学校について

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 本校では来週に1学期中間試験を控えています。1年生,4年生は本校で初めての定期試験であり,在校生以上に緊張している様子が感じられます。いつも以上に学習に真剣に取り組み,お互いに教え合ったり,教員に質問しに行く姿を目にすると,こちらも良質な試験を作らねば,と身が引き締まる思いになります。 

 高校に入学して初めての定期試験での失敗は,今でも私に戒めとして深く刻まれています。小さいころから算数や数学が大好きで得意であった私は,中学卒業までは苦戦したことはありませんでした。高校に入学しても,授業内容はある程度は理解できていたので,何の準備もせず,定期試験に臨みました。お察しの通り,結果は惨憺たるものでした。人間は忘れる生き物です。授業内容をそのときは理解し覚えても,思い出す努力を怠れば,さっぱり忘れてしまいます。また,授業では扱わなかった問題集にほとんど全く取り組まなかったので,圧倒的に練習も不足していました。どう考えても,なめていました。試験を返却されて点数を見たときの衝撃は今でも忘れません。 

 この苦い思い出は,私にとっての大きな学びとなりました。これ以降の定期試験には,十分な準備をするようになりましたし,定期試験以外においても,様々なことに対し,準備を怠らないよう気をつけるようになりました。人間,誰しも失敗はしたくないものですが,失敗することで自覚することもあるのだな,ということにも気づき,以前よりは様々なことに積極的に挑戦するようになった気もします。 

 泣いても笑っても,試験まであと1週間。試験が終わったときに「やり切った!」,返却されたときに「やったー!」と感じられるように,皆が悔いの無い準備をしてくれるといいなと思います。 

古池や 蛙飛び込む 水の音

みなさんご存じの松尾芭蕉の俳句です。五・七・五のリズム感がいいですよね。俳句はこの十七音でできていますが、日本語はどうもこの五や七の音が心地よく感じるようにできているようです。 

こんなことを意識したのは、最近授業で連歌を作り、発表してもらったからです。連歌は初めに五・七・五の句を用意し、そこに別の作者が七・七の句をつなげ、その後も五七五、七七、五七五……とつなげていく複数の作者による合作文学です。授業で聞いてあらためてこの定型は響きがいいなあ、と感じました 

すると実は本校の校歌もそうだと教わりました。ためしに1番の歌詞を上げてみます。(わかりやすく、すべてひらがなにしています) 

 

きたのそらなる⑦ おおぼしは⑤ 

いずこのくまをも⑧ てらすらん⑤ 

ふみのみなかみ⑦ むすぶての⑤ 

しずくごとにぞ⑦ かげはみえける⑦ 

 

なるほどほぼ七五調です。耳なじみがいいのはそういうことか、と一人で腑に落ちました。校歌と言われて自分の頭に浮かぶのはこの曲と出身高校の二曲だけなのですが、もしやと思い返してみるとそちらもやはり七五調でした 

 これはと思い、あれこれみると思いのほかたくさんあります。元素記号の語呂合わせで有名な「水平リーベ/僕の船」もそうですし、かつてテレビCMでよく流れたコンビニのキャッチコピー「セブンイレブン、いい気分」もそうでしたとくに後者は「~ブン、…分」と最後の音を揃えたうえ曲に載せているのでなおさら印象的です曲と言えば、アニメソングの「残酷な天使のテーゼ」はテレビ番組の曲解説で、五七調の多用が指摘されていたようです。 

そんな中でも印象的だったのは有名なタワーレコードの「No Music,No Life」です今でも一向に古びない傑作コピーだと思いますが、日本語に起こすと「ノーミュージック、ノーライフ」となり七五調になります。(長音「ー」や促音「ッ」はそれぞれ1音と数え、「ミュ」はまとめて1音と数えます) 

もちろん意味的にも音楽に携わる企業としての哲学を端的に示す素晴らしいコピーだと思うのですが、言葉の響きにおいても英語のみならず日本語としても語呂がいい長年愛されるべくして愛される作品なのだと、あらためて感心させられました。 

