学校について

教員ブログ

    HOME学校について教員ブログ

幼い頃から、私は世界中を旅したいと夢見ていました。外国語のフレーズを覚えようとし、異文化への知識を貪欲に求めていたのです。何を探していたのか、あるいは何から逃れようとしていたのかはわかりませんが、いつも自分とは異なる人々に強く惹かれていました。 

高校三年の時、私たちの学校に長崎から一人の日本人交換留学生がやって来ました。もちろん、私はすぐに日本語を話してみたいという気持ちでいっぱいになり、日本語の会話集から「おはようございます」と「これは鉛筆です」という二つのフレーズを覚えました。 

ある朝、私は彼のところへまっすぐ歩み寄り、思わず声をかけました。 
「おはようございます。これは鉛筆です!」 
その時、手には鉛筆すら持っていなかったのです。 

私の言葉を聞いた彼の反応は、私の人生を大きく変えました。誰かがわざわざ日本語を覚えてくれたことを、彼は大喜びしたのです。彼は私をとても褒めてくれたので、私はすぐに「もっと勉強しなければ。日本に行きたい」と強く思いました。 

私が大学を選んだのは、日本への交換留学プログラムがあったからです。卒業後すぐに、私は日本に渡りました。そこでの経験、学んだ言語、そして出会った友人たちとのつながり――それらすべては、あの日、外国語で意思疎通し、理解される喜びを初めて味わった瞬間から始まったのです。 

言語教師として、私は外国語学習の数え切れないほどの利点を知りました。より多くの就職機会やより良い給与につながることもありますし、脳を強く柔軟に保ち、母語への理解を深めることさえあります。 
しかし私にとって、それらは他言語を学ぶ本当の理由には及びません。異文化への扉が開かれるあの瞬間こそ、想像しうる最高の体験の一つなのです。相手の母国語で話しかけて驚かせた時に浮かぶ笑顔――それが何よりの喜びです。 

翻訳ソフトには常にわずかな時間差があり、翻訳の過程で失われるものもあります。けれども、誰かがあなたの言語と文化を真に理解しようと時間をかけてくれる時、そこには本物の人間的なつながりが生まれます。そして、一つの言語と文化に自らを限定する人には決して得られない、ある種の愛を心から感じられるのです。 

2026年はもうすぐそこまで来ています。新たな気持ちで、新しい言語のフレーズをいくつか学んでみませんか。真剣に取り組めば、必ずその努力は報われると、私は自信をもって約束します。 

 

I’ve known from a young age that I wanted to travel around the world. I tried to learn phrases in other languages, and I was eager to learn about other cultures. I don’t know what I was looking for, or what I was running from, but I was always drawn to people different from myself.  

In my third year of high school, our school hosted a single Japanese exchange student from Nagasaki. Of course, I immediately wanted to try my hand at speaking Japanese. I learned two phrases from a Japanese phrasebook: おはようございます。 and これは鉛筆です。”  

One morning, I marched right up to him and blurted out, “おはようございます。これは鉛筆です!” I didn’t even have a pencil with me. His reaction altered the course of my entire life. He was overjoyed that someone had taken the time to learn some Japanese. He complimented me so much, that I immediately thought, “I need to learn more. I want to visit Japan.”  

I chose my university because they offered exchanges to Japan. As soon as I graduated, I moved here. The amazing experiences I’ve had, and the friends I’ve made are all thanks to that one day, when I experienced the joy of communicating in a foreign language, and being understood. 

As a language teacher, I’ve learned all about the benefits of learning another language. It can lead to more job opportunities or a better salary. It keeps your brain stronger and more flexible. It can even improve your understanding of your native language. To me, those reasons are not nearly as powerful as my main reason to learn other languages. The wonderful feeling of opening a door to another culture is one of the best I can imagine. The look of happiness when you surprise someone by speaking their native language is a treat. With translation software, there is always a time lag, and some things get lost in translation. When someone takes the time to truly understand your language and culture, a genuine human connection is made, and you can truly feel a kind of love that isn’t available to people who limit themselves to one language and culture.  

2026 is rapidly approaching. Why not take this year to learn some phrases in a new language? I promise that if you make a sincere effort, it will pay off one day! 

