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近年、人工知能(AI)の進化が大きく取り上げられています。私たちの身近な生活にも少しずつ入り込んできましたが、教育、とりわけ英語学習にもAIは大きな可能性を秘めています。 

たとえば、これまで分からない単語は辞書で調べることが基本でしたが、AIを使えば文章の流れに合った自然な訳や言い換えを提示してくれます。また、自分の書いた英文を瞬時に添削し、より良い表現を教えてくれるため、学習の効率が大幅に上がります。 

さらに、AIは個別最適化に強みがあり、生徒一人ひとりの弱点を把握し、必要な練習問題や学習のステップを提案してくれます。たとえば、リスニングが苦手な生徒には、スピードを調整した音声練習を、文法が苦手な生徒には基礎問題の反復を、といった形で柔軟に対応してくれます 

もちろん、AIは万能ではありません。自動翻訳や添削は便利ですが、そこに完全に頼ってしまうと自分で考える力や、言いたいことを相手に伝える力が育ちにくくなります。英語を学ぶ本当の目的は、テストで高得点を取ることではなく、相手と気持ちを通わせるコミュニケーション力を身につけることにあります。その能力は、仲間との対話や授業でのやり取りを通じてこそ培われるものです 

AIはあくまで学びを助ける道具にすぎません。正しく使えば生徒の主体的な学習を促し、保護者の皆さまにとっても家庭での学習サポートに役立ちます。そして私たち教員にとっても、生徒一人ひとりに向き合う時間を増やすために大きな助けとなります 

これからの英語教育は、「人」と「AI」が協力して進める時代になります。私たちも積極的に新しいツールを学びながら、生徒たちがより自信をもって英語を使えるよう、一緒に取り組んでいきたいと思います。 

 

早いもので2025年度も前期の終業礼拝を迎えます。皆さんにとって、前期にはどんな出来事がありましたか。 
 私にとって、一番印象深い出来事を紹介したいと思います。 

夏季休暇中の8月上旬のある日、スマホにショートメールが届きました。 

送り主は高校時代の部活動の顧問でもあり大学卒業後に福岡で教員をしていた6年の間に、公私にわたってお世話になった恩師でした。 

 私の郷里は福岡県で、高校を卒業するまで福岡で過ごし高校では入学と同時にレスリング部に入部しました。当時はほとんどの選手が高校から競技を始めること、他の競技に比べて競技人口が決して多くはないのでインターハイなどの全国大会への出場機会にめぐまれていること、階級制の競技のため体重差によるハンディがないこと、そして1988年に開催された韓国でのソウルオリンピック大会の日本代表候補でもある顧問の指導が受けられることが入部の理由でした。 

当時の顧問は、レスリングの競技力は言うまでもなく、長距離走では部員に一切負けることがなく、高校の体育館の天井から床まで吊り下げられていたロープ(綱引き用のロープを吊り下げたもの)を両腕だけで軽々と3往復できる筋力を身につけていました。 

また、考え方が常にポジティブな方です。今でも時々思い出す言葉がたくさんあります 

「レスリングは、頭脳8割、体力2割」 

誰でも1日は24時間。その24時間をどう使うのかは自分次第」 

「2時間の練習時間を嫌々やっても2時間、よし集中して出し切ろうとやっても2時間」 

「追い込まれたときに必ず本当の自分が出るよ。いつも追い込まれた時追い込まれた自分を意識して取り組もう」 

「勝ったら勝った時、負けたら負けた時」 

「高校3年間だけ強ければよい、勝てばいいのではないよ。これから先の人生で何があるか分からないよ。その人生を生き抜く、あるいは乗り越えていくことのほうがもっと大切だよ。本当にいろんなことがあるから。そのためにもマナーや謙虚さを忘れたらダメなんだよ 

 また、行動力も半端な方ではありません。今回の札幌訪問は、定年退職後に購入したキャンピングカーを運転して奥様と二人で福岡から陸路とフェリーを利用しての往復旅行だったのです 

 恩師からの「今、札幌に来ています。一緒に食事でもどうですか。」とのお誘いのメールでしたので、早速電話をかけて顧問ご夫妻と私と私の家族も一緒に食事をすることになりました。 

