検索 OPEN/CLOSE

校長・教員ブログ

校長・教員ブログ

俳句と言えば、何となく古臭いイメージがあるかもしれませんが、最近は俳句が若い世代にもブームになっているのでしょうか?芸能人が俳句を作り、自分の作品が査定され、ランキングが発表される番組も人気のようです。私も学生時代は想像力を膨らませて小説やポエムの創作活動をしていた時がありましたが(昔の作品をふと発見してしまったときは本当に恥ずかしいのですが……)短歌や俳句のようなものは苦手でした。特に俳句は、五・七・五の十七音という限られた音数の中で表現が制限されてしまう感じがしました。しかし、最近は私の中でも俳句のブームがやって来ています。

私は昨年度、中学3年生の授業を担当しており、冬休み明けに俳句の授業をしました。俳句の決まり事の一つに「季語を入れること」というのがあります。(句の中に季語が入っていない「無季俳句」というものもありますが)冬休みの課題として生徒たちには、「冬または新年の季語を使った俳句」を二句創作してもらいました。作品を並べてみると、冬の情景を詠んだもの、家族や友達と過ごすお正月の様子、コロナ禍の世相を反映したものなど様々です。思わず笑ってしまう一句やほっこりとする一句……どの俳句からも生徒たちのみずみずしい感性が伝わってきます。生徒たちの作品を見ても、俳句には限られた字数の中でこそ広がる表現の面白さや余韻を楽しむことができることがわかります。

俳句の中で大きな役割を果たす「季語」ですが、これは言うまでもなく季節を表す言葉です。春夏秋冬、季節を表す言葉は自分の頭の中でいくつも出てきそうですが、ここで登場させたいのが「歳時記」です。「歳時記」とは、「四季の事物や年中行事などをまとめた書物」のことですが、「俳句の季語を集めて分類し、季語ごとに解説や例句を加えた書物」のことでもあります。書店の俳句コーナーの本棚にはたくさんの「歳時記」が並んでいます。手に取り、ペラペラとめくってみると、まだ出会ったことのない言葉と出会うことができ、それはまるで言葉の宝箱を開けるような感じがします。4月に入り、北海道もだんだんと暖かくなり、ようやく春を感じるようになりました。さて「歳時記」には、どのような春の言葉が出てくるでしょうか。

私が先日手に取った「歳時記」の中から少しご紹介します。

 

*「雪間(ゆきま)」… 積もった雪が溶けはじめて、地面がまだらになっている状態のこと。

☆雪国に住む私たちには、この景色が簡単にイメージでき、春がきた!と感じる風景ですよね。

*「雛納め(ひなおさめ)」…雛祭が終わり、元の箱に雛人形をしまうこと。

  ☆幼いとき、この雛人形をしまう時間が寂しかったことを思い出します。

*「朝寝(あさね)」…朝遅くまで寝ていること。

  ☆春のポカポカ陽気は布団から出られなくなりますよね。隣で寝ている幼い娘も気持ちよさそう

に寝ているので、余計に布団が恋しくなります。

 

私の4歳になる娘は、日々新しい言葉を覚え、あっという間に見事に使いこなせるようになっていきます。娘を見ているといつも新しい言葉との出会いにワクワクしている感じがします。新しい言葉との出会いは、大人になってもワクワクするもので自分の想像力を膨らませ、世界を広げてくれます。俳句の題材は自分の身の回りにたくさんあり、紙とペンさえあればいつでも始められます。『夏井いつきの365日季語手帖』のおわりには

「毎週一句を一年続ければ、それは週間日記です。さらに五年、十年と続けていけば、それは自分

史となり、家族史となっていきます。自分の生の証、家族と過ごした記録として、俳句は生き続け

てくれます。」

とあります。「歳時記」の中から言葉との出会いや素敵な言葉の響きを楽しみ、一句詠んでみませんか?俳句を作ることが自分の日常にあると、今よりも季節の移り変わりを楽しむことができ、日々の生活も彩り豊かになるかもしれません。

 

 

〈参考文献〉

夏井いつき『夏井いつきの365日季語手帖』(2020年)レゾンクリエイト

川上弘美『わたしの好きな季語』(2020年)NHK出版

 

 

 

 