こんな感じで私たちの身の回りにはたくさんの七五調や五七調の表現があります。みなさんもふと見かけたら、口ずさんでみてください。リズムの良さが響くと思います。 

我が家には6才になる猫がいます。今回は,この猫の行動について紹介したいと思います。 

 この猫に毎朝,ブラッシングを要求されます。場所は必ず子供の学習机と決まっています。朝起きていくと,ヤレヤレという感じで伸びをしながら机へ誘導され,飛び乗ってゴロゴロ転がります。これがブラッシングをしてほしいサインです。ブラシもお気に入りがあり,違うブラシを使うとすぐ怒られて嚙まれます。わがままに育てすぎたのかな…。しかし,ある日から朝起きていくと,もうすでに机にスタンバイしているようになりました。時計が読めるかのように,外が明るい暗い関係なく机の上でスタンバイしています。猫には体内時計があるのだなと日々感じるようになりました 

 体内時計エピソードは他にもあります。うちの食事は基本,一日2食にしています。朝起きてからと夕方です。しかし,病院で体重増加を指摘され食事制限されてからエサの要求もするようになりました。最初は夜泣き?朝泣き?で可愛い要求だったので,大谷選手のように『心地いい寝不足』だったのですが,これが日に日に早くなってきました。もう寝不足になって大変!となったので,ついに耐えることができず自動エサやり器を導入することにしました。朝食は4時,夕食も16時と決めセッティングしていますが,ほぼ毎回エサが出る前にはもうスタンバイしています。ひどい時には1時間以上前からスタンバイです。エサが足りないのは知っていますが,これが適正量だと言われているから…。 

 動物には生き延びるために体内時計(生物時計)があるようです。我が家には毎年夏にはクワガタが玄関に仲間入りします。昆虫にも体内時計があるのか?今度はクワガタにも注目してみようと思います。 

 私たちの多くは忙しい生活を送っています。「もう限界」と思った矢先に、また次の何か新しい問題と向き合わなければならなくなり、そして、どういうわけか、私たちはそれを受け入れる余地を作ってしまいます。この絶え間ない忙しさの中で、ともすれば押し出されてしまうものこそ、私たちの人生を価値あるものにしてくれるものだと思います。

私にとって、それは喜びです。喜びは自然に生まれてくるものであり、予期せぬものです。喜びは突然私たちを訪れ、元気づけ、前進し続けるエネルギーを与えてくれます。喜びは生命を支えるものともいえるでしょう。

喜びをもたらす仕事に就けている私は幸運だと思っています。生徒たちがあれこれと自分の考えや思いを語るのを聞くこと、いろいろなアイデアに取り組み、理解を深めていく言葉を聞くことが大好きで教師になりました。生徒たちと話すことは、私により若い新しい視点で世界を見る力を与えてくれます。私にとって生徒たちとともに過ごせる学校は、単なる仕事の場ではなく、最もエネルギーを感じられる場所です。

仕事は大好きですが、私にはもっと何かが必要だと感じています。日本に引っ越す前は、仕事以外の豊かな生活が私を支えてくれました。これからの生活においても私を支えるための喜びとつながりが必要です。そして今、私はつながりをもったいろいろな人の「喜び」に目を向けています。

第12代校長のエリザベス・M・エヴァンスは、教育と演劇に情熱を持った女性でした。私たちにとって幸運なことに職業としては教育を選択し、40年間北星女子で教鞭を執りつつ、常に演劇への情熱も持ち続けていました。毎年、生徒たちと一緒に数々の英語劇を制作し、その才能と情熱を次世代に伝えてきました。エヴァンス校長の歩みを考えると、私たちは必ずしもどちらか一方を選ぶ必要はないのだということを思い知らされます。自分の仕事と好きなことを織り交ぜれば、より素晴らしいもの力強いものを創造できるのです。

 

 

最近、介護施設への入所準備をしているという卒業生から学校へ連絡が届きました。1950年代に卒業したその卒業生は、北星女子が自分自身に与えた影響を伝えたいと思っていたようです。彼女は子育てを終えた後、ヨーロッパを旅する機会に恵まれ、そこで見たステンドグラスの素晴らしさに感銘を受けました。 その美しさは学生時代に身近にあったステンドグラスを思い起こすことにつながり、自らもステンドグラスを学ぶことを決意したといいます。訪問させていただいたご自宅には、四季折々のステンドグラスが飾られていました。彼女の製作する作品は、光と色彩を分かち合う喜びを目に見える形にしたものだと感じました。始めるのに遅すぎるということはないと教えてくれる出会いでした。

