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今日、こんなことを知りました。体が熱を出すのは、パイロジェンが視床下部の体温の設定値を上げるからです。

発熱は防御機構であり、ほとんどの発熱は、体が細菌、ウイルス、寄生虫に感染したときに起こります。その他、アルコールの禁断症状や熱中症などでも発熱することがあります。

体温を上げるには、代謝コストがかかります。エネルギーが必要なので、そのエネルギーを補給することになるのです。ということは、熱がないよりあった方がメリットがあるに違いない。すべての哺乳類は熱を出すことができるので、有益であることがわかる。熱を出せない魚やトカゲは、感染症にかかったとき、体温を上げるために暖かさを求めます。

では、どうして熱が出るのかを見る前に、その理由を見てみましょう。

インフルエンザなどのウイルス感染症にかかった場合、ウイルスは平熱で最もよく繁殖します。体温が上がると、ウイルスにとって不利な環境になります。体がウイルスを調理しようとするのです。しかし、発熱の有益な理由はこれだけではありません。

感染症と戦うとき、白血球の一種であるT細胞を使う必要があります。このT細胞は、ウイルスを検出するまで血液の中を浮遊しています。T細胞には、ヘルパーT細胞とキラーT細胞の2種類があります。キラーT細胞は、ウイルスを検出すると、その名の通りウイルスを攻撃します。一方、ヘルパーT細胞は一番近いリンパ節に向かい、そこで抗体を持つB細胞と、さらにキラーT細胞の産生を促します。

これが発熱とどう関係があるのだろうか?T細胞は血液の流れからリンパ節に移動しなければならないのですが、私たちの体内の血液はかなり速く動いています。私たちが熱を出すと、熱の上昇によってT細胞が刺激され、2つのタンパク質が作られます。それが、α4インテグリンと熱ショックタンパク質90(Hsp90)です。体温が上昇すると、T細胞はより多くのHsp90を産生する。Hsp90分子が蓄積されると、α-4インテグリンタンパク質を活性状態に切り替えます。そのため、タンパク質は粘着性を持ち、突出した状態になる。マジックテープのフックのようなものです。 これを利用して、T細胞はリンパ節に近い血管をつかみ、そこを通り抜けることができる。

この実験を行うために、Hsp90がα-4インテグリンを活性化できないようにマウスを改造したものがある。そのマウスでは、T細胞がリンパ節に到達することはほとんどなかった。つまり、発熱がなければ、私たちの体は外敵に対する防御を開始することができないのです。

では、私たちの身体はどのようにして熱を出すのだろうか?

それは、視床下部をリセットすることによって行われます。視床下部は脳の底部にあり、空腹感、喉の渇き、愛着行動、疲労、睡眠、概日リズム、体温などを司っている。視床下部は、体温に関して、暑いか寒いかの2つの選択肢を持っています。体が熱すぎると、視床下部は汗をかいて体を冷やし、寒すぎると、視床下部は震えなどの反応を起こして体を温めようとします。

ウイルスや細菌が体内に侵入すると、パイロジェン(発熱物質)を放出します。これらのパイロゲンは血液を介して脳に移動し、脳はプロスタグランジンE2(PGE2)を生成する。このPGE2が視床下部と相互作用し、視床下部は体温の設定値を2~3度上方に調整する。

視床下部が新しいセットポイントを設定すると、その新しいセットポイントまで身体を温めるために、さまざまな生理的変化が起こり始める。

血管が収縮し、皮膚からの熱損失が減少する。副腎からノルエピネフリンが放出され、褐色脂肪組織を燃やして熱を発生させる。体の代謝率が上がり、血液が四肢から暖かい体幹に移動する。筋肉はエネルギーを消費するために収縮を始め、これが震えとなる。

発熱は、ウイルスや細菌が対処されるまで続きます。細菌やウイルスが体内からいなくなるまで、パイロジェンを生成し続け、パイロジェンは脳にPGE2を作り続けさせ、視床下部のセットポイントを高く保つ。パイロゲンがなくなり、PGE2の産生が止まれば、体温のセットポイントは正常に戻ります。

