学校について

教員ブログ

    HOME学校について教員ブログ

 先日、保育園に通う4歳の娘が「ママ!保育園でたけのこご飯、食べたんだよ!サクサクしていて美味しかった~!!おうちでも作ってよ!!」と弾んだ声で、リクエストがありました。たけのこご飯??今までたけのこの煮物を夕食で出しても、そんなに食べていたかな……?と意外なリクエストに驚きました。娘の保育園では、自分たちで野菜を育てたり、ご当地グルメメニューがあったり、(月に1度、47都道府県のうちどこか1つのメニューが提供され、食べたところは日本地図に色を塗っていきます。)食に対する興味を持てるような工夫や、旬の食材を楽しむことを実践してくれ、親としてもありがたい限りです。

 さて、「たけのこ」と言えば、どのような「たけのこ」を思い浮かべるでしょうか?北海道出身の私にとってのたけのこは、アスパラのような見た目の細いたけのこ、「根曲がり竹」や「姫竹」と言われるものです。小さい頃は、これ以外のたけのこの存在を知りませんでした。母方の祖母が作ってくれる、たけのこの味噌煮は最高に美味しく、ご飯がすすむおかずでした。ところが、道外出身の父方の祖母が作るたけのこ料理は、細いたけのこではなく、「孟宗竹」と言われるものが使われていました。今ではこの「孟宗竹」のおいしさもわかるのですが、小さい頃はこれを「たけのこ」とは認められず、味も何となく苦手でした。娘が保育園で食べていたのも「根曲がり竹」で、私が娘のリクエストに応えて作った「たけのこご飯」も「根曲がり竹」で作りました。アクもなく、強く主張はしないけれど、しっかりと主役になってくれる、そんなたけのこが「根曲がり竹」だと思います。

 この「たけのこ」の話をしていて思い出すのは、北海道の「赤飯」です。北海道では小豆ではなく、甘納豆を入れて赤飯を炊く食文化があるのは、今ではけっこう知られていることだと思います。「赤飯=甘い」は小さい時から当たり前で、運動会やお祝い事に祖母や母が作ってくれる赤飯は美味しくて大好きでした。しかし、これまた父方の祖母が作る赤飯には甘納豆が入っているはずもなく、小豆の赤飯を見た時には驚きました。もちろん、同じように私の父も、初めて甘納豆の赤飯を食べさせられた時は驚いたことだと想像できます。ちなみに、農林水産省のホームページに「うちの郷土料理」というページがあり、北海道の赤飯が以下のように紹介されています。

甘納豆の「赤飯」は、昭和20年代後半ごろに、札幌にある学校法人光塩学園の創設者で初代学長の南部明子先生により「忙しいお母さんが手軽につくることができるように」と考案された。自身も働く母であったため、「手間のかかる小豆の赤飯を炊くのは大変だが、子どもたちが喜ぶものを食べさせてあげたい」という想いから、米を炊いて甘納豆を混ぜ、食紅で色をつけるだけという簡単な調理法を確立した。
北海道の郷土料理の第一人者でもある南部先生は、全道各地で講演をおこなっていた。その際に、地方のお母さんたちに甘納豆を使った「赤飯」のつくり方を教えたところ、子どもたちが大喜びし、またたく間に人気を博した。その後、新聞やラジオなどのメディアで紹介されるようになり、一気に道内に広まっていった。

 

 甘納豆の優しい味わいと同じく、考案されたエピソードにも優しさと愛情を感じます。幼い頃から親しんできた「細いたけのこ料理」も「甘納豆の赤飯」もずっと継承していきたい郷土料理です。そして、そのうち全国のおいしい郷土料理を探し求めて旅をして、日本地図に色をつけていきたいなと思っています。

三角形の任意の角度を求める方法を知っていますか?きっとそうでしょう。三角形の角度はすべて足すと180度になります。では、四角形の場合はどうでしょう?簡単です。円には360度の角度があるので、正方形の角度はすべて足すと360度になります。小学校の時に習いましたよね。2次元の物体で360度以上の角度を持つものはありません。しかし、なぜ360度なのかと考えたことはありますか?なぜ100ではないのか?それとも1000?私たちが使っている他のシステムはほとんどが10進法ですが、なぜ360度なのでしょうか?