 最後にお会いしてから約20年ぶりの再会でしたが、高校時代や福岡での教員生活の話が尽きることはありませんでした。高校時代の厳しいトレーニングや強化合宿に県外への遠征、福岡県大会決勝や九州大会決勝などの重要な試合でミスを重ねてしまい勝利できなかったこと、練習をサボっていることがバレてしまい長時間にわたって怒られたこと、などの失敗談が次々と披露されました。 

恩師の話術もあいまって終始笑いが絶えませんでしたが、テーブルを囲んでいる3人の息子たちが時折、真剣な表情で恩師の話や私の失敗談を聞いている様子を見ているうちに、不思議と心がどんどん軽くなっていきどこか晴れ晴れとした心持になり、心が豊かに満たされていきました。これまでに感じたことがない感覚でした 

高校を卒業して37年経ちますが、この夏の恩師との再会により 

「失敗は、決して失敗のための失敗ではなく、時には自分の人生を豊かにしてくれる失敗でもある」ことを再認識することができました。 

あなたの「名前」

先日、新聞で戸籍の氏名に読み仮名を記載する改正戸籍法に関する記事を読みました。この記事を読んだとき、「名前」って時代を表すよな…私が生まれた頃に流行った名前と現在よく聞く名前も違うよな…と思ったのでした。

みなさんの名前の由来は何ですか?私の「いおり」という名前は時代劇の「大岡越前」に出てくる「榊原伊織」という蘭方医が由来となっています。母がこの時代劇のファンということで、つけてくれました。でも、幼いころは自分の名前が嫌いでした。「しおり」に間違えられるし、2文字の同級生の名前に憧れていました。親に「今日から私のことを〇〇(憧れの名前)と呼んで!」と言って困らせたこともあります。

実はあまり人に言ったことはありませんが・・・私は人の名前を覚えることが得意です。また、名前にあてられた漢字や音についてあれこれ考えるのが好きです。(気持ち悪いって思わないで!)季節を感じる漢字を見て、誕生月を推測してみたり、知らない漢字は辞書で調べたりすることもあります。担任として関わった生徒、部活動の部員、教科担任として教えた生徒・・・毎年、漢字も含めてフルネームで書けるように心がけています。(でも旧漢字や難しい漢字はしっかり書ける自信がない・・・)

名前は人が生まれて最初にもらうプレゼントですね。それぞれに大切な意味が込められています。「いおり」という名前は今となると、ジェンダーレスの名前でよく聞くようになりました。名付けてくれた母に感謝しています。
普段、書類や持ち物に名前を書くときは流れ作業になってしまうかもしれないけれど、自分の名前をつけてくれた人に感謝の気持ちを込めて1回1回を大切に書き、どんな思いでつけてくれたのか考えてみるのはいかがでしょうか?

 

「釣り人は梅のおにぎり食べちゃダメよ〜」 

 

随分と前の話しだが、釣り場で出会った先輩釣り人に言われた。 

おにぎりの具は、鮭と梅干しが一番だと思っている。特に鮭は世界一好きな魚なので、自分でも釣る程大好きだ。梅干しは、少し甘い物が好きだ。だから、先輩釣り人に言われた言葉が気になって、理由を聞いてみた。意外な答えが返ってきた。 

 

「当たらないからだ 

 

勿論「当たらない」のは「食当たり」の事だ。しかし、釣り人はここに験(げん)を担いだのだろう。釣り人にとって「当たらない」のは致命傷だ。「当たらない」は「釣れない」を意味する。繊細な当たりをとるために、道具にもこだわってきた。ロッド、リール、ライン等もそれなりに慎重に選んで購入している。でも、その時は気にしてなかった。魚がいるところで釣りをすればいいと考えていたからだ。 

 

それから何年かして、僕は弓道部の顧問なった。自分でも弓をひく程大好きだ。毎年3回、自分も大会に参加をしている。こんなに素晴らしい競技にもっと早く出会えればよかったと思う。僕の通っていた高校にも弓道部があったからだ。 

的中(当たり)も大切だが、体配(作法)も大事なのが弓道だ。一つ一つの動作を丁寧に取り組んでいる。本当に奥が深い競技だ。しかし、「当たらない」と弓道は勝てない。そんなとき、先輩釣り人の言葉をふと思い出してしまった…『梅干し 