テレビや映画、youtubeなどの映像メディアは、今や「音」を伴うものがほとんどです。映像の方に目が行きやすく、自然と聞こえてくるその音の多くは脇役として私たちの耳に入ります。主役の映像を、脇役の音がうまく引き立てている?という構図は、音楽の教員としては何か納得のいかない気持ちにもなりますが…。

 

音抜きの映画やテレビ、ドラマを想像してみてください。どこか物寂しく、面白さは半減してしまいませんか。主題歌、効果音やBGMなどは場面を強調したり、登場人物の気持ちを代弁したり、様々な効果を担っているのです。音楽が醸し出す情感は、その状況を何よりも語ることができます。ホラー映画では強烈な効果音で人々の恐怖心を煽り(それが嫌で私はホラーを見ません)、感動系のドラマではちょうど泣けるその瞬間に、欲しかった音楽が流れ出して涙が…なんてこともありますよね。

 

また、調の違いもシーンの印象を大きく変える要素です。親子が二人で歩いている映像に、長調(陽気な)音楽を合わせれば、二人は楽しそうに会話している様子に映ります。ですが、同じ映像に短調(悲しい)音楽を合わせると、まるで大人が子供をさらっているかのようにも見えるでしょう。実は見ている映像には、聞こえてくる音楽が大きく影響し、心の中でストーリーが出来上がっているのではないでしょうか。

 

「王様のレストラン」という私の好きなドラマがあります。当時再放送されていて、何度も見た記憶があります。廃れたフレンチレストランを立て直すために、従業員たちが奮闘するというストーリーですが、私は何と言ってもそのドラマでかかる音楽たちがとにかく好きなのです。音楽を手掛けた日本の作曲家・編曲家の服部隆之さんは、NHK大河ドラマ「新選組」や「真田丸」、ドラマ「HERO」「半沢直樹」など、あれも?これもそうだったの?!と思えるほど多くの作品を担当されています。この「王様のレストラン」で流れる楽曲は、上で書いたような効果が存分に散りばめられているような気がします。曲を聴くだけで、フレンチレストランで起きた小さな奇跡が思い起こされ、従業員たちの悩ましい表情が浮かび、料理のおいしい香りが漂ってくる感覚になるのです。右脳が動き、五感が働く、そんなおかしな感覚にさせてくれる音楽に感謝です。

 

様々な用途で使われている「音」はとても大切であり、意味や価値のあるものだと感じます。今見ているテレビや日常生活で流れる音楽に耳をかたむけ、自分の感情を揺さぶる「音」をぜひ見つけてみてください。

 今年は雪が多い…札幌は8年ぶりの大雪だそうですね。我が家の前の道路は除雪が全く入らないので、大雪の次の日はあまり車を出さないようにしています(以前2度ほど家の前で埋まったことがあるので…)。町内では有名な「よく埋まる道」なので、冬の間近所の皆さんは必要最小限しか通りません。それを知らないで通った小さな車や宅配便のトラックが今日も埋まっている…。あ~あ、これで何台目だろう。

 こういうふうに家の前の道路で車が埋まっていたら、みなさんはどうしますか?…脱出できるかどうかしばらく温かい目で見守って、やっぱり無理だな、と思うと「しょうがないなあ」と手伝いに行きますよね。我が家も家族総出でコートをはおって軍手をはいて長靴はいて、「手伝いますよ」と声をかけに行きます。近所の人たちも何人も出てきて「そーれ!」と車を押します。やがて脱出できた車のドライバーさんは「ありがとうございます!ホントに助かりました…」と去っていきます。去って行った後には道路に大きな穴が残りますが、誰ともなく「また埋まったらかわいそうだからね」と近所のみなさんで穴を埋め、道路の雪かきをします。私も車が埋まったとき、こうやってみなさんに助けてもらいました。雪国に住む人には、手伝うことで損をしたとか得をしたというよりも「雪道で困ったときはお互いさまだべさ」というところがあって、とてもあたたかい気持ちになります。

