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 昨年度の私のブログタイトルは「旅のしおりは親のエゴ」。今回の夏休みもそのエゴを貫き、家族3人で(娘は留学中)道東の方へ旅しました。私が作るしおりはだいたい10ページほど。出発する数日前にできあがると、息子が楽しそうに読んでくれます。しおりの中身には必ず現地を見学しないと答えられないクイズや、感想などを書いてもらいます。こういうところに職業柄が出てしまい、お恥ずかしいのですが・・・

 今回のメインは、知床半島巡りと網走監獄。なぜ、この場所を選んだかというと、きっかけは歴史的建造物好きな娘が網走監獄に行ってみたいなぁとつぶやいたその一言。その一言から道東を雑誌で調べるようになり、調べてみると明治のころから開拓の拠点として道東の礎を担っていたことがわかりました。・・・はい、わくわくし始めてるのは私です(娘よ、ごめん)。

 札幌から知床まで、車で6時間半。北海道横断の旅です。途中、道の駅に寄りながらの行程でしたが、それにしても遠い!道東出身の生徒さんが本校には何人もいますが、保護者の方がガイダンスに来てくださったり長期休暇でお迎えに来てくださることを考えると、本当に感服してしまいます。

知床半島では観光船に乗りましたが、冬場の流氷にもまれながら形作られた岸壁を間近で見ることができ、とても迫力がありました。ひとしきり、観光アナウンスが終了すると、加藤登紀子さんの「知床旅情」が流れます。この曲がとてもノスタルジックで、しばしその艶やかな歌声に浸っておりました(夫と息子は若干退屈ぎみ)。

そして次の日は網走監獄へ。こちらは本当に見どころ満載でとても興味深かったです。監獄が作られた経緯はロシアの脅威からこの蝦夷地を守るため、また当時の戊辰戦争や西南戦争による囚人の行き場を作るため。この監獄に集められた多くの囚人たちのおかげで、道東への道が迅速に作られたわけです。しかし、この極寒の地での労働は命の危険も当然あったわけで、たくさんの方たちが亡くなられたとも説明されていました。私が感心しながらそれぞれの建物を見ていると、あれ?うちの家族がいない・・・・気がつくと二人で虫取りしてました。

 

 そうですよね、わかっているんです。我が家の男性には私の旅プランが受け入れられていないことを。今回は、娘がいないため、相槌を打ってくれる相手がいないことも、とても寂しかった。でも、家族の行事は絶対です笑。もうすぐ娘も留学から帰ってくるので、今度のプランは娘と一緒に企画したい!我が家の旅は、まだまだ続きます!

 皆さん方には、推している語はありますか?私の今の推しの語はgiveです。giveは基本単語ではあり、学習を始めたばかりの時に出逢います。しかしながら、使いこなすのが難しい語でもあります。

  推しの語(give)の出身地は、ドイツらしく、古くから英語のメンバーだったようです。(giveの語源を遡ると、ドイツ語gebenと関係があるということがわかっています。)giveは、その単語のみで使うとよりも、2語以上のつながりで使用されることが多いです。例えば、写真を撮る際に、相手に向かって「にっこり笑って」などと言いたい場合、何と言いますか?Smile!などとも言えますが、Give me a big smile!と表現すればいいでしょう。giveを使用すること、またa big smileと笑顔に対して形容詞bigを加えることで、笑い方の説明も同時にすることができます。

  気になる語があれば、辞書を引いて、その語源(出身地)や一緒に使われる語(仲良しの語)を調べてみて下さい。語は、1語で使われることよりも、2語以上のつながりで使われることがほとんどです。皆さん方には、推しの語はありますか?ぜひ、気になる語の追っかけをして、辞書を活用し「推し活」をしてみて下さい。

私の最大の情熱の 1 つは旅行です。私は米国マサチューセッツ州スプリングフィールドの下層中産階級のカトリック教徒の家庭に普通の子供として生まれました。人生の最初の 17 年間は、高校を卒業して就職し、定住して残りの人生をそこで過ごすだろうと考えていました。しかし、神は私に対して別の計画を持っておられました。

ちょうど40年前、私は一人で飛行機に乗ってグアテマラとベリーズのジャングルへ行きました。私は以前からジャングルの野生動物に深い興味を抱いており、大学1年生の時に実際に熱帯雨林を訪れる機会がありました。当時、人生で唯一の旅行になるだろうと思っていましたが、結局かなり違ったものになった。