それは、バビロニア人に由来します。バビロニアは、今から4000年ほど前に存在した古代メソポタミアの国家で、現在のイラクと同じくらいの地域です。聞いたことがないかもしれませんが、彼らのおかげで、1円は360度、1分は60秒、1時間は60分、1日は24時間です。

さて、私たちは10進法で数えています。つまり、すべてを10の単位で表します。1メートルは100cm100cm1m1000m1kmといった具合です。私たちにとって、このシステムは理にかなっています。しかし、バビロニアの人々は60進法で数えていました。彼らは60の倍数で数えていたのです。60は非常に多くの数字で割り切れるので、彼らにとって60進法は理にかなっていたのです。

では、なぜ円は360度なのでしょうか?理由は2つあります。まず、バビロニアの天文学者は、太陽の1年が365日であることを知っていました。太陽が空の同じ場所に戻ってくるのに365日かかるからです。また、太陰暦の1年が355日であることも知っていました。月が空の同じ場所に戻ってくるのに355日かかるのだ。彼らは世界が球体であることを知っていたので、太陽と月は毎日地球の周りを1度ずつ移動すると決めていました。360は、365日の太陽年と355日の太陰年のちょうど中間に位置するので、それを選んだのです。

第二に、360は高度に合成された数字です。もしバビロニア人が円の度数として100を使っていたとしたら、9つの数字で割らないと整数にならないので、計算が非常に難しくなります。(1, 2, 4, 5, 10, 20, 25, 50, 100). 36024個の数字で割ることができます (1, 2, 3, 4, 5, 6, 8, 9, 12, 15, 18, 20, 24, 30, 36, 40, 45, 60, 72, 90, 120, 180, 360). これにより、一般的な計算が非常にやりやすくなりました。

では、なぜ円には100度ではなく360度あるのでしょうか?それは、バビロニア人が考え出したもので、それ以降のすべての文明は、それが最良のシステムであることを知っていたからです。

 

先日家を片付けていたら『編みぐるみキット』が出てきました。いつか作ろうと思いながらすっかりその存在を忘れていたものです。久々にやってみよう!と道具を広げたものの、編み物の基礎が全くない私がそう上手くいくはずもなく…と同時に前回このキットを広げた時の事を思い出しました。初心者には難解で挫折 → 時間のある時にじっくり作ろう!  → 記憶の奥底へ…となっていた訳です。

 

何事も“基礎から始まる”ことは、これまで音楽を学んできた経験上身をもって感じています。音楽科の行事に「実技試験」と「スケール試験」があります。「実技試験」については想像がつくと思いますが、「スケール試験」とは何か、疑問に思う方も多いのではないでしょうか。これは演奏技術の基礎力の定着と向上を目的とした試験です。「スケール」とは音階のことで、「ドレミファソラシド」を2オクターブ~4オクターブ上って下りてくるのです。これだけ聞くとそう難しいことではないように思えますが、一定の速さで響きや音量もバランスよく演奏するとなると、難易度がぐんとあがります。私も高校時代、正しくスケールを弾くことに苦労していましたが、スケールの上達と共に、楽曲が安定した演奏へと変化していったように思えます。”基礎”を正しく知ることと、継続することが上達への一歩なんですよね。

 

さて、編み物の基礎が無い私が取り組んだ編みぐるみの行く末はどうであったかと言うと、失敗 → ほどいて編み直し → 失敗 → 編み直し、を繰り返しようやくゴールに辿りつきました。YouTube先生にもお世話になりながらレシピ通りに作ったつもりですが、お手本の写真とは「何か違う」仕上がりに。しかし、失敗を繰り返すことで基礎を知ることができたので、次はもう少し上手くできそうな気もしています。実はキットはまだたくさんあるのです!(少なくとも20体は作れます…)ようやく理解した” 基礎”を忘れてしまわない範囲で時間を見つけ、続きを作ってみようと思います。