 北海道には江戸しぐさならぬ「蝦夷(えぞ)しぐさ」があると言われます。江戸しぐさとは「雨の日にすれ違う時お互いに傘をかしげる」などで有名ですが、この「相手を思いやる」動作は、北海道の冬によく見られるものです。大雪が降った翌朝、歩道には細いけもの道。前に歩いて行った人の足跡をたどるように歩いていると前から人が来ます。そんな時はみんな自然に道を譲りあいます。お年寄りや小さな子供連れの人が来るとなおさらで、学生さんだと足が濡れるのもかまわず深雪のなかに足を突っ込んで待っていてくれたりします。「ありがとうございます」「いえいえ」という会話も生まれます。車に乗っていても細い道路では雪の壁にじゃまされてすれちがうことができませんので、やはりお互いに道を譲りあいます。雪かきのときにほんの少しお隣の家の前をやっておくとか、埋まった車を助けるとか、そういう助け合いを「蝦夷しぐさ」と言うようです。「そんなの意識しないで自然に昔からやってるもん」…そうなんです。自然にできている、というのがすごいところですよね。

 さて、今日も雪が降っています。仕事から帰って家の前の雪かきをしているとご近所の方が声をかけてくれます。「また降りましたね~」「いやあ、大変ですね~」…雪が降ると大変だけれども周りの人と会話が増えたりします。長い冬は雪国にとってやっかいなことも多いけれど、その冬の中で自然と出てくる「蝦夷しぐさ」があったり、自然と生まれる会話があったりします。「ああ、また雪かあ」と言いながらも、そんな人のあたたかさを再確認できる雪や冬は悪くないのかも、と思う今日このごろです。

藤原定家が撰集した「百人一首」、カルタ取りで遊んだことがある、という人もいるでしょう。定家が、飛鳥時代から鎌倉時代までの「秀歌」と考えた、古今の名歌が収められていますが、その中に次の二首が入っています。

 

 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之

ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ  紀友則

 

紀貫之は言うまでもありませんが、『古今和歌集』の選者の一人です。また単なる選者と言うだけでなく、「仮名序」を著した人でもあります。晩年に『土佐日記』も書いていますが、和歌の名人として自他共に認める存在だったのでしょう。一方の友則は、やはり『古今和歌集』の選者の一人でしたが、完成を見ずに亡くなってしまった人物です。貫之の従弟あるいは甥と言われる人物ですが、貫之同様、和歌の名人として名を馳せていたのでしょう。

さて、そのような二人が詠んだ先の二首には「花」が取り上げられています。この「花」、何の花か、わかりますか? 和歌の中に何の断りもなく詠まれているから、梅か桜でしょう! と思った人、すばらしい!!

では、梅か桜かどちらでしょうか? 紀貫之は平安時代初期、貞観年間(859877年)中頃の生まれと考えられています。一時代前の奈良時代は中国文化が盛んに輸入され、もてはやされていました。そのため、「花」と言えば、中国から輸入された「梅」のことを指した時代もあります。しかし、その後、「花」と言えば、「桜」のことを指すようになり、今に至ります。ということは、二人が詠んだ「花」は?

 

実は、答えは「百人一首」だけを見ていては、永遠に出ません。この二首、二人が選者を務めた『古今和歌集』にも収められていますが、そちらを見れば一目瞭然なのです。まず、「人はいさ~」の貫之の歌ですが、詞書が次のように書かれています。

 

 初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に久しく宿らで、程経て後に至りければ、かの家の主、「かく定かになむ宿りはある」と言ひいだして侍りければ、そこにたてりける梅の花を折りて詠める

 

ね、これで貫之の歌の花は「梅」であることが確認できます。一方、友則の歌にも詞書があります。

 

 桜の花の散るをよめる

 

 これを見たら、だれも迷わないでしょう。

 

今、様々なことをインターネットで調べることができます。しかし、調べ方を知らないとなかなか事実にたどり着くことができない場合もあります。この二首の花についても、「百人一首」だけの情報で調べ、考えようとすると、とんでもない迷路に入り込むのです(実は、この問題、「とんでもない迷路」に陥った人の話が元ネタです)。