その旅行中に、私の世界に対する認識は変わりました。拡大しました。聞いたこともない食べ物を食べました。私は母語ではない言語でコミュニケーションをとりました。私は自分の文化とは大きく異なる人々と一緒に暮らしていました。この経験は私に驚きと放浪癖を植え付けました。

その最初の旅以来、私は 30 か国以上を訪れ、いくつかの外国語を学び(そして忘れて)、世界中から数え切れないほどの友達を作り、1,000 冊の旅行パンフレットを埋めるためのサイトを見てきました。

私にとって、世界旅行は忘れられない経験であり、私の人生にさまざまな影響を与えました。常に新しくて豪快な場所を訪れることができれば幸いです。

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みなさんは動物が好きですか?私は動物全般(昆虫は別ですが。。。)が大好きで、小さいころからよく家族で動物園や、実際に動物と触れ合える場所に行ったりしていました。 

そんな私は今まで3匹の犬を飼っていたことがあります。1匹目は、自分が生まれる前から実家で飼っていた真っ白なシベリアンハスキー。2匹目は小学3年生の時に父がいつの間にか手続きをしており飼い始めたシェパード。2匹とももちろんとーーっても可愛いのですが、外で飼っていたこともあり、ここまでずっと大型犬と一緒に過ごしてきた私は、いつからか「小型犬を飼って家の中で一緒に過ごしたい…!」と思うようになり、毎日のように両親にお願いをしていました。そんな中、ついに数年経った中学2年生のGWに、父から「じゃあ見に行くか」と許可が下り、当時まだ元気だったシェパードを連れてペットショップに新しいメンバーを探しに行きました。 

ただ、一緒に連れて行ったのはシェパード。どの子も生後数か月なのでその大きな姿に怖がり、びくびくと震えていました。が、そんな時、1匹のミニチュアダックスフンドだけがほそ~いしっぽをブンブンと振り回し、遊ぼう遊ぼうと言わんばかりにシェパードに飛びついてきました。私たちは「この子だ…!!!」と運命を感じ、無事にその子を引き取お家に帰ってくると、私たちもびっくりするほど2匹は仲良し。起きている時は家の中で追いかけっこをしたり、夜は一緒に眠ったり…お兄ちゃんから顔をなめられてべちゃべちゃになっても、ずっとくっついていました。 

そんな楽しい時間はずっと続くと思っていましたが、ダックスを飼い始めてから数か月たったある日、シェパードが悪性リンパ腫という病気にかかっていることが分かりました。そこからあっという間に病気は進行し、約1年経った頃にシェパードは亡くなってしまいました。いつか別れが来るのは分かってはいたけど、こんなに早いとは。。。もっともっと可愛がってあげれば良かったと本当に後悔しました。 

 

「毎日遊んでいるのに 大はしゃぎして飛びついてきて 幸せなときもそうではないときも いつも傍に寄り添って ときには向き合うことができなくても 疑うことなく信じてくれて 何も話さなくてもわかってくれて 一緒に過ごすのが当たり前になって ときには兄弟となりときには親友にもなり いつのまにか誰よりも歳をとっていく 衰えていくその姿から目をそらさないこと 最後の最後まで見守ること 命を持って教えてくれたことを忘れないこと 家族を失う悲しさを 生きる時間は限られていることを 精一杯今を楽しむことを どんなに悲しくても辛くても いつかその日が来たら 出会えたことに感謝する」 

 

これは、たぐちひさとさんによる「犬の教え」というものです。 

動物はたくさんのまっすぐな愛情をからだ全体を使って一生懸命に表現してくれます。その反面、私たちはお互いに言葉を発して思っていることを伝え合えるのに、それが分かっているからこそ、ことばの大切さを忘れ、雑になってしまい、時には相手を傷つけてしまいます。 

せっかく私たちは「ことば」というツールを得て、話す機会を与えられたのだからこそ、その「ことば」を大切にして、自分の身近にいてくれる人や動物に感謝を伝えながら毎日過ごしたいですね。 

さて、そんな小川家のダックスももう14歳。いつまで一緒に過ごすことができるか考えると不安や悲しみが襲ってきますが、残りの時間を大切にして今日もたくさんの愛情を注ぎたいと思います。

7月8日(土)は高校学校祭の一般公開日でした。天候に恵まれ、とても暑い中で各クラス様々な催しをしており、生徒も、来てくださった一般の方々も楽しそうに過ごしている姿を見て、私も幸せな気持ちに包まれました。来校してくださった方々、バザー等でお手伝いやご協力をしてくださった保護者の方々、ありがとうございました!そして、お迎えする準備をした生徒と教職員の皆さん、お疲れ様でした!

