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英語科の短期留学レポート

英語科の短期留学レポート

佐藤 心路 の留学レポート

 

I injured my knee before study abroad, so I couldn’t go to Australia with my classmates. My parents found new host family in New Zealand, and I could go to New Zealand by myself.

I got on an airplane by one self. I transit Malaysia, then I felt loneliness and I was about to cry in Kuala Lumpur International Airport. Malaysian’s English was difficult to listen for me, But I could overcame that. I went to Auckland that big city in NZ. Auckland was cold and usually rained. But the air is clean and there were a lot of green.

 

I worried about my host family before I met them. But when I met them first, they gave me a warm welcome and they look so kind, so I relieved. My host family was parents and two sisters. My host mother was Kiwi, and father was Irish. Mother loves to talk, so she always talked to me. Sometime, I couldn’t understand what she wants to say. However, I overcame such that situations and I could enjoy talking with her. She is working at kinder garden. Father is working at the company about art or design. He couldn’t drive a car, so he goes to office by bicycle. He was very kind and has a large stock of knowledge about Japan. Sisters were four years old and seven years old. Their names were Avie and Roasy. Avie was a cheerful and bright, but crybaby. She told me a lot about her toys and dolls. Roasy was a shy girl, sometimes very noisy. She was interested in Japanese, so she often ask me “How to say ○○ in Japanese?”. They love Japanese anime character. So we could talk about that and watched “Howl’s Moving Castle”, “Spirit Away” and “PONYO” together. They said they likes “Totoro” the best. I watched many English movies that I have ever watched with them too. It was great time. The house was very old and big. There were many big trees and a swing for sisters in their garden. They took me zoo, park, museum and some shopping moles. In zoo, I saw kiwi bird. They were so cute! But kiwi is nocturnally, so their cage was dark and I couldn’t take a picture. I saw a lot of beautiful photos and took picture of traditional kiwi things in museum. I bought many things in some shopping moles. Sometimes we ate lunch outside. My mother paid money for my lunch. So I don’t have to pay money by myself. I always had a toast with hazelnuts chocolate spread and orange or pineapple juice for breakfast. Host mother made scrambled eggs, crisp fried bacons, waffles and pancakes for me on every Sunday. It was so delicious and I miss it. My host family ate rice almost all every day. Rice in New Zealand was not good as Japanese rice, but I was glad to eating rice for dinner almost all every day. I was not expectation for meal in NZ, but mother was good at cooking and every food was very good. I think my host family was most kind people of all of my classmate’s host families.

 

I went to English school on the Queen Street. The school name is Dominion English School and Queen Street is the biggest street in Auckland. I had a test on the first day of school. My test’s score was good, so I could enter the highest-level teen class. My class’s teacher is Diana and she was Argentinean. My classmates came from many countries  doesn’t speak English. For example, Saudi Arabia, Russia, France, China, Korea, Thailand, UAE, Laos and Japan. So we could understand each other because every student came there for studying English. Saudi Arabian’s English pronunciation was a little bit difficult to listen. If I didn’t go to New Zealand, I couldn’t make friends who came from many other countries. There are many people in the world and many students wanted to study English. I came to realize again about it. I could make many friends at school. Most of them are Japanese, but I could enjoy using English and my school life in NZ. We ate lunch outside every day. Every after school, we ate Ice cream, went shopping or did sightseen. Ice cream in NZ was very delicious. Hokey Pokey is famous flavor in NZ. It is simmerer to caramel flavor, and it is my favorite flavor. And I went to Sky tower with them. It was simmerer to Sky tree, but it was not so high. My class was difficult, so sometimes I couldn’t understand about it. I didn’t like grammar class but we had a small grammar test on every Friday, so I studied hard for that every day. One day, we went to art glary in class. I was not interesting in art, but I could enjoy taking pictures with my friends. My Japanese friends came from many other places in Japan, for example, Tokyo, Kyoto, Nagasaki and Ishikawa. Our age was disjointed, but we didn’t care about it. They are my best friend forever, and I will never forget memories with them. I didn’t want to say goodbye to my friends. I hope we can meet again someday.

I love my host family. I think they are my second real family. I definitely go back to New Zealand and meet my host family again. I promised that with them. So I’ll study English harder.

Thank you to my parents, all people who supported me and all encounters in New Zealand.

