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校長・教員ブログ

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今日、こんなことを知りました。オリンピックで優勝者が手にする金メダルは、金の割合が7.5%しかない。銀が92.5%で、金メッキが6gほどしかないのである。メダルの価値は、貴金属として売っても8万円程度である。もっとも、このメダルが純金製であれば、約300万円の価値があることになる。 東京オリンピックでは339個の金メダルが授与されたので、10億円になります。オリンピック委員会にとっては、ちょっと高すぎる金額ですね。金メダルを獲得することは素晴らしいことですが、元々のオリンピックではメダルは与えられていませんでした。優勝者にはオリーブの枝が与えられました。オリンピックは、紀元前1200年頃にギリシャのオリンピアで始まりました。この大会は4年ごとに開催され、ギリシャ帝国中から参加者が集まりました。紀元393年、キリスト教を信仰していたローマ皇帝テオドシウス1世が「オリンピックは異教徒の祭りだ」としてオリンピックを禁止するまで開催されました。その後、1,500年もの間、オリンピックは開催されませんでした。その後、18世紀から19世紀のヨーロッパでは、古代ギリシャの文化に魅了された人々が現れました。1892年、フランスの男爵ピエール・ド・クーベルタンは、オリンピックを見直すことを思いつきました。人々を説得するのに数年かかりましたが、クーベルタンが説得に成功すると、IOCが設立され、ギリシャのアテネで近代オリンピックの第1回大会が開催されました。この大会以降、優勝者にはオリーブの枝と銀メダルが贈られるようになりました。現在の金・銀・銅のシステムは、1904年のセントルイスオリンピックから始まりました。もし、あなたが金・銀・銅のメダルを獲得したら、どんな気持ちになるでしょうか?面白いことに、心理学者の研究によると、銅メダルをもらった人は、銀メダルをもらった人よりもはるかに幸せだということがわかっています。銀メダルを獲得した人は、金メダルを逃したことで非常に悔しい思いをしますが、銅メダルを獲得した人は、単純にメダルを獲得できたことを喜びます。私はこのような心配をする必要はないと思いますが。

英語版

I learned this today. The gold medal the winners at the Olympics get is only 7.5% gold. It is 92.5% silver with only a gold-plating of about 6g. The value of the medal would be about $800 if sold for its precious metals. Although to be fair, if the medal was made of solid gold, it would be worth about $31,000.  There were 339 gold medals handed out at the Tokyo Olympics, which would have come to $10,509,000. That’s a little too expensive for any Olympic committee to afford. Winning a gold medal is a great achievement, but there were no medals given at the original Olympic Games. Winners were given an olive branch. The Olympic Games started in about 1200 B.C. in  Olympia, Greece. The games were held every four years and contestants came from all over the Greek Empire to take part. The games ran until 393 A.D. when the Roman Emperor Theodosius I, who was a Christian, banned them because he thought the Olympic Games were a pagan festival. There were no games for 1.500 years. Then, in Europe in the 18th and 19th centuries, people became fascinated with ancient Greek culture. In 1892, a French baron, Pierre de Coubertin, had the idea of reviving the Olympics. It took him a few years to convince people, but, when he did, the IOC was formed and the first Olympic Games of modern times were held in Athens, Greece. In these games and the following, winners were given olive branches and silver medals. The gold, silver, bronze system we have now was started in the 1904 St. Louis Olympics. How would you feel if you won a gold, silver, or bronze medal? Interestingly, studies by psychologists have found that people who receive a bronze medal are far happier than people who win a silver one. Silver medalists are very frustrated because they missed a gold medal, while bronze medalists are simply happy to have won a medal. I don’t think I will ever have to worry about this, though.

オリンピックついに始まりましたね!