さて同日、欲張りな私はさらなる幸せを求め、ある場所を訪れました。

白い恋人パークです。

目的はズバリ、桃とマンゴーの欲張りサンデーそして弾ける幸せハニーレモネード/ザクロレモネード です。3年生が昨年度から石屋製菓さんと進めていた商品開発で、実際に商品化されたものたちです(詳しくは以下の石屋製菓さんのURLへ)。

https://www.shiroikoibitopark.jp/summer/

生徒と共に商品開発に携わって、1つの商品ができるのに、こんなにも手間ひまと労力がかかるのか、と感じることができました。世に出ている商品は、もうそれだけでスゴい。

サンデーもレモネードも見た目にも可愛く、味も申し分なし!構想をゼロから考えた生徒、それを実際にクオリティの高い商品のレベルまで持ち上げてくださった石屋製菓さんに感謝しつつ、さらなる幸せを噛みしめるひとときとなりました。8/31まで売っているようなので、ぜひご賞味ください!!

今年度も2年生は企業とコラボし、新たな商品を生み出します。来年はどんな幸せを感じさせてもらえるのか、今から楽しみでなりません。

お祭りのシーズンです。札幌でも大きなお祭りがあって、今年は屋台が多く出ていました。久しぶりに出かけて、子どもと一緒に屋台をのぞいて歩いていると「金魚すくい」の文字が…。

「はっ!いけない!〈金魚〉の文字を息子に見せてはいけない…!」と思った時には時すでに遅し、金魚を発見してしまった息子は目をキラキラさせて「金魚すくいをどうしてもしたい!そして金魚を家で育てたい!」と言い出しました。…ちょうど1年前のこのブログに同じようなことを書いたのですが、息子は「何かを育てたい」という気持ちがとても強いのです。すでに家には飼って6年目になるウサギ、昨年から元気に冬を越したコクワガタ・オオクワガタのつがいがおり、さらに彼が植えたミカンやら何やらの鉢があり、それだけでもお世話がけっこう大変だし、小さな金魚は弱いことが多いので、金魚すくいは阻止しようと思いましたが、懇願されて根負けし、金色のかわいい金魚を一匹すくって帰ってきました。

1匹ならなんとか飼えるか…と思っていましたが、甘かった。その次の週、息子の通う学童で「お祭りごっこ」があり、なんと9匹の金魚をすくって帰ってきたのです…!合わせて金魚が10匹…!!すでに病気になっている金魚もいたので、大きさや弱り具合で分けて、水槽4つで飼うことになりました。水槽4つとなると水を換えるだけでもひと苦労ですが、小さい金魚たちが一生けんめい泳いでいるのを見るのはかわいいものでした。

ですが、やはりすでに弱っていたものが多く、朝起きて水槽をのぞくと、体の小さい金魚が動かなくなっている…ということが何度かありました。昨年は1匹いなくなるたびに号泣していた息子だったので、大丈夫かな…と思って見ていましたが、今年は悲しがっても涙をぐっとこらえて庭に埋めてあげていました。

6月のある朝、お祭りですくった金色の金魚が動かなくなってしまいました。さすがに泣くかな…と思いましたが、息子は泣かずにじーっと金魚を見て小さな声で「うちに来てくれてありがと。えさを食べてくれてありがと。泳いで見せてくれてありがと。大きなフンもしてくれてありがと。」と言いました。ああ、そんなことを考えていたんだなあ、ただ悲しがるだけだった去年とは違うじゃないか、子どもはちゃんといろいろ成長しているんだなあ、と思ったら、こっちが泣くところでした。

1年前も書きましたが、生き物を飼うのは大変です。でも、教えられることも多いです。そしてそんな経験を通して成長していく子どもの姿にはっとさせられることも多いものです。そんなことを考えた最近のできごとでした。──金魚は少なくなってしまいましたが数匹は今も元気に泳いでいます。長生きしてほしいな、と思っています。