北星では多くの植物から季節を感じられます。生徒玄関を上がった窓辺が植物にとって良い環境らしく、長持ちするので紹介の場として活用しています。雪解けとともに、木々の新芽は膨らみ、足元の新しい芽吹きが見られると窓辺がにぎやかになります。植物たちは葉っぱやつぼみの広がりだけでなく、開花はもちろん色や香りも私たちを楽しませてくれ、初雪の時期まで実りの収穫まで堪能します。もちろん、花盛りの時期を過ごした花々はドライフラワーやクリスマスリースとなり、さらに活躍します。

北星の校庭の素敵なところは、札幌市内でどこよりも植物が早く活動を始めることもあります。校舎に囲まれた植物たちは強風から守られ、気温も一定保たれ、のびのびすくすくと育つようです。桜もライラックも市内の開花宣言発表の前に開花します。北星では季節の先取りができ、その後、市内の開花により、長く季節の植物を愉しめるのです。それほど広い敷地ではありませんが、意外と多くの種類の植物があります。

3月・4月は式典が続き、ステージを華やかにしてくれた花々が久しぶりの生花として校内で楽しみ、その花たちが終わる頃から校庭の植物の出番となります。

 

これまで、窓辺を飾ってきた植物たちです。

クロッカス・スノードロップス・水仙・チューリップ・ヒヤシンス・紫露草

こぶし・木蓮・木瓜・桜・オオカメノキ・ツツジ・ライラック・エゾノコザクラ・アジサイ・夏椿・レンギョ・松・トウヒ・延珠・ドウダンツツジ・小手鞠・バイカウツギ

ぶどう・杏・桑の実・カリンズ・野イチゴ・リンゴ・アスパラ・

オダマキ・ホオズキ・マリーゴールド・桔梗・秋桜

ラベンダー・ヒイラギ・薄荷・バラ

 

おまけ:昨年、これまでに見たことのない植物を校内で発見しました。大変驚きました。今年も発芽することを願っています。楽しみにしていてください。

IMG_0180 IMG_0168 HTFG5406 GACD0703 FUGX2781 BRVH1309

久しぶりに中学1年生の授業を持ったので、自分の中学時代を振り返ってみた。中1の一番の思い出は盤渓にあったスクールハウスでの宿泊研修である。すでに建物は古くなっていたけれど、自然に囲まれた中でみんなでご飯を食べたり、夜はキャンドルサービスで静かに集中する時間があったり、授業担当以外の先生たちから話を聞くこともあった。屋根裏部屋(怖くて入ってない)もあった。同じ中央区内にあり、たった1泊だったけれど、秘密基地感もあって何とも特別な場所だった(だけど2泊は厳しい)。夜はクラスみんなで2階にある広間で寝る。初めは寝袋だったかな? 女子が30人以上もいて黙ってすぐに寝られるはずもなく、しばらくして先生たちが1階からやってくる。→ 怒られる。反省して寝るはずだけど、もう一回くらい怒られたような…。この辺の記憶が曖昧なのは中学の3年間でスクールハウスでの宿泊研修は5回くらいあったので、混ざってしまっているからだろう。毎回、夜は必ず怒られていたと思う(ごめんなさい)。スクールハウスについて教員になってから気づいたことがある。2階で話す声は1階にいる人にとてもよく聞こえること。かなり小さい声でも内容はわからずとも話しているのはすぐわかる。先生たちはずいぶん我慢して話させてくれていたんだ。それなのに気づかれていないと思って、楽しく小声で話していた。この小声で話していること自体がすでにおもしろくて笑える年頃であった。労作で山に道を作ったり、裏庭で北星カレーライスを調理したこともあった。食事の前の替え歌もあったっけ(突然変調して讃美歌が入る不思議な歌)。中学に入って初めて聖書を手にした私にとって、お祈りや聖書が生活の中にあることを頭ではなく感覚的に理解したのはスクールハウスでのすべてのプログラムを通してだったと思う。だから中学の緑の教室=スクールハウスは私のキリスト教との関わり方の原点となっている。

 