 もし、庭先の草花や室内の観賞用植物にも、「知性」があり、じっと私たちのそばで考えているとしたらどうだろう。多くの人々は「本当?」と驚きながら、「何を訳の分からないことを言っているのか」と打ち消し、そのようなことは相手にされないのが落ちだろう。しかし最近、このような従来からの見方を打ち消すような科学的な考え方が、関心を集めている。

 私が読んだ「植物は<知性>を持っているー20の感覚で思考する生命システムー」(ステファノ・マンクーゾ他著)には、こうある。植物には「脳」という器官が見当たらないから、私たちは植物に知性を認めてこなかった。しかし、人の脳も実際には単独で知性を生み出す魔法の器官ではなく、体から届けられる色々な情報提供により働く。一方、植物も人間と同様で、生存に必要な情報を環境から入手し、利活用してゆく。違いは、人間よりも動きがのろく、人間に備わっているような個々の器官(例えば脳や目や耳など)を欠いているだけなのだ、という。

 つまり、人間も植物も、それぞれ環境から情報を得て、生きるため適応していく存在だ。そうすると、「知性」を糧に環境適応するという意味合いは大差なく、共通する。それどころか、植物は私たち人間がいなくても生命を維持することができるが、私たち人間は、植物なしでは生きられない。植物による光合成から得たエネルギーを摂取しなければ、私たち人間は、いや動物であっても、たちまち絶滅してしまう。自力で動けない植物など下等生物だと感じるとしたら、それは単に人間中心主義のものの考え方の偏見である。

また、『土と内臓―微生物がつくる世界―』(デイビッド・モントゴメリー著)は、土壌の生産力から人体の免疫系まで、微生物の群集が動かしていると論じる。土中だけではなく人体を取り巻き、人体の内臓に生息する微生物に、実は私たちが多くを依存して生きていることは大きな驚きである。私たち人間の五感など、地球環境のほんの一部しか感受できないようになっていると知ると、謙虚に考えることが本当に大切だとつくづく思う。(854文字)

皆さん、陰影とはただただ暗い影をイメージしがちですが、黒くなっているだけだと思い込んではいませんか?

じっと見つめていると、陰には不思議な色がみえてくるのです。今回はその陰影の魅力について、迫ってみたいと思います。

1、陰影と反射光

 絵画制作では一般的に、描く対象の陰影を描き分けることによって、立体感や量感を表わします。しかし、固有色だけで描くと、どうしてもイラストやアニメのようになってしまいます(人物と背景が合成しているように見える)。

ここで、重要になってくるのが反射光です!!

 【反射光とは】光が地面や周りの壁・物体などにあたりはね返り、陰の部分がほんのり明るく表れる現象をいいます。反射光の距離(強弱)や角度などを分析して上手に表現することが大切です。気をつけたいことは、むやみやたらに反射光を入れると、平面的な空間表現になってしまいます。

2、反射光には色がある

 光が反射光になったとき、【魅惑的な色】が付きます。

 例えば、赤い上着を着ていると、首や手が赤色になって見えますね。また、芝生の上に立つと、脚や服の陰に芝生の色が映り込みとても綺麗です。特に陽射しが強いときははっきりと表れ、見る物を美しく、より立体的に見せます。地面や服を描かなくても、反射光の色を見るだけで、周りを想像することができます。

 絵画制作では、反射光の色を強調して表現するのがポイントです。

3、反射光を効果的に生かす

 反射光は、陰(暗部)にはっきりと見えます。凝視すると、映り込む面の角度や位置よって様々な色が複雑に映り込みます。絵描きは、描く対象意外のものにも目を向け、【反射光の予測】をします。

