドのお披露目みたいなものがあったらしく、参加できないのが悔しかったです。先生にベースを褒めてもらえることなんか中々無い機会なのでとても楽しんで、音楽がある日は特にウキウキで登校していました。

 

ほかの授業も固くるしくなく、体育の授業は音楽がかかっていて、家庭科の授業では家庭科に関してのクイズをスマホやPCで参加して、クラスメイト同士ポイントを競いながらやりました。実際に体験するということが多かったように思います。帰ってきて2か月経ちましたが未だに授業の内容をこと細やかに思い出せます。それと、パソコンを使ってレポートを書く機会が凄く多かったので、時代に合ったスキルが身につくのはとてもいいなと思いました。授業の成績も大学に進学する方法もかなり違って、5年生になったら自分の課題を決めて調査してまとめる時間があって、それを大学にスピーチして合否が決まったりするので、「自分で決めて学ぶ力」が鍛えられるなぁと思いました。冬休みの自由研究を1年かけてやる感じで、日本の論文みたいなものだと思います。学校で鍛えられている力が違うなと思いました。

それと日本語を教える機会があったのですが、自分の母国語を教えるのって楽しいな、と思いました。大体、漢字の読みが二通りあることや、ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字があるよと教えたくらいで驚かれます。

 

留学を通して感じたことは自分の好きな音楽や、本、漫画、アニメ、なんでもいいけれど、自分の好きなものがあるってすごく大きなことだということです。自分の好きなものが意外にもオーストラリアでは人気だったり、知っている人が多かったり。思っている以上に日本のアニメや漫画、ゲームは有名でした。エヴァ、東京喰種、任天堂、スクウェア・エニックス…など、一緒に音楽をとっていた男の子は自分のベースを紫、弦を緑にして初号機にしていました。最高。それと、特別なことは意外にないのかもしれないと思いました。確かにいろいろ違うけれど、自分の学んできたことや感じてきたこと、考えてきたことは自分しか持っていないものなのでそこを何とか伝えられたら、仲良くなれると思います。いや正直かなり苦戦しました。自分から話しかけてみなきゃ、どうにもならないです。日本みたいに雰囲気で察するとか期待せずに、むしろうちらは留学生なので自分から求めなきゃ相手も知る由がないですよね。その一歩を踏み出すのは時間がかかったけど、どうにでもなれって思ってからが山場だと思いました。Snap chat, Instagram, twitter, face book…持っているSNSを駆使して“自分”を伝えたほうが相手も話しかけやすいです。とりあえず話題になりそうなものを作って話したら楽しく会話できると思います。

私は現地の子から中国人についてどう思うの?と聞かれたとき、特別なんの答えの準備もしていなかったけれど、自分が社会の授業でいままで学んできたことを通して自分が思っていたことを伝えて、相手から反応を得られて、一番大事なのは日ごろから自分自身の生活を過ごしながら身近なことについて考えることなのだなと思いました。政治とか日本人そしてもし考えたことがなかったことを聞かれても、相手の質問に自分でちゃんと考えることが大切だと思います。ただ一か月なので、深く話せる人を作るのは結構難しいけれど、運と自分の勇気があればなんでもいけます。

 

一か月は、意外に長いです。思っているようになんて動きませんでしたしすべてが楽しい思い出でもないですが、この留学に行かせてもらえたことへの感謝を考えると、やってみなきゃもったいない気がして、土壇場で何とか頑張れます。バディがいないとき、現地の子と話す機会がなくてこれはマズいぞ、と気づいてからが本番でした。授業は思っている以上に一人でできますが、休み時間に地獄を見ることになるので積極的に聞いたり話したりしたほうがいいです。Hi, how are you? と。聞かるのは調子をこたえるだけじゃなくて、そこから昨日あったことなどの会話を広げる絶好のチャンスだということも学びました。学校のGoodとかBadとかsleepyとかじゃ全然足りない。少しでも話せそうと思ったり、目が合って微笑みあったら話すチャンスです。すべてはガッツ!