毎日、私は静かなマインドフルネスのひとときから日課を始めます。私にとってマインドフルネスは、単なるストレス軽減や集中力を高めるための技法ではなく、神への信仰をより深く結びつける霊的な修練です。マインドフルネスを実践することで、私は現在の瞬間への気づきを育み、その気づきの中に神聖な空間を見出し、そこで神と出会います。

私の日課は通常、朝に始まります。日々の責務に追われる前に、私は静かに座り、目を閉じ、ゆっくりと呼吸します。吸う息と吐く息に注意を向け、そのリズムによって命そのものが支えられていることに気づきます。その呼吸の中で、私は存在の贈り物に感謝し、神が命の与え主であることを思い出します。自分の呼吸に気づくというこの単純な行為は祈りとなり、最もありふれた経験の中に神の存在を認める方法となります。

一日を通して、私は小さな方法でマインドフルネスを続けます。食事のときには、目の前の食べ物の色、質感、味わいを楽しむために一度立ち止まります。滋養は祝福であることを思い出し、必要なものを与えてくださる神に静かに感謝します。歩くときには、足元の地面、鳥の声、太陽の温かさに気づきます。これらの気づきは、創造そのものが神の美しさと慈しみを映し出していることを思い起こさせます。このようにして、マインドフルネスは日常生活の織物の中に神を見出すためのレンズとなります。

マインドフルネスは祈りにも役立ちます。しばしば心はさまよい、心配や計画に気を取られます。マインドフルネスを実践することで、私は注意を優しく現在に戻すことを学び、それによってより誠実に祈ることができます。神に語りかけるとき、マインドフルネスは私を地に足のついた状態に保ち、言葉が空虚ではなく真の気づきに満ちていることを保証します。沈黙の中で、私は自分の思考だけでなく、心の奥に響く神の声の微かな動きを聴きます。

マインドフルネスと神への信仰の関係は深遠です。マインドフルネスは判断せずに現実をそのまま受け入れることを教えます。同様に、私の信仰は人生が不確かに感じられるときでも神の計画を信頼することを教えます。両者を組み合わせることで、私は忍耐、謙虚さ、そして委ねる心を学びます。困難が訪れるとき、マインドフルネスは感情に圧倒されずに気づく助けとなり、信仰は神がすべての試練に共にいてくださることを思い出させます。両者は共に、回復力と希望の実践を形づくります。

夜には、一日の終わりを振り返りで閉じます。マインドフルであった瞬間と、気が散っていた瞬間を思い返します。私はそれらを神に捧げ、不完全さでさえも神の愛に抱かれていると信じます。この夜の習慣は、マインドフルネスが完璧さではなく「存在」であること、すなわち自分自身、他者、そして最終的には神に「今ここ」で向き合うことだという気づきを強めます。

結論として、私のマインドフルネスの実践は神への信仰と切り離すことができません。マインドフルネスは一瞬一瞬の神聖さに目を開かせ、信仰はその気づきを神との関係へと深めます。呼吸、沈黙、感謝、祈りを通して、私はマインドフルネスが単なる気づきの実践ではなく、日々の生活の中で神の存在を体験するための道であることを発見します。

学生時代歯科医院でアルバイトをしていた。音大生と歯科医院は口腔内に問題の無い限り縁遠い存在であるが私が生活していた学生寮で代々引き継がれてきたアルバイトということから、友人の紹介で始めることになった 

 そこは“下町の歯医者さん”と呼ぶに相応しい診療所で、生涯現役を貫く大先生(“おおせんせい”と呼ばれていた)と、人情味溢れる笑いを交えたトークでいつの間にか治療も終わらせてしまう2代目院長のもとに老若男女問わず様々な人が治療に訪れていたベテランの歯科衛生士さんは明るい性格で、手際よく仕事こなしながら丁寧に仕事を教えてくださった。 

アルバイトの仕事は掃除、会計、器具の消毒など細かな仕事が多かったものの、他のアルバイト経験から接客業が苦手と感じていた私にとっては、居心地のよい働き場所であった。  

会計作業で冷や汗をかいたり、おやつに頂いた大福の粉を口に付けたまま受付に出たり、レントゲンの現像液の順番を間違えてしまったり…と大小様々な失敗も多くあったが、その都度優しくフォローしていただいた記憶が蘇る。 

