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藤原定家が撰集した「百人一首」、カルタ取りで遊んだことがある、という人もいるでしょう。定家が、飛鳥時代から鎌倉時代までの「秀歌」と考えた、古今の名歌が収められていますが、その中に次の二首が入っています。

 

 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之

ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ  紀友則

 

紀貫之は言うまでもありませんが、『古今和歌集』の選者の一人です。また単なる選者と言うだけでなく、「仮名序」を著した人でもあります。晩年に『土佐日記』も書いていますが、和歌の名人として自他共に認める存在だったのでしょう。一方の友則は、やはり『古今和歌集』の選者の一人でしたが、完成を見ずに亡くなってしまった人物です。貫之の従弟あるいは甥と言われる人物ですが、貫之同様、和歌の名人として名を馳せていたのでしょう。

さて、そのような二人が詠んだ先の二首には「花」が取り上げられています。この「花」、何の花か、わかりますか? 和歌の中に何の断りもなく詠まれているから、梅か桜でしょう! と思った人、すばらしい!!

では、梅か桜かどちらでしょうか? 紀貫之は平安時代初期、貞観年間(859877年)中頃の生まれと考えられています。一時代前の奈良時代は中国文化が盛んに輸入され、もてはやされていました。そのため、「花」と言えば、中国から輸入された「梅」のことを指した時代もあります。しかし、その後、「花」と言えば、「桜」のことを指すようになり、今に至ります。ということは、二人が詠んだ「花」は?

 

実は、答えは「百人一首」だけを見ていては、永遠に出ません。この二首、二人が選者を務めた『古今和歌集』にも収められていますが、そちらを見れば一目瞭然なのです。まず、「人はいさ~」の貫之の歌ですが、詞書が次のように書かれています。

 

 初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に久しく宿らで、程経て後に至りければ、かの家の主、「かく定かになむ宿りはある」と言ひいだして侍りければ、そこにたてりける梅の花を折りて詠める

 

ね、これで貫之の歌の花は「梅」であることが確認できます。一方、友則の歌にも詞書があります。

 

 桜の花の散るをよめる

 

 これを見たら、だれも迷わないでしょう。

 

今、様々なことをインターネットで調べることができます。しかし、調べ方を知らないとなかなか事実にたどり着くことができない場合もあります。この二首の花についても、「百人一首」だけの情報で調べ、考えようとすると、とんでもない迷路に入り込むのです(実は、この問題、「とんでもない迷路」に陥った人の話が元ネタです)。

情報を探し出す力は、これから先、ますます重要になるでしょう。一つのことを調べる場合、様々な角度から考えて調べてみる、ということを習慣にしてほしい。

そのように願う、今日この頃の伊藤でした。

今日、こんなことを知りました。猫は爪を引っ込めるのではなく、腱を使って地面から持ち上げているのだそうです。そして、その爪は毛皮に隠されているのです。

猫は前足に5本、後ろ足に4本の爪を持っている。前足の爪は通常、後ろ足よりも鋭く尖っている。

猫の爪は一生涯伸び続ける。野生では、爪を短く鋭く保つために、爪を掻いている。家庭内では、爪を切ることができる。猫の爪は伸びると鈍くなる。猫が何かをひっかくと、爪の外側の鈍い層が引き剥がされ、より鋭いエッジが残ります。カーペットに爪のあとが残っていても、それは爪の外側の層だけです。大型の猫も爪を鋭くするために、通常は木を使って引っ掻く。

猫は爪を握ったり、バランスを取ったりするのに使う。また、獲物を捕まえたり殺したりするのにも使う。爪は内側に曲がっていて、もがいている動物を掴むのに便利である。

猫の爪は腱でつながっている。猫が腕の筋肉をリラックスさせると、爪が持ち上がる。猫の足の指の先には、爪の下部を包む小さな皮のひだがある。完全に引っ込むわけではないので、爪の先は猫の毛で覆われている。毛皮のない猫を見ると、引っ込んでいても爪の先が見えている。