 

 Hello. I’m Osumi Mai. I have finished the study abroad 2 month ago. I have lots of memories and experiences.it is too long, sorry.

 First, my feel was bad and I was an emotionally unstable person before go to Australia.

  I was always tired and suddenly cried sometimes. I could not go to school so I thought I am not going to be able to go to study abroad. My mother said me “I’ll go to Australia to pick you up if your feel bad”. The words saved my downing feel and I decided to go. As a result, I could have the amazing experiences.

 If I do not try, I will never know what I am capable.

 

This study abroad is my first experience to go to abroad. I got on the airplane and wondered here is not Japan and I ate the in-fright meal and went to sleep.

After a long fright, I met my host family. My host family has mother, father, sister(she is same glade as me),and brother(he is same age my brother). Plus Nadia( very big dog).

 

My host brother is so kind and dexterity. We made origami but he was better than my.

 He plays the football.  My host family always went to the football game on Saturday So I always went to the football game on Saturday. I thought this routine is not forced.so I made a promise to go to shopping with my friends on Saturday and I told my host mother and she said okay. However there is something mistake and my host mom said me “you can go to shopping after watching football games, you should go to football” on that day. I asked her “What time will the game ends?” She told me the time that too late time to go to shopping so I replied her. That was all discord triggers. She said me so many complain of me and she said me “You are too bad. You are rude”. I will never forget that. I was very sad because I was be careful to not to be rude. She thought my shy character is rude. After quarrel, I tried to join the conversation, speaks to family and help the housework but they did not working for host family.

 

My host family has just talked about themselves and their speaking is too fast for me, I could not join them so I couldn’t understand what they were talking about but I do not want disturb their talking. One time, I became brave I have asked to family what they talk about while they are talking but it was not good reaction and I could not join the talk after asked. Accordingly, I decided to change host family because our relationship looks already broken and I don’t think I can fix it among just 1 month. I think it was very important judge for me.

 

Why could I change the host family? Because of Ms. Wissel. She saved me. I have much thanks that I cannot count for her. I learned we should ask helping as soon as possible if we have worry. Because stay a teacher for international students. I could not speak a lot and I had worry and afraid of start conversation also make topics. However, I most afraid of my host mom at the end so I could try anything because it was nothing more scared than my host mom. I have fear of host stay because that but I can believe it was necessary for my skill up now.

 

 New host family was so sweet, mom has so soft voice and I loved it. She is yoga instructor. Sister and brother was little and cute. My sister always care of me and we always talked. She is interested in Japan so I thought about Japanese pop culture and Japanese language. Brother is funky boy. He always jumped on trampoline riding scooter.

 

 My lifestyle and feeling was change because they are amazing family. I could not believe I wish postpone the back to japan. Everything was my pleasure memories.

 

 I should talk about school!

 

School was so interesting. While lunchtime, fly the bread, cheese and apple. After lunchtime, floor was always dirty and there is something piece of meal.

 

All Class use the laptop and make a report or presentation, It useful skill for our future.

Not just sit down and listening. We have many chances to experience in the class. For the example, I took an outdoor Education class. When we study the camping, we go out and learned how to pitch a tent therefore we do. My school had many based experience class, thanks to that I can remember what we did in the class in Australia.

 I was surprised one is if finish my work, I can go on the smartphone and some student play the computer game while the class. It is unbelievable scene in the Japan.

My favorite class was music. I joined the band and I played the base guitar. We played the Queen’s “Radio Gaga” and the Cranberries “Zombie”. I learned the code, and learned how to use the music soft. It was very fun. I have enjoyed the classes.

  I filled with gratitude for my parents, relatives, friends, teachers, host families and ISA .Thanks for supported me. Thanks for made amazing experiences.

 I will grow up from experiences. I want to going to join anything events of using English more and more.

 At last, when I arrived to Japan, I thought Japan is awesome. I notice Japanese good points and I re- recognized I love Japan. Go to abroad is also good to know own country.

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