テレビでしか観戦できませんが家では盛り上がっています。

先日、盛り上がりついでにオリンピックについて調べてみました。その中でも個人的におもしろいなと思ったものを少し紹介したいと思います。

1つ目は、「ピクトグラム」です。

トイレや非常口などを示す絵文字のことです。東京オリンピックが開催された1964年以前の日本では、空港をはじめ街中の案内看板のほとんどが日本語表記だったため、海外から来る人たちが一目で意味が分かるように、という思いから誕生したそうです。今では当たり前のように使われているので驚きました。

 

2つ目は「日本選手が初めてメダルを獲得した競技」についてです。

私は体操か水泳あたりなのかなーと思っていたのですが、なんと「テニス」だそうです。銀メダルを獲得したようですが…。

 

他にも調べていくと色んな雑学があり、面白かったです。

調べた上で観戦すると、また違った視点で楽しめるかもしれません。

ぜひ試してみてください!

今回は、長年チアダンス部の顧問をしてきて感じている、チアダンスの魅力についてご紹介いたします。

本校は「自分らしさを大切にし、他者とともに生き、輝くことができる女性」を目指して一人一人の個性を大切にする教育を行っています。その中で、毎日生き生きと活動しているチアダンス部の選手たち。でも、その選手たちが目指すものは「みんな同じ」「没個性」の演技。いかに揃えるか、いかに皆が同じ動きができるのか、ということが求められる競技。手や足の高さや向き、身体の向き、表情、技のレベル、全員が同じ動きをし、シンクロすることが求められる。同じユニフォームを着て、同じポンポンを持ち、同じ髪型にして、同じリボンをつけ、同じように見えるように化粧をする。

 一人一人は全く異なる個性を持ち、一人一人がとっても魅力的な娘たちが、その個性を打ち消して全員が一つの演技を構成する「選手」になっていく。大会前には細かな動きやタイミング、表情や呼吸までも揃えていく。全員が同じ動きができるように、何度も何度も練習を繰り返す。背の高さも手足の長さも違う選手たちが、いかに同じように見えるようになるのか、綿密で、地道な練習を続ける。ジャンプやターンなど、難易度の高い技も全員ができれば高得点となる。できない選手は必至で練習をし、それでもできないと、難易度を下げた技になる。時には目立たないように小さくなっていることが求められる。できなくて、悔しくて何度も何度も練習し、お互いに指摘しあう中で、うまくいかずに涙が出る選手も毎回いる。大会直前にはお互いの気持ちがぶつかり合って、声が荒くなり、部活全体がピリピリとした雰囲気になる。

 そして大会当日、2分半の演技にすべてをかける。この仲間と踊る最高の演技を目指して一人一人が最高の笑顔で、精一杯、全身から溢れるエネルギーを発して踊り切る。辛く苦しい練習を仲間とともに乗り越えてきたからこその一体感。全員が同じ動き、同じ表情、同じ呼吸で踊り切る高揚感。終わった瞬間の達成感。笑顔。涙。それぞれの思いがあふれる。没個性の中の魅力は、そんな中で生まれる。

中学チアダンス部は3年連続全国大会に出場している強豪校に育ってきました。そして、そこから上がってきた生徒たちを中心に、高校チアダンス部も今年は念願の全国大会に出場できることになり、7月末から大阪で開かれる全国大会に出場してきます。

個性的で、魅力あふれる娘たちのドラマの続きも、是非ご期待ください!

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私の最近の趣味は、自宅の屋上で野菜を育てることです。

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所狭しと並べたプランターに、トマトやナス、キュウリやピーマンといった夏野菜の苗を植え、種から育てたクレソンやサニーレタス、しそやじゃがいもなど。こんなに盛り盛りと成長するまでに、寒さに耐えかねて死んでしまった苗もあったり、土と苗の生育の相性が合わず遅々として成長しない苗など、失敗はたくさんありました。それでも毎日、水やりを欠かさず、日ごとに苗たちの様子を観察します。肥料は足りているかな?土が湿っているから今日はお水を減らしておこうかな?