なぜ病気になると声が出なくなるのか?声が出なくなるのは、声帯が炎症を起こすからです。

まず声の仕組みから見てみよう。私たちは皆、喉頭の中に声帯を持っており、一般的には声箱として知られている。喉頭は、私たちが呼吸をする管である気管の上部にあり、食べ物や飲み物を飲み込む管である食道のすぐ前にある。喉頭蓋と呼ばれるフラップがあり、飲食時に気管を閉鎖して窒息死しないようにしているが、常に有効というわけではない。私たちが飲み込むとき、喉頭蓋が気管を閉鎖できるように喉頭周囲の筋肉が喉頭蓋を上に動かします。

喉頭は、声帯の上の部分(声門上)、声帯のある部分(声門)、声帯の下の部分(声門下)で構成されています。上部は喉に、下部は気管につながっている。喉頭は軟骨でできていて支えになっており、それを動かす筋肉がある。喉頭の途中には声帯があります。声帯は前庭ヒダと呼ばれる繊維組織の帯の端にある。声を出したいとき、私たちは肺から空気を吐き出し、その空気は気管を上がって喉頭に入ります。私たちは筋肉を使って声帯を開閉し、声帯間の隙間を狭めたり広げたりします。空気は声帯を振動させ、その位置によって声帯が振動するピッチが変わるため、声が変わり、話すことができるのです。通常、男性は女性よりも喉頭が大きいため、声が深くなります。

では、なぜ病気になると声が出なくなるのでしょうか?喉頭の炎症が原因です。風邪やインフルエンザなどのウイルス感染症にかかると、ウイルスは目、鼻、口から体内に侵入する。通常、感染者が咳き込んだウイルスが空気中に長く漂い、それを吸い込んだり、感染者が手に付着したウイルスを他の人が触れる面に付着させたりします。その後、その人が自分の顔に触れると、ウイルスは体内に侵入する。体内に入ると、ウイルスは鼻やのどの粘膜に付着して落ち着き、自己複製を始める。

体内にエイリアンがいることに気づくまで約2日かかる。これは潜伏期間と呼ばれ、感染初期にはウイルスの数が少なく、白血球がウイルスに遭遇する確率が低いために起こる。ウイルスが複製され、蓄積され始めると、他の場所に移動し始め、仕事をし、感染する準備を整える。この時点で、ウイルスは体内で検出されるのに十分な量となり、免疫システムが作動する。

Why do we lose our voice when we are sick? We lose our voice because our vocal cords become inflamed.

Let’s look at how the voice works to start with. We all have vocal cords inside our larynx, more commonly known as a voice box. The larynx is at the top of the trachea, the pipe we breathe through, and just in front of the esophagus, which is the tube we swallow food and drink down. There is a flap called the epiglottis which closes off the trachea when we eat or drink so that we don’t choke to death, but it isn’t always effective. When we swallow, the muscles around the larynx move it up so that the epiglottis can close off the trachea, and this is why we can feel it move when we swallow.

The larynx is made up of the area above the vocal cords (the supraglottis), the area with the vocal cords (the glottis), and the area below the vocal cords (the subglottis). The top part is connected to the throat and the bottom part is connected to the trachea. The larynx is made of cartilage to give it support and it has muscles that move it. Halfway down the larynx, we have the vocal cords. They are on the edges of a band of fibrous tissue called the vestibular folds. When we want to speak, we breathe out air from our lungs and it goes up the trachea and into the larynx. We can use our muscles to open and close the vocal cords, narrowing or widening the gap between them. The air makes the vocal cords vibrate and their position changes the pitch at which they vibrate, changing our voices and allowing us to speak. Men usually have a larger larynx than women, which is why their voices are usually deeper.

So, why do we lose our voices when we are sick? It happens because of inflammation of the larynx. When we get a viral infection, such as a cold or the flu, the virus enters our body through our eyes, nose, or mouth. They are usually coughed out by an infected person and they hang in the air long enough to be breathed in, or an infected person will have them on their hands and maybe put them on a surface that someone else will touch. That person will then touch their face and the virus will be in the body. Once inside the body, the virus attaches to the lining of the nose or throat and settles down to start replicating itself.