 もう一つ、中学の時の経験が私の原点となっていることがある。それは英語の授業だ。Nativeの先生の授業は中1の時に週一回だけだったが、それでも当時の中学校で学校内に常に外国人の先生がいて、毎週授業が受けられるなんて贅沢な環境だった。一人一人の発音を聞いて丁寧に教えてくれたセイビアス先生。アメリカ人の女性の先生で放課後にジャージを着てバスケットボールをするのを見かけたこともあったので活溌な先生だった印象がある。発音を褒められると嬉しくて、何度も練習した。発音に関しては日本人の先生たちもみなその都度、発音方法を説明してくれたり手本を聞かせてくれたので、カタカナをふることなく耳で覚えるようになった。小学校6年のときには英語を習いはじめていたので、もともと英語は好きだったけれど、親の勧めではなく、自分の意志で英語科に進みたいと思ったのは中3のときに自由研究で英語のスピーチに取り組んでからだった。当時は高松宮杯(今は高円宮杯)全日本中学生スピーチコンテストに出場し、思いがけず北海道大会で優勝して全国大会に行くことができた。この大会ではスピーチ発表自体の記憶よりも、全国各地から集まった中学生が引率の先生や親とも離れて1つの旅館に泊まり、関東にある大学の学生たち(日本学生協会基金=JNSA基金・スピーチコンテストのOBOGも多い学生グループ)が期間中のあらゆるサポートをしてくれた。私は秋田・石川・滋賀・京都・高知から来た中学生との6人部屋で、日本語を話すときにも方言と標準語を瞬時に使い分けていることに驚き、私が話す「~しょ」という語尾が方言であることを指摘されて初めて気づいたのもこの時だ(例「そんなことないっしょ」、「いいっしょ」など)。札幌は方言がないと思っていたから衝撃だった。夜は広間に(また広間)集まってまた部屋とは異なるグループに分かれてディスカッションをしたり、みんなで歌やゲームをしたり、大学生から学生生活のことを聞いたり、相談にのってもらったり。これは今でも忘れられない貴重な経験だった。英語を駆使して活動し、いろいろなことを知っている大学生を見て素直に「かっこいいなー、私もああなりたい!」と強く思ったし、もし関東の大学に進学していたら、その活動をしていただろう。全国大会では平均点しかとれなかったが、帝国ホテルのレセプションでは読売交響楽団による生の演奏を聴くなど、それまでしたことのない経験ができた。この時、自由研究で私のスピーチを担当し、スピーチ原稿を完成させ、毎日発音練習をしてくれた藤井先生、高校では秋元先生と吉田雅子先生、中1の時に教わった故 斎藤康子先生、北星でたくさんの英語の先生に習えたことは幸運であった。中学の英語(と数学)の授業では北星のオリジナル教科書を使い、年に1回、英語のスキットやレシテーション、スピーチを発表する英語フェスティバルみたいな行事もあり、そのひとつひとつが今の私の財産である。

 みなさん、こんにちわ。日本史教員の山川です。今日は、1901年に発行された『報知新聞』の記事を紹介したいと思います。明治時代の資料ですので、読みやすいように口語訳にしています。御了承ください。

 今から120年前の1901年、報知新聞は街頭でアンケートを実施しました。そのアンケート内容は、『百年後、世の中はどのようになっていると思いますか?』というものでした。

 では当時の人の意見の中で、当時は空想であったものが、どれくらい現実のものになったのでしょうか?1番や11番に書かれていることはスマートフォンで、また2番や12番に書かれていることもデジカメとインターネットの登場で実現可能になりました。また8番も名前は違いますが、エアコンのことです。その他、10番や14番、19番、20番、23番などの予言も実現しています。

 しかし全ての予言が的中したわけではありません。3番や4番、6番や7番などは、まだまだずっと先の未来にならないと実現しないと思われます。

 余談ですが……日本テレビの『世界の果てまでイッテQ』という番組で、絶滅危惧種のスペインオオヤマネコに、イモトアヤコさんが『ニャウリンガル』という翻訳機を使い、「数が減ってきて寂しくないですか?」と聞きました。そうしたらスペインオオヤマネコが「ミャー、ミャーミャー」と言ったので、その言葉を翻訳機で聞き取ると、「ピンチだニャー」という答えが返ってきました。21番の実現も近いかもしれません……()

 中学生と高校生のみなさん。みなさんは100年人生時代に生まれています。みなさんの中には、ドラえもんの世紀である22世紀を見れる人がいます。22世紀はどんな時代になっているのでしょうか?100年後を予言してみるのも面白いかもしれません。『人間が想像できることは、人間が必ず実現できる。』byジュール=ヴェルヌ!!