2それぞれのプランターに耳を傾けながら一か月が経過し、気が付くとこんなにキュウリが実っていました。小学3年生の息子と一緒に収穫してみると、とても瑞々しくて甘い味がしました。息子も楽しくなってきたのか、一生懸命観察日記を書いています。植物は、その生育環境の条件がそろえば、必ず芽が出て成長し、果実をつけてくれます。その果実が実るまでじっと待つしかないですが、こうしてカタチとしてこの世に姿を現してくれると、この上ない喜びに浸れるものです。

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その中で一番手ごわかったのが、このイチゴです。こちらの苗は昨年の春に購入しましたが一度も実を結びませんでした。でも来年は何か変化があるかもしれない…と、その苗の成長                    を信じて毎日欠かさずお世話に勤しみました。すると今年の春、こんなにたくさんの実をつけてくれたのです。鳥に狙われることもなく、子どもたちと甘いイチゴを堪能できました。                     植物にもその種類によってさまざまな成長がありますが、人間にもそれは言えることです。「学校」という場はどうしても子どもたちの学習成果を求めがちですが、その実り方は人それぞれです。成長する環境の条件がそろうことで、確実に私たちの目に見えない土の中でたくさんの根を張っているのです。素敵な果実が実ることを信じて、「待つ」ことを楽しめる、そんな教育活動を実践していきたいです。

私たちの周りにある木や花や草について考えたことはありますか?それは、その美しさや香りを楽しむことではありません。植物と私たちとの関係について考えたことがありますか?植物がなければ、私たちは存在しません。これには2つの理由があります。

              1つ目は、初期の植物が複雑な生物に適した環境を作ったことです。地球が誕生してから冷えるまでに約10億年かかりました。その間、火山によってCO2や温室効果ガスが大気中に放出されていました。生き物がそれを吸うことは不可能だったでしょう。約25億年前、単純な菌類から植物が進化し始めました。この植物は光合成をします。つまり、太陽光のエネルギーを利用して、二酸化炭素と水を糖に変えるのです。その際、副産物として酸素が得られます。20億年の間に、これらの植物はゆっくりと地球上に酸素を供給していきました。541百万年前には、空気中の酸素濃度が高くなり、複雑な生命が進化し始め、カンブリア紀の爆発と呼ばれるこの時期に、複雑な生命は急速に進化を始め、地球上に生息するようになりました。私たちはそれよりもずっと後に誕生しましたが、植物が酸素を生み出してくれなければ、今の私たちは存在しませんでした。

              次に、植物がなければ、私たちはエネルギーを得ることができません。植物は、地球上で唯一、太陽光から食物を作り出すことができる生物です。これを独立栄養生物といいます。私たち人間にはそれができません。お腹が空いたとき、あなたはどうしますか?外に出て太陽を見ますか?そうではなく、何かを食べて、そのエネルギーを利用するのです。人間は食べ物をエネルギーに変えるのは得意ですが、自分でエネルギーを作ることはできません。私たちは植物を食べて、その植物が作ったエネルギーを使います。あるいは、動物が植物を食べ、動物が植物から奪ったエネルギーを使って、私たちが動物を食べます。植物がなければ、私たちはエネルギーを得ることができません。

              ですから、今度公園を歩いたり、木の下に立ったりするときには、私たちがどれだけ植物に依存しているかを考えてみてください。植物がなければ、私たちは存在しません。

 先日、保育園に通う4歳の娘が「ママ!保育園でたけのこご飯、食べたんだよ!サクサクしていて美味しかった~!!おうちでも作ってよ!!」と弾んだ声で、リクエストがありました。たけのこご飯??今までたけのこの煮物を夕食で出しても、そんなに食べていたかな……?と意外なリクエストに驚きました。娘の保育園では、自分たちで野菜を育てたり、ご当地グルメメニューがあったり、(月に1度、47都道府県のうちどこか1つのメニューが提供され、食べたところは日本地図に色を塗っていきます。)食に対する興味を持てるような工夫や、旬の食材を楽しむことを実践してくれ、親としてもありがたい限りです。