情報を探し出す力は、これから先、ますます重要になるでしょう。一つのことを調べる場合、様々な角度から考えて調べてみる、ということを習慣にしてほしい。

そのように願う、今日この頃の伊藤でした。

今日、こんなことを知りました。猫は爪を引っ込めるのではなく、腱を使って地面から持ち上げているのだそうです。そして、その爪は毛皮に隠されているのです。

猫は前足に5本、後ろ足に4本の爪を持っている。前足の爪は通常、後ろ足よりも鋭く尖っている。

猫の爪は一生涯伸び続ける。野生では、爪を短く鋭く保つために、爪を掻いている。家庭内では、爪を切ることができる。猫の爪は伸びると鈍くなる。猫が何かをひっかくと、爪の外側の鈍い層が引き剥がされ、より鋭いエッジが残ります。カーペットに爪のあとが残っていても、それは爪の外側の層だけです。大型の猫も爪を鋭くするために、通常は木を使って引っ掻く。

猫は爪を握ったり、バランスを取ったりするのに使う。また、獲物を捕まえたり殺したりするのにも使う。爪は内側に曲がっていて、もがいている動物を掴むのに便利である。

猫の爪は腱でつながっている。猫が腕の筋肉をリラックスさせると、爪が持ち上がる。猫の足の指の先には、爪の下部を包む小さな皮のひだがある。完全に引っ込むわけではないので、爪の先は猫の毛で覆われている。毛皮のない猫を見ると、引っ込んでいても爪の先が見えている。

猫は爪が必要になると、筋肉を柔軟にし、腱を強く引っ張り、爪を戦闘態勢に引き込む。

猫が爪を引っ込めるのには、いくつかの理由がある。まず第一に、爪を保護するためである。爪を地面にこすりつけたり、いつも使っていなければ、爪はずっと鋭く保たれる。

もうひとつは、身を隠すため。爪の音がしないほうが、猫は獲物を追いかけやすい。猫は爪先立ちで歩くので、爪が邪魔になるのだ。

爪先立ちで歩く動物は桁行性歩行動物です。人間は足の裏を使って歩く「足底歩行」です。猫の爪は、歩くときには引っ込んでいますが、猫の足の指の形をしています。猫が断爪すると、バランスをとるのが難しくなります。爪は厳密には足指の先端にあり、これを取り除くと猫の足が不自然な角度で地面に接することになります。また、爪で掴んでバランスをとるため、ジャンプに自信が持てなくなります。

大きな猫の爪も引っ込みます。例えばライオンやトラ。しかし、チーターの爪は部分的にしか引っ込みません。というのも、チーターはとんでもなく速いスピードで走るので、トラクションをかけるために爪が必要なのです。

引っ込む爪を持つ動物は猫だけではありません。フィッシャー(イタチの一種)、クサリヘビ、キツネ、そしてニホンオオツノガエルはすべて引っ込み式の爪を持っている。

鉤爪を持つ他の動物は引っ込み鉤爪を持たないが、これは鉤爪を持つ理由によるものである。例えば、犬は獲物を仕留めるために爪を使うのではなく、走るときのグリップのために爪を使う。犬の祖先であるオオカミは、歯で動物を殺します。長距離を走って獲物を消耗させ、そこに飛び乗って歯で仕留めるように進化してきたのです。爪で地面を掴んで走り続け、獲物を掴んで牙で仕留める。爪を引っ込める必要はないのだ。

クマも同じだ。熊の種類にもよるが、爪の長さは7〜13cm。クマにも引っ込める爪は必要ない。森にいるクマは、爪で土をつかむ。また、腐った丸太を割って昆虫を探したり、木に登ったりするのにも使う。クマは雑食で、イヌやネコのような肉食ではないので、爪は獲物を攻撃するためというより、握ったり防御したりするためにある。しかし、魚を捕るときには役に立つ。

ホッキョクグマも長いツメを持っていて、氷や雪をつかむのに使う。ホッキョクグマは実は肉食です。これは必要なことなのです。彼らは寒い北極で自分自身を暖かく保つためにカロリーと多くのアザラシの脂肪を大量に食べる必要があります。そのため、アザラシをつかむために非常に長い爪を持っています。

そのため、大半のツメは引っ込められない。ほとんどの動物は爪を牽引や把持に使っており、巻き取り式の爪は必要ないのです。猫は狩りのスタイル上、引っ込み式の爪が必要です。猫は前脚の腱を緩めて爪を地面から浮かせ、爪を引っ込める。腱を曲げると、爪が降りてきて伸びるのです。と、こんなことを今日は学びました。

石ノ森章太郎さんの漫画「宇宙鉄人キョーダイン」、僕が小学生の時にTVで放映されました。その歌詞の中に「♪一,十,百,千,万,億,兆,京!」という部分があります。僕はこの歌で算数の「位」を覚えました。

 先日、小学校4年生の息子の算数の試験が戻ってきました。㋑の解答をみて驚きました!