 

それから僕は梅干しを断つ事にした。釣りも弓道も当たらないのは困る僕は釣りと弓道を生涯続けると決めているので、この先梅干しは食べられないということだ。次に僕が梅干しを食べるのはいつになるのだろう?大好きな梅のおにぎり… 

 

この問題を解決する方法は一つしかない。僕の釣りや弓道の実力が、験(げん)を担がなくても結果が残せればいいのだ。それには練習あるのみ!そのためには、まず今週末はどの海にする?ここまで力説すれば、家族は釣りに行かせてくれるに違いない 

 本校では来週に1学期中間試験を控えています。1年生,4年生は本校で初めての定期試験であり,在校生以上に緊張している様子が感じられます。いつも以上に学習に真剣に取り組み,お互いに教え合ったり,教員に質問しに行く姿を目にすると,こちらも良質な試験を作らねば,と身が引き締まる思いになります。 

 高校に入学して初めての定期試験での失敗は,今でも私に戒めとして深く刻まれています。小さいころから算数や数学が大好きで得意であった私は,中学卒業までは苦戦したことはありませんでした。高校に入学しても,授業内容はある程度は理解できていたので,何の準備もせず,定期試験に臨みました。お察しの通り,結果は惨憺たるものでした。人間は忘れる生き物です。授業内容をそのときは理解し覚えても,思い出す努力を怠れば,さっぱり忘れてしまいます。また,授業では扱わなかった問題集にほとんど全く取り組まなかったので,圧倒的に練習も不足していました。どう考えても,なめていました。試験を返却されて点数を見たときの衝撃は今でも忘れません。 

 この苦い思い出は,私にとっての大きな学びとなりました。これ以降の定期試験には,十分な準備をするようになりましたし,定期試験以外においても,様々なことに対し,準備を怠らないよう気をつけるようになりました。人間,誰しも失敗はしたくないものですが,失敗することで自覚することもあるのだな,ということにも気づき,以前よりは様々なことに積極的に挑戦するようになった気もします。 

 泣いても笑っても,試験まであと1週間。試験が終わったときに「やり切った!」,返却されたときに「やったー!」と感じられるように,皆が悔いの無い準備をしてくれるといいなと思います。 

古池や 蛙飛び込む 水の音

みなさんご存じの松尾芭蕉の俳句です。五・七・五のリズム感がいいですよね。俳句はこの十七音でできていますが、日本語はどうもこの五や七の音が心地よく感じるようにできているようです。 

こんなことを意識したのは、最近授業で連歌を作り、発表してもらったからです。連歌は初めに五・七・五の句を用意し、そこに別の作者が七・七の句をつなげ、その後も五七五、七七、五七五……とつなげていく複数の作者による合作文学です。授業で聞いてあらためてこの定型は響きがいいなあ、と感じました 

すると実は本校の校歌もそうだと教わりました。ためしに1番の歌詞を上げてみます。(わかりやすく、すべてひらがなにしています) 

 

きたのそらなる⑦ おおぼしは⑤ 

いずこのくまをも⑧ てらすらん⑤ 

ふみのみなかみ⑦ むすぶての⑤ 

しずくごとにぞ⑦ かげはみえける⑦ 

 

なるほどほぼ七五調です。耳なじみがいいのはそういうことか、と一人で腑に落ちました。校歌と言われて自分の頭に浮かぶのはこの曲と出身高校の二曲だけなのですが、もしやと思い返してみるとそちらもやはり七五調でした 

 これはと思い、あれこれみると思いのほかたくさんあります。元素記号の語呂合わせで有名な「水平リーベ/僕の船」もそうですし、かつてテレビCMでよく流れたコンビニのキャッチコピー「セブンイレブン、いい気分」もそうでしたとくに後者は「~ブン、…分」と最後の音を揃えたうえ曲に載せているのでなおさら印象的です曲と言えば、アニメソングの「残酷な天使のテーゼ」はテレビ番組の曲解説で、五七調の多用が指摘されていたようです。 