 さて、「たけのこ」と言えば、どのような「たけのこ」を思い浮かべるでしょうか?北海道出身の私にとってのたけのこは、アスパラのような見た目の細いたけのこ、「根曲がり竹」や「姫竹」と言われるものです。小さい頃は、これ以外のたけのこの存在を知りませんでした。母方の祖母が作ってくれる、たけのこの味噌煮は最高に美味しく、ご飯がすすむおかずでした。ところが、道外出身の父方の祖母が作るたけのこ料理は、細いたけのこではなく、「孟宗竹」と言われるものが使われていました。今ではこの「孟宗竹」のおいしさもわかるのですが、小さい頃はこれを「たけのこ」とは認められず、味も何となく苦手でした。娘が保育園で食べていたのも「根曲がり竹」で、私が娘のリクエストに応えて作った「たけのこご飯」も「根曲がり竹」で作りました。アクもなく、強く主張はしないけれど、しっかりと主役になってくれる、そんなたけのこが「根曲がり竹」だと思います。

 この「たけのこ」の話をしていて思い出すのは、北海道の「赤飯」です。北海道では小豆ではなく、甘納豆を入れて赤飯を炊く食文化があるのは、今ではけっこう知られていることだと思います。「赤飯=甘い」は小さい時から当たり前で、運動会やお祝い事に祖母や母が作ってくれる赤飯は美味しくて大好きでした。しかし、これまた父方の祖母が作る赤飯には甘納豆が入っているはずもなく、小豆の赤飯を見た時には驚きました。もちろん、同じように私の父も、初めて甘納豆の赤飯を食べさせられた時は驚いたことだと想像できます。ちなみに、農林水産省のホームページに「うちの郷土料理」というページがあり、北海道の赤飯が以下のように紹介されています。

甘納豆の「赤飯」は、昭和20年代後半ごろに、札幌にある学校法人光塩学園の創設者で初代学長の南部明子先生により「忙しいお母さんが手軽につくることができるように」と考案された。自身も働く母であったため、「手間のかかる小豆の赤飯を炊くのは大変だが、子どもたちが喜ぶものを食べさせてあげたい」という想いから、米を炊いて甘納豆を混ぜ、食紅で色をつけるだけという簡単な調理法を確立した。
北海道の郷土料理の第一人者でもある南部先生は、全道各地で講演をおこなっていた。その際に、地方のお母さんたちに甘納豆を使った「赤飯」のつくり方を教えたところ、子どもたちが大喜びし、またたく間に人気を博した。その後、新聞やラジオなどのメディアで紹介されるようになり、一気に道内に広まっていった。

 

 甘納豆の優しい味わいと同じく、考案されたエピソードにも優しさと愛情を感じます。幼い頃から親しんできた「細いたけのこ料理」も「甘納豆の赤飯」もずっと継承していきたい郷土料理です。そして、そのうち全国のおいしい郷土料理を探し求めて旅をして、日本地図に色をつけていきたいなと思っています。

三角形の任意の角度を求める方法を知っていますか?きっとそうでしょう。三角形の角度はすべて足すと180度になります。では、四角形の場合はどうでしょう?簡単です。円には360度の角度があるので、正方形の角度はすべて足すと360度になります。小学校の時に習いましたよね。2次元の物体で360度以上の角度を持つものはありません。しかし、なぜ360度なのかと考えたことはありますか?なぜ100ではないのか?それとも1000?私たちが使っている他のシステムはほとんどが10進法ですが、なぜ360度なのでしょうか?

