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校長・教員ブログ

校長・教員ブログ

もう大谷選手が日本ハムファイターズにいたのは何年前だろう…,今やメジャーリーグでも大活躍で世界のスーパースターとなった大谷選手!!私も小学校2年生からリトルリーグという硬式野球チームに入り,以後中学,高校,大学,社会人クラブとずっと野球チームに所属してきました。そんな私が,縁あってテニス部の顧問となり10数年。元々,どんなスポーツも見ることは好きだったので,テニスの基本的なルールやスター選手(ジョン・マッケンローとかグスティフィー・グラフとか,お父さんお母さん知ってるかも。)は知っていましたが、自分はテニスの経験はゼロです。

顧問として初めて大会の引率をしたとき,衝撃のルールを知りました。野球では当たり前のようにベンチや応援席から聞こえる声、「かっ飛ばせ―(打てー)」,とか「走れ!!」などがテニスでは絶対にしてはいけないというルール。試合中,ベンチにコーチは入れない,試合中に誰も選手と会話をしてはいけない、つまり試合中にアドバイスを受けることができない。一般のお客の応援ですら,「あっちに打て!」とか、「走れ!!」など、プレーに関わる声をかけてはいけないのです。今思うと,昔からプロのテニスの試合をテレビで見ると選手のコーチがスタンドに映っていた。(なんでだろう?とは思ったことはありますが、、)野球をしていた私には考えられないルールでした。野球では,常にお互い声を掛け合い,励ましあい,監督から細かく指示があり,監督のサインで攻撃や守備を行うことが普通です。テニスって,「なんて孤独なスポーツなんだろう。」それが第一印象でした。「孤独に戦う」、「孤独と戦う」そういうスポーツですね。北星のテニス部も頑張っています!!中学生は全国中学校テニス選手権大会(全中)で団体戦、3年連続10回目の出場をしました!!高校生も北海道の苫小牧で行われたインターハイに団体で出場をしました!!これからも頑張ってほしいです!!

そして,テニス部に限らず、これからみなさんは勉強や進路,仕事などなど、色々なことに孤独に考え行動しなければいけないことがあります。1人でも頑張れる強さを持てるといいですね!!

 

 小学生のころから釣りをしていました。もう45年以上していることになります。本格的に釣りを始めたのは北星に勤め始めた30年程前の話です。

 若かった僕は,部活が終わってから夜釣りに行っていました。当然辺りは暗いので明かりが必要です。自分の車にライトを追加して,暗闇でも釣りができるようにしていました。どんどん釣りにはまっていった僕は,とうとう「鮭釣り」を始めました。今では仲間と一緒に鮭釣りにいくのが毎年の楽しみの一つです。

 

 僕は「のんびり竿をだしている」釣りと,「ガンガン攻める」釣りの両方を楽しんでいます。そして,必ず食べるために釣りをしています。ゲームフィッシングはしません。かつて師匠に言われました。「魚からすれば釣られることは命がけなのだから,お前もしっかり魚と向き合え」と…

 それ以来,釣りをするときの2つのルールを決めました。①食べられる魚を食べられる分だけ釣る。②帰るときは釣り場を来たときよりきれいにして帰る。…です。今でもこれを守っていますし,自分の子供たちにも伝えています。

 

 釣りは色々なことを感じさせてくれます。釣れる魚種で季節を感じ,魚と真剣勝負をする。サケ,マス,サバ,イワシ,ホッケ,ハゼ,カレイ,イカ,ニシン,シャコ,カワハギ,サヨリ,ワカサギ…となんでも釣ります。変わり種として,カニ,タコ(もちろんリリースしました)等も釣れたことがありました。周りの方と釣り談義を楽しんだ後は,帰宅して自分の釣った魚を捌き,命をいただきます。命の連鎖に感謝です。

 

タイトルにあるのは僕が登録している釣りチャンネルのオープニングソング(*1)の歌詞の一部です。釣りの動画と,釣った魚を料理する動画がアップされています。魚がさばけるようになったのは,これらの動画を毎日見ていたからだと思います。おかげで,料理の腕は少しあがったかな?子供たちは,自分の釣った魚を刺身にして食べるのを楽しみにしています。

そんなこんなで,釣りに行くと釣れても釣れなくても,僕は気持ちよく帰ってくることができます。

 

だから,釣りは僕を日常の疲れから救ってくれます。今後も続けていきたい趣味の一つです。

 

 