宗教主任の小西先生は講堂礼拝のお話で鉄道への愛を語ってくれました。阪急電鉄2300系「PRiVACE」に乗った時の写真を見せながら、お正月にご家族と大阪から京都へ旅行したときのことを目を輝かせて語ってくれました。車両や座席、窓の様子などを詳しく説明する小西先生は喜びにあふれ、ともに礼拝する人々を魅了していきました。何かを深く愛するということは魔法のようです。小西先生の情熱は、喜びは広がり、つながっていくものだということを教えてくれました。

最後に、1992年に私が初めて北星女子で受け持った生徒の話をしたいと思います。彼女は現在、東京でキャリア・カウンセラーとして活躍しており、本校4年生に「自分の好きなことを見つける」ことについて講演するために母校に戻ってきました。私は彼女の話を聞きながら、そのメッセージが私自身のメッセージと重なっていることを痛感しました。彼女は生徒たちに情熱的に語りかけ、自分の好きなことを見つけるために時間を費やすことで、自分自身に投資するよう勧めました。彼女の人生は、自分の仕事と価値観が一致すると、充実感を得ることができ、出会った人々と情熱を分かち合うことができ、大きな影響を与えることができるということを証明しています。

誰の人生も、静かな喜びの糸で紡がれています。私にとってそれはかつて庭、歌、本、そして会話の中にありました。今、新しい環境で、私は再び喜びを探し、その糸を辿っています。あなたはどうですか?喜びを受け入れる余地をもっていますか?それとも、今は探す時でしょうか?あなたに安らぎをもたらすものに気づいてください。あなたを輝かせてくれる人に気づいてください。あなたのエネルギーが湧き上がる場所に気づいてください。それらに気づく瞬間瞬間に私たちを支え、安らぎをもたらしてくれるものの兆しが隠れているのです。

そしておそらく、喜びを感じることで私たちは単に人生に満足するだけではなく、それぞれが本来あるべき姿へと成長しているのです。

 

Cultivating Joy
Many of us lead busy lives. Just as we think we’ve reached our limit, something new pops up—and somehow, we make room for it. In this constant rush, I worry that what gets squeezed out is precisely the thing that makes life worth living.

For me, that thing is joy. Joy is spontaneous and unexpected. It comes in spurts, surprising us, lifting us up, and giving us the energy to keep going. Joy is life sustaining, and therefore, too important to be left to chance.

I count myself lucky to do work that brings me joy. I became a teacher because I love listening to young people think out loud — wrestling with ideas and developing new understandings. When I speak with students, their perspectives help me see the world through new, younger eyes. For me, working with students is not just work—it’s where I feel most energized.

As much as I love my work, I believe I need more. To give fully, I must live fully. Before moving to Japan, I had a rich life outside work that sustained me. Now, in this new chapter, I find myself seeking again for the joy and connection I need to sustain me. And so, I find myself looking now to others whose lives radiate joy.

Let me share a few.

Elizabeth M. Evans, the 12th principal of Hokusei, had two loves: teaching and acting. Luckily for us, she chose teaching. Ms. Evans taught at Hokusei for 40 years and she brought her love of theater with her. Each year, she produced multiple English plays with the students, sharing her talent and her passion with the next generation. Her story reminds me that we don’t always have to choose. When we weave together what we do and what we love, we can create something greater and more powerful.

Another spark came from a graduate who recently reached out as she prepared to enter a care facility. She had graduated in the 1950s and wanted to tell us how Hokusei shaped her path. After raising her children, she journeyed through Europe, where she marveled at the splendor of the stained glass windows.  The beauty reminded her of the stained glass she had loved as a student, and she decided to learn the craft herself. When we visited her, we saw her vast collection of art to reflect the seasons. She had created tangible artifacts of joy to share light and color with those in her life. Her story whispered: it is never too late to begin.

Then there’s Mr. Konishi, our chaplain, who once shared his love of trains during worship. His eyes lit up as he showed photos of his trip on the Hankyu Densha 2300 “Privace” and told of his trip with his family from Osaka to Kyoto over New Years. As he described the train car, the seats, and the windows in detail, his joy was contagious. That’s the magic of loving something deeply—it spills over and invites others in. His passion reminded me that joy doesn’t stay small; it expands and connects.

My final inspiration is from a former student from my first Hokusei class in 1992. Now a career counselor in Tokyo, she returned to speak with our tenth graders about discovering what they love. As I listened, I was struck by how her message mirrored my own. She spoke passionately to the students, urging them to invest in themselves by spending the time to discover what they love. Her life is proof that when we align our work with our values, we can find fulfillment, share our passions, and have a lasting impact on those we encounter.