そんな中でも印象的だったのは有名なタワーレコードの「No Music,No Life」です今でも一向に古びない傑作コピーだと思いますが、日本語に起こすと「ノーミュージック、ノーライフ」となり七五調になります。(長音「ー」や促音「ッ」はそれぞれ1音と数え、「ミュ」はまとめて1音と数えます) 

もちろん意味的にも音楽に携わる企業としての哲学を端的に示す素晴らしいコピーだと思うのですが、言葉の響きにおいても英語のみならず日本語としても語呂がいい長年愛されるべくして愛される作品なのだと、あらためて感心させられました。 

こんな感じで私たちの身の回りにはたくさんの七五調や五七調の表現があります。みなさんもふと見かけたら、口ずさんでみてください。リズムの良さが響くと思います。 

我が家には6才になる猫がいます。今回は,この猫の行動について紹介したいと思います。 

 この猫に毎朝,ブラッシングを要求されます。場所は必ず子供の学習机と決まっています。朝起きていくと,ヤレヤレという感じで伸びをしながら机へ誘導され,飛び乗ってゴロゴロ転がります。これがブラッシングをしてほしいサインです。ブラシもお気に入りがあり,違うブラシを使うとすぐ怒られて嚙まれます。わがままに育てすぎたのかな…。しかし,ある日から朝起きていくと,もうすでに机にスタンバイしているようになりました。時計が読めるかのように,外が明るい暗い関係なく机の上でスタンバイしています。猫には体内時計があるのだなと日々感じるようになりました 

 体内時計エピソードは他にもあります。うちの食事は基本,一日2食にしています。朝起きてからと夕方です。しかし,病院で体重増加を指摘され食事制限されてからエサの要求もするようになりました。最初は夜泣き?朝泣き?で可愛い要求だったので,大谷選手のように『心地いい寝不足』だったのですが,これが日に日に早くなってきました。もう寝不足になって大変!となったので,ついに耐えることができず自動エサやり器を導入することにしました。朝食は4時,夕食も16時と決めセッティングしていますが,ほぼ毎回エサが出る前にはもうスタンバイしています。ひどい時には1時間以上前からスタンバイです。エサが足りないのは知っていますが,これが適正量だと言われているから…。 

 動物には生き延びるために体内時計(生物時計)があるようです。我が家には毎年夏にはクワガタが玄関に仲間入りします。昆虫にも体内時計があるのか?今度はクワガタにも注目してみようと思います。 

 私たちの多くは忙しい生活を送っています。「もう限界」と思った矢先に、また次の何か新しい問題と向き合わなければならなくなり、そして、どういうわけか、私たちはそれを受け入れる余地を作ってしまいます。この絶え間ない忙しさの中で、ともすれば押し出されてしまうものこそ、私たちの人生を価値あるものにしてくれるものだと思います。

私にとって、それは喜びです。喜びは自然に生まれてくるものであり、予期せぬものです。喜びは突然私たちを訪れ、元気づけ、前進し続けるエネルギーを与えてくれます。喜びは生命を支えるものともいえるでしょう。

喜びをもたらす仕事に就けている私は幸運だと思っています。生徒たちがあれこれと自分の考えや思いを語るのを聞くこと、いろいろなアイデアに取り組み、理解を深めていく言葉を聞くことが大好きで教師になりました。生徒たちと話すことは、私により若い新しい視点で世界を見る力を与えてくれます。私にとって生徒たちとともに過ごせる学校は、単なる仕事の場ではなく、最もエネルギーを感じられる場所です。

仕事は大好きですが、私にはもっと何かが必要だと感じています。日本に引っ越す前は、仕事以外の豊かな生活が私を支えてくれました。これからの生活においても私を支えるための喜びとつながりが必要です。そして今、私はつながりをもったいろいろな人の「喜び」に目を向けています。

第12代校長のエリザベス・M・エヴァンスは、教育と演劇に情熱を持った女性でした。私たちにとって幸運なことに職業としては教育を選択し、40年間北星女子で教鞭を執りつつ、常に演劇への情熱も持ち続けていました。毎年、生徒たちと一緒に数々の英語劇を制作し、その才能と情熱を次世代に伝えてきました。エヴァンス校長の歩みを考えると、私たちは必ずしもどちらか一方を選ぶ必要はないのだということを思い知らされます。自分の仕事と好きなことを織り交ぜれば、より素晴らしいもの力強いものを創造できるのです。