*1 YouTube『釣りよかでしょう。』のオープニング『釣りよかでしょう。のテーマ』シンガーソングライターの頭 勇哉(えがしら ゆうや)さんが手掛けた曲。

 

1か月もの長い長い夏休みが今週で終わりを迎えました。皆さんはどのような夏を過ごしたのでしょうか。部活や勉強に打ち込んだ人、のんびりと過ごして体を休めた人、せっかくの長い休みということで、なにか新しいことにチャレンジしてみた人…などなど、色々な過ごし方があったかと思います。自分が学生だった頃を思い返すと、一生懸命部活動に励み、勉強は適度にして(ギリギリまで課題が終わらず焦るタイプでした…笑)…という夏休みを送っていたような気がします。

 さて、少し長めの夏休み。わたしは、「新しいことにチャレンジする!」を目標とし、色々なことに取り組んでみました。いつかは…と先延ばしにしていたペン字練習をしたり(2年生勉強会の間に、文字の練習をしていました…気分はすっかりドリルを熟した小学生時代の夏休みです)、ずっとやってみたかった水引アクセサリーに取り組んでみたり…、とても充実した夏を過ごしました。

 その中で最も印象に残っているチャレンジは、「シュークリーム」づくりです。

日本では幕末から食べられるようになったシュークリーム。今日では、お菓子屋さんや専門店だけに限らず、コンビニやスーパーなどでも手に入れることができるようになりました。シュークリームはフランスで生まれたものです。フランスでは、「シュー・ア・ラ・クレーム」と呼ばれています。それぞれ、「シュー」は「キャベツ」、「クレーム」は「クリーム」という意味を持っており、キャベツの形に似ていることから名付けられたそうです。

 シュークリームづくりには、どことなく難しいイメージがありずっと避けていたのですが、「新しいことにチャレンジする!」というこの夏の目標に背中を押され作ることを決意しました。シュー生地は勿論のこと、中に入れるカスタードクリーム、仕上げのカラメルなど多くの工程があり、何度も失敗したかも…と不安になりましたが、無事に完成することが出来ました。

 ちなみにですが…シュークリームなどのシュー生地を食べた時に、「ちょっとしょっぱい…?」と感じることはありませんか?実はシュー生地を作る際には、結構な量の塩を入れるのです。(今回わたしが使用したレシピでは、砂糖と同量の塩を入れています。)

 小麦粉には、「グリアジン」と「グルテニン」と言われるたんぱく質が含まれています。このグリアジンとグルテニンに水を加えて捏ねると、「グルテン」と呼ばれる成分が出来上がります。パンなどが膨らむのはこのグルテンのおかげです。そしてなんと、塩が加わることで、このグルテンはより力を発揮することができるのです。ぷっくりと膨れたシューを作るために、この塩は重要な役割を果たしているのです。

 


 

自分でつくったシュークリームを食べるのは、別格のおいしさを感じられました。少し難しいお菓子ですが、是非みなさんもチャレンジしてみてはいかがでしょうか。休みが明け、皆さんの充実した夏休みの話を聞くことがとても楽しみです。

 昨年度の私のブログタイトルは「旅のしおりは親のエゴ」。今回の夏休みもそのエゴを貫き、家族3人で(娘は留学中)道東の方へ旅しました。私が作るしおりはだいたい10ページほど。出発する数日前にできあがると、息子が楽しそうに読んでくれます。しおりの中身には必ず現地を見学しないと答えられないクイズや、感想などを書いてもらいます。こういうところに職業柄が出てしまい、お恥ずかしいのですが・・・

 今回のメインは、知床半島巡りと網走監獄。なぜ、この場所を選んだかというと、きっかけは歴史的建造物好きな娘が網走監獄に行ってみたいなぁとつぶやいたその一言。その一言から道東を雑誌で調べるようになり、調べてみると明治のころから開拓の拠点として道東の礎を担っていたことがわかりました。・・・はい、わくわくし始めてるのは私です(娘よ、ごめん)。

 札幌から知床まで、車で6時間半。北海道横断の旅です。途中、道の駅に寄りながらの行程でしたが、それにしても遠い!道東出身の生徒さんが本校には何人もいますが、保護者の方がガイダンスに来てくださったり長期休暇でお迎えに来てくださることを考えると、本当に感服してしまいます。

知床半島では観光船に乗りましたが、冬場の流氷にもまれながら形作られた岸壁を間近で見ることができ、とても迫力がありました。ひとしきり、観光アナウンスが終了すると、加藤登紀子さんの「知床旅情」が流れます。この曲がとてもノスタルジックで、しばしその艶やかな歌声に浸っておりました(夫と息子は若干退屈ぎみ)。