猫は爪が必要になると、筋肉を柔軟にし、腱を強く引っ張り、爪を戦闘態勢に引き込む。

猫が爪を引っ込めるのには、いくつかの理由がある。まず第一に、爪を保護するためである。爪を地面にこすりつけたり、いつも使っていなければ、爪はずっと鋭く保たれる。

もうひとつは、身を隠すため。爪の音がしないほうが、猫は獲物を追いかけやすい。猫は爪先立ちで歩くので、爪が邪魔になるのだ。

爪先立ちで歩く動物は桁行性歩行動物です。人間は足の裏を使って歩く「足底歩行」です。猫の爪は、歩くときには引っ込んでいますが、猫の足の指の形をしています。猫が断爪すると、バランスをとるのが難しくなります。爪は厳密には足指の先端にあり、これを取り除くと猫の足が不自然な角度で地面に接することになります。また、爪で掴んでバランスをとるため、ジャンプに自信が持てなくなります。

大きな猫の爪も引っ込みます。例えばライオンやトラ。しかし、チーターの爪は部分的にしか引っ込みません。というのも、チーターはとんでもなく速いスピードで走るので、トラクションをかけるために爪が必要なのです。

引っ込む爪を持つ動物は猫だけではありません。フィッシャー(イタチの一種)、クサリヘビ、キツネ、そしてニホンオオツノガエルはすべて引っ込み式の爪を持っている。

鉤爪を持つ他の動物は引っ込み鉤爪を持たないが、これは鉤爪を持つ理由によるものである。例えば、犬は獲物を仕留めるために爪を使うのではなく、走るときのグリップのために爪を使う。犬の祖先であるオオカミは、歯で動物を殺します。長距離を走って獲物を消耗させ、そこに飛び乗って歯で仕留めるように進化してきたのです。爪で地面を掴んで走り続け、獲物を掴んで牙で仕留める。爪を引っ込める必要はないのだ。

クマも同じだ。熊の種類にもよるが、爪の長さは7〜13cm。クマにも引っ込める爪は必要ない。森にいるクマは、爪で土をつかむ。また、腐った丸太を割って昆虫を探したり、木に登ったりするのにも使う。クマは雑食で、イヌやネコのような肉食ではないので、爪は獲物を攻撃するためというより、握ったり防御したりするためにある。しかし、魚を捕るときには役に立つ。

ホッキョクグマも長いツメを持っていて、氷や雪をつかむのに使う。ホッキョクグマは実は肉食です。これは必要なことなのです。彼らは寒い北極で自分自身を暖かく保つためにカロリーと多くのアザラシの脂肪を大量に食べる必要があります。そのため、アザラシをつかむために非常に長い爪を持っています。

そのため、大半のツメは引っ込められない。ほとんどの動物は爪を牽引や把持に使っており、巻き取り式の爪は必要ないのです。猫は狩りのスタイル上、引っ込み式の爪が必要です。猫は前脚の腱を緩めて爪を地面から浮かせ、爪を引っ込める。腱を曲げると、爪が降りてきて伸びるのです。と、こんなことを今日は学びました。

石ノ森章太郎さんの漫画「宇宙鉄人キョーダイン」、僕が小学生の時にTVで放映されました。その歌詞の中に「♪一,十,百,千,万,億,兆,京!」という部分があります。僕はこの歌で算数の「位」を覚えました。

 先日、小学校4年生の息子の算数の試験が戻ってきました。㋑の解答をみて驚きました!