 頭を使い、反射光を予測して、描く対象をとらえるのがポイントです。

 その他に 色彩遠近法を使って、【陰の中で距離感】を強調するのも良いですね。例えば赤や黄色は前進してくる色です。手前の部分に彩度の強い暖色を使うとより立体的になります。逆に、青や緑色を使うと後退してくれます。後退させたい暗部に寒色を使うとよいです。

 「隣の猫」を描いてみました、参考になれば嬉しいです。この絵は、日本橋三越本店で《立美会》2021年6月23日(水)~28日(月)まで展示予定です。機会があれば実物を見ていただけたら幸いです。

 

「隣の猫」F30号 キャンバス/油彩 2021年制作 作者:波田浩司

隣の猫 2021 F30

 歴史は物語のような作り物ではありません。本当に起こったノンフィクションの世界です。今回は親子の愛情をテーマに、1つの話をしたいと思います。

時は戦国時代末期、場所は九州の大分県。話の主人公となる人物は、高橋紹運と立花宗茂の親子です。2人とも苗字は違いますが、血のつながった正真正銘の親子です。

高橋紹運は大友宗麟の部下で、同じく大友宗麟の部下であった同僚の立花道雪のことを、常日頃から尊敬していました。ある日、立花道雪は高橋紹運に、息子を1人養子としてもらい受けたいと相談を持ち掛けます。立花道雪には息子がいなかったため、このままでは立花家が断絶してしまうと考えたからでした。悩んだ末、高橋紹運は尊敬する立花道雪のためならばと、次男や三男ではなく、わざわざ長男を養子に出しました。この人物こそが立花宗茂です。

その後、立花道雪は亡くなり、養子の宗茂が立花家の家督を継ぎました。そんな中、南から島津の大軍が侵攻してきました。猛将である立花道雪はすでに他界しているため、北上する島津の軍勢と戦うのは、大友家の大黒柱であった高橋紹運と、その嫡子で立花家に養子に入った立花宗茂の親子でした。島津の大軍が侵攻してきたと聞いた大友宗麟は、すぐに大坂にいる豊臣秀吉に援軍を要請しました。秀吉は20万とも言われる大軍を動員してこれに応えます。対する島津軍の総大将である島津義久は、秀吉の大軍を迎え撃つためには、一刻もはやく九州を統一しなければならないと考えました。

当時、大友氏に残された領土は高橋紹運と立花宗成親子の守る岩屋城と宝満城だけでした。秀吉の援軍が来るまでは時間がかかります。そこで高橋紹運は、自ら進んで山の中腹にある小さな岩屋城に兵700余りを連れて入り、息子の宗茂には、山の頂上に建てられた堅固な城である宝満城に入るように命じました。立花宗茂は父親である高橋紹運に、岩屋城は捨てて宝満城に入って一緒に戦うように進言しますが、高橋紹運はそれを断ります。高橋紹運は、自分が息子の盾になることで少しでも時間稼ぎをし、秀吉の援軍が来るまでの間、息子のいる宝満城を敵に攻撃させないようにしようと考えたのでしょう。それが息子への最後の愛情でもあり、長男でありながら立花家に養子に行かせてしまった親としての贖罪だったのかもしれません。

 島津軍は4万余りの大軍で、岩屋城に攻め寄せてきました。高橋紹運は700人の城兵と共に奮戦します。そのため10日たっても岩屋城は落ちませんでした。これに焦った島津義久は、使者を立てて、降伏を勧めてきました。しかし、もとより死を覚悟している高橋紹運はこれを一蹴します。時間がたてば秀吉の大軍が九州に上陸します。ぐずぐずしてはいられない島津軍は、ついに総攻撃を開始します。城が包囲されてから2週間後、ついに岩屋城は落城しました。その際、高橋紹運は自害し、700余りの城兵は全員玉砕しました。しかしこの時間稼ぎにより、宝満城は島津勢を寄せ付けず、秀吉軍の上陸まで持ちこたえることができました。秀吉軍上陸の報を受けた島津軍は囲みを解いて撤退します。すると援軍の到着を待たずに、立花宗茂は城から討って出て、あっという間に岩屋城を奪取しました。この時に立花宗茂の脳裏を過ったのは、父の面影だったのではないでしょうか。