We all have quiet threads of joy running through our lives. For me, it once lived in gardens, singing, books, and conversations. Now, in new surroundings, I’m seeking again, tracing the thread anew. What about you? Are you making room for joy—or is it time to search again? Notice what brings you peace. Notice who lights you up. Notice where your energy rises. In those moments lie the signs of what will sustain us and bring us peace.

And perhaps, in choosing joy, we aren’t just filling our lives—we’re growing into who we were meant to be.

 

 わたしは学校で働く以前に、教会の牧師と幼稚園の園長として働いていました園長として勤める中で、子どもたちと何かをする時には本気でするということを心がけていました。たとえば、子どもたちと一緒にリレーをする時には本気で走る、サッカーボールを蹴る時も本気で蹴る。わたしが 子どもたちに本気で接するようになったのは、一つの出来事がきっかけでした。ある冬の日、園庭の雪山を登って降りるリレーをしていた時のことです。いよいよ、わたしが走る番。本気で走ったら、明らかに自分が勝ってしまう。だから、手を抜いていつもより走るスピードを抑えることにしました。結局、わたしが走ったチームは負けました。リレーが終わった後、勝ったチームや負けたチームに関係なく子どもたちがわたしのところに詰め寄ってきて言いました。「園長先生、どうして本気で走らなかったの!!本気で走ってよ!」。子どもたちから本気で走らなかったわたしへの失望感を感じられたのですわたしとしては良かれと思ってしたのですが、子どもたちからすると期待はずれの行動だったのです。子どもからみると圧倒的に足が速い園長先生は憧れの存在であったようです。 

 その時から子どもたちが「あんなふうに早く走ってみたい」と思えるロールモデルになれたらいいなと考え始めました。だから、子どもたちと走る時には、手を抜かず本気を出すことにしたのです。 

幼少期にこういう大人になりたい、一つの指標となるような人に出会えることは、自己を形成するのに重要なことです。逆に幼少期からロールモデルになり得る人がいないと、自我の形成にかなり課題が出てくると言われています。また、思春期の頃にロールモデルといえるような人に出会えないと、こういう人になりたい」「こうありたい」という思いが育ちにくいとも言われています。 

 そうであるならば、せっかく学校で働いているのですから中学生や高校生たちにとっても憧れの大人でと思います。とは言っても、45歳の中年のおじさん。そんなおじさんに女子中学高校生が憧れるとは思えないと一方では思いつつ…。 

 先日、中学1年生の「緑の教室」が1泊2日×3クラスで開催されました。緑の教室は「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(フィリピの信徒への手紙2:4)という聖書の言葉をテーマにして、クラスづくりを目的にしています。一日目の午後、公園に出かけました。面白いもので、どのクラスも自然と鬼ごっこが始めます。もちろん、わたしは鬼になって本気で追いかけます。「先生、足早い」と言われながら、40分間ほぼ走り続けました後で「先生、走り方が本気すぎてこわい」と言われました。きっと本当にこわかったのかもしれませんね…。園長をしていたあの時のわたしは20代後半から30代後半。あれから15年の月日が流れ、明らかに瞬発力も体のしなやかさも落ちてきています。でも、45歳になっても中学生よりも早く走れる大人でいたい。70歳になっても本気で走る大人でいたい。それが今のわたしの願いです。 

なぜ物事が起こるのか、不思議に思うことはないだろうか。空が青いのはなぜだろう?あるいは、過去にタイムトラベルすることは可能だろうか。あるいは、電気自動車はどれくらいのスピードで走ることができるのだろう?私はいつもそんなことを考えている。そして3年半ほど前、私はそれを突き止めようとし始めた。

3年半、つまり1,282日間、私は毎日1つのトピックを研究し、それについて書いてきた。物事を読んでも理解できないことが多いからだ。書くことですっきりすることもある。きっかけは、娘が私に質問し続けたことだった。娘は今12歳ですが、当時は質問攻めの時期でした。どうして?」「どうして?」「どうして?」と聞かれ続け、私は「わからない」「わからない」「わからない」と言い続けていた。そしてある日、ふと「わからないけど、わからないわけがない」と思った。