「がい?!どこでこんな『位』を覚えたの?」正解は『億』ですね。彼の解答は間違えていますが,僕は息子が「がい」という「位」を知っていることに,とても嬉しくなりました。どうやら僕は自宅でキョーダインの替え歌を歌っていたようです。それを覚えていたのですね。

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1垓(がい)とは,1,0000,0000,0000,0000,0000020個)です。

土星までの距離1,4294,0000,0000m14294m=142940km)は

1429,4000,0000,0000mm14294000mm)です。「垓」はまだ登場しません。

 

ウルトラマンの故郷M78星雲までの距離はどうでしょう?作品の中では地球から300万光年と設定されています。1光年は約95000kmですから、

300万×95000km=300,0000×9,5000,0000,0000 km

=3800,0000,0000,0000,0000km3800km

=380,0000,0000,0000,0000,0000m380m

ようやく「垓」の登場です。とてつもなく大きな数であることが実感できたでしょうか?

 

よく知られている大きな数の「位」として「無量大数(むりょうたいすう)」が有名ですね。1無量大数は1の後ろに068個(※1)つながります。でも、どんな場面でこの「位」を使えばいいのでしょう?想像もできません。

1無量大数を1088乗と解釈する文献もあります。

 

しかし、まだまだ大きな「位」が存在します。「不可説不可説転(ふかせつふかせつてん)」です。

1不可説不可説転は、1の後ろに037,2183,8388,1977,6444,4130,6597,6878,4964,8128個つながります。【37澗(かん)2183溝(こう)8388穣(じょう)1977(じょ)6444垓(がい)4130京(けい)6597687849648128 個 …と読みます】もうこうなっては,何が何だかわかりませんね()

これらの「位」は仏教用語からきています。

 

数字の世界はこれで終わりません。まだまだ大きな「位」があります。

googol(グーゴル)」という位があります。あれっ?なんか聞いたことがありますねぇ…そうです、Googleです。社名の由来が「グーゴル」です。

1googol 10100乗です。1不可説不可説転よりは小さいですが、さらに「googolplex(グーゴルプレックス)」「googolplexplex(グーゴルプレックスプレックス)」と続きます。

googolplexは、101 googol

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1 googolplexplex10の1googolplex乗です。

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で、さらに……って、もういいかな?()

 

 ちなみに、みなさんにも馴染みのある「位」として、

 1M(メガ)=100万、1G(ギガ)=10億、1T(テラ)=1兆 があります。ちなみにテラの続きは、1P(ペタ)=1000兆、1E(エクサ)=100京、1Z(ゼタ)=10垓、1Y(ヨタ)=1です。近年のPCの進化はものすごいですから、これらの「位」もすぐに登場するのでしょうね。

 

僕の大好きな俳優:マイケル J フォックスさんの主演映画「Back To the Future」、主人公マーティーが未来に帰るために必要な電力が非常に大きく、友人ブラウン博士が驚く場面があります。「1.21GW(ジゴワット)!!!!!1.21GWだと!!!!????」

これは「ギガワット」のことです。12.1Wということですね。タイムトラベルにはこれほどの電力が必要だということです。

また、Part3で恋人を失ったブラウン博士が「100万人に1人、10億人に1人、いや、1グーゴルプレックス人に1人の女性だった …」と嘆くシーンがあります。とても大切な人だったのですね。

 

そもそも数は無限にあることがわかっています。ですから「位」にも終わりがないわけですね。終わりのないものを追求するのは、一見大変そうに思います。しかし、好きなことなら、それは楽しみに変わるのでしょう。

みなさんにとって、終わりのない追及は何ですか?

ミツバチは冬を越すための食料を蓄えるためにハチミツを作る。

花は動くことができないので、繁殖のために昆虫を必要とする。受粉のためには、ある花の花粉が別の花に届かなければならない。そのためには、花粉を昆虫の毛にくっつけるのが一番です。この昆虫が別の花に行くと、この花粉が叩き落とされ、その花に受粉することになる。他の花に受粉させるために、花は昆虫に訪れてもらう方法を進化させた。花は蜜と呼ばれる糖分を含んだ液体を作る。

ハチミツはこの蜜から始まります。蜜はほとんどが水分で、ショ糖、ブドウ糖、果糖が含まれている。また、ビタミン、油分、アミノ酸なども含まれています。甘さは植物によって異なるが、最も甘い蜜は糖分濃度が50%になることもある。蜜にはミツバチを引きつける香りがあり、また蜜が反射する紫外線を見ることができる。