おおらかで温かな雰囲気の中、他者に寄り添って接することの意味や、人と人とが繋がることの有難みを実感する、そんな場所でもあった。自分のやりたいことに夢中になれるのが学生時代というものであるが、違う世界を垣間見ることで、自分の進むべき道を見出すことができたのかもしれないと、その時代を懐かしく思い出す。 

 このアルバイト先で身に付いたことと言えば、電卓を早く打てるようになったこと、洗濯後のタオルの収納方法、そして口腔内の衛生に対する意識の高まりだ。今は加齢と共に現れる歯と歯茎の問題に対処すべく歯科医院は私にとって大変縁のある場所になっている。 

こんにちは。理科の菅原舞子です。
みなさん、「子供を産むと母親の体質が変わる」って聞いたことありますか?

妊娠出産には、「妊娠中に大きくなったお腹が前に出ると赤ちゃんは男の子、横に広がると女の子」「出産前に焼肉を食べると陣痛がくる」みたいな色んな都市伝説があるんですが、
「出産すると体質が変わる」は科学的根拠があることが最近の研究でわかってきたんです。

私は5歳の娘と2歳の息子がいます。出産を経験してから、自分の体にちょっとした変化が起きました。
たとえば、以前は風邪をひくとすぐに熱が出ていたのに、最近はだるさなどの風邪症状があっても、熱が出にくくなったんです。夫はもともと熱が出にくい体質なので、最近、体質が夫に似てきたなあと思っていたのですが、実はこれ、「マイクロキメリズム」が関係しているかもしれないんです。

マイクロキメリズムとは、妊娠中に赤ちゃんの細胞が母体に入り込み、そのまま母親の体内に残る現象のことです。
これは数ヶ月や数年の話ではなく、なんと数十年後まで!
つまり、私の体の中には、娘や息子の細胞が少しだけ移住したんです。しかも、その細胞たちはただいるだけでなく、母親の体を守るために働いてくれることもあるそうです。
病原体が体に入ってきたとき、子ども由来の細胞がそれを攻撃してくれることがあったり、そもそもの傷を修復してくれたりします。
「ばいきんが入ってきた!やっつけろー!ママを守るんだ!」って言ってるみたいで、想像するとすごくかわいくないですか?

科学的に見ればまだまだ研究途中の分野ですが、そう考えると、なんだか心が温かくなります。
家族って、細胞レベルでつながっているんですね。

理科の授業で「遺伝」や「免疫」の話をするときに、ちょっと思い出してもらえたら嬉しいです。

この夏、家族でキャンプに行ってきました。献立は決めずに・・・行き先の道の駅で出会った食材で、何を作るか考えるスタイル。これが、思った以上に楽しい! 

印象的だったのは、白いとうきび(とうもろこし)。 生でも食べられると聞いて、息子がそのままかぶりついた瞬間、「うまっ!」と驚いた顔が忘れられません。夜には焚火で焼いてみると、香ばしさが加わってまた違った美味しさに。 トマトときゅうりは氷水で冷やしておやつに。暑い日には、自然の味が何よりのごちそうでした。 

焼きそばの具材には、道の駅で見つけたピーマンとパプリカを。 色がきれいでつやつやしていて、子どもたちも「これ食べたい!」と即決。包丁は使わず、手でちぎるスタイルにしたことで、調理にも積極的に参加してくれました。形は不揃いでも、火の通りがよくて味もしっかり絡む。普段はちょっと敬遠されがちなピーマンが、この日は大人気。食材との出会い方ひとつで、子どもの反応がこんなに変わるんだなと感じました。 

キャンプって、火加減も道具も限られていて、ある意味“不自由”。 でもその不自由さが、逆に工夫や会話を生んでくれるんですよね。 「どう切る?」「焼きすぎた?」「味付けはどうする?」と、みんなで相談しながら作る時間は、何より楽しくて、豊かな学びの場でした。 

この体験、家庭科の授業にも活かせそうです。 すべてが整った環境ではなく、あえて“足りない”状況をつくることで、協力や創意工夫が自然と生まれます。地元の食材との偶然の出会いも、食への興味を引き出すきっかけになります。 