私たちはいつでも世界中の情報にアクセスできる。私の手元にある携帯電話には、これまでの人類の知識の総和が入っている。それは、私たちの時代以前には決して不可能なことだった。文明の初期には、周囲の人々の頭の中にあるすべての知識にアクセスすることしかできなかった。印刷機が発明された後は、手に入るすべての書物にアクセスすることしかできなかった。その後、大量生産された紙と図書館によって、図書館にあるすべての情報にアクセスできるようになった。あなたの祖父母は、図書館にあるすべての情報にアクセスすることしかできなかった。あなたは全世界の情報にアクセスできる。生きていることが信じられないような時代だ。

だから、私は自分の疑問に対する答えを見つけようと決めた。そしてね。答えが見つかれば見つかるほど、疑問も増えていく。そして、私は進み続ける。1,282日目だが、まだ疑問は尽きない。魅力的な旅だった。

私の記事をご覧になりたい方は、こちら: ilearnedthistoday.com 英語で読むことも、日本語に翻訳することもできます。もしかしたら、自分の疑問に対する答えを見つけ始めるきっかけになるかもしれない。

DeepL.com(無料版)で翻訳しました。

 

Do you ever wonder why some things happen? Do you wonder why the sky is blue? Or maybe you wonder if it’s possible to time travel into the past. Or maybe you wonder how fast an electric car can go. I wonder about these things all the time. And about three and a half years ago, I started trying to find out.

For three and a half years, or 1,282 days, I have been researching one topic every day and writing about it. I write about it to help me understand it because I don’t always understand things when I read them. Writing helps to clear it up for me sometimes. It all started when my daughter kept asking me questions. She is 12 now, but at the time she was going through her question phase. She kept asking me “why?”, “why?”, “why?”, and I kept saying “I don’t know”, “I don’t know”, “I don’t know”. Then, one day, I suddenly thought that I didn’t know, but there was no reason why I couldn’t find out.

We have access to all of the information in the world whenever we want it. I have a phone in my hand that contains the sum of human knowledge so far. That has never been possible before our time. In the early days of civilization, you could only have access to all of the knowledge in the heads of the people around you. Then, after the printing press was invented, you could only have access to all of the books you could find. Then, with mass-produced paper and libraries, you could have access to all of the information in a library. Your grandparents could only ever have access to all of the information in a library. You have access to all of the information in the entire world. This is an incredible time to be alive. 

So, I decided that I would start to find out the answers to my questions. And, you know what? The more answers you find, the more questions you have. And I just keep going. 1,282 days in and I haven’t run out of questions yet. It’s been a fascinating journey.

If you’d like to see my articles, they are here:  ilearnedthistoday.com  You can read them in English, or translate them into Japanese. Maybe it will inspire you to start finding the answers to your questions. 

去年の今頃「新しい出会い」として、私の“庭いじり”の話を書いた。あれから1年…多くの出会いがあったが、我が家の庭においても例外ではなかった。 

 私がいじりを始めたきっかけは“ドクダミ”“スギナ”との出会い。夢中になって根をほじくりまくった結果、なんと!昨年の夏はほとんど彼らと戦うことはなく過ごすことができた。その代わり、別の植物がどんどん根を張るようになってきた。強い種がいなくなると、次に自分の出番だと言わんばかりに、主張し始めた草たち…。彼らの名は“カタバミ”である。クローバーにも似た葉を茂らせ、可愛らしい花を咲かせている。 

 今更ながら“雑草”にも多くの種類があることに気付いた。書店の園芸書コーナーには“ガーデニング”“家庭菜園”の本と並んで“雑草辞典”なるものが置いてあった。『草取りが楽しくなる』とのキャッチフレーズがあり早速購入。庭にある雑草と見比べながら草取りに向かう日々に突入した。名前を知り、更に特性(地下茎が垂直に伸びる、地面を這うように伸びるなど)を知ることで、本当に草取りが楽しみとなった。1年前までは敵視していた草花にも愛着を感じ、「このあたりはドクダミを残そう」「ここはカタバミエリアで」と雑草を生かす道も考えるようになった。なんとなくガーデニングっぽくなってきたかな? 