It takes about two days for the body to realize there are aliens inside it. This is called the incubation period and happened because in the early stages of the infection there are not many viruses and the chance of the white blood cells running across one is slim. As the viruses start to replicate and build up, it starts to move to other areas and gets itself ready to do its work and be transmitted. At this point, there is enough of the virus for it to be detected by the body and the immune system is fired into action.

One of the ways that the immune system fights a viral infection is through inflammation. The inflammation is caused by inflammatory cells that command local blood vessels to release fluid and plasma into the surrounding tissue. This fluid causes the tissue to swell and traps the viruses where they are. The white blood cells can then go in and kill them. When the viruses are in your throat, they will get down into the larynx and the inflammatory cells make the larynx and the vocal cords swell. Any change in their size will change the pitch of your voice, resulting in that “cold” voice we all know. If the swelling increases, it could reach the point where the vocal cords cannot vibrate at all and this results in a lost voice. It will get better once your body gets rid of the viruses and the inflation goes down.

You can also lose your voice if you overuse it. If you shout a lot, your vocal cords can become inflamed. When you shout, you have to expel more air and your vocal cords vibrate much more and much faster than they usually do. This can cause them to become inflamed and then they cannot vibrate, in the same way as when you have a viral infection. It usually goes away with rest.

免疫系がウイルス感染と戦う方法のひとつに炎症がある。炎症は炎症細胞によって引き起こされ、血管から体液や血漿が周囲の組織に放出される。この液体が組織を膨張させ、ウイルスを閉じ込める。そして白血球がその中に入ってウイルスを殺すことができる。ウイルスがのどに侵入すると、喉頭まで到達し、炎症細胞によって喉頭と声帯が腫れる。声帯の大きさが変わると声の高さが変わり、その結果、誰もが知っている「冷たい」声になる。腫れが大きくなると、声帯がまったく振動しなくなり、声が出なくなることもあります。体内のウイルスが除去され、腫れが引けば良くなります。

また、声を使いすぎると声が出なくなることもあります。大声を出すと声帯が炎症を起こします。大声を出すと、より多くの空気を吐き出さなければならず、声帯は普段よりずっと速く振動します。そのため声帯が炎症を起こし、ウイルス感染したときと同じように振動できなくなるのです。通常は安静にしていれば治ります。

 現在の技術では、宇宙エレベーターは不可能ですが、そう遠くない将来、実現する可能性があります。

宇宙エレベーターの主なアイデアは、ケーブルが地表のどこかに固定されることです。ケーブルのもう一方の端は、約10万kmの高さにあるカウンターウェイトとして機能するハブに取り付けられます。重力と遠心力によって、ハブはその場に留まり、ケーブルは教え続けられる。36,786kmまでは重力が、そこから先は遠心力がケーブルに作用する。36,786kmは静止軌道の高さで、通信衛星が通常配置される場所です。その高さまでは重力で下に引っ張られ、それ以降は遠心力で上に引っ張られる。エレベーターでケーブルを上昇・下降させ、貨物を軌道上に放出することができるのです。

宇宙エレベーターのアイデアは、ロシアの科学者コンスタンチン・ツィオルコフスキーによって提起されました。彼はエッフェル塔を見て、軌道上まで伸びる同じような塔を想像したのです。というのも、それだけの重量を支えられる材料がないため、頑丈な塔は不可能だったからだ。1959年、ロシアのエンジニア、ユーリ・アーツタノフが、衛星をカウンターウェイトとして使い、そこからケーブルを吊るして地球に固定することを提案しました。これが、引っ張りケーブルの発想の原点です。 

宇宙エレベーターのようなものは、何十億円もかかる巨大な建設プロジェクトであり、技術の限界に挑戦することになる。では、どんなメリットがあるのでしょうか?

軌道に乗せるための費用が安くなる。2000年まで、スペースシャトルで1kgの物資を宇宙に運ぶには、約18,500ドルの費用が必要でした。それが、再利用可能な民間宇宙ロケットが開発されてからは、約2,720ドルにまで下がりました。今後も価格は下がり続けるでしょうが、宇宙エレベーターのような低価格にはならないかもしれません。計算上では、材料を宇宙に運ぶのに1kg50ドルという安さになる可能性があります。そうなれば、宇宙ステーションや恒星間宇宙ロケットの建設は、もっと手頃なものになります。スペースシャトルでは入りきらないようなものも送れるし、月面基地も作れる可能性がある。

では、人類が月面基地を建設することを阻んでいるものは何でしょうか?