採集蜂は花に降り立ち、長い口吻で蜜を吸い上げる。蜜はそのまま胃の第一の部屋に入っていく。これはproventriculusと呼ばれています。彼らは一度に蜜の80ミリグラムまで運ぶことができます。胃の中に入ると、酵素がショ糖を単純なフルクトースとグルコースに分解し始める。また、別の酵素が花蜜の酸性度を上げ、バクテリアから花蜜を保護する。

採餌蜂は生後3週間で飛び始め、生後7週間まで生きる。平均的な巣箱には1万から5万匹のハチがいるが、そのうち約30%が採餌蜂である。彼らは看護バチとして開始されます。彼らは女王の卵のためのワックスセルをきれいにし、彼らは幼虫に蜂蜜と花粉を供給します。彼らは、女王の世話をする。彼らは生後3週間、看護師の蜂のほとんどの脳の遺伝子の発現が変化し、彼らは飼料用蜂になります。

そして、採餌蜂は巣に飛んで帰っていく。蜜がたくさんある花を見つけると、その場所を他のハチに伝えるためにダンスを披露する。このダンスで、距離、方向、蜜の量を伝える。

その後、採餌蜂は巣箱に入り、蜜を手放す。それを働き蜂の口に吐き出す。この間、採餌蜂と働き蜂の触角は常に触れ合っている。これが彼らのコミュニケーション方法だ。すべての蜜を受け渡すと、採餌蜂は少しの蜂蜜でエネルギーを補給し、再び採餌に飛び立ちます。採餌蜂は平均して1日に約12回の旅をします。明らかに、彼らは花が近ければより頻繁に出て行くでしょう。巣箱から5km先まで飛ぶこともできますが、収穫した蜜をすべてエネルギーとして使わなければならないので、彼らにとってはあまり意味がありません。

働き蜂は、蜜を自分たちの間で、口から口へと受け渡し始める。蜜を渡すたびに、少しずつ水分が減っていく。これを繰り返して、蜜の水分が18%になる。これがハチミツである。水分が少なく、酸度がやや高いので、細菌やカビが繁殖することはない。

働き蜂は、このハチミツを蝋の部屋に押し込んで貯蔵する。働き蜂は、腹部から分泌される液体で部屋の入り口を密閉する。これが固まって蜜蝋になる。これは、蜂蜜の気密性と水密性を保持します。この方法で保存された蜂蜜は、非常に長い時間のために続くことができます。

ミツバチは自分自身を養うために蜂蜜を使用し、夏までのランアップで幼虫を養う。その後、彼らは蜜を収集し、彼らは冬を乗り切るための食品の大規模なストアを持っているように、すべての夏の間に狂ったように蜂蜜を作る。12匹のミツバチが一生の間に作ることのできるハチミツの量は、およそティースプーン1杯分。つまり、朝食のトーストにハチミツをかけるということは、約100匹のミツバチのライフワークを食べていることになるのです。ありがたいことです。

で、育児蜂は生後3週間で採餌蜂になる。採餌蜂は外に飛び出し、植物から蜜を収穫する。それを胃袋で分解して働き蜂に渡す。働き蜂は蜜を口から口へ運び、水分のほとんどを蒸発させ、蜂蜜を作る。そのハチミツを冬の間の食料として蜜蝋細胞に蓄えるのです。そして、これが今日私が学んだことです。

寒い季節になってきました。この時期、夕食に鍋料理を作る機会は多いのではないでしょうか。そして、その鍋の中身が少し余ることがよくあります。それを何とか次の料理に、生かすことができないかということを考えていました。あるとき、ネット検索をしていると、簡単、おいしい、時短の3つの条件を満たす料理がのっていましたのでシェアしたいと思います。

①1日目 夕食(めんつゆの鍋)