次の授業では、「予定のないごはん」に挑戦してみようかな。 キャンプのピーマンみたいに、思いがけない食材が、思いがけない学びをくれるかもしれません。 

 初めてこの学校に来る前に、インターネット上の情報をいくつか見てから入職日を迎えました。どこにあるのかは当然ですが、どのような歴史をたどってきたのかなということを調べることで、過去の先生方の思い、考えを知ることができるかなと思ってのことです。 

 この学校は最初から現在地にあったのではなく移転してきていること、第二次世界大戦前にもいろんな科が置かれていたこと、戦後は普通科だけで始まり、各科を設置していったこと・・・など、色々あって現在に至っているんだなあと思っていました。 

  入職してしばらく経ったある日。百年史が置いてあるのを見かけました。各校で記念誌の作成はされているかと思いますが、歴史が長い学校であるほど、分厚いものが作成されるものです 

 最初の方にある目次を見てみると、第二次世界大戦期の箇所がありました。このころと言えば、日本史の教科書では、「学徒勤労動員」として機械の前に座って作業する子どもの写真がよく出てくるものです。ただ、どうも必ずしも工場労働に動員されるだけが当時の子どもたちの様子ではないようです。 

 私は、大学の卒業論文のテーマに看護師養成を取り上げていました。しかし、看護学などの教科書も、歴史だけを取り上げることはなく、一般書籍でもなかなか看護師養成だけを取り上げる本は少なかった(と記憶しています)ので、どのように資料を集めるかと悩んだものです。資料集めのため、他大学の図書館にも出入りしたこともありました。 

 闇雲に進めることも良くないので、とりあえずは時代を整理しながら、と調べていくうちに、高等女学校(現在の女子の中学〜高校に相当)では、第二次世界大戦中に看護師養成を行っていたことにたどり着きました。沖縄ではひめゆり学徒隊の話もありますが、局地的な話だったのかと思っていました。ただ、どうも日本各地で養成が行われていたようでした。 

  では、この北星女子ではどうだったのだろうか・・・と思って百年史を見てみると、当時の北星高等女学校も看護師を育て、戦時で不足した医療従事者の養成に勤しんでいたことが書いてありました。医学などの授業をするために市立病院から先生方がいらしていたことに加え、戦争末期にできた道立女子医学専門学校(現・札幌医大)のために校舎の貸与も行われていたようでした。 

  現在も、道立高校では看護師養成をしていますし、ほかでも日本の各地の高校で看護師養成をしているようです。高校衛生看護科卒業で准看護師、そのうえに+2年の専攻科があれば正看護師まで目指せるので、最短で20歳から看護師として働くことを目指すのであれば高校から看護科に行くことは一つの選択肢にはなるかもしれません。 

 とはいっても、現在あるこの方法は、自分で看護の道を選んだうえでその勉強をするはずですから良いですけども、戦時中は、お上から指示があってその授業を受けることになったわけです。描いていた女学校生活を送れなかった当時の方々の思いは、そのときの情勢も含めて、とても想像に堪えません。 

  さて、時代は変わり、高齢化に伴う医療従事者の不足が現代日本では問題になっています。だからと言って、いきなり看護師養成が始まることはない・・・でしょう。いまは、AIとか情報技術の使い方が主として取り上げられているかと思います。この次は何がメインになってくるのでしょうか。 

 平和な時代の日本でも、時代の要請に応じて、少しずつ教科書が変化し、教える内容は変わってきています。その時々に大事な部分は強調して、今後も授業で取り上げていきたいと思います。 

  そういえば、来春から始まるNHKの朝ドラは日本の職業看護師の黎明期に活躍した人々を取り上げるようですね。どんな感じになるのかな・・・ 

近年、人工知能(AI)の進化が大きく取り上げられています。私たちの身近な生活にも少しずつ入り込んできましたが、教育、とりわけ英語学習にもAIは大きな可能性を秘めています。 

たとえば、これまで分からない単語は辞書で調べることが基本でしたが、AIを使えば文章の流れに合った自然な訳や言い換えを提示してくれます。また、自分の書いた英文を瞬時に添削し、より良い表現を教えてくれるため、学習の効率が大幅に上がります。 