まず、宇宙エレベーターが受ける大きなストレスが問題です。ケーブルに最も大きなストレスがかかるのは、静止軌道に乗った時点です。鋼鉄製のケーブルを使用した場合、その力は鋼鉄の引張強度の約60倍にもなります。地上と宇宙の端では応力が最も小さく、静止軌道上では応力が最も大きくなるため、ケーブルをテーパー状にすれば、長さ方向の応力をほぼ等しくすることができます。

しかし、ケーブルが鋼鉄製であれば、テーパーをつける部分が太すぎて合理的でなく、ケーブル全体の重量が重すぎて維持できない。

その解決策は?カーボンナノチューブ、つまりグラフェンです。これは、鉄の200倍の強度を持ち、6倍の軽さを持つ素材です。この素材は、ケーブルの材料として完璧なものです。ただ、必要な長さと量を作る方法がまだないのが一時的な問題ですが、この問題は解決されるでしょう。

2つ目の問題は、テザー(綱)です。高い応力に耐えなければならない。また、どこに設置するかという問題もある。陸上なら、どこの国か?宇宙までの距離を短くするために山の上に置くのか?海を利用したテザーにするのか?これらはすべて解決可能な問題です。

3つ目の問題は、エレベーターそのものです。地球上のエレベーターは、すべてケーブルにつながれて昇降しています。しかし、宇宙エレベーターは、ケーブルが動かないので、そのようなことはできません。そのため、自力でケーブルを昇降させなければならない。また、気密性が高く、人が乗っても安全なものでなければなりません。

4つ目の問題は、スペースデブリ(宇宙ゴミ)です。NASAは現在、50万個のスペースデブリを追跡しています。ロケットや宇宙ステーションは、これらの破片を回避することができますが、静止型宇宙エレベーターはそうはいきません。そこで、エレベーターを海中につなぎ、移動できるようにすることが考えられます。しかし、このような巨大な物体を移動させるのはかなり困難な作業であり、すぐにできるものではありません。そこで、レーザーを使ったターゲティングシステムが考えられます。スペースデブリをターゲットにして、その片側を過熱するのです。そうすると、わずかな減圧が起こり、スペースデブリがどちらか一方に押しやられてしまう。そうすれば、宇宙エレベーターを守ることができますし、宇宙の浄化にも使えます。

宇宙エレベーターが直面する問題の多くは、すでに解決されているか、あるいはもうすぐ解決されるでしょう。日本の会社は2050年までに宇宙エレベーターを作ると言っていますし、中国の会社はさらに上をいって2045年を約束しています。宇宙エレベーターはもうすぐできるのでしょうか?おそらく今後10年間は無理でしょうが、25年以内には?その可能性は十分にあります。

今から15年ほど前、当時恵泉女学園理事長を務め、神学者でもあった一色義子先生のお宅にお邪魔したことがありました。先生は東京世田谷にある古い洋館にお住まいでした。「こんな古い洋館が珍しいそうで、映画の撮影にも使われたのよ」と義子先生が笑いながら話してくれたのを覚えています。先生はわざわざご自分で紅茶を入れてくださり、本やひと時代昔の映画などからしか見聞したことのない、とても興味深いお話をしてくださりました。今思い出してもそれは歴史の重みが詰まった貴重なひと時でした。

その時、私たちの学校の始まりであるスミス女学校(正式名称:札幌長老派伝道教会女子寄宿学校)に最初に入学した7名の生徒の一人で、後に日本YWCAの総責任者を務め、恵泉女学園を創立した河合道先生や、河合道先生を友として同志として支えた一色義子先生の母親一色ゆり先生に関わる話などを伺うことができました。その話の中で義子先生が、「自分は子供のころスミス先生の膝に抱かれたことがある」という話をされました。それはスミス先生が日本を去る前、教え子の河合道先生のもとを訪れた際、遊びに来ていた義子先生をその膝の上にに抱いてくださったというお話でした。3才頃だったそうです。自分を膝に乗せて抱いてくれたスミス先生の手はゴツゴツしていたのを覚えているそうです。

スミス先生の手の話を聞いて思い出したことがありました。先生は花々がとてもお好きだったことが学校に残された記録から知ることができます。銭函で行われていた日曜日の教会学校の帰り、道端で目に留まった綺麗な草花を学校に持ち帰り校庭の花壇に植えていた話が残っています。

