校長・教員ブログ
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先日の学友会機関誌にも報告したのですが、私たちの学校が125年間以上歌い続けてきた“校歌”の原点が見つかりました。本校の校歌の楽譜をよく見ると、作詞は永田方正(当時の漢文学の先生です)と明記されています。一方曲のほうはスコットランド民謡または時代によって不明と書かれてきました。何故そのようなことになったのかは明治初期から中期にかけての明治政府が行った教育事情によるところが大きいと感じています。
時代が明治となり、日本は欧米先進国と肩を並べるために国力を増強させる政策がとられるようになり、その柱のひとつに教育がありました。当然音楽もその一役を担うことになりました。優秀な若い学生たちが主にヨーロッパに音楽を学びに海を渡り、欧米で学び得たものを日本の音楽教育にも導入し、学校で多くの生徒が声を合わせて歌う日本独特の授業の形が作られていきました。
歌う曲の中で最も重要視されたのは歌詞の内容でしたが、その歌詞をどのような旋律(音楽)にのせて歌うべきかが課題でした。新しい日本を作り上げるためにそれまで日本になかった音楽に思いを込めることが求められましたが、西洋の音楽に触れてまだ歴史の浅い日本ではドレミファソラシドの音階からなる西洋音楽を土台に、日本の学校で児童生徒のための音楽として取り入れるには大変な苦労があったようです。そのような経過の中で、日本人が持つ感性に違和感なく受け入れられる旋律(音楽)がヨーロッパにあることに気づき、日本の学校音楽に唱歌として導入していきます。その音楽とはスコットランドで歌われていたものでした。日本で広く親しまれてきた“ほたるの光”“夕空晴れて”などの旋律もそれらの中の一曲です。スコットランドで歌われてきた歌には他の西欧諸国で一般的に使用している音階の“4番目ファ”と“7番目の音シ”を使わない曲が多いのです。私たちにも親しみが持てる旋律に、オリジナルな詩とは全く違った独自の内容を歌詞として盛り込み、完成度の高い日本独自の歌としていきました。私たちの校歌の誕生もその流れをくんでいると言えるでしょう。ですからどこかスコットランド民謡を思わせる旋律と感じて、校歌の旋律の由来を“スコットランド民謡から”として来たのでしょう。
今回校歌の旋律の原点を発見のために大きな働きをなさった方は“仁平のぞみさん”という方です。本校が北海道から貸与されていた校舎と校地を離れ、第二の校舎を建てる校地を探して北4条西1丁目の土地を入手するために奔走した人物、後に第6代校長となった仁平豊次のひ孫にあたる方です。仁平のぞみ先生は横浜にあるキリスト教主義の学校、捜真女学院中学高等学校で長らく音楽の教鞭をとられていた方です。本校の前校長の石原菊雄先生がイギリスに行かれた際に校歌の旋律の調査をされましたが見つけることが出来なかった校歌の原点を、仁平のぞみ先生がご自宅にあった古いキリスト教メソジスト派の讃美歌集を何気なく見ている時に発見されたそうです。私たちの校歌は讃美歌から取られたものだったのです。楽譜の表記も現在のものとは異なっていますので、音楽に精通している仁平のぞみ先生でなければ見過ごされたかもしれません。仁平のぞみ先生が本校の第6代校長仁平豊次のひ孫にあたる方で、私が北星の校歌の原点を探していることを話したのを覚えていてくださり、現在も歌い継がれている校歌のメロディーを覚えていてくれたことが大きな発見に至ったと思います。
これらの繋がりを考えると、ただ偶然だった、縁があったという言い方では表現できない神様の導きを強く感じています。
この話の続きは次回に…。