さらに、AIは個別最適化に強みがあり、生徒一人ひとりの弱点を把握し、必要な練習問題や学習のステップを提案してくれます。たとえば、リスニングが苦手な生徒には、スピードを調整した音声練習を、文法が苦手な生徒には基礎問題の反復を、といった形で柔軟に対応してくれます 

もちろん、AIは万能ではありません。自動翻訳や添削は便利ですが、そこに完全に頼ってしまうと自分で考える力や、言いたいことを相手に伝える力が育ちにくくなります。英語を学ぶ本当の目的は、テストで高得点を取ることではなく、相手と気持ちを通わせるコミュニケーション力を身につけることにあります。その能力は、仲間との対話や授業でのやり取りを通じてこそ培われるものです 

AIはあくまで学びを助ける道具にすぎません。正しく使えば生徒の主体的な学習を促し、保護者の皆さまにとっても家庭での学習サポートに役立ちます。そして私たち教員にとっても、生徒一人ひとりに向き合う時間を増やすために大きな助けとなります 

これからの英語教育は、「人」と「AI」が協力して進める時代になります。私たちも積極的に新しいツールを学びながら、生徒たちがより自信をもって英語を使えるよう、一緒に取り組んでいきたいと思います。 

 

早いもので2025年度も前期の終業礼拝を迎えます。皆さんにとって、前期にはどんな出来事がありましたか。 
 私にとって、一番印象深い出来事を紹介したいと思います。 

夏季休暇中の8月上旬のある日、スマホにショートメールが届きました。 

送り主は高校時代の部活動の顧問でもあり大学卒業後に福岡で教員をしていた6年の間に、公私にわたってお世話になった恩師でした。 

 私の郷里は福岡県で、高校を卒業するまで福岡で過ごし高校では入学と同時にレスリング部に入部しました。当時はほとんどの選手が高校から競技を始めること、他の競技に比べて競技人口が決して多くはないのでインターハイなどの全国大会への出場機会にめぐまれていること、階級制の競技のため体重差によるハンディがないこと、そして1988年に開催された韓国でのソウルオリンピック大会の日本代表候補でもある顧問の指導が受けられることが入部の理由でした。 

当時の顧問は、レスリングの競技力は言うまでもなく、長距離走では部員に一切負けることがなく、高校の体育館の天井から床まで吊り下げられていたロープ(綱引き用のロープを吊り下げたもの)を両腕だけで軽々と3往復できる筋力を身につけていました。 

また、考え方が常にポジティブな方です。今でも時々思い出す言葉がたくさんあります 

「レスリングは、頭脳8割、体力2割」 

誰でも1日は24時間。その24時間をどう使うのかは自分次第」 

「2時間の練習時間を嫌々やっても2時間、よし集中して出し切ろうとやっても2時間」 

「追い込まれたときに必ず本当の自分が出るよ。いつも追い込まれた時追い込まれた自分を意識して取り組もう」 

「勝ったら勝った時、負けたら負けた時」 

「高校3年間だけ強ければよい、勝てばいいのではないよ。これから先の人生で何があるか分からないよ。その人生を生き抜く、あるいは乗り越えていくことのほうがもっと大切だよ。本当にいろんなことがあるから。そのためにもマナーや謙虚さを忘れたらダメなんだよ 

 また、行動力も半端な方ではありません。今回の札幌訪問は、定年退職後に購入したキャンピングカーを運転して奥様と二人で福岡から陸路とフェリーを利用しての往復旅行だったのです 

 恩師からの「今、札幌に来ています。一緒に食事でもどうですか。」とのお誘いのメールでしたので、早速電話をかけて顧問ご夫妻と私と私の家族も一緒に食事をすることになりました。 

 最後にお会いしてから約20年ぶりの再会でしたが、高校時代や福岡での教員生活の話が尽きることはありませんでした。高校時代の厳しいトレーニングや強化合宿に県外への遠征、福岡県大会決勝や九州大会決勝などの重要な試合でミスを重ねてしまい勝利できなかったこと、練習をサボっていることがバレてしまい長時間にわたって怒られたこと、などの失敗談が次々と披露されました。 

恩師の話術もあいまって終始笑いが絶えませんでしたが、テーブルを囲んでいる3人の息子たちが時折、真剣な表情で恩師の話や私の失敗談を聞いている様子を見ているうちに、不思議と心がどんどん軽くなっていきどこか晴れ晴れとした心持になり、心が豊かに満たされていきました。これまでに感じたことがない感覚でした 

