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先週、誕生日がきた。授業中に「おめでとう~!」と生徒が言ってくれたので、大きな声で「ありがとう~。55才になりました!これからもGOGO!って感じです。」と元気よく言ったら、シーンと静まり返った・・。よくある空回り・・・。

宮崎駿の『風の谷のナウシカ』がヒットしたのは高校時代だった。ナウシカというカタカナ表記に、ナウマンゾウとシカがオーバーラップ、得体のしれない映画に思えて気持ちが向かわなかった。教員になってすぐ、たまたま見る機会があり、風を操るナウシカの真っすぐで清らかな在り方にすっかりとりこになった。

「風の谷」のモデルになった谷がパキスタンにあると知ったのはつい最近(といっても10年ぐらい前)のこと。どんなところなんだろう・・・と、ある夏行ってみることにした。

パキスタン北部の山岳地帯にあるフンザは人口15000人ほどの小さな村だ。トレッキング目的の旅行者やバックパッカーが訪れる、知る人ぞ知る観光地。急峻な山脈を縫うようにフンザ川が流れ、「風の谷」を形成していた。夕暮れ時にゲストハウスの窓から見えた「風の谷」は、うす紫色に染まった空に、白い小さな月が浮かび、ただただ美しくて涙がこぼれた。

翌日、4-5キロ離れた市場まで行ってみようと思ったが、路線バスもタクシーもない。現地のパキスタン人にきくと、「SUZUKIに乗れ~」と。鈴木?日本人と悟られて、からかわれてるのかと思ったが、パキスタンでは乗り合いバスのことを「SUZUKI」と呼んでいるそう。バス停はない。道端で手を上げたら止まってくれて市場まで乗せてくれるミニバンのこと。ちなみにメーカーはSUZUKIとは限らない。

10分ほど待つと、すでに7-8人の乗客を乗せた「SUZUKI」がやってきた。ぎゅうぎゅう詰めの座席に乗り込む。となりは私より年上に見える一人旅の女性、韓国人のナヤだった。英語が堪能で話がはずみ、いっしょに市場へ行くことに。「野菜を買ってキムチをつけるけど、手伝ってくれる?」と聞かれ、出会ってすぐ一緒にキムチをつけるなんて旅の醍醐味、「もちろん!」と答えた。その日は、韓国からの若者バックパッカーたちのために韓国料理を作る、と言ってはりきっていた。市場を二人でぶらつく。パキスタンに白菜があるはずもなく、結局カブをたくさん買い込んで、ナヤのゲストハウスへ。帰りも「SUZUKI」を止めて乗り込んだ。

ナヤの指示通りにカブをうすく切り、バスルームのバケツにどんどん入れていく。キムチの素は韓国食材店のある大きな町で買っておいて、ペットボトルに入れていつも持ち歩いているとのこと。真っ赤なキムチの素をバケツに注ぎ、カブを手で混ぜた。ご飯も炊いて、わかめスープと玉ねぎの酢漬けも作った。夕方になると韓国人の若者が4人でやってきて、私とナヤがつけた浅漬けキムチをおいしそうに食べた。パキスタンの山奥の村で思いがけずふるまわれた故郷の味に皆笑顔がこぼれた。ナヤも満足そう。私にはちょっと辛すぎたけど・・・。

ナヤは、定年を待たずに55才で小学校の教員を辞めてこの旅にでた。5年間の旅!体力がまだあるうちに一人旅がしたいと、夫と息子を説得し、退職を決め、フィリピンから東南アジアを回り、インドからパキスタンに入った。この先は中央アジア、中東そしてヨーロッパへ、あと3年かけてユーラシア大陸を横断するという。

2日後、帰路につく前にナヤに会いに行った。楽しかったキムチづくりのお礼を伝え、行く先々で人びとに愛情を届けながら逞しく歩き続ける彼女の旅の安全を祈り、ハグして別れた。

誕生日が近づくにつれてナヤのことを考えるようになった。5年間の旅はどうだったんだろう。旅を終えてどんな人生を送っているんだろう。今も沢山の人たちを幸せにしているだろうか。