 

 

最近、介護施設への入所準備をしているという卒業生から学校へ連絡が届きました。1950年代に卒業したその卒業生は、北星女子が自分自身に与えた影響を伝えたいと思っていたようです。彼女は子育てを終えた後、ヨーロッパを旅する機会に恵まれ、そこで見たステンドグラスの素晴らしさに感銘を受けました。 その美しさは学生時代に身近にあったステンドグラスを思い起こすことにつながり、自らもステンドグラスを学ぶことを決意したといいます。訪問させていただいたご自宅には、四季折々のステンドグラスが飾られていました。彼女の製作する作品は、光と色彩を分かち合う喜びを目に見える形にしたものだと感じました。始めるのに遅すぎるということはないと教えてくれる出会いでした。

宗教主任の小西先生は講堂礼拝のお話で鉄道への愛を語ってくれました。阪急電鉄2300系「PRiVACE」に乗った時の写真を見せながら、お正月にご家族と大阪から京都へ旅行したときのことを目を輝かせて語ってくれました。車両や座席、窓の様子などを詳しく説明する小西先生は喜びにあふれ、ともに礼拝する人々を魅了していきました。何かを深く愛するということは魔法のようです。小西先生の情熱は、喜びは広がり、つながっていくものだということを教えてくれました。

最後に、1992年に私が初めて北星女子で受け持った生徒の話をしたいと思います。彼女は現在、東京でキャリア・カウンセラーとして活躍しており、本校4年生に「自分の好きなことを見つける」ことについて講演するために母校に戻ってきました。私は彼女の話を聞きながら、そのメッセージが私自身のメッセージと重なっていることを痛感しました。彼女は生徒たちに情熱的に語りかけ、自分の好きなことを見つけるために時間を費やすことで、自分自身に投資するよう勧めました。彼女の人生は、自分の仕事と価値観が一致すると、充実感を得ることができ、出会った人々と情熱を分かち合うことができ、大きな影響を与えることができるということを証明しています。

誰の人生も、静かな喜びの糸で紡がれています。私にとってそれはかつて庭、歌、本、そして会話の中にありました。今、新しい環境で、私は再び喜びを探し、その糸を辿っています。あなたはどうですか?喜びを受け入れる余地をもっていますか?それとも、今は探す時でしょうか?あなたに安らぎをもたらすものに気づいてください。あなたを輝かせてくれる人に気づいてください。あなたのエネルギーが湧き上がる場所に気づいてください。それらに気づく瞬間瞬間に私たちを支え、安らぎをもたらしてくれるものの兆しが隠れているのです。

そしておそらく、喜びを感じることで私たちは単に人生に満足するだけではなく、それぞれが本来あるべき姿へと成長しているのです。

 

Cultivating Joy
Many of us lead busy lives. Just as we think we’ve reached our limit, something new pops up—and somehow, we make room for it. In this constant rush, I worry that what gets squeezed out is precisely the thing that makes life worth living.

For me, that thing is joy. Joy is spontaneous and unexpected. It comes in spurts, surprising us, lifting us up, and giving us the energy to keep going. Joy is life sustaining, and therefore, too important to be left to chance.

I count myself lucky to do work that brings me joy. I became a teacher because I love listening to young people think out loud — wrestling with ideas and developing new understandings. When I speak with students, their perspectives help me see the world through new, younger eyes. For me, working with students is not just work—it’s where I feel most energized.

As much as I love my work, I believe I need more. To give fully, I must live fully. Before moving to Japan, I had a rich life outside work that sustained me. Now, in this new chapter, I find myself seeking again for the joy and connection I need to sustain me. And so, I find myself looking now to others whose lives radiate joy.

Let me share a few.

Elizabeth M. Evans, the 12th principal of Hokusei, had two loves: teaching and acting. Luckily for us, she chose teaching. Ms. Evans taught at Hokusei for 40 years and she brought her love of theater with her. Each year, she produced multiple English plays with the students, sharing her talent and her passion with the next generation. Her story reminds me that we don’t always have to choose. When we weave together what we do and what we love, we can create something greater and more powerful.