まず、冷蔵庫の中にあまっていた具材がキャベツ、タマネギ、ダイコン、しめじ、厚揚げ豆腐だったので、今回はこれを使います。

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切った具材を鍋の中に投入します。

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右のめんつゆと、左のだしが味の決め手となります。左のだしは、袋を破ってそのまま半分を鍋に入れます。そうすることで、だし汁をとることなく、時短で深い味わいをつけることができます。

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だしには、かつお節、焼きあご、うるめいわし、コンブ、海塩が入っていて、高級店の味が出ます。めんつゆも、だしも全て天然のものを使っているので、とても体に優しいです。ふたをして、15分ほど煮れば、できあがりです。

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②2日目 夕食(和風カレーうどん)

 次の日は、とても簡単です。ベースとなるスープがすでにあるので、うどんとカレールーを2,3かけら入れるだけです。

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10分ほど、火にかけてほぐすと完成です。

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③3日目 朝食(カレーリゾット)

 最後のしめは、冷凍ごはんと残りのカレーを5分ほど煮て出来上がりです。粉チーズをかければ、最後まで楽しめるカレーリゾットになります。

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冬休みが始まりました。長期休みは生徒にとって楽しみな時間であることは言うまでもないと思いますが、教員である私にとっても、ゆっくりと趣味に没頭できる時間をとることのできる貴重な期間です。ビーズアクセサリーづくり、けしごむはんこづくり、編み物、書道、漢字検定1級取得に向けた勉強、読書、カリグラフィー、硬筆ペン字……なんといっても、何かと時間のかかる趣味の多い人生です。一日が40時間くらいあれば……と何度思ったかわからない日々を過ごす私には、冬休みは最高の時間を過ごすことのできる機会です。

本当は全ての趣味において私を魅了する所以を語りたいところですが、紙幅に限りがあるので、今回は人生の大半に渡り、関わってきた書道に絞ってお話します。

 

書道との出会いは小学1年生の夏、お隣のお姉ちゃんが通っていた習字教室に通い始めたことでした。その後、高校生まで習字は続けていましたが、部活に入り、本格的に力を入れ出したのは大学2年になってからでした(中高時代は帰宅部でした)

大学で書道部に入ったことで、私の暮らしは大きく変わりました。書道の授業の時間の他にも、先生に声をかけていただいた展覧会に出すために徹夜で書き続けたり、ほかの授業の合間に部活の友だちと作品書きをしたりと、趣味の範疇を超え、書道が生活の中心になっていきました。

そのような日々を過ごす中で、だんだん、習字で作品を作るのと、書道で書作品を書き上げるのには、違いがあるように感じ始めました。ただ、きれいに書ければよいわけではなく、一枚の紙の中に、自分の表現したい世界を作る。納得のいく作品ができるまで何十回も、下手すると何百回も書き続ける。書道は追求の美だと感じ、魅了されてゆきました。

また、何より書道のすごいところは、何千年も前に書かれた作品が、21世紀を生きる私たちを感動させる力を持っていることだと思います。一番、書ってすごい!と感動したのは、大学4年の時です。就職試験で東京に行った際に上野の国立博物館で、小島切という仮名の作品展示を見る機会がありました。約千年以上前に書かれた線が、ほの暗い展示室で鮮やかに、ありありと私に迫ってくるかのように輝いて見えました。千年前に書かれた文字が、長い時を経ても、人を感動させる力を持っているということに激しく心を揺さぶられた記憶があります。

古い作品だけでなく、現代の書にも同じ力があります。どこがすごいという説明抜きに、作品を目の前にした時に圧倒されて、言葉を失ってしまう。いつまでも作品が頭に強い印象を残し、思い出すと「すごいなあ」とじわじわと感動が押し寄せる。そんな作品にも何度も出会うことができました。

 