 さて、雑草との付き合い方にも慣れてきたところでようやく他の植物とも付き合ってみようという気持ちになってきた。菊、アヤメギボウシ、コスモス、オニユリ…放置していると自由気ままに増殖している植物がたくさん存在している。次の雪解けからは、そちらにも目を向けていきたいな…と降り積もる雪の下の様子を想像しながらニヤニヤとカーテンを開けている。 

 

今年もまた庭先での新しい出会いを待ち望んでいる今日この頃である。 

大学生の頃、夏休みになると父が働いていたビール工場でアルバイトをすることがあった。大きくて大きな音がする機械が並ぶ暑い工場で、私の仕事はたいてい、foam-picking(泡拾いと呼ばれるものだった。ビールが詰まった瓶がベルトコンベアに乗って目の前を通り過ぎる。泡拾いの仕事は、泡が多すぎる瓶を見つけることだ。泡が多いということは、瓶の中に空気が入っているか、ビールに沈殿物が混じっている可能性があるためである。また、倒れている瓶を取り除くことも兼務しなければいけない。私はPhil(フィルという年配の男性にこの仕事を教わった。私は一本も不良品を見逃さないぞという熱意を持ち、何千本もの瓶がベルトコンベアの上を通過するのを注意深く見ていた。最初の1時間では、ひっくり返った瓶は2、3本しか見なかったし、泡が多すぎる瓶は1本も確認できなかった。不良品が少なかったので、この仕事はこんなにも退屈なものなのかとフィルに尋ねた。彼は笑って言った。「倒れている瓶を20本、泡が多すぎる瓶はその2倍は見逃しているじゃないか!」。 

私は信じられなかった。こんなにたくさんの瓶をチェックしなければならないのに、一体誰が見逃さずに見つかられるのだろうか私はフィルにアドバイスが欲しいかどうか聞かれた私は「もちろん、聞かせてほしい」と即答した。彼は私の肩に手を置き、ベルトコンベアから3歩後ろに引いた。突然、彼は私の学校について聞いてきた。私が何を勉強しているのか、クラスには何人の生徒がいるのか、先生をどう思っているのか。話をしながらベルトコンベアを眺めていたところ泡が多い瓶を見つけた。そしてその不良品をベルトコンベアから外し作業と会話を続けた。フィルが除けることもあれば、私が対応することもあった。さらに一時間が経過しところ、フィルは言った。あまり近くから見ていると、疲れてついていけなくなるよ。でも1歩下がって広範囲をみると、悪いものが目立つように見えるのさ」。その日が終わるころには、瓶を見逃すことはなくなっていた。フィルは満足して別のポジションに移動したが、私は彼のアドバイスに価値を見出した。一歩引いて全体を眺めるということは、この仕事だけではなく、様々なことに言えることでもあるからだ。 

問題には集中が必要なこともあるが、解決策を見出すために一歩引くことが必要なこともある。チェスの棋士は、次の一手を数分間考えることがあるが、手を打った1秒後には、それがとんでもない失策であったことに気づくこともある象の写真を30cm離れたところから撮ったところで一体どのくらいの人が「象だ!」と気が付くことができるだろうか 

常にズームアウトして問題に集中しろとは言わないが、時には問題から一歩離れて散歩に出かけたり、友人と話したりすることが助けになることもある。たくさんの生徒たちが、間違いをすべて直してほしいと私に頼んできた。英語の本を読み、知らない単語を片っ端から調べ、文法が完璧だとわからない限り文章を口にしない。その結果、英語に飽きてしまう。本を一冊読み終えることもなく、自分の英語に自信を失ってしまうのだ。 

3歩下がって見てみよう。会話の相手に意味が伝わったなら、あなたの文章は問題ないのである。本のページを最後まで読んで、すべての単語が分からなくても、何が起こったか分かったなら、そのページはうまく読めたことになる!そして、必要なときには、一歩離れて、昼寝をしたり、休息をとったりして、また戻ればよい。一歩離れている間も、あなたの脳はしっかりと取り組めているのだ 

全体像を捉えてみよう。あなたはコミュニケーションをとり、本を読み、学んでいるのです。 

When I was a university student, during my summer vacations I would sometimes work part-time at the brewery where my father worked. It was a hot factory with big, loud machines. Usually, my job there was called foam-picking. Bottles full of beer pass by you on a conveyor belt, and in a work shift you would see 400,000 bottles pass right in front of you. A foam-picker’s job is to see which bottles have too much foam. That could mean that air was getting into the bottle, or that some kind of sediment got into the beer. Also, if bottles tipped over, it was a foam-picker’s job to remove the bottle from circulation. I was trained to do this job by a much older man, named Phil. I was eager to do a good job, and I watched the bottles on the conveyor belt closely as the thousands of bottles passed by. I wanted to make sure I didn’t miss a single one. Within the first hour, I had only seen a couple of bottles that had tipped over, and I hadn’t identified a single one with too much foam. I asked Phil if the job was always so boring. He laughed and said, “Boring? You’ve missed about twenty tipped bottles and twice as many with too much foam!”  