 

 

私はこの夏休みの約1カ月間、オーストラリアのアデレードに短期留学する予定でしたが行けなくなってしまい、一人でニュージーランドのオークランドに留学してきました。

留学予定日の約1カ月前に左膝の手術をしたのですが、大きな手術ではなく簡単な手術で入院期間も1週間くらいの予定でした。しかし、思ったより入院が長くなって松葉杖を使う期間も長引いてしまったため、本来行くはずだったオーストラリアのホストファミリーにホストを断わられてしまいました。深く落ち込んだ私を見た両親がニュージーランドの新しいホストファミリーを見つけてくれました。みんなより5日遅れでニュージーランドに留学できることになり、心の底から本当に嬉しかったのを覚えています。新しい留学先を必死に探してくれた両親には本当に感謝してもしきれません。

いざ出発当日を迎え、これからどんな人たちに出会ってどんな経験を積んでどれくらい成長できるのだろうと期待に胸を膨らませていました。私はクアラルンプール空港を経由しましたが、たった一人で異国の空港で長時間過ごすというのはとても大変なことでした。私は午前4時ごろにクアラルンプール空港に到着しましたが、早朝だったため空港内の店のほとんどが閉まっていて人通りも少なく静かでした。また、マレーシア人の英語はなまりが強く、聞き取れないことが多々ありました。店が開いていないためすることもなく、座って時間を潰していたのですが、突然不安と孤独感が一気に押し寄せてきました。なぜ自分はこんな異国にたった一人でいるのか、一人で飛行機の乗り継ぎもちゃんとこなして無事にニュージーランドにたどり着けるのか。なんとか乗り継ぎを無事に終え、オークランド空港に着いた頃には不安も孤独感も消えていました。

 

私の滞在したオークランドは大きい街でその中心部は人で溢れかえっていました。ホストファミリーの家は中心部からバスで40分ほどの場所の住宅街にあり、平屋で古くて大きい家で、庭にはたくさんの大きい木とシスターたちのために小さい手作りのブランコがありました。

私のホストファミリーはマザーとファザーとシスターが2人の4人家族で、マザーはニュージーランド人、そしてファザーはアイルランド人でした。

初めてファミリーに会った時、マザーもファザーも優しそうな上にとても温かく迎えてくれて安心したことを覚えています。シスターたちは私が来るのをとても楽しみにしてくれていたようで、会った瞬間に叫びながら喜んでくれました。日本からのお土産を渡すと、みんなとても喜んでくれて、マザーには「あなたは最高だよ、本当にありがとう」と言われ、こちらまで幸せな気持ちになりました。

マザーはとてもおしゃべり好きでいつも私に話しかけてくれたので、話す話題がなくて困ったことや無言になって気まずくなったことは一度もありませんでした。最初の頃は、マザーの言っていることはわかっても、なんと反応をすればいいのかわからなくて相槌が1パターンになってしまい、自分の英語力の低さに落ち込んだこともありました。しかしすぐに慣れて、日常生活の中で自然な会話の流れを学び、スムーズに会話を楽しめるようになりました。彼女はファミリーのことやニュージーランドの文化など様々なことを教えてくれました。ニュージーランドについて学んだ知識はほぼ彼女から教わったものです。彼女は保育園で働いていて、子供たちにも優しくて面倒見が良く、私もかなり甘えてしまった面もあります。

ファザーはデザイン関係の仕事に就いていて、オフィスにも連れて行ってくれました。彼は仕事で日本に来たことがあるらしく、札幌のことも知っていました。彼の趣味はサイクリングで、車の免許も持っていなかったのでマウンテンバイクで通勤していました。

シスターは7歳のエイヴィーと4歳のローシーの二人で、エイヴィーは明るくて優しいしっかり者ですが泣き虫です。ローシーは最初は恥ずかしがっていましたが、すぐに心を開いてくれました。彼女は甘えんぼうで気分屋な子でした。二人ともいつも話しかけてくれたり、どこか遊びに行くときには手をつないできてくれたりしました。私は兄弟がいないので小さい子と接するのはとても新鮮に感じました。私たちはよく一緒に映画を見たり、カードで遊んだりおしゃべりや写真を撮って遊んでいました。二人とも私にとてもなついてくれて本当に可愛かったです。

ファミリーは週末には必ずどこかに連れてってくれ、動物園や公園やショッピングモール、博物館とビーチに行きました。マザーの作る料理はすべて美味しかったですし、毎日のようにディナーにはお米がでました。私のファミリーは、お米は美味しいし健康に良いから、と言ってたくさん食べる家庭でした。海外ではおそらくお米はあまり食べられないだろうと思っていたので、とても嬉しかったです。また、マザーとシスターはお風呂好きだったので、マザーがよくお風呂を入れてくれました。ペアレンツはいつも私のために温かいお茶を入れてくれたりお菓子を用意してくれ、シスターたちが寝た後に一緒にテレビをみたり話したりと、のんびりした時間を過ごしました。また、学校のことや私生活で困ったことがないかと、いつも気にかけてくれていました。少しホームシックになった時期もありましたが、ファミリーの優しさと温かさに助けられました。こんなに親切に、本当の家族のように接してくれたファミリーには感謝の言葉を伝えきれません。