子の夢を自分の夢のように応援してくれる存在であり、子の身に危険が迫ったら自分の身も挺して命がけで守るのが親です。いつの世も、親が子を愛する姿は変わらないのかもしれません。

日中眠くなることが多く、夜の寝つきが悪かった。

深煎りコーヒー,コカ・コーラが大好きな私は、軽いカフェイン中毒だったのかもしれない。

妻の言うことに間違いはない。

妻の助言に耳を傾け、カフェインの過剰摂取を抑えることにした。

とりあえず大好きなコカ・コーラは11本とし、20時以降には飲まないことを決めた。20時以降に飲まないといっても20時までに口にした物は飲んでの良いと決めたので、実際は毎日19:55のアラームを合図に350ml缶を開けひとくち口にし、その後、心行くまで堪能するのが実態である。

部活動の遠征時に私の「コーラ20時ルール」のために部活動の生徒達を翻弄したことは言うまでもない。

それから8年間ずーっと守り続けている。

 

40歳を過ぎ私の体にも陸上では一切必要とされていない浮き輪がおなか周りについてきた。これはなかなか取れない代物だった。

201912月に100円ショップでアブローラの類似品である「腹筋ローラー」を購入した。

筋トレには自信があったので簡単に「立ちコロ」ができると思っていたが、びっくり、全くできないことが判明。それが悔しくて、1日おきに膝コロを30回程度、スロースクワットを40回程度することした。辛すぎて続かないと思った私は、そのご褒美を私にとって最高のご馳走であるコカ・コーラにした。どんどんハードルが上がる…。

要するに、毎日必ず筋トレ。やったときだけ20時までにコカ・コーラ。

それから、1~2か月後くらいに立ちコロができるようになった。

今も、腹筋ローラーと腕立て伏せを交互に行っている。

 

「継続は力なり」どこかで聞いた言葉だ。

 

多くの人はそのことを良く分かっている。でも継続が難しいのだ。

 

毎日、なぜ歯磨きを忘れないのだろう。

自分の目的の達成のために必要だから。

日々、自分自身の歯磨きスキルの向上を自覚しているから。

 

そんな人は珍しいであろう。

 

ただ、食事の後や寝る前にすると子供のときから習慣化されているから。

 

皆さんもなかなか続けられないことを継続するために次のようにしてみてはいかがでしょうか。この私でも継続できている方法です。

 

やり方はいたって簡単。「XしたらYする」と決めておくだけ。「【ifXしたら【thenYする」という形で計画するので、if-then プランニングと呼ばれている方法です。

 

例えば、19:30を過ぎたら筋トレを行う。

 

すぐにできる簡単な手法ですが、大きな効果を感じることができるはず。ぜひ一度試してみてはいかがでしょうか。

 

それでは19:00を過ぎたので今日も筋トレを始めます。

英単語を勉強していて、どうしても覚えられない単語を見つけたことはありませんか?頭の中で100回繰り返してみてください。声に出して言ってみたりもしましょう。その単語を使って文章を書いたり、記憶術を使ったりしても、いざその単語が必要になったときに、それでもその単語が出てこなかったりします。そのような場合には、もっと体を動かして覚える方法を試してみましょう。
 
TPR(Total Physical Response)とは、言語学習者に語彙や短いフレーズをジェスチャーと組み合わせることで、記憶力を助けるという教育方法で、通常、若い学習者に用いられます。人間は赤ちゃんの頃、言葉を発するよりもはるかに早く話し言葉を理解し、言葉を発声するよりもはるかに早く意味のあるジェスチャーをし始めます。多くの研究結果から、親が幼い赤ちゃんに手話を導入することで、より早い段階でのコミュニケーションが可能になることがわかっています。ジェスチャーを使ったコミュニケーションを学ぶと、声を出す言語の発達が遅れるのではないかと思うかもしれませんが、そうではありません。多くの場合、音声言語の発達も改善されることがわかっています。
 