大正時代の本校の卒業生が、校庭に咲く花々の名前を書き残しているのを思い出しました。「老木の桜、白木蓮、ピンクのウツギ、シジミ花、つつじ、雪柳、枝垂桜、真赤なボケ、ボタン、藤、黄バラ、花かいどう、枝垂柳、ニセアカシヤ、モミジ、ライラック」。校庭の花々に関して生徒が記録したのは大正時代。創立から25年以上が経っていたはずです。そこからスミス先生に続く他の宣教師たちの先生も同じように花々を大切に育てていたことがわかります。今も校庭には多くの花が咲き続けています。

卒業生の書いた文章に次のようなのもが残っていました。

「先生の手の爪にはよく黒土が挟まっていました。」

 〇色の見え方 形の美しさは、感受性によって様々なとらえ方がありますが、色には「膨張色」や「収縮色」という特徴を持つものがあります。広がって大きく見える色、逆に、圧迫感や小さく見える色のことです。

その他の特徴を挙げれば、「進出色」や「後退色」といったものがあります。これは、飛び出て見えたり、奥まって見えるなど、見え方に距離を感じさせる色が存在するのです。

今回は、公共の場や私生活の中で、【色の効果】によって、本来魅力あるものが、そうではなくなっているという問題について考えてみたいと思います。

  1.【車の色】 先日、車を中古で買ったのですが、これまでにはまず選ぶことのなかった白色の車を購入しました。

今までは、自宅周辺の植栽の緑を目立つ環境づくりがしたい。その実現のために、黒っぽい車を選んできました。 自宅の外壁が黒に近いこげ茶色(ガルバリウム鋼板)であり、車庫備え付け住宅のためシャッターはなく、白の車を置くと車の白が、一番目立ってしまいます。

僕の追い求める理想の一つである、緑色の葉や草花(自然)を最良と言える状況で見る環境を創り出すこと。それが良い住宅環境であると考えているからです。  

白色の車を置いた時、自宅の周辺の植栽の緑は目立たないでしょう。

それを防ぐために住宅に合わせて黒っぽい車がベターだと思ってきました。

 2.【ガードレールの色】 ドライブが好きなのでよく山道を走るのですが、ほとんどのガードレールが未だに白色です。雄大な自然の中で、このガードレールだけが浮いて見えてきます。ただ、ガードレールを目立たせるといった意味では役割を果たしているのです。

 国土交通省が策定したガイドラインを見ると、「ガードレール以外の道路附属物(遮音 壁、落下物防止柵、防雪柵、ベンチ、バス停上屋、視線誘導標、舗装・路面への表示など)などにも、景観上の配慮事項」などが規定されています。

景観を整える取組みについて、これからもっと考えていくべきだと思っています。

ちなみに、札幌の大通はこげ茶 や、ダークグリーンで統一しています。電柱もなく、自然が目立ついい取り組みをしています。

 3.【アトリエの色】 学校の絵画室で100号以上のキャンバスに描くとき、キャンバスの後ろにポスターやプリント類が貼ってあったり、棚に小物や本が置いてある時があります。その場合に、その色と形が邪魔してどうしても描きにくいと感じてしまいます。そのため壁面にあるものをすべてよけて、何も無い状態にしてから描くのです。

そうすると、配色などのバランスをうまく取りながら描くことができます。

こういったことから本校の絵画室は。天井、壁、床、棚、ド アが全てライトグレーで統一しています。反射光に色がつかないようにするためです。

  4.【洗面所の色】  例えば歯磨き粉を薬局に買いに行ったとき、何を基準に選びますか?僕は商品を選ぶのに、時間がかかってしまいます。扉のない我が家の棚は、商品が家のインテリアになるからです。派手な色で効果など文字で表現しているものではなく、出来るだけ控えめで、膨張しない色を選びます。

  〇【まとめ】  色を無差別に配置することによって、見せたいものが逆に見えなくなり、魅力あるものがそうではなくなることが多々あります。色を統一することで、景観が良くなることもあります。色はそれだけ主張するものであるということです。

絵画で言えば、完成にむけて、注目して欲しいと思うところの彩度を高めるように、今後は身近なところでより一 層、自然の魅力が伝わるような、街の景観を改善する必要があると日々感じるのです。

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