百年後の予言

北星学園女子高等学校

校 長 浅里愼也

3月2日(火)卒業礼拝式が行われました。昨年に続きコロナ禍による簡略した卒業礼拝式となりましたが、177名の卒業生が巣立っていきました。受験あるいは留学のために式に出席できない生徒たちもいましたが、笑顔と喜びいっぱいの時となりました。

卒業礼拝式後、高校3年間あるいは中学高校6年間を過ごした生徒たちから「入学して本当に良かった」「自分らしく過ごせた」「想像していた以上の学校生活だった」という学校生活の感想を言葉にして伝えてくれました。私たち教員にとってこれ以上嬉しい言葉はありません。

本校で生活する中で悩み、時には涙し、友達と喜びを分ち合い、その度ごとに成長した生徒たちの姿がそこにありました。

生徒が自分の将来を考え目標を持ち、目標とする大学や専門学校に合格できたことは素晴らしいことです。しかしそれ以上に、自分の将来を考え学校生活を送り、自分自身を見つめることができる女性として卒業していくことを私は嬉しく誇らしく思います。卒業心からおめでとう!!

まだ、若かったころ。

インド南部の小さな町に鉄道で降り立った。いつもながらの一人旅。すぐにリクシャー(バイクタクシー)のお兄ちゃんが客引きに寄ってくる。リクシャーは値段交渉をして乗るもの。まずは、お兄ちゃんがブロークンな英語で話しかけてくる。

 

「ユア ネーム?」

――「モエミ」

「グッドネーム!」(恐縮です)

「カミングフロム?」(あ、どこから来たかってことだ)

――「ジャパン」

「グッドカントリー!」(ありがとうございます)

「エイジ?」(あ、年齢きいてどうするんだろう?)

――「サーティスリー」

「マリッジ?[結婚してるのか?]」(なるほどーそういうことか)

「ノー」と答えると、真剣な顔つきになり直球がやってきた。

「ホワイ?」

わー理由まで聞くんだー。もうセクハラの線こえたー。

 

パーソナルな質問の嵐に度肝を抜かれながらも、「ホワイ?」に答えてみた。「ノー グッド メン アラウンド ミー(いい出会いがなくてねえ)」と、ジョーダンっぽっく言ったつもりが、彼はすかさず「ドン ウォリー、ファインド ユー、ナイス インデアンマン!」素敵なインド人を紹介までしてくれる・・・らしい。一気に仲人を買って出てくれた笑。「サンキュー」と答えると、次の質問は「アーユー ベジタリアン?」だった。結婚条件の第一位が食べ物なんだ。とても興味深い。確かに一緒に暮らし始めたら肉を食べるか食べないかは一大事だ。「アイム ナット ベジタリアン」と答えた。インドでは7割程度がベジタリアンなので、私の「相手」を探すのは大変だろうな・・・と思いながら、出会って数分でここまで私のプライバシーを深堀してくるこのインドのお兄ちゃんに脱帽。楽しいひと時となり、彼のリクシャーに乗ることにした。

 

20代後半でアメリカに留学していた時のことを思い出した。インドからの女子留学生と、アメリカに来て経験したカルチャーショックについて話した。私は、アメリカ人のルームメートの話し声が大きくて、大声で歌も歌うし、戸惑っていると。一方彼女は、「アメリカ人は何も質問してくれない」と。「家族のことや、生活のこと・・・私に関心を持ってくれない・・・寂しい」と。実は私もアメリカに3年住んでいて一度もアメリカ人から年齢を聞かれたことがなかった。年齢は実にパーソナルな事柄で、アメリカ人の研ぎ澄まされた人権感覚からすると尋ねることはタブー。彼女の話を聞いて、アメリカ人は困惑していた。「あなたを寂しくさせたのは申し訳ないけど、どこまで聞いていいのか私にはわからないんです。たとえば、家族構成を聞いてもいいの?」インドの彼女は「何でも聞いてください」と笑顔で答えた。

 

「愛の反対は無関心である。」他でもないマザーテレサの言葉だ。個人の領域にずかずかと入ってくるインドの人々に違和感を抱きながらも、一方で包み込むような愛を感じる自分がいる。個人主義を称えるグローバリゼーションの波がインドのそんな温かい精神性を奪っていくのも時間の問題かなと思うと、私もまた寂しい気持ちになる。人権と無関心。プライバシーと愛。問題はシンプルではない。でも、現地の人たちと直に出会って、考えて、自分に問う、それは気づきに満ちた楽しい営みであることは確かだ。

 

また、旅にでよ。

新年を迎えても、新型コロナウィルスに翻弄される生活が続いています。本当にコロナによって、私たちの日常、常識、当たり前は激変しました。

 学校に通うこと、学校で勉強すること、友人と楽しく談笑しながら昼食をとること、球技大会で盛り上がること、修学旅行に行くこと、クリスマス礼拝のラストはみんなでハレルヤを精一杯歌うこと、私たちが日常生活において当たり前に行ってきたことが、次々とできなくなりました。