I couldn’t believe it. How did anyone catch anything when there were so many bottles to check? Phil asked me if I wanted some advice. Of course I did! He put his hand on my shoulder and pulled me three steps back away from the conveyor belt. Suddenly, he was asking me about my school. He wanted to know what I studied, how many students were in my classes, and what I thought of my teachers. As we talked, I noticed the first beer with too much foam. I took it off the conveyor belt. Sometimes Phil would grab one, sometimes I would. After another hour he said, “If you stare at the bottles from too close, you’ll never be able to keep up with them. They’ll hypnotize you. If you step back and look at them all at once, the bad ones will stick out.” By the end of the day, I’d stopped missing bottles. Phil was satisfied, and went to work somewhere else, but I really saw the value in his advice.  

Sometimes, problems need focus, but sometimes they need you to take a step back in order to see the solution. A chess player will sometimes think of his next move for several minutes, but one second after he makes his move he will recognize that it was a terrible blunder. Try and take a photo of an elephant from 30 cm away, and see how many people can identify what it is. 

I’m not saying we need to zoom out all the time and never focus on a problem, but sometimes it can help to take a step away from a problem and go for a walk or talk to a friend. So many of my students have asked me to correct all their mistakes. They read English books, looking up every single word they don’t know, and they won’t utter a sentence unless they know the grammar is perfect. The end result of this practice is a person who quickly gets tired of conversing in English. It’s a person who never finishes a book, and it’s a person who loses confidence in their English.  

Take three steps back. If your conversation partner got your meaning, then your sentence was okay. If you got to the end of the page in your book and you know what happened, even though you didn’t know all the words, you read that page successfully! And when you need to, step away, take a nap, have a rest, then get back to it! Your brain is working on your problems even when you step away.  

Look at the big picture. You’re communicating, you’re reading, and you’re learning. 

 数年前から、我が家の日曜日夕方は、NHK大河ドラマを見る時間となっています(我が家ではBSで見ているため、18:00から視聴しています)。大河ドラマというと、「戦国時代」「明治維新前夜」のような、武士が中心となった時代劇という印象が強いと思います。しかし2024年は紫式部を主人公とした「光る君へ」、そして今年は蔦屋重三郎を主人公とした「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」が放映されています。どちらも、直接的には武士とは無関係な人物が主人公となっています。この二人、接点がないように見えますが、実は「文学」に携わったという点が共通しています。かたや平安時代中期に『源氏物語』を執筆して同時代以降の物語に多大な影響を与えた人物、かたや江戸時代の出版人で、蔦屋が手がけた出版物には浮世絵以外に戯作(江戸時代の通俗小説類の総称)があります。ちなみに、蔦屋重三郎とTSUTAYAは無関係という記事が、NHKHPで紹介されていました(「べらぼう」蔦屋重三郎とTSUTAYA(ツタヤ)の関係は? 大河ドラマ時代考証担当・鈴木俊幸さんが語る主人公の魅力、NHK首都圏ナビ)。閑話休題その一。

 さて、今回は二人が直接関わった文学作品について……ではなく、どうして1,000年以上前の本を現代の私たちが読むことができるのか? ということがテーマです。先ほど、蔦屋重三郎は江戸時代の出版人と紹介しましたが、江戸時代には木版印刷が普及し、多数の書籍が「出版」されていました。では、紫式部が活躍していた時代、彼女は『源氏物語』を手書きした後、印刷したのでしょうか? ちなみに、印刷技術自体は奈良時代には日本に輸入され、経典の製作方法として受け継がれてきました。なんと、現存する世界最古の出版物は日本にあります。770年に法隆寺などに納められた仏教経典「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)」が、それです。閑話休題その二。

 『源氏物語』は、紫式部が手書きした後、すぐに印刷されたのか? という問いの答えは×です。「光る君へ」では紫式部が『源氏物語』の一部を書き上げ、藤原道長がその原稿を受け取った後、「では、さっそく書き写させよう」というやりとりが描かれていました(道長の科白はうろ覚えのため、ちがっているかもしれません)。平安時代から江戸時代初期まで、物語のような書物が「印刷」されることはなかったのです。

では、どうやって『源氏物語』は広まっていったのかというと、「面白い」と思った人間が自分で手書きしたり、あるいは書き写させたりして複数の「写本」が生み出されたのです。