ある週末、ファミリーと動物園に行った帰り、私たちは動物園の隣にある大きな公園に行きました。その公園には前にもファミリーと行ったことがあったのですが、その時はまだ制作途中だった日本庭園が完成していました。入ってみると本格的な美しい日本庭園が広がっていました。こんな本格的な日本庭園が遠く離れた海外にも作られるほど日本文化は世界に浸透しているのだなと驚きました。その庭園には大きな池があり、小さな石橋が掛かっていました。周りは砂利道になっていたのですが、小さい子供たちが数人、その砂利をつかんで池に投げ込んで遊んでいました。まだ子供ですし、そうしたくなる気持ちもわからなくはありませんが、見ていてあまりいい気持ちはしませんでした。すると、マザーに「ああいうことは日本でも良くないことでしょ?」と聞かれました。良いことではないと答えると、マザーはその子供たちとその母親らしき人たちのところへ行き、優しくかつしっかりと注意をしてくれました。彼女は「他の国の文化を壊すようなことはしてはいけない。この美しい文化を尊重すべきだし、黙って見てはいられない。日本人のあなたも良い気持ちはしないでしょう。」と言っていました。彼女の正義感の強さと勇気、ものごとの考え方に感動しました。そんな風に思ってくれていることは日本人の私としても嬉しいですし、私もこんな立派な人にいつかなれるだろうかと思いました。この出来事は私の留学生活のなかでも強く印象に残ったことでした。

 

私はドミニオンイングリッシュスクールという語学学校に通いました。学校の初日にクラス分けのテストを受け、かなり良いスコアを出せたので学生のクラスで1番上のクラスに入ることができました。クラスメイトは全員英語圏ではない国から来ていました。サウジアラビアやロシアやフランス、中国や韓国やラオスやアラブ首長国連邦、また日本人も多くいました。みんなが英語をペラペラに喋れるわけではないし発音のなまりもそれぞれある上、みんな英語を学びに来ているのでお互いに助け合ったり教えあったり分かり合うことができました。私のクラスは1番上のクラスということもあり、授業は難しいものでした。特に文法の授業はついていくのにやっとなこともありました。毎週金曜日には文法の小テストがあったので、そのためにもかなり頑張って勉強したことを覚えています。そのおかげか、英語を書いたり読んだりすることが留学前よりもスムーズになった気がします。

サウジアラビア人などのほかの国の子たちとも仲良くなれたし日本人の友達もたくさんでき、お昼の休憩時間は毎日、彼らといろいろなところへ食べに行っていました。日本人が多いとはいえ、日本語に限らず自分の国の言葉を話すと怒られるので、学校内では英語で会話していました。放課後も毎日、アイスを食べに行ったり観光スポットへ行ったりショッピングに行ったりと、友達ととても充実した毎日を送ることができました。彼らは私と同い年だったり年下だったりと年齢はバラバラでしたが、本当に大好きな親友だと言える人たちです。住んでいるところも東京や京都や長崎などとバラバラで、簡単には会うことはできませんが、いつかまたみんなに会えることを願っています。今回のニュージーランド留学がなかったら、みんなに出会うことは一生なかっただろうし、こんなに大切な思い出も作れなかったでしょう。一度行けなくなった留学に行かせてくれた両親や支えてくれた人たちには本当に感謝しています。

 

今回、クラスのみんなと一緒にオーストラリアにはいけませんでしたが、それはそれで良かったのだと思います。みんなとは全く違う経験もでき、一人で飛行機に乗ってニュージーランドまで行けたことで強くなれた気がしますし、大きな自信にもなりました。語学学校で英語だけを集中して学び、新しい単語や言い回しなども覚えて、少なからず自分の英語力を高めることができたと思います。また、英語を話して世界中の人々とコミュニケーションをとることの楽しさとすばらしさに改めて気づくことができました。ファミリーが私の下手な英語を上手いと言ってくれたり、2カ国語も話せるなんてすごいと褒めてくれたりと、本当に嬉しかったですし、もっともっと話せるようなりたいと強く思いました。私のホストファミリーは誰のホストファミリーよりもすばらしい人たちだったと自信を持って言えます。彼らに出会えたことは今までの私の人生で最も幸運なことだと言っても過言ではありません。私が帰るとき、マザーは「ここはニュージーランドでのあなたの本当の家だから、いつでも戻ってきてね。すばらしい時間を本当にありがとう。」と言ってくれました。ニュージーランドにしかいないキーウィという鳥のぬいぐるみ、羊の小物入れ、バッグ、おかしなど他にもたくさんのプレゼントもくれました。私のためにシスターたちが頑張って選んでくれたのだと思うと本当に嬉しくて涙が出そうになりました。あんなにも日本に帰りたくなくなるとは思っていませんでした。彼らは私の第二の本当の家族です。ここで過ごした彼らとの時間と思い出は私にとって一生の宝物です。今回のニュージーランド留学を通して、これから自分が本当にやるべきこと、目指していく場所がはっきりと見えたような気がしました。次に会うときには、もっと深くコミュニケーションがとれるように、日々英語の勉強に励んでいきたいと思います。

この機会をくれた日本の両親、支えてくれたすべての人たち、ニュージーランドでのすべての出会いに、心からありがとう。

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