大学を卒業し、社会人になる時に先生に「まずは10年続けること。仕事や自分の生活が忙しい中でも10年やめずに頑張れれば、その後は一生続けられるから」と言われました。その言葉を支えに、必死に仕事の合間や休みの日を書道に入れ込んだ10年を過ごしました。残念ながら、10年経った頃にちょうど子どもを産んでからは、すっかり以前の書に対する勢いは衰え気味で、最近は月に一度、競書に出す作品書きをしたり、部活の際に部員たちと書いたりする程度しか時間を取れなくなってしまいました。現在は趣味と呼ぶのにふさわしい状態です。

今の私の目標は、「細く長く続けること」。今はなかなか時間を取れなくても、細く長く続けていれば、いつかまた、ゆっくりと書道に向き合う時間を作れる日が来るかもしれない。そして、いつか、自分の書いたものが、誰かの心に残るような作品を書けるようになりたい。そんな気持ちで今は大切な趣味の一つとして書道と付き合っていきたいと思っています。

2021.5.21木村先生のブログ 

「40歳を過ぎ私の体にも陸上では一切必要とされていない浮き輪がおなか周りについてきた。」全く以って同感である、、、、、、

20202月後半から休校、そして4月やっと新年度がスタートできたと思いきや、またもや休校。

教室で声を張り上げる授業もできず、部活もなく、在宅勤務も増え、食べすぎないようにと気をつけてはいたつもりだが、やはり不必要な浮き輪が膨れてきた。

お家時間が増え、気持ちはへこむが、浮き輪はへこまない。

これではだめだと「走る」ことを決意。元々野球人の私にとっては走ることは野球をするためのトレーニングの1つで「仕方なく」やっていたものである。だから決意といっても決して無理はせず、きつかったらすぐ歩く、休むことを自分の中のルールとした。

 1日目、やはり走り始めてすぐに息が苦しくなる。赤信号が待ち遠しい。あのスーパーまでは走ろう!!と決め、そこにつくと走るのをやめ散歩で帰宅。ちなみにどのくらい走ることができたのかと無料アプリ「キョリ測」で調べてみると「1km」。「これだけ?!」「まあそんなものだろう」

 同じコースで3日間。そして4日目の朝、突然かかとに激痛が走った。筋肉痛とは違う謎の痛み。学校に行くにも足を引きずるような歩き方。理由がなんとも情けないので、先生たちにバレないように過ごす。「まあ1日安静にすれば治るだろう。」ところが、この痛みが1週間続いた、、、、、

やっと痛みがなくなり、ジョギング再開、しかし根本的に足の筋肉がないから痛みがでてしまったのだと思い、まずは「歩く」すなわち「散歩」から始めることを決めた。毎日60分、学校に出勤するときに遠回りをしたり、近所でも普段あまり使わない道を歩いてみたり、あまりいいことではないかもしれないが、宮の森の高級住宅街を見てみたり(もちろん不法侵入などはしてないです。)

約1か月、60分を70分、80分、90分と時間を増やしながら「散歩」を続けた。夜「パパ散歩は?」と娘に言われるほどになった。

そうして、「あの信号まで走ってみようかな」「あの店まで走ってみようかな」と少し「走る」ことを途中に入れることにした。また足に痛みがくることは避けたいので、決して無理はしないという自分のルールは守りながら、「今日は5分走ってみよう。」「今日は10分走ってみよう。」と走る時間を増やしていった。あるブログで「有酸素運動の場合、開始してから20分後から脂肪が燃焼する」と書いてあり、20分以上を1つの目安として、「今日は倍の40分走れた!!」なんてことを考えながら走る(ときどき散歩)ことを続けた。

こういう生活を続けて約3か月、ついにやってきた「北海道の冬」、、、、

この生活の中で口癖ができた。口癖と言っても心の中の独り言だが、「せっかく~から」。正直走るのが面倒だなと思うとき「せっかくランニングシューズ買ったから」、疲れてきて歩きたくなったとき「せっかく浮き輪がへってきたから」、北海道の冬、外はマイナスの気温のときや大雪の降った次の日など「せっかく冬用シューズ買ったから」と自分に言い聞かせるように「せっかく~から」を心の中でつぶやきながら走った。そうして、冬が終わり新年度が始まった。ところで自分はどれくらいの距離を走れるようになったのだろう?と日によって距離は違うもののそのときの一番走れたコースをまた無料アプリ「キョリ測」で調べてみると「10km」。今も無理はしないルールで「せっかく1年続いたから」と心の中でつぶやきながら走っています。