Another spark came from a graduate who recently reached out as she prepared to enter a care facility. She had graduated in the 1950s and wanted to tell us how Hokusei shaped her path. After raising her children, she journeyed through Europe, where she marveled at the splendor of the stained glass windows.  The beauty reminded her of the stained glass she had loved as a student, and she decided to learn the craft herself. When we visited her, we saw her vast collection of art to reflect the seasons. She had created tangible artifacts of joy to share light and color with those in her life. Her story whispered: it is never too late to begin.

Then there’s Mr. Konishi, our chaplain, who once shared his love of trains during worship. His eyes lit up as he showed photos of his trip on the Hankyu Densha 2300 “Privace” and told of his trip with his family from Osaka to Kyoto over New Years. As he described the train car, the seats, and the windows in detail, his joy was contagious. That’s the magic of loving something deeply—it spills over and invites others in. His passion reminded me that joy doesn’t stay small; it expands and connects.

My final inspiration is from a former student from my first Hokusei class in 1992. Now a career counselor in Tokyo, she returned to speak with our tenth graders about discovering what they love. As I listened, I was struck by how her message mirrored my own. She spoke passionately to the students, urging them to invest in themselves by spending the time to discover what they love. Her life is proof that when we align our work with our values, we can find fulfillment, share our passions, and have a lasting impact on those we encounter.

We all have quiet threads of joy running through our lives. For me, it once lived in gardens, singing, books, and conversations. Now, in new surroundings, I’m seeking again, tracing the thread anew. What about you? Are you making room for joy—or is it time to search again? Notice what brings you peace. Notice who lights you up. Notice where your energy rises. In those moments lie the signs of what will sustain us and bring us peace.

And perhaps, in choosing joy, we aren’t just filling our lives—we’re growing into who we were meant to be.

 

 わたしは学校で働く以前に、教会の牧師と幼稚園の園長として働いていました園長として勤める中で、子どもたちと何かをする時には本気でするということを心がけていました。たとえば、子どもたちと一緒にリレーをする時には本気で走る、サッカーボールを蹴る時も本気で蹴る。わたしが 子どもたちに本気で接するようになったのは、一つの出来事がきっかけでした。ある冬の日、園庭の雪山を登って降りるリレーをしていた時のことです。いよいよ、わたしが走る番。本気で走ったら、明らかに自分が勝ってしまう。だから、手を抜いていつもより走るスピードを抑えることにしました。結局、わたしが走ったチームは負けました。リレーが終わった後、勝ったチームや負けたチームに関係なく子どもたちがわたしのところに詰め寄ってきて言いました。「園長先生、どうして本気で走らなかったの!!本気で走ってよ!」。子どもたちから本気で走らなかったわたしへの失望感を感じられたのですわたしとしては良かれと思ってしたのですが、子どもたちからすると期待はずれの行動だったのです。子どもからみると圧倒的に足が速い園長先生は憧れの存在であったようです。 

 その時から子どもたちが「あんなふうに早く走ってみたい」と思えるロールモデルになれたらいいなと考え始めました。だから、子どもたちと走る時には、手を抜かず本気を出すことにしたのです。 

幼少期にこういう大人になりたい、一つの指標となるような人に出会えることは、自己を形成するのに重要なことです。逆に幼少期からロールモデルになり得る人がいないと、自我の形成にかなり課題が出てくると言われています。また、思春期の頃にロールモデルといえるような人に出会えないと、こういう人になりたい」「こうありたい」という思いが育ちにくいとも言われています。 

 そうであるならば、せっかく学校で働いているのですから中学生や高校生たちにとっても憧れの大人でと思います。とは言っても、45歳の中年のおじさん。そんなおじさんに女子中学高校生が憧れるとは思えないと一方では思いつつ…。 