そして次の日は網走監獄へ。こちらは本当に見どころ満載でとても興味深かったです。監獄が作られた経緯はロシアの脅威からこの蝦夷地を守るため、また当時の戊辰戦争や西南戦争による囚人の行き場を作るため。この監獄に集められた多くの囚人たちのおかげで、道東への道が迅速に作られたわけです。しかし、この極寒の地での労働は命の危険も当然あったわけで、たくさんの方たちが亡くなられたとも説明されていました。私が感心しながらそれぞれの建物を見ていると、あれ?うちの家族がいない・・・・気がつくと二人で虫取りしてました。

 

 そうですよね、わかっているんです。我が家の男性には私の旅プランが受け入れられていないことを。今回は、娘がいないため、相槌を打ってくれる相手がいないことも、とても寂しかった。でも、家族の行事は絶対です笑。もうすぐ娘も留学から帰ってくるので、今度のプランは娘と一緒に企画したい!我が家の旅は、まだまだ続きます!

 皆さん方には、推している語はありますか?私の今の推しの語はgiveです。giveは基本単語ではあり、学習を始めたばかりの時に出逢います。しかしながら、使いこなすのが難しい語でもあります。

  推しの語(give)の出身地は、ドイツらしく、古くから英語のメンバーだったようです。(giveの語源を遡ると、ドイツ語gebenと関係があるということがわかっています。)giveは、その単語のみで使うとよりも、2語以上のつながりで使用されることが多いです。例えば、写真を撮る際に、相手に向かって「にっこり笑って」などと言いたい場合、何と言いますか?Smile!などとも言えますが、Give me a big smile!と表現すればいいでしょう。giveを使用すること、またa big smileと笑顔に対して形容詞bigを加えることで、笑い方の説明も同時にすることができます。

  気になる語があれば、辞書を引いて、その語源(出身地)や一緒に使われる語(仲良しの語)を調べてみて下さい。語は、1語で使われることよりも、2語以上のつながりで使われることがほとんどです。皆さん方には、推しの語はありますか?ぜひ、気になる語の追っかけをして、辞書を活用し「推し活」をしてみて下さい。

私の最大の情熱の 1 つは旅行です。私は米国マサチューセッツ州スプリングフィールドの下層中産階級のカトリック教徒の家庭に普通の子供として生まれました。人生の最初の 17 年間は、高校を卒業して就職し、定住して残りの人生をそこで過ごすだろうと考えていました。しかし、神は私に対して別の計画を持っておられました。

ちょうど40年前、私は一人で飛行機に乗ってグアテマラとベリーズのジャングルへ行きました。私は以前からジャングルの野生動物に深い興味を抱いており、大学1年生の時に実際に熱帯雨林を訪れる機会がありました。当時、人生で唯一の旅行になるだろうと思っていましたが、結局かなり違ったものになった。

その旅行中に、私の世界に対する認識は変わりました。拡大しました。聞いたこともない食べ物を食べました。私は母語ではない言語でコミュニケーションをとりました。私は自分の文化とは大きく異なる人々と一緒に暮らしていました。この経験は私に驚きと放浪癖を植え付けました。

その最初の旅以来、私は 30 か国以上を訪れ、いくつかの外国語を学び(そして忘れて)、世界中から数え切れないほどの友達を作り、1,000 冊の旅行パンフレットを埋めるためのサイトを見てきました。

私にとって、世界旅行は忘れられない経験であり、私の人生にさまざまな影響を与えました。常に新しくて豪快な場所を訪れることができれば幸いです。

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みなさんは動物が好きですか?私は動物全般(昆虫は別ですが。。。)が大好きで、小さいころからよく家族で動物園や、実際に動物と触れ合える場所に行ったりしていました。 

そんな私は今まで3匹の犬を飼っていたことがあります。1匹目は、自分が生まれる前から実家で飼っていた真っ白なシベリアンハスキー。2匹目は小学3年生の時に父がいつの間にか手続きをしており飼い始めたシェパード。2匹とももちろんとーーっても可愛いのですが、外で飼っていたこともあり、ここまでずっと大型犬と一緒に過ごしてきた私は、いつからか「小型犬を飼って家の中で一緒に過ごしたい…!」と思うようになり、毎日のように両親にお願いをしていました。そんな中、ついに数年経った中学2年生のGWに、父から「じゃあ見に行くか」と許可が下り、当時まだ元気だったシェパードを連れてペットショップに新しいメンバーを探しに行きました。 