高校を卒業して37年経ちますが、この夏の恩師との再会により 

「失敗は、決して失敗のための失敗ではなく、時には自分の人生を豊かにしてくれる失敗でもある」ことを再認識することができました。 

あなたの「名前」

先日、新聞で戸籍の氏名に読み仮名を記載する改正戸籍法に関する記事を読みました。この記事を読んだとき、「名前」って時代を表すよな…私が生まれた頃に流行った名前と現在よく聞く名前も違うよな…と思ったのでした。

みなさんの名前の由来は何ですか?私の「いおり」という名前は時代劇の「大岡越前」に出てくる「榊原伊織」という蘭方医が由来となっています。母がこの時代劇のファンということで、つけてくれました。でも、幼いころは自分の名前が嫌いでした。「しおり」に間違えられるし、2文字の同級生の名前に憧れていました。親に「今日から私のことを〇〇(憧れの名前)と呼んで!」と言って困らせたこともあります。

実はあまり人に言ったことはありませんが・・・私は人の名前を覚えることが得意です。また、名前にあてられた漢字や音についてあれこれ考えるのが好きです。(気持ち悪いって思わないで!)季節を感じる漢字を見て、誕生月を推測してみたり、知らない漢字は辞書で調べたりすることもあります。担任として関わった生徒、部活動の部員、教科担任として教えた生徒・・・毎年、漢字も含めてフルネームで書けるように心がけています。(でも旧漢字や難しい漢字はしっかり書ける自信がない・・・)

名前は人が生まれて最初にもらうプレゼントですね。それぞれに大切な意味が込められています。「いおり」という名前は今となると、ジェンダーレスの名前でよく聞くようになりました。名付けてくれた母に感謝しています。
普段、書類や持ち物に名前を書くときは流れ作業になってしまうかもしれないけれど、自分の名前をつけてくれた人に感謝の気持ちを込めて1回1回を大切に書き、どんな思いでつけてくれたのか考えてみるのはいかがでしょうか?

 

「釣り人は梅のおにぎり食べちゃダメよ〜」 

 

随分と前の話しだが、釣り場で出会った先輩釣り人に言われた。 

おにぎりの具は、鮭と梅干しが一番だと思っている。特に鮭は世界一好きな魚なので、自分でも釣る程大好きだ。梅干しは、少し甘い物が好きだ。だから、先輩釣り人に言われた言葉が気になって、理由を聞いてみた。意外な答えが返ってきた。 

 

「当たらないからだ 

 

勿論「当たらない」のは「食当たり」の事だ。しかし、釣り人はここに験(げん)を担いだのだろう。釣り人にとって「当たらない」のは致命傷だ。「当たらない」は「釣れない」を意味する。繊細な当たりをとるために、道具にもこだわってきた。ロッド、リール、ライン等もそれなりに慎重に選んで購入している。でも、その時は気にしてなかった。魚がいるところで釣りをすればいいと考えていたからだ。 

 

それから何年かして、僕は弓道部の顧問なった。自分でも弓をひく程大好きだ。毎年3回、自分も大会に参加をしている。こんなに素晴らしい競技にもっと早く出会えればよかったと思う。僕の通っていた高校にも弓道部があったからだ。 

的中(当たり)も大切だが、体配(作法)も大事なのが弓道だ。一つ一つの動作を丁寧に取り組んでいる。本当に奥が深い競技だ。しかし、「当たらない」と弓道は勝てない。そんなとき、先輩釣り人の言葉をふと思い出してしまった…『梅干し 

 

それから僕は梅干しを断つ事にした。釣りも弓道も当たらないのは困る僕は釣りと弓道を生涯続けると決めているので、この先梅干しは食べられないということだ。次に僕が梅干しを食べるのはいつになるのだろう?大好きな梅のおにぎり… 

 

この問題を解決する方法は一つしかない。僕の釣りや弓道の実力が、験(げん)を担がなくても結果が残せればいいのだ。それには練習あるのみ!そのためには、まず今週末はどの海にする?ここまで力説すれば、家族は釣りに行かせてくれるに違いない 

PAGE TOP