 また、マスクの着用、換気、消毒、食事は前を向いて極力私語をしない、讃美歌は同じ方向を向いて口ずさむ程度、このようなことが日常生活の当たり前に加わりました。

 先日、中学のスキー授業が行われ、今年は3回とも参加させてもらいました。最終日も天気がよく、海がきれいに見えました。

「今年スキー授業できたんだなあ」ふっとリフトに乗っているときに思いました。これまで北星で教員になって約20年、当たり前に行われているスキー授業ができたことに感動している自分がいました。

 学校に行けること、生徒や先生たちと何気ない会話ができること、これまで当たり前にできていたことがいかに恵まれていたことか、幸せなことだったのかということに気づかされました。

 当たり前に感謝するきっかけになったことだけは、コロナの功績なのでしょうか、、、、

私は国語科の教員です。この仕事を始めて数十年になりますが、授業で文字を書く時はほぼたて書きです。他の教科の先生は黒板を左から使うのに対し、国語科の教員だけは右から黒板を使い始めます。私はたくさん文字を書いてしまうので、できるだけ右端から書きたいのですが、クラスへ大事なお知らせがある時の黒板は右側からプリントを掲示したりしています。なるほど、黒板の右側ユーザーである私たちは少数派なのね…とちょっぴり悲しくなります。入試で扱われる本文はさすがにたて書きですが、小論文はほとんどがよこ書きのスタイルに移行しました。私たちが板書する形態もいずれ変わっていくのでしょうか。そもそも、「黒板」というツールはもはや古いのかもしれませんが。

―情緒的な文章はたて書きの方が伝わりやすい、物事の説明や論理性が必要な文章はよこ書きの方が伝わりやすいー。こんな一文をどこかで見受けましたが、たしかにファッション雑誌の巻頭を飾る芸能人のエッセイはたて書きが多いですよね。でも、新聞の書き方はたて書きですが、すべてが情緒的な内容だったら日々のニュースも空想の世界が入って何が真実かわからなくなってしまいそう。ケータイの画面がたて書きだったら見づらいですが、コミックのセリフはそのほとんどがたて書き。私たちは無意識のうちに、たて書きとよこ書きの文章を使い分けているのかもしれません。

文章のことを「テキスト」と言いますが、語源は「テキスタイル」=「織物」です。織物はたての糸とよこの糸を紡ぎ合わせて一つの生地ができますね。それと同じように、日本語もたての糸を主軸とした「たて書きの風景」が、よこの糸を主軸とした「よこ書きの風景」が紡ぎ出されます。私は、たて書きで書く漢字やカタカナやひらがなの文字列がとても大好きです。それは、それぞれの文字が連なって一つのアートを創り出しているように思えるからです。また、上から下へ目を通すことで、言葉が一つひとつ、自分の体に落ちてゆく感じがおもしろい。世界の中でたて書きの言語は少数ですが、これからもそのたて書きの風景を楽しみながら、さらなる魅力を感じ取りたいです。

Picture2 Picture1

 

 

 

 

 

 

 

私の趣味の編み物もテキスタイル=テキストです!

 

 

           私の趣味の編み物もテキスタイル=テキストです!

私が小学校に上がる前の話。父は、たくさん本を買ってくれた。「狼と七匹の小ヤギ」「ヘンゼルとグレーテル」など数々のグリム童話。本棚いっぱいに並べられたピカピカの本に私はワクワクしなかった。本が好きになれなかったのは、今も変わらない。(今の方が本を読んでるけど)

小学校高学年の時。ある時友達が、「ジャンプ、読んでる?」と聞いてきた。「うちでは、マンガ本はダメだって、読ませてくれない」そう答えると不思議そうな顔で私を見ていた。

高校生で初めて「ガラスの仮面」を読んだ。一気に読んだ。休み時間もお昼休みも夢中になって読んだ。部活に行かないで読みたいと思った日も何度もあったが、ちゃんと部活に行った笑。『転んだことのない人間に転んだ時の痛さはわからない』『どんなに影が濃くても光がなければ影はできないのですよ』なんだか勇気が出た。月影先生に励まされた気がした。