ただ、一緒に連れて行ったのはシェパード。どの子も生後数か月なのでその大きな姿に怖がり、びくびくと震えていました。が、そんな時、1匹のミニチュアダックスフンドだけがほそ~いしっぽをブンブンと振り回し、遊ぼう遊ぼうと言わんばかりにシェパードに飛びついてきました。私たちは「この子だ…!!!」と運命を感じ、無事にその子を引き取お家に帰ってくると、私たちもびっくりするほど2匹は仲良し。起きている時は家の中で追いかけっこをしたり、夜は一緒に眠ったり…お兄ちゃんから顔をなめられてべちゃべちゃになっても、ずっとくっついていました。 

そんな楽しい時間はずっと続くと思っていましたが、ダックスを飼い始めてから数か月たったある日、シェパードが悪性リンパ腫という病気にかかっていることが分かりました。そこからあっという間に病気は進行し、約1年経った頃にシェパードは亡くなってしまいました。いつか別れが来るのは分かってはいたけど、こんなに早いとは。。。もっともっと可愛がってあげれば良かったと本当に後悔しました。 

 

「毎日遊んでいるのに 大はしゃぎして飛びついてきて 幸せなときもそうではないときも いつも傍に寄り添って ときには向き合うことができなくても 疑うことなく信じてくれて 何も話さなくてもわかってくれて 一緒に過ごすのが当たり前になって ときには兄弟となりときには親友にもなり いつのまにか誰よりも歳をとっていく 衰えていくその姿から目をそらさないこと 最後の最後まで見守ること 命を持って教えてくれたことを忘れないこと 家族を失う悲しさを 生きる時間は限られていることを 精一杯今を楽しむことを どんなに悲しくても辛くても いつかその日が来たら 出会えたことに感謝する」 

 

これは、たぐちひさとさんによる「犬の教え」というものです。 

動物はたくさんのまっすぐな愛情をからだ全体を使って一生懸命に表現してくれます。その反面、私たちはお互いに言葉を発して思っていることを伝え合えるのに、それが分かっているからこそ、ことばの大切さを忘れ、雑になってしまい、時には相手を傷つけてしまいます。 

せっかく私たちは「ことば」というツールを得て、話す機会を与えられたのだからこそ、その「ことば」を大切にして、自分の身近にいてくれる人や動物に感謝を伝えながら毎日過ごしたいですね。 

さて、そんな小川家のダックスももう14歳。いつまで一緒に過ごすことができるか考えると不安や悲しみが襲ってきますが、残りの時間を大切にして今日もたくさんの愛情を注ぎたいと思います。

7月8日(土)は高校学校祭の一般公開日でした。天候に恵まれ、とても暑い中で各クラス様々な催しをしており、生徒も、来てくださった一般の方々も楽しそうに過ごしている姿を見て、私も幸せな気持ちに包まれました。来校してくださった方々、バザー等でお手伝いやご協力をしてくださった保護者の方々、ありがとうございました!そして、お迎えする準備をした生徒と教職員の皆さん、お疲れ様でした!

さて同日、欲張りな私はさらなる幸せを求め、ある場所を訪れました。

白い恋人パークです。

目的はズバリ、桃とマンゴーの欲張りサンデーそして弾ける幸せハニーレモネード/ザクロレモネード です。3年生が昨年度から石屋製菓さんと進めていた商品開発で、実際に商品化されたものたちです(詳しくは以下の石屋製菓さんのURLへ)。

https://www.shiroikoibitopark.jp/summer/

生徒と共に商品開発に携わって、1つの商品ができるのに、こんなにも手間ひまと労力がかかるのか、と感じることができました。世に出ている商品は、もうそれだけでスゴい。

サンデーもレモネードも見た目にも可愛く、味も申し分なし!構想をゼロから考えた生徒、それを実際にクオリティの高い商品のレベルまで持ち上げてくださった石屋製菓さんに感謝しつつ、さらなる幸せを噛みしめるひとときとなりました。8/31まで売っているようなので、ぜひご賞味ください!!