それは、バビロニア人に由来します。バビロニアは、今から4000年ほど前に存在した古代メソポタミアの国家で、現在のイラクと同じくらいの地域です。聞いたことがないかもしれませんが、彼らのおかげで、1円は360度、1分は60秒、1時間は60分、1日は24時間です。

さて、私たちは10進法で数えています。つまり、すべてを10の単位で表します。1メートルは100cm100cm1m1000m1kmといった具合です。私たちにとって、このシステムは理にかなっています。しかし、バビロニアの人々は60進法で数えていました。彼らは60の倍数で数えていたのです。60は非常に多くの数字で割り切れるので、彼らにとって60進法は理にかなっていたのです。

では、なぜ円は360度なのでしょうか?理由は2つあります。まず、バビロニアの天文学者は、太陽の1年が365日であることを知っていました。太陽が空の同じ場所に戻ってくるのに365日かかるからです。また、太陰暦の1年が355日であることも知っていました。月が空の同じ場所に戻ってくるのに355日かかるのだ。彼らは世界が球体であることを知っていたので、太陽と月は毎日地球の周りを1度ずつ移動すると決めていました。360は、365日の太陽年と355日の太陰年のちょうど中間に位置するので、それを選んだのです。

第二に、360は高度に合成された数字です。もしバビロニア人が円の度数として100を使っていたとしたら、9つの数字で割らないと整数にならないので、計算が非常に難しくなります。(1, 2, 4, 5, 10, 20, 25, 50, 100). 36024個の数字で割ることができます (1, 2, 3, 4, 5, 6, 8, 9, 12, 15, 18, 20, 24, 30, 36, 40, 45, 60, 72, 90, 120, 180, 360). これにより、一般的な計算が非常にやりやすくなりました。

では、なぜ円には100度ではなく360度あるのでしょうか?それは、バビロニア人が考え出したもので、それ以降のすべての文明は、それが最良のシステムであることを知っていたからです。

 

先日家を片付けていたら『編みぐるみキット』が出てきました。いつか作ろうと思いながらすっかりその存在を忘れていたものです。久々にやってみよう!と道具を広げたものの、編み物の基礎が全くない私がそう上手くいくはずもなく…と同時に前回このキットを広げた時の事を思い出しました。初心者には難解で挫折 → 時間のある時にじっくり作ろう!  → 記憶の奥底へ…となっていた訳です。

 

何事も“基礎から始まる”ことは、これまで音楽を学んできた経験上身をもって感じています。音楽科の行事に「実技試験」と「スケール試験」があります。「実技試験」については想像がつくと思いますが、「スケール試験」とは何か、疑問に思う方も多いのではないでしょうか。これは演奏技術の基礎力の定着と向上を目的とした試験です。「スケール」とは音階のことで、「ドレミファソラシド」を2オクターブ~4オクターブ上って下りてくるのです。これだけ聞くとそう難しいことではないように思えますが、一定の速さで響きや音量もバランスよく演奏するとなると、難易度がぐんとあがります。私も高校時代、正しくスケールを弾くことに苦労していましたが、スケールの上達と共に、楽曲が安定した演奏へと変化していったように思えます。”基礎”を正しく知ることと、継続することが上達への一歩なんですよね。

 

さて、編み物の基礎が無い私が取り組んだ編みぐるみの行く末はどうであったかと言うと、失敗 → ほどいて編み直し → 失敗 → 編み直し、を繰り返しようやくゴールに辿りつきました。YouTube先生にもお世話になりながらレシピ通りに作ったつもりですが、お手本の写真とは「何か違う」仕上がりに。しかし、失敗を繰り返すことで基礎を知ることができたので、次はもう少し上手くできそうな気もしています。実はキットはまだたくさんあるのです!(少なくとも20体は作れます…)ようやく理解した” 基礎”を忘れてしまわない範囲で時間を見つけ、続きを作ってみようと思います。

 もし、庭先の草花や室内の観賞用植物にも、「知性」があり、じっと私たちのそばで考えているとしたらどうだろう。多くの人々は「本当?」と驚きながら、「何を訳の分からないことを言っているのか」と打ち消し、そのようなことは相手にされないのが落ちだろう。しかし最近、このような従来からの見方を打ち消すような科学的な考え方が、関心を集めている。