「がい?!どこでこんな『位』を覚えたの?」正解は『億』ですね。彼の解答は間違えていますが,僕は息子が「がい」という「位」を知っていることに,とても嬉しくなりました。どうやら僕は自宅でキョーダインの替え歌を歌っていたようです。それを覚えていたのですね。

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1垓(がい)とは,1,0000,0000,0000,0000,0000020個)です。

土星までの距離1,4294,0000,0000m14294m=142940km)は

1429,4000,0000,0000mm14294000mm)です。「垓」はまだ登場しません。

 

ウルトラマンの故郷M78星雲までの距離はどうでしょう?作品の中では地球から300万光年と設定されています。1光年は約95000kmですから、

300万×95000km=300,0000×9,5000,0000,0000 km

=3800,0000,0000,0000,0000km3800km

=380,0000,0000,0000,0000,0000m380m

ようやく「垓」の登場です。とてつもなく大きな数であることが実感できたでしょうか?

 

よく知られている大きな数の「位」として「無量大数(むりょうたいすう)」が有名ですね。1無量大数は1の後ろに068個(※1)つながります。でも、どんな場面でこの「位」を使えばいいのでしょう?想像もできません。

1無量大数を1088乗と解釈する文献もあります。

 

しかし、まだまだ大きな「位」が存在します。「不可説不可説転(ふかせつふかせつてん)」です。

1不可説不可説転は、1の後ろに037,2183,8388,1977,6444,4130,6597,6878,4964,8128個つながります。【37澗(かん)2183溝(こう)8388穣(じょう)1977(じょ)6444垓(がい)4130京(けい)6597687849648128 個 …と読みます】もうこうなっては,何が何だかわかりませんね()

これらの「位」は仏教用語からきています。

 

数字の世界はこれで終わりません。まだまだ大きな「位」があります。

googol(グーゴル)」という位があります。あれっ?なんか聞いたことがありますねぇ…そうです、Googleです。社名の由来が「グーゴル」です。

1googol 10100乗です。1不可説不可説転よりは小さいですが、さらに「googolplex(グーゴルプレックス)」「googolplexplex(グーゴルプレックスプレックス)」と続きます。

googolplexは、101 googol

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1 googolplexplex10の1googolplex乗です。

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で、さらに……って、もういいかな?()

 

 ちなみに、みなさんにも馴染みのある「位」として、

 1M(メガ)=100万、1G(ギガ)=10億、1T(テラ)=1兆 があります。ちなみにテラの続きは、1P(ペタ)=1000兆、1E(エクサ)=100京、1Z(ゼタ)=10垓、1Y(ヨタ)=1です。近年のPCの進化はものすごいですから、これらの「位」もすぐに登場するのでしょうね。

 

僕の大好きな俳優:マイケル J フォックスさんの主演映画「Back To the Future」、主人公マーティーが未来に帰るために必要な電力が非常に大きく、友人ブラウン博士が驚く場面があります。「1.21GW(ジゴワット)!!!!!1.21GWだと!!!!????」

これは「ギガワット」のことです。12.1Wということですね。タイムトラベルにはこれほどの電力が必要だということです。

また、Part3で恋人を失ったブラウン博士が「100万人に1人、10億人に1人、いや、1グーゴルプレックス人に1人の女性だった …」と嘆くシーンがあります。とても大切な人だったのですね。

 

そもそも数は無限にあることがわかっています。ですから「位」にも終わりがないわけですね。終わりのないものを追求するのは、一見大変そうに思います。しかし、好きなことなら、それは楽しみに変わるのでしょう。

みなさんにとって、終わりのない追及は何ですか?