今年度も2年生は企業とコラボし、新たな商品を生み出します。来年はどんな幸せを感じさせてもらえるのか、今から楽しみでなりません。

お祭りのシーズンです。札幌でも大きなお祭りがあって、今年は屋台が多く出ていました。久しぶりに出かけて、子どもと一緒に屋台をのぞいて歩いていると「金魚すくい」の文字が…。

「はっ!いけない!〈金魚〉の文字を息子に見せてはいけない…!」と思った時には時すでに遅し、金魚を発見してしまった息子は目をキラキラさせて「金魚すくいをどうしてもしたい!そして金魚を家で育てたい!」と言い出しました。…ちょうど1年前のこのブログに同じようなことを書いたのですが、息子は「何かを育てたい」という気持ちがとても強いのです。すでに家には飼って6年目になるウサギ、昨年から元気に冬を越したコクワガタ・オオクワガタのつがいがおり、さらに彼が植えたミカンやら何やらの鉢があり、それだけでもお世話がけっこう大変だし、小さな金魚は弱いことが多いので、金魚すくいは阻止しようと思いましたが、懇願されて根負けし、金色のかわいい金魚を一匹すくって帰ってきました。

1匹ならなんとか飼えるか…と思っていましたが、甘かった。その次の週、息子の通う学童で「お祭りごっこ」があり、なんと9匹の金魚をすくって帰ってきたのです…!合わせて金魚が10匹…!!すでに病気になっている金魚もいたので、大きさや弱り具合で分けて、水槽4つで飼うことになりました。水槽4つとなると水を換えるだけでもひと苦労ですが、小さい金魚たちが一生けんめい泳いでいるのを見るのはかわいいものでした。

ですが、やはりすでに弱っていたものが多く、朝起きて水槽をのぞくと、体の小さい金魚が動かなくなっている…ということが何度かありました。昨年は1匹いなくなるたびに号泣していた息子だったので、大丈夫かな…と思って見ていましたが、今年は悲しがっても涙をぐっとこらえて庭に埋めてあげていました。

6月のある朝、お祭りですくった金色の金魚が動かなくなってしまいました。さすがに泣くかな…と思いましたが、息子は泣かずにじーっと金魚を見て小さな声で「うちに来てくれてありがと。えさを食べてくれてありがと。泳いで見せてくれてありがと。大きなフンもしてくれてありがと。」と言いました。ああ、そんなことを考えていたんだなあ、ただ悲しがるだけだった去年とは違うじゃないか、子どもはちゃんといろいろ成長しているんだなあ、と思ったら、こっちが泣くところでした。

1年前も書きましたが、生き物を飼うのは大変です。でも、教えられることも多いです。そしてそんな経験を通して成長していく子どもの姿にはっとさせられることも多いものです。そんなことを考えた最近のできごとでした。──金魚は少なくなってしまいましたが数匹は今も元気に泳いでいます。長生きしてほしいな、と思っています。

なぜ病気になると声が出なくなるのか?声が出なくなるのは、声帯が炎症を起こすからです。

まず声の仕組みから見てみよう。私たちは皆、喉頭の中に声帯を持っており、一般的には声箱として知られている。喉頭は、私たちが呼吸をする管である気管の上部にあり、食べ物や飲み物を飲み込む管である食道のすぐ前にある。喉頭蓋と呼ばれるフラップがあり、飲食時に気管を閉鎖して窒息死しないようにしているが、常に有効というわけではない。私たちが飲み込むとき、喉頭蓋が気管を閉鎖できるように喉頭周囲の筋肉が喉頭蓋を上に動かします。

喉頭は、声帯の上の部分(声門上)、声帯のある部分(声門)、声帯の下の部分(声門下)で構成されています。上部は喉に、下部は気管につながっている。喉頭は軟骨でできていて支えになっており、それを動かす筋肉がある。喉頭の途中には声帯があります。声帯は前庭ヒダと呼ばれる繊維組織の帯の端にある。声を出したいとき、私たちは肺から空気を吐き出し、その空気は気管を上がって喉頭に入ります。私たちは筋肉を使って声帯を開閉し、声帯間の隙間を狭めたり広げたりします。空気は声帯を振動させ、その位置によって声帯が振動するピッチが変わるため、声が変わり、話すことができるのです。通常、男性は女性よりも喉頭が大きいため、声が深くなります。

では、なぜ病気になると声が出なくなるのでしょうか?喉頭の炎症が原因です。風邪やインフルエンザなどのウイルス感染症にかかると、ウイルスは目、鼻、口から体内に侵入する。通常、感染者が咳き込んだウイルスが空気中に長く漂い、それを吸い込んだり、感染者が手に付着したウイルスを他の人が触れる面に付着させたりします。その後、その人が自分の顔に触れると、ウイルスは体内に侵入する。体内に入ると、ウイルスは鼻やのどの粘膜に付着して落ち着き、自己複製を始める。

体内にエイリアンがいることに気づくまで約2日かかる。これは潜伏期間と呼ばれ、感染初期にはウイルスの数が少なく、白血球がウイルスに遭遇する確率が低いために起こる。ウイルスが複製され、蓄積され始めると、他の場所に移動し始め、仕事をし、感染する準備を整える。この時点で、ウイルスは体内で検出されるのに十分な量となり、免疫システムが作動する。

Why do we lose our voice when we are sick? We lose our voice because our vocal cords become inflamed.