 「ニーバーの祈り」と呼ばれるお祈りがあります。英語ではタイトルにも通り、The Serenity Prayerと呼ばれるものです。とても素敵な言葉ですので、紹介したいと思います。

O God, give us serenity to accept what cannot be changed,

courage to change what should be changed,

and wisdom to distinguish the one from the other.

神よ、

変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

見分ける知恵を与えたまえ。

 

 私はこのお祈りが大好きです。私は生徒や同僚にとても恵まれ、毎日を楽しくワクワクしながら送っています。(北星女子の生徒は冗談ではなく、本当に素敵な生徒ばかりで、授業するのが楽しくて仕方ありません!) しかし、やはり人生ですから、つらいこともあります。そのたびに、このニーバーの祈りを思い出して、乗り越えてきました。人生ではいろいろなことが起こりますし、その長さも人それぞれ違います。また、自分が育った環境、あるいは今置かれている環境も言わずもがな、異なります。その中で「自分がおかれた場所」ではなく、「自分がすること」に目を向けることが大切です。

 

たとえば、病気をもって生まれた子供が「自分には何もできっこない」とあらゆることを諦めて引きこもりになるのか、それとも自分の病気を治し、自分と同じような苦しみを持った子供が少なくなるように医学の道を志すのかでは、おかれた状況は同じでも、まったく違う生き方になるでしょう。みなさんは、どちらを選びたいでしょうか? 決して現状を嘆き諦めるのではなく、前向きに生きていきたいですね!

 

 世の中にはいろいろな名言がありますが、素晴らしい言葉や格言などには自分の背中を押してくれる力があります。私たちは学校の内外で多様な言葉のシャワーを浴びていますが、自分が勇気と元気を持つことのできる言葉を持っておきたいものです。

 2021年11月より、NHK朝の連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」が放送されている。NHKラジオ英語講座を題材として取り上げたドラマは、おそらく史上初のことである。NHK語学講座を自習の教材として勧め、自らも学習してきた者として、興味を持って数話視聴した。生活の中に語学があり、その音に数分でも触れることは日常に彩りと楽しみを与えてくれるのだろう。物語は今後、英語が敵国の言語であった時代を乗り越え展開し、英語講座が辛い気持ちに寄り添い励ます存在としてますます重要な者となっていくだろう。

 物語のタイトルにもなっているカムカム先生こと平川唯一先生を始め、多くの名物先生がNHK英語講座で活躍された。平川唯一の講座が放送されたのは、1946年から家族を題材にした身近な放送は、大人気であった。先頃出版された『平川唯一のファミリーイングリッシュ カムカムエブリバディ』(南雲堂)は当時のテキストを基にした復刻版の教材である。連続テレビ小説をご覧になって、ご興味を持った方は是非手に取ってみて下さい。現代風のテキストの題材とは異なり、家族と話すための英語が展開されている。海外旅行が夢物語であった時代、居間で英語の音に耳を傾け家族と共に声に出して勉強するそんな風景が目に浮かんでくる。私が浪人生時代(2001年)にラジオ講座で聞いていたのは、松坂ヒロシ先生、遠山顕先生、岩村圭南先生であった。美しい音楽のような英語の発音と、楽しい雰囲気に自然と引き込まれた。その後も、NHKのテレビ英語講座で、投野由紀夫先生の『100語でスタート!英会話』シリーズは、コーパス言語学を活用した初めての講座で楽しみに視聴した。