くだらないと思うかもしれませんが、次に語彙の復習をするときに、それに相当する手話をアメリカ手話で探してみてください。適切な手話を使い、新しい単語を言ってみましょう。その語彙を頭で理解することを強化するだけでなく、新しいスキル(アメリカ手話)を学び、発展させることができるのです。アメリカ手話は独自の言語であり、独自の文法を持っていますが、英語やアメリカ文化と密接な関係があります。また、ろう者の文化についても学び、理解を深めることができます。アメリカ手話は、世界の多くの国で使用されている美しくダイナミックな言語です。
 
語彙の正しい手話が見つからない場合は、自分で作ってみましょう。言語は耳で聞くだけのものではありません。それはあなたが感じ、経験し、自分のものにしなければなりません。

 

Have you ever studied English vocabulary and found a word that you just can’t remember? You repeat it 100 times in your head. You say it out loud. You write sentences with it or use mnemonics but when you need the word, you simply cannot produce it. Maybe it’s time to try a more physical response.

 

Total Physical Response (TPR) is a method of education, usually used with young learners, that teaches language learners to pair vocabulary or short phrases with gestures to aid in memory. As babies, humans learn to understand spoken language much faster than they can produce it, and they begin to produce meaningful gestures much sooner than they vocalize words as well. The results of many studies show that parents can introduce Sign Language to young babies to help them communicate at an earlier age. You may think that learning to communicate with a gesture-based language would slow the development of a vocal one, but this is not the case. It has been shown in many cases to improve the development of spoken language as well.

 

It may feel silly, but the next time you are reviewing some vocabulary, try to find their equivalent signs in American Sign Language. Say the new vocabulary word while making the appropriate sign. Not only will you be reinforcing your mental grasp of that vocabulary, you will also be learning and developing a new skill: Sign Language! Although American Sign Language is its own unique language and so has its own grammar, it is closely connected to English as well as American culture. It will also give you the opportunity to learn about and better understand Deaf culture. American Sign Language is a beautiful and dynamic language which is used in many countries around the world.

 

If you cannot find the correct sign for your vocabulary word, create your own. Language isn’t only something that you hear. It should be something you feel, experience and internalize.

 今年度からHighコースの4年生で、学び方ワークショップを始めました。第1回は数学と英語の家庭学習をどのようにやるか、実践してみるという企画でした。数学は、その日の授業で学んだ内容を復習するための宿題が出ているそうですが、それを週末にやらず、なるべく学校で行うことを勧めていました。「土曜日に勉強しない。」という先生の言葉に生徒たちは驚いていました。すぐに解答を見ないで、教科書に戻る学習の仕方など、実践的な方法を学べました。英語は音声を聞きながら英文を読む学習方法を学びました。今はインターネットで音声を聞くことができるそうで、便利な時代になったと感心しました。

本校では中学1年生から高校3年生まで幅広く教える機会があるので、高校生になって必要となる力を中学1年生のころから段階的に見につけさせるようはたらきかけることができます。今年から始まった共通テストでは、覚えた知識を問われるのではなく、情報を読み取り、分析する力が求められました。また、分野ごとの出題にとどまらず、複数の分野を横断的に扱う問題も出題されていました。授業の目標やスタイルの変更が必要だと感じました。

私は生物が専門ですが、今年度は生物の他に、生物基礎と化学基礎を教えています。基本的に板書はしません。説明にどうしても必要なときは、黒板に図を描いたりはしますが、教科書に書かれたことを黒板に書いても意味がないと考えています。これまでは問いだけが書かれたノートプリントを配布し、教科書の読み取りを中心に授業を行ってきました。しかし、こちらで問い出しをすることで、生徒が自ら問いを発見する力を奪ってしまっているのではないかと考え、今年から基礎科目ではノートプリントもやめました。板書はしない、プリントもない、教材は教科書だけ・・・怠慢だと怒られそうです。それでも昨年度の共通テストの校内平均は80点以上(全国平均は約73点)、受験した生徒の8割が80点以上でした。なんとか新テストに対応できたかと少し安心しました。