Let’s look at how the voice works to start with. We all have vocal cords inside our larynx, more commonly known as a voice box. The larynx is at the top of the trachea, the pipe we breathe through, and just in front of the esophagus, which is the tube we swallow food and drink down. There is a flap called the epiglottis which closes off the trachea when we eat or drink so that we don’t choke to death, but it isn’t always effective. When we swallow, the muscles around the larynx move it up so that the epiglottis can close off the trachea, and this is why we can feel it move when we swallow.

The larynx is made up of the area above the vocal cords (the supraglottis), the area with the vocal cords (the glottis), and the area below the vocal cords (the subglottis). The top part is connected to the throat and the bottom part is connected to the trachea. The larynx is made of cartilage to give it support and it has muscles that move it. Halfway down the larynx, we have the vocal cords. They are on the edges of a band of fibrous tissue called the vestibular folds. When we want to speak, we breathe out air from our lungs and it goes up the trachea and into the larynx. We can use our muscles to open and close the vocal cords, narrowing or widening the gap between them. The air makes the vocal cords vibrate and their position changes the pitch at which they vibrate, changing our voices and allowing us to speak. Men usually have a larger larynx than women, which is why their voices are usually deeper.

So, why do we lose our voices when we are sick? It happens because of inflammation of the larynx. When we get a viral infection, such as a cold or the flu, the virus enters our body through our eyes, nose, or mouth. They are usually coughed out by an infected person and they hang in the air long enough to be breathed in, or an infected person will have them on their hands and maybe put them on a surface that someone else will touch. That person will then touch their face and the virus will be in the body. Once inside the body, the virus attaches to the lining of the nose or throat and settles down to start replicating itself.

It takes about two days for the body to realize there are aliens inside it. This is called the incubation period and happened because in the early stages of the infection there are not many viruses and the chance of the white blood cells running across one is slim. As the viruses start to replicate and build up, it starts to move to other areas and gets itself ready to do its work and be transmitted. At this point, there is enough of the virus for it to be detected by the body and the immune system is fired into action.

One of the ways that the immune system fights a viral infection is through inflammation. The inflammation is caused by inflammatory cells that command local blood vessels to release fluid and plasma into the surrounding tissue. This fluid causes the tissue to swell and traps the viruses where they are. The white blood cells can then go in and kill them. When the viruses are in your throat, they will get down into the larynx and the inflammatory cells make the larynx and the vocal cords swell. Any change in their size will change the pitch of your voice, resulting in that “cold” voice we all know. If the swelling increases, it could reach the point where the vocal cords cannot vibrate at all and this results in a lost voice. It will get better once your body gets rid of the viruses and the inflation goes down.

You can also lose your voice if you overuse it. If you shout a lot, your vocal cords can become inflamed. When you shout, you have to expel more air and your vocal cords vibrate much more and much faster than they usually do. This can cause them to become inflamed and then they cannot vibrate, in the same way as when you have a viral infection. It usually goes away with rest.

免疫系がウイルス感染と戦う方法のひとつに炎症がある。炎症は炎症細胞によって引き起こされ、血管から体液や血漿が周囲の組織に放出される。この液体が組織を膨張させ、ウイルスを閉じ込める。そして白血球がその中に入ってウイルスを殺すことができる。ウイルスがのどに侵入すると、喉頭まで到達し、炎症細胞によって喉頭と声帯が腫れる。声帯の大きさが変わると声の高さが変わり、その結果、誰もが知っている「冷たい」声になる。腫れが大きくなると、声帯がまったく振動しなくなり、声が出なくなることもあります。体内のウイルスが除去され、腫れが引けば良くなります。

また、声を使いすぎると声が出なくなることもあります。大声を出すと声帯が炎症を起こします。大声を出すと、より多くの空気を吐き出さなければならず、声帯は普段よりずっと速く振動します。そのため声帯が炎症を起こし、ウイルス感染したときと同じように振動できなくなるのです。通常は安静にしていれば治ります。

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