 私が読んだ「植物は<知性>を持っているー20の感覚で思考する生命システムー」(ステファノ・マンクーゾ他著)には、こうある。植物には「脳」という器官が見当たらないから、私たちは植物に知性を認めてこなかった。しかし、人の脳も実際には単独で知性を生み出す魔法の器官ではなく、体から届けられる色々な情報提供により働く。一方、植物も人間と同様で、生存に必要な情報を環境から入手し、利活用してゆく。違いは、人間よりも動きがのろく、人間に備わっているような個々の器官(例えば脳や目や耳など)を欠いているだけなのだ、という。

 つまり、人間も植物も、それぞれ環境から情報を得て、生きるため適応していく存在だ。そうすると、「知性」を糧に環境適応するという意味合いは大差なく、共通する。それどころか、植物は私たち人間がいなくても生命を維持することができるが、私たち人間は、植物なしでは生きられない。植物による光合成から得たエネルギーを摂取しなければ、私たち人間は、いや動物であっても、たちまち絶滅してしまう。自力で動けない植物など下等生物だと感じるとしたら、それは単に人間中心主義のものの考え方の偏見である。

また、『土と内臓―微生物がつくる世界―』(デイビッド・モントゴメリー著)は、土壌の生産力から人体の免疫系まで、微生物の群集が動かしていると論じる。土中だけではなく人体を取り巻き、人体の内臓に生息する微生物に、実は私たちが多くを依存して生きていることは大きな驚きである。私たち人間の五感など、地球環境のほんの一部しか感受できないようになっていると知ると、謙虚に考えることが本当に大切だとつくづく思う。(854文字)

皆さん、陰影とはただただ暗い影をイメージしがちですが、黒くなっているだけだと思い込んではいませんか?

じっと見つめていると、陰には不思議な色がみえてくるのです。今回はその陰影の魅力について、迫ってみたいと思います。

1、陰影と反射光

 絵画制作では一般的に、描く対象の陰影を描き分けることによって、立体感や量感を表わします。しかし、固有色だけで描くと、どうしてもイラストやアニメのようになってしまいます(人物と背景が合成しているように見える)。

ここで、重要になってくるのが反射光です!!

 【反射光とは】光が地面や周りの壁・物体などにあたりはね返り、陰の部分がほんのり明るく表れる現象をいいます。反射光の距離(強弱)や角度などを分析して上手に表現することが大切です。気をつけたいことは、むやみやたらに反射光を入れると、平面的な空間表現になってしまいます。

2、反射光には色がある

 光が反射光になったとき、【魅惑的な色】が付きます。

 例えば、赤い上着を着ていると、首や手が赤色になって見えますね。また、芝生の上に立つと、脚や服の陰に芝生の色が映り込みとても綺麗です。特に陽射しが強いときははっきりと表れ、見る物を美しく、より立体的に見せます。地面や服を描かなくても、反射光の色を見るだけで、周りを想像することができます。

 絵画制作では、反射光の色を強調して表現するのがポイントです。

3、反射光を効果的に生かす

 反射光は、陰(暗部)にはっきりと見えます。凝視すると、映り込む面の角度や位置よって様々な色が複雑に映り込みます。絵描きは、描く対象意外のものにも目を向け、【反射光の予測】をします。

 頭を使い、反射光を予測して、描く対象をとらえるのがポイントです。

 その他に 色彩遠近法を使って、【陰の中で距離感】を強調するのも良いですね。例えば赤や黄色は前進してくる色です。手前の部分に彩度の強い暖色を使うとより立体的になります。逆に、青や緑色を使うと後退してくれます。後退させたい暗部に寒色を使うとよいです。

 「隣の猫」を描いてみました、参考になれば嬉しいです。この絵は、日本橋三越本店で《立美会》2021年6月23日(水)~28日(月)まで展示予定です。機会があれば実物を見ていただけたら幸いです。

 

「隣の猫」F30号 キャンバス/油彩 2021年制作 作者:波田浩司

隣の猫 2021 F30

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