私の授業は、教科書の作者の意図をどう読み取るかをひたすら練習しています。タイトルから扱いたいテーマを予測させ、図から何が読み取れるかを考えさせ、学んだ内容を図解させるというパターンが多いです。「この図の言いたいことは何ですか。」と質問していくばかりです。生徒が「わかりません。」というと、「教科書に書いてある。書いてあることしか聞いてない。」と答えます。予習していないと大変でしょうね。

『生物』を扱っているからといって、ありのままの生物について学んでいるわけではありません。人の目を通しています。だから、教科書を書いた人たちがどのような意図をもって書いたのかを読み取ることが必要だと考えます。しかし、それが必ずしも正解とは限りません。これを書いた人はそう考えた、その根拠はこういうことである、という話です。それが私自身の考えと違う時には、ここにこう書いてあるけど、私はこうだと思っている、その根拠はこういう実験結果や現象があるからだと付け加え、君たちはどう思うかと聞いたりもします。今の教科書が10年後も同じとは限りません。実際、私が就職してから良くも悪くもかなり教科書は変わりました。

 学び方ワークショップの話に戻りますが、第1回はいわゆる勉強の仕方を学びましたが、第2回は学びの視野をもう少し広げます。学びとは、自分の興味関心のあることや必要な知識を主体的に見につけていくことで、もっと自由度が大きく楽しいものであるはずです。そのような学びを経験した卒業生を招き、彼女たちの経験から学びとは何かをつかみ取ってほしいと考えています。広い目で見れば、生きて経験することすべては学びなのかもしれませんね。

 コロナ禍で旅行に制限がかかってから1年ほど経ちました。旅行が趣味な私にとって、ちょっと辛い期間が続いています。私は旅行といっても、目的地だけではなくて「空港」や「機内」も大好きな空間です。空港に集まる人たちのウキウキした雰囲気、飛行機内でぼーっとする時間、座っているだけで異なる土地・地域に移動できるなんて(あたりまえ?)本当にワクワクしますよね。

ところで、みなさんは、飛行機に乗る時は窓側と廊下側、どちらを選びますか?私は最近、通路側を選びます。それは、乗り降りがしやすいこと、トイレに行きたくなった時や飲みものを受け取る時など、通路側にいると気楽にできることが多いからです。でもあえて、窓側に座ることがあります。それは、飛行高度が高くない航路の時。函館や釧路、青森などへのフライトは、必ず窓側にします。飛行高度が高くない分、地形をしっかり見ることができるからです。。

地理の授業で「扇状地」や「盆地」を教えますが、目視することが一番なんだろうと思います。座席ポケットに入ってる冊子の後ろの日本地図のページと目の前にある山を見比べているとあっという間に時間が過ぎていきます。また、海岸線が汚れて見える地域や、山間部の開発されているゴルフ場をみて複雑な気持ちになったりしながら、地上を凝視し続けています。()

丘珠空港を出発すると、石狩平野の蛇行する河川が目に入ります。そして、長い歴史や人間の開発によって残された三日月湖を見ることができます。函館へ向かう時は、洞爺湖や噴火湾の海岸線、釧路のフライトの時は、日高山脈を越えたとたんに広がる畑作地域に目を奪われます。夜間のフライトは、札幌市内の計画的な都市整備がライトアップされるので、おすすめです。これを書きながら、早く旅行に行きたいなぁ…とつくづく思います。GWが始まります。今年は家の周りの散歩で、足元にあるものを発見してみようかな。

いつか、近距離フライトもお試ししてみてくださいね。最近は、すごく先の日程のフライトは、かなり格安で手配することができます。その時はぜひ、窓側で!

*写真は紹介した地域ではないものも、あります。スミマセン…。

sadahiro1 sadahiro2 sadahiro3 sadahiro4

PAGE TOP