 先日、中学1年生の「緑の教室」が1泊2日×3クラスで開催されました。緑の教室は「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(フィリピの信徒への手紙2:4)という聖書の言葉をテーマにして、クラスづくりを目的にしています。一日目の午後、公園に出かけました。面白いもので、どのクラスも自然と鬼ごっこが始めます。もちろん、わたしは鬼になって本気で追いかけます。「先生、足早い」と言われながら、40分間ほぼ走り続けました後で「先生、走り方が本気すぎてこわい」と言われました。きっと本当にこわかったのかもしれませんね…。園長をしていたあの時のわたしは20代後半から30代後半。あれから15年の月日が流れ、明らかに瞬発力も体のしなやかさも落ちてきています。でも、45歳になっても中学生よりも早く走れる大人でいたい。70歳になっても本気で走る大人でいたい。それが今のわたしの願いです。 

なぜ物事が起こるのか、不思議に思うことはないだろうか。空が青いのはなぜだろう?あるいは、過去にタイムトラベルすることは可能だろうか。あるいは、電気自動車はどれくらいのスピードで走ることができるのだろう?私はいつもそんなことを考えている。そして3年半ほど前、私はそれを突き止めようとし始めた。

3年半、つまり1,282日間、私は毎日1つのトピックを研究し、それについて書いてきた。物事を読んでも理解できないことが多いからだ。書くことですっきりすることもある。きっかけは、娘が私に質問し続けたことだった。娘は今12歳ですが、当時は質問攻めの時期でした。どうして?」「どうして?」「どうして?」と聞かれ続け、私は「わからない」「わからない」「わからない」と言い続けていた。そしてある日、ふと「わからないけど、わからないわけがない」と思った。

私たちはいつでも世界中の情報にアクセスできる。私の手元にある携帯電話には、これまでの人類の知識の総和が入っている。それは、私たちの時代以前には決して不可能なことだった。文明の初期には、周囲の人々の頭の中にあるすべての知識にアクセスすることしかできなかった。印刷機が発明された後は、手に入るすべての書物にアクセスすることしかできなかった。その後、大量生産された紙と図書館によって、図書館にあるすべての情報にアクセスできるようになった。あなたの祖父母は、図書館にあるすべての情報にアクセスすることしかできなかった。あなたは全世界の情報にアクセスできる。生きていることが信じられないような時代だ。

だから、私は自分の疑問に対する答えを見つけようと決めた。そしてね。答えが見つかれば見つかるほど、疑問も増えていく。そして、私は進み続ける。1,282日目だが、まだ疑問は尽きない。魅力的な旅だった。

私の記事をご覧になりたい方は、こちら: ilearnedthistoday.com 英語で読むことも、日本語に翻訳することもできます。もしかしたら、自分の疑問に対する答えを見つけ始めるきっかけになるかもしれない。

DeepL.com(無料版)で翻訳しました。

 

Do you ever wonder why some things happen? Do you wonder why the sky is blue? Or maybe you wonder if it’s possible to time travel into the past. Or maybe you wonder how fast an electric car can go. I wonder about these things all the time. And about three and a half years ago, I started trying to find out.

For three and a half years, or 1,282 days, I have been researching one topic every day and writing about it. I write about it to help me understand it because I don’t always understand things when I read them. Writing helps to clear it up for me sometimes. It all started when my daughter kept asking me questions. She is 12 now, but at the time she was going through her question phase. She kept asking me “why?”, “why?”, “why?”, and I kept saying “I don’t know”, “I don’t know”, “I don’t know”. Then, one day, I suddenly thought that I didn’t know, but there was no reason why I couldn’t find out.

We have access to all of the information in the world whenever we want it. I have a phone in my hand that contains the sum of human knowledge so far. That has never been possible before our time. In the early days of civilization, you could only have access to all of the knowledge in the heads of the people around you. Then, after the printing press was invented, you could only have access to all of the books you could find. Then, with mass-produced paper and libraries, you could have access to all of the information in a library. Your grandparents could only ever have access to all of the information in a library. You have access to all of the information in the entire world. This is an incredible time to be alive. 

So, I decided that I would start to find out the answers to my questions. And, you know what? The more answers you find, the more questions you have. And I just keep going. 1,282 days in and I haven’t run out of questions yet. It’s been a fascinating journey.

If you’d like to see my articles, they are here:  ilearnedthistoday.com  You can read them in English, or translate them into Japanese. Maybe it will inspire you to start finding the answers to your questions. 

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