ミツバチは冬を越すための食料を蓄えるためにハチミツを作る。

花は動くことができないので、繁殖のために昆虫を必要とする。受粉のためには、ある花の花粉が別の花に届かなければならない。そのためには、花粉を昆虫の毛にくっつけるのが一番です。この昆虫が別の花に行くと、この花粉が叩き落とされ、その花に受粉することになる。他の花に受粉させるために、花は昆虫に訪れてもらう方法を進化させた。花は蜜と呼ばれる糖分を含んだ液体を作る。

ハチミツはこの蜜から始まります。蜜はほとんどが水分で、ショ糖、ブドウ糖、果糖が含まれている。また、ビタミン、油分、アミノ酸なども含まれています。甘さは植物によって異なるが、最も甘い蜜は糖分濃度が50%になることもある。蜜にはミツバチを引きつける香りがあり、また蜜が反射する紫外線を見ることができる。

採集蜂は花に降り立ち、長い口吻で蜜を吸い上げる。蜜はそのまま胃の第一の部屋に入っていく。これはproventriculusと呼ばれています。彼らは一度に蜜の80ミリグラムまで運ぶことができます。胃の中に入ると、酵素がショ糖を単純なフルクトースとグルコースに分解し始める。また、別の酵素が花蜜の酸性度を上げ、バクテリアから花蜜を保護する。

採餌蜂は生後3週間で飛び始め、生後7週間まで生きる。平均的な巣箱には1万から5万匹のハチがいるが、そのうち約30%が採餌蜂である。彼らは看護バチとして開始されます。彼らは女王の卵のためのワックスセルをきれいにし、彼らは幼虫に蜂蜜と花粉を供給します。彼らは、女王の世話をする。彼らは生後3週間、看護師の蜂のほとんどの脳の遺伝子の発現が変化し、彼らは飼料用蜂になります。

そして、採餌蜂は巣に飛んで帰っていく。蜜がたくさんある花を見つけると、その場所を他のハチに伝えるためにダンスを披露する。このダンスで、距離、方向、蜜の量を伝える。

その後、採餌蜂は巣箱に入り、蜜を手放す。それを働き蜂の口に吐き出す。この間、採餌蜂と働き蜂の触角は常に触れ合っている。これが彼らのコミュニケーション方法だ。すべての蜜を受け渡すと、採餌蜂は少しの蜂蜜でエネルギーを補給し、再び採餌に飛び立ちます。採餌蜂は平均して1日に約12回の旅をします。明らかに、彼らは花が近ければより頻繁に出て行くでしょう。巣箱から5km先まで飛ぶこともできますが、収穫した蜜をすべてエネルギーとして使わなければならないので、彼らにとってはあまり意味がありません。

働き蜂は、蜜を自分たちの間で、口から口へと受け渡し始める。蜜を渡すたびに、少しずつ水分が減っていく。これを繰り返して、蜜の水分が18%になる。これがハチミツである。水分が少なく、酸度がやや高いので、細菌やカビが繁殖することはない。

働き蜂は、このハチミツを蝋の部屋に押し込んで貯蔵する。働き蜂は、腹部から分泌される液体で部屋の入り口を密閉する。これが固まって蜜蝋になる。これは、蜂蜜の気密性と水密性を保持します。この方法で保存された蜂蜜は、非常に長い時間のために続くことができます。

ミツバチは自分自身を養うために蜂蜜を使用し、夏までのランアップで幼虫を養う。その後、彼らは蜜を収集し、彼らは冬を乗り切るための食品の大規模なストアを持っているように、すべての夏の間に狂ったように蜂蜜を作る。12匹のミツバチが一生の間に作ることのできるハチミツの量は、およそティースプーン1杯分。つまり、朝食のトーストにハチミツをかけるということは、約100匹のミツバチのライフワークを食べていることになるのです。ありがたいことです。

で、育児蜂は生後3週間で採餌蜂になる。採餌蜂は外に飛び出し、植物から蜜を収穫する。それを胃袋で分解して働き蜂に渡す。働き蜂は蜜を口から口へ運び、水分のほとんどを蒸発させ、蜂蜜を作る。そのハチミツを冬の間の食料として蜜蝋細胞に蓄えるのです。そして、これが今日私が学んだことです。

寒い季節になってきました。この時期、夕食に鍋料理を作る機会は多いのではないでしょうか。そして、その鍋の中身が少し余ることがよくあります。それを何とか次の料理に、生かすことができないかということを考えていました。あるとき、ネット検索をしていると、簡単、おいしい、時短の3つの条件を満たす料理がのっていましたのでシェアしたいと思います。