「風の谷」で出会ったナヤに55歳の自分を重ねて、この先に広がる未来を空想してちょっとワクワクしている。

異常気象かと思うくらい暑かった夏も過ぎ、季節はもうあっという間に秋になってしまいました。最近は朝起きると空もまだ暗く、時には冬の香りもするので「もう一年も終わりに近づいているんだなぁ…」としみじみ感じています。

 みなさんの夏の思い出と言えばなんですか?「海」「キャンプ」「オリンピック」など様々あると思いますが、私の夏の思い出は「ゴーヤ」です。ちなみに、タイトルにもあるMomordica Charantiaは、英語でゴーヤのことを意味します。

 なぜゴーヤ?沖縄でもないのに?と思った人もいるかもしれませんが、私の実家では毎年夏になるとゴーヤを植えて育てています。

最初は通常の家庭菜園と同じように鉢植えから始まるのですが、一日一日少しずつ時間をかけて大きくなっていき、最終的には自分の身長よりも高いところまで伸びていきます。

近くで成長を見ていると、だんだんと愛着が湧いてきて、今日はどのくらい大きくなっているだろうかと毎日の楽しみになってきます。

 ゴーヤは皆さんも知っている通り、栄養たっぷりの野菜です。主に含まれる栄養分としては、高血圧やむくみを予防するカリウム、貧血予防になる葉酸、そしてビタミンC。今挙げただけでもたくさんありますね。

そして、ゴーヤは「苦い野菜」のイメージが強いと思いますが、実は、その原因である「モモルデシン」という物質による苦みによって食欲を増進してくれる働きもあるのです。

 そんなこと言われてもやっぱりその苦みが嫌い…という人のために、今回は私のおすすめのゴーヤの食べ方3つを紹介したいと思います。

それは、① ゴーヤの鰹節和え、② ゴーヤのツナマヨ、③ゴーヤチャンプルー

です。

どれもお手軽に作れますし、おかずの一品としてもぴったりなので、ぜひ作ってみてくださいね★

 食材にはそれぞれの美味しさがあります。せっかく人として生まれて食事を楽しむことができるのだから、できる限り多くの魅力を発見していきたいと思います。

また、世界中にはまだまだ食べたことのない食材や料理がたくさんあります。

食欲の秋ということで、これからどんな新しい食べ物に出会えるか楽しみです。

そしてまた来年、ゴーヤの成長を間近で見られる季節が今から待ち遠しいです。

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土曜日の朝です。目覚ましが鳴ると、私はただベッドの中にいたいと思う。自分のベッドの中は暖かくてリラックスできる。でも、ベッドから出れば、下で何か特別なことが待っていることを思い出した。
私はベッドから這い出て、コーヒーを飲み、歯を磨き、シャワーを浴びる。着替えているうちに、エネルギーレベルが上がってきます。家を出ると、足取りが速くなる。ガレージのドアを開けると、そこには私のバイクがありました。
なぜバイクに乗るのがそんなに好きなのかとよく聞かれます。バイクに乗らない人に説明できることではありません。それは、手首を動かすだけでエンジンが唸りを上げ、その力の大きさを実感できるからだと思います。車のようにただ見ているだけではなく、道の祭りに参加すること。風、虫、雨、におい、音。丘の上に乗って、頂上を越えてしまうのか、それとも単に空に飛んでいってしまうのかわからないことです。
私の乗馬歴は39年になります。私は39年間バイクに乗っていますが、バイクから多くのことを学んできました。学んだことは、言葉ではうまく表現できません。私にとってライディングは精神的な修行です。私にとってバイクに乗ることは精神的な修行であり、神や世界、さらには宇宙に近づくためにすることなのです。次の39年も楽しみにしています。

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私の名前は 佐野 羽美(うみ)。雑種の女の子。別海町出身。年齢は獣医さんがだいたい9歳 ~ 11歳だって言ってた。性格は超~びびり。人がたくさんいるのは怖い。特に子どもは苦手。犬を連れて歩いている人はまだ平気だけど、自分からできれば構わないでいてほしい。毎日、朝と晩に散歩に行くけれど、一番楽しい散歩は夜中に人も車もいない静か~な時間に飼い主さんと二人っきりで歩く時間。アスファルトよりも土や葉っぱの上を歩くのが気持ちいい! 雨も気にならないし、雪は大好き! ふわふわの雪を食べたり、掘ってみたり、興奮してつい走っちゃう。台風でも吹雪でも毎日かならず散歩に行く。でも、ある程度歩いたら、できるだけ早く家に帰りたい。私の家。私の家には私専用のケージとベッドがある。ふかふかのベッド。誰にも邪魔されずに横になっていつでも好きなだけ眠っていられる。新鮮な水がいつでも飲めるし、毎日、カリカリのフードに茹でた野菜や好物のササミや鹿肉がのったおいしいごはんが出てくる。デザートやおやつもついてる!