 現在の高校生にも、伊藤サム先生『高校生から始める「現代英語」』や遠山顕先生『遠山顕の英会話楽習』などを勧めている。美しい発音や踊り出したくなるような素敵な韻律を奏でる講師の先生方には、いつも尊敬の念を抱いている。皆さん方も、音楽を楽しむのと同じように英語の音に心と耳を傾けてみてはどうだろうか。

先日の学友会機関誌にも報告したのですが、私たちの学校が125年間以上歌い続けてきた“校歌”の原点が見つかりました。本校の校歌の楽譜をよく見ると、作詞は永田方正(当時の漢文学の先生です)と明記されています。一方曲のほうはスコットランド民謡または時代によって不明と書かれてきました。何故そのようなことになったのかは明治初期から中期にかけての明治政府が行った教育事情によるところが大きいと感じています。

時代が明治となり、日本は欧米先進国と肩を並べるために国力を増強させる政策がとられるようになり、その柱のひとつに教育がありました。当然音楽もその一役を担うことになりました。優秀な若い学生たちが主にヨーロッパに音楽を学びに海を渡り、欧米で学び得たものを日本の音楽教育にも導入し、学校で多くの生徒が声を合わせて歌う日本独特の授業の形が作られていきました。

歌う曲の中で最も重要視されたのは歌詞の内容でしたが、その歌詞をどのような旋律(音楽)にのせて歌うべきかが課題でした。新しい日本を作り上げるためにそれまで日本になかった音楽に思いを込めることが求められましたが、西洋の音楽に触れてまだ歴史の浅い日本ではドレミファソラシドの音階からなる西洋音楽を土台に、日本の学校で児童生徒のための音楽として取り入れるには大変な苦労があったようです。そのような経過の中で、日本人が持つ感性に違和感なく受け入れられる旋律(音楽)がヨーロッパにあることに気づき、日本の学校音楽に唱歌として導入していきます。その音楽とはスコットランドで歌われていたものでした。日本で広く親しまれてきた“ほたるの光”“夕空晴れて”などの旋律もそれらの中の一曲です。スコットランドで歌われてきた歌には他の西欧諸国で一般的に使用している音階の“4番目ファ”と“7番目の音シ”を使わない曲が多いのです。私たちにも親しみが持てる旋律に、オリジナルな詩とは全く違った独自の内容を歌詞として盛り込み、完成度の高い日本独自の歌としていきました。私たちの校歌の誕生もその流れをくんでいると言えるでしょう。ですからどこかスコットランド民謡を思わせる旋律と感じて、校歌の旋律の由来を“スコットランド民謡から”として来たのでしょう。

今回校歌の旋律の原点を発見のために大きな働きをなさった方は“仁平のぞみさん”という方です。本校が北海道から貸与されていた校舎と校地を離れ、第二の校舎を建てる校地を探して北4条西1丁目の土地を入手するために奔走した人物、後に第6代校長となった仁平豊次のひ孫にあたる方です。仁平のぞみ先生は横浜にあるキリスト教主義の学校、捜真女学院中学高等学校で長らく音楽の教鞭をとられていた方です。本校の前校長の石原菊雄先生がイギリスに行かれた際に校歌の旋律の調査をされましたが見つけることが出来なかった校歌の原点を、仁平のぞみ先生がご自宅にあった古いキリスト教メソジスト派の讃美歌集を何気なく見ている時に発見されたそうです。私たちの校歌は讃美歌から取られたものだったのです。楽譜の表記も現在のものとは異なっていますので、音楽に精通している仁平のぞみ先生でなければ見過ごされたかもしれません。仁平のぞみ先生が本校の第6代校長仁平豊次のひ孫にあたる方で、私が北星の校歌の原点を探していることを話したのを覚えていてくださり、現在も歌い継がれている校歌のメロディーを覚えていてくれたことが大きな発見に至ったと思います。

これらの繋がりを考えると、ただ偶然だった、縁があったという言い方では表現できない神様の導きを強く感じています。

この話の続きは次回に…。

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