大人になって考えたこと。それは「マンガ本はそんなにダメな本か?」ということ。

マンガ本にも数々の名言がある。不安ばかりで後ろ向きな気持ちになった時、悲しくて泣きたい時、負けて悔しい時、言葉に勇気づけられた経験はないだろうか。

『SLAM DUNK』男同士のプライドがぶつかり合う勝負の世界で、名言が多く生まれるのは納得できる。『諦めたらそこで試合終了だよ』『お前のためにチームがあるんじゃねぇ。チームのためにお前がいるんだ!!』

『鬼滅の刃』大人も泣ける感動ストーリー。仲間や兄弟の絆も強く描かれているから、共感できる。『人のためにすることは、巡り巡って自分のためになる。そして人は自分ではない誰かのために信じられないような力を出せる生き物なんだよ』『ひとつのことしかできないならそれを極め抜け。極限の極限まで磨け。』『泣いてもいい、逃げてもいい。ただ諦めるな。極限まで叩き上げ、誰よりも強靭な刃になれ!』

『ハイキュー』経験者でも、未経験者でも楽しめる。そして個性豊かなキャラクターが多く熱くて感動的なシーンが多い。『俺が繋いだボールをアンタが勝手に諦めんなよ』『負けは弱さの証明ですか?君達にとって負けは試練なんじゃないですか?地に這いつくばった後、また立って歩けるのかという・・・君達がそこに這いつくばったままならば、それこそが弱さの証明です。』『村人Bには村人Bの良さがあるんだよ』ハイキューを読んでいると、自分も上手になった気分にさせられる。だから、試合前のイメージトレーニングにとてもいい。(うちの部活生はよく使っている笑)

数々の名言が私たちを勇気づけてくれる、前向きにさせてくれる、そんな生きるための参考書に出会えたら幸いだ。

収穫の秋。学校の花壇から生徒の叫び声が聞こえた。見ると、社会問題研究会の生徒がサツマイモを持って歓声をあげている。今年はサツマイモのできが良く、大きめの段ボール1箱分採れた。1キロサイズの芋を2個と小さめの芋を数個、寮に持って行った。寮の食事を作ってくれるまどりさんは教員向けの弁当も作ってくれるので、そのうち弁当に入ってくるかもしれない。大変楽しみである。

毎年、社会問題研究会では、学校の花壇で野菜の栽培を行っている。今年は、トマト、ナス、ピーマン、ズッキーニ、トウモロコシ、サツマイモ、スイカ、カボチャなどを植えた。サンチュ、小松菜は、一部花を咲かせて種を落としているので、毎年勝手に生えてくる。そうやって自家採取の種を作る実験も行っている。最近は自家採取では実をつけない品種も出回っている。ニュージーランド産のカボチャの種をとっておいて蒔いてみたが、実をつけなかった。最近人気のあるラグビー型のカボチャもだめで、昔ながらのみやこや恵比寿、雪化粧などは問題なく収穫できた。F1(かけ合わせで作った品種)や遺伝子組み換えの種が増えていく昨今、種の確保も大きな問題だと思う。数年勝手に生えてくるサンチュや小松菜も元はF1だったのでどうかと思ったが、程よく苦みと甘みがあり、大変美味しかった。

作った作物を収穫し、調理するところまでやる。花壇のラズベリーでジャムを作ったり、夏野菜でカレーを作ったり、枝豆を茹でたり、サツマイモでスウィートポテトを焼いたり・・・「なぜ、社会問題研究会で野菜の栽培を?」と不思議に思われるかもしれないが、一応理由はある。社会問題のうち、一番に取り組みたいのは食糧問題。食べることに不安がなければ、多少の問題があっても精神的に余裕をもって対処できる。生きることに直結する「食べる」ことを確保して、様々な問題に目を向けようということである。

もちろん、他の社会問題にも取り組む。社会的マイノリティの問題、原発とエネルギーの問題、銃社会について、貧困問題、婚活についてなど、それぞれ興味のあるテーマについて調べ、プレゼンをする。そのとき、調べた知識を述べるだけでなく、必ず自分たちの提案をすることになっている。それついて、みんなでディスカッションする。それが有意義で実効性が高いとなれば、みんなで行動することもある。研究会のメンバーだけでなく、外部に広く呼び掛けて発表したこともある。

「これからの時代、社会はこうなっていくから、それに対応しなければならない。」というような話が聞こえてくると、誰がその社会を望んだのだろうと疑問に思う。必要なのは、望んでもいない社会に対応する力ではなく、望む社会を創っていく力ではないだろうか。そんなことを考えながら、社会問題について楽しそうに議論する生徒たちを眺めると、日本もまだまだ大丈夫だと思ったりもする。

 

PAGE TOP