人間の手作業ですから、現代のように同じタイトルの本が一度に何万部も作られるわけもなく、そんなに数多くの本が書き写されたわけではないでしょう。しかも「紙」ですから、虫に食われたり火事で焼失してしまったりなど、本が生き残るには過酷な環境が数百年以上続いていたのです。なお、江戸時代には木版出版が普及と書きましたが、それでも1,000部を印刷・製本するには、かなりの労力が必要だったはずです(「江戸時代のベストセラー」もうひとつの学芸員室HP参照)。

 そんな過酷な環境で、多数の本が生き残ってきたのはなぜでしょう? 残念ながら、執筆はされたものの消えてしまった作品は、現存する古典作品の何倍、何十倍もあったはずです(「散逸物語」の研究、という分野が国文学にあるくらいです)。しかし、様々なアクシデントを乗り越え、今の世まで作品が残ってきたのは、ひとえにそれぞれの本を「面白い」と思い、「大切にしよう」と考えた一人一人の読者の熱意によって生み出された奇跡だと思います。

人は、時に『本』によって成長したり、癒やされたり、救われたりするものです。そんなステキな本との出会いを求め、「奇跡」を生み出す一人になってみませんか?

今年の夏に、第1実験室に長く住んでいたピラニアの『ピラコ』がお亡くなりになりました。休みの日に締め切った部屋の温度が30度を超え、お年を召したピラコには耐えられなかったようです。最近救急車の音をよく耳にします。お年寄りが増え、暑さ寒さや気温の激しい変化に耐えられなくなってきているのでは心配します。 

ピラコが北星に来て10年ほどになるでしょうか。最初は数センチの小魚でした。はじめは3兄弟(姉妹?)でしたが、休み中に自動エサやり機がうまく作動せず、2匹が食料となりました。最後に残ったピラコは他の2匹の命を授かっていると思い大切に育てました。銀色でピラニアらしさが感じられなかった小魚が、やがて赤い模様と金色のうろこを備えた美しいピラニアに育ちました。長期休み中のエサは、水が腐らないように生餌にしました。10日以上餌やりに来れないときは、金魚を10匹水槽に入れました。午前中に入れた金魚10匹が、その日の帰りに1匹もいなくなっていたときは驚愕しました。20㎝くらいの体のどこに10匹の金魚が入ったのでしょう。 

ピラコが来たばかりのころは、ピラニアを学校で飼うことに対して反発や不安の声がありました。ピラニアは怖い、危ないというイメージが強かったためです。実際のピラニアは、アマゾンでは食べる側より食べられる側に位置し、大変臆病な魚です。神経質で、はじめは草陰からじっとこちらの様子をうかがっていて、餌を上げてもなかなか出てきてくれませんでした。しかし多くの生徒たちに可愛がられ、水槽の手前に来て交流できるようにまでなりました。こちらが捕まえようとしたら、もしかしたら反撃するかもしれません。しかし10年間毎週のように水槽に手を入れて掃除をしていましたが、襲い掛かってきたことはありません。声をかけるとパタパタとからだを振ってこたえてくれるまで信頼関係ができたことをうれしく思いました。学校説明会では、見学ツアーで観光名所になっていました。ピラニアを飼っている学校はなかなかないのでしょう。不安に思う方もいましたが、ピラニアは臆病な魚で、いつも水槽に手を入れて掃除しても大丈夫ですと説明したら驚かれました。 

ピラコが水槽に沈んでいた時、多くの生徒が心配して声をかけてくれました。荒く息をしたまま1日頑張ったのですが、次の日の朝に動かなくなりました。ピラコがいなくなり、がらんとした水槽はひどく寂しく、いつのまにかピラコが大きな存在になっていたことに気づきました。 

生き物との関わりは不思議なもので、こちらが関わらないと相手もこちらに対して特に関心を示しませんが、こちらの関わり方によって思ってもいなかったような顔を見せてくれます。逆に言えば、人の影響力は計り知れないもので、その生き物の在り方まで変えてしまう力があるのかもしれません。いつも肩にのせて一緒に散歩していたインコ、夜中に起こしに来て、手に乗っていきたい方向を向くハムスター、可愛いと言われると可愛いポーズをとるウサギ、餌をもらうために頭を撫でさせに来るウーパールーパー…他の人から見ると信じられないような動物たちを多く目にしてきました。人も人との関わりの中でいくらでも変わっていける可能性を持っているのではないでしょうか。 

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