①1日目 夕食(めんつゆの鍋)

まず、冷蔵庫の中にあまっていた具材がキャベツ、タマネギ、ダイコン、しめじ、厚揚げ豆腐だったので、今回はこれを使います。

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切った具材を鍋の中に投入します。

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右のめんつゆと、左のだしが味の決め手となります。左のだしは、袋を破ってそのまま半分を鍋に入れます。そうすることで、だし汁をとることなく、時短で深い味わいをつけることができます。

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だしには、かつお節、焼きあご、うるめいわし、コンブ、海塩が入っていて、高級店の味が出ます。めんつゆも、だしも全て天然のものを使っているので、とても体に優しいです。ふたをして、15分ほど煮れば、できあがりです。

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②2日目 夕食(和風カレーうどん)

 次の日は、とても簡単です。ベースとなるスープがすでにあるので、うどんとカレールーを2,3かけら入れるだけです。

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10分ほど、火にかけてほぐすと完成です。

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③3日目 朝食(カレーリゾット)

 最後のしめは、冷凍ごはんと残りのカレーを5分ほど煮て出来上がりです。粉チーズをかければ、最後まで楽しめるカレーリゾットになります。

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冬休みが始まりました。長期休みは生徒にとって楽しみな時間であることは言うまでもないと思いますが、教員である私にとっても、ゆっくりと趣味に没頭できる時間をとることのできる貴重な期間です。ビーズアクセサリーづくり、けしごむはんこづくり、編み物、書道、漢字検定1級取得に向けた勉強、読書、カリグラフィー、硬筆ペン字……なんといっても、何かと時間のかかる趣味の多い人生です。一日が40時間くらいあれば……と何度思ったかわからない日々を過ごす私には、冬休みは最高の時間を過ごすことのできる機会です。

本当は全ての趣味において私を魅了する所以を語りたいところですが、紙幅に限りがあるので、今回は人生の大半に渡り、関わってきた書道に絞ってお話します。

 

書道との出会いは小学1年生の夏、お隣のお姉ちゃんが通っていた習字教室に通い始めたことでした。その後、高校生まで習字は続けていましたが、部活に入り、本格的に力を入れ出したのは大学2年になってからでした(中高時代は帰宅部でした)

大学で書道部に入ったことで、私の暮らしは大きく変わりました。書道の授業の時間の他にも、先生に声をかけていただいた展覧会に出すために徹夜で書き続けたり、ほかの授業の合間に部活の友だちと作品書きをしたりと、趣味の範疇を超え、書道が生活の中心になっていきました。

そのような日々を過ごす中で、だんだん、習字で作品を作るのと、書道で書作品を書き上げるのには、違いがあるように感じ始めました。ただ、きれいに書ければよいわけではなく、一枚の紙の中に、自分の表現したい世界を作る。納得のいく作品ができるまで何十回も、下手すると何百回も書き続ける。書道は追求の美だと感じ、魅了されてゆきました。

また、何より書道のすごいところは、何千年も前に書かれた作品が、21世紀を生きる私たちを感動させる力を持っていることだと思います。一番、書ってすごい!と感動したのは、大学4年の時です。就職試験で東京に行った際に上野の国立博物館で、小島切という仮名の作品展示を見る機会がありました。約千年以上前に書かれた線が、ほの暗い展示室で鮮やかに、ありありと私に迫ってくるかのように輝いて見えました。千年前に書かれた文字が、長い時を経ても、人を感動させる力を持っているということに激しく心を揺さぶられた記憶があります。

古い作品だけでなく、現代の書にも同じ力があります。どこがすごいという説明抜きに、作品を目の前にした時に圧倒されて、言葉を失ってしまう。いつまでも作品が頭に強い印象を残し、思い出すと「すごいなあ」とじわじわと感動が押し寄せる。そんな作品にも何度も出会うことができました。

 

大学を卒業し、社会人になる時に先生に「まずは10年続けること。仕事や自分の生活が忙しい中でも10年やめずに頑張れれば、その後は一生続けられるから」と言われました。その言葉を支えに、必死に仕事の合間や休みの日を書道に入れ込んだ10年を過ごしました。残念ながら、10年経った頃にちょうど子どもを産んでからは、すっかり以前の書に対する勢いは衰え気味で、最近は月に一度、競書に出す作品書きをしたり、部活の際に部員たちと書いたりする程度しか時間を取れなくなってしまいました。現在は趣味と呼ぶのにふさわしい状態です。

今の私の目標は、「細く長く続けること」。今はなかなか時間を取れなくても、細く長く続けていれば、いつかまた、ゆっくりと書道に向き合う時間を作れる日が来るかもしれない。そして、いつか、自分の書いたものが、誰かの心に残るような作品を書けるようになりたい。そんな気持ちで今は大切な趣味の一つとして書道と付き合っていきたいと思っています。

2021.5.21木村先生のブログ 

「40歳を過ぎ私の体にも陸上では一切必要とされていない浮き輪がおなか周りについてきた。」全く以って同感である、、、、、、

20202月後半から休校、そして4月やっと新年度がスタートできたと思いきや、またもや休校。

教室で声を張り上げる授業もできず、部活もなく、在宅勤務も増え、食べすぎないようにと気をつけてはいたつもりだが、やはり不必要な浮き輪が膨れてきた。

お家時間が増え、気持ちはへこむが、浮き輪はへこまない。

これではだめだと「走る」ことを決意。元々野球人の私にとっては走ることは野球をするためのトレーニングの1つで「仕方なく」やっていたものである。だから決意といっても決して無理はせず、きつかったらすぐ歩く、休むことを自分の中のルールとした。

 1日目、やはり走り始めてすぐに息が苦しくなる。赤信号が待ち遠しい。あのスーパーまでは走ろう!!と決め、そこにつくと走るのをやめ散歩で帰宅。ちなみにどのくらい走ることができたのかと無料アプリ「キョリ測」で調べてみると「1km」。「これだけ?!」「まあそんなものだろう」

 同じコースで3日間。そして4日目の朝、突然かかとに激痛が走った。筋肉痛とは違う謎の痛み。学校に行くにも足を引きずるような歩き方。理由がなんとも情けないので、先生たちにバレないように過ごす。「まあ1日安静にすれば治るだろう。」ところが、この痛みが1週間続いた、、、、、

やっと痛みがなくなり、ジョギング再開、しかし根本的に足の筋肉がないから痛みがでてしまったのだと思い、まずは「歩く」すなわち「散歩」から始めることを決めた。毎日60分、学校に出勤するときに遠回りをしたり、近所でも普段あまり使わない道を歩いてみたり、あまりいいことではないかもしれないが、宮の森の高級住宅街を見てみたり(もちろん不法侵入などはしてないです。)

約1か月、60分を70分、80分、90分と時間を増やしながら「散歩」を続けた。夜「パパ散歩は?」と娘に言われるほどになった。

そうして、「あの信号まで走ってみようかな」「あの店まで走ってみようかな」と少し「走る」ことを途中に入れることにした。また足に痛みがくることは避けたいので、決して無理はしないという自分のルールは守りながら、「今日は5分走ってみよう。」「今日は10分走ってみよう。」と走る時間を増やしていった。あるブログで「有酸素運動の場合、開始してから20分後から脂肪が燃焼する」と書いてあり、20分以上を1つの目安として、「今日は倍の40分走れた!!」なんてことを考えながら走る(ときどき散歩)ことを続けた。

こういう生活を続けて約3か月、ついにやってきた「北海道の冬」、、、、

この生活の中で口癖ができた。口癖と言っても心の中の独り言だが、「せっかく~から」。正直走るのが面倒だなと思うとき「せっかくランニングシューズ買ったから」、疲れてきて歩きたくなったとき「せっかく浮き輪がへってきたから」、北海道の冬、外はマイナスの気温のときや大雪の降った次の日など「せっかく冬用シューズ買ったから」と自分に言い聞かせるように「せっかく~から」を心の中でつぶやきながら走った。そうして、冬が終わり新年度が始まった。ところで自分はどれくらいの距離を走れるようになったのだろう?と日によって距離は違うもののそのときの一番走れたコースをまた無料アプリ「キョリ測」で調べてみると「10km」。今も無理はしないルールで「せっかく1年続いたから」と心の中でつぶやきながら走っています。

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