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今の家に来る前は長沼の認定NPO法人である動物愛護団体「しっぽの会」に他のたくさんの犬や猫と暮らしていた。そこに来る前は道東の別海町にいた。飼い主はいない。家もない。人につかまるのは怖い。他の野犬や野生動物に襲われるのも怖い。いつもビクビク、気を張ってぐっすり眠ったことがない。いつもお腹が空いていた。何とか生き延びてこれた。ある日、赤ちゃんを産んで、かわいい男の子が6匹のお母さんになった。お乳はあまり出ない。人間が来た!逃げたかったけど、まだ目も開いていない赤ちゃんたちを置きざりにはできない。人間に捕まって、役場に連れていかれて、もうだめだと思っていたら、町の人たちが世話をしてくれて気がついたら、「しっぽの会」で安心して子育てすることができていた。助かった! 子犬たちが一人前になって、みんな優しい里親さんが決まって、家ができた。私は臆病で人も怖いから、誰かきてもすみっこで震えてた。吠えることもできなかった。でも、少しずつ会のスタッフやボランティアの人と散歩の練習をした。

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ちょうど4年前、私にも家ができた! 飼い主さんは数か月の間、週末になると私に会いに来て、一緒に散歩するようになった人だ。初めは知らない人と歩くのは緊張して嫌だったけど、だんだん慣れてきた。急に触ったり、大きな声をだしたり、無理に引っ張ったりしない。私が嫌がることはしないから悪い人ではないと分かった。子育ても終わったから、今度は私がこの家の子になってもいいのかなー。20179月、私を迎えにきてくれた。不安はたくさんあったけど、札幌にやってきた。どきどき。きょろきょろ。

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私のケージからリビングが全部見える。私のベッド。ピンクでふかふか。新しいリードと赤いハーネス。これは何だろう? 遊んでいいの? 犬のおもちゃだって。振り回してみよう。ブンブン。ちょっと破れちゃったけど、楽しい! おもちゃはすぐボロボロになっちゃったけど、飼い主さんは笑って見てる。私も嬉しくてしっぽをぶんぶん回してみる。ヘリコプターみたいに。――― それから毎日、散歩して、おいしいごはんを食べて、新鮮な水を飲んで、ブラッシングですっきりしたら、ゆっくりぐっすり私のベッドで眠る。静かな時間。飼い主さんの車の音! 帰ってきた!玄関まで迎えに行こう!「おかえり~、ちゃんとお留守番してたよ~」ぶんぶん。なでなで。ぶんぶん♪ そういえば、『犬の十戒』って知ってる? 私の飼い主さんは絶対守るって誓っていた。

 

『犬の十戒』 (「The Ten Commandments of Dog Ownership)

1   私の一生は、10年〜15年くらいしかありません。ほんのわずかな時間でも、あなたと離れていることは辛いのです。私のことを飼う前にどうかそのことを考えてください。

2   私が「あなたが私に望んでいること」を理解できるようになるまで時間が必要です。

3   私を信頼してください。それだけで私は幸せです。

4   私を長時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないてください。あなたには仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう。でも、私にはあなただけしかいないのです。

5   時には私に話しかけてください。たとえあなたの言葉そのものはわからなくても、私に話し掛けているあなたの声を理解しています。

6   あなたが私のことをどんな風に扱っているのか気付いてください。私はそのことを決して忘れません。

7   私を叩く前に思い出してください。私はあなたの手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるということを。私はあなたを噛まないようにしているということを。

8   私のことを「言うことを聞かない」「頑固だ」「怠け者」だと叱る前に、私がそうなる原因が何かないかとあなた自身考えてみてください。適切なごはんをあげなかったのでは?日中太陽が照りつけている外に長時間放置していたのでは?心臓が年を取るにつれて弱ってはいないだろうか?などと。

9  私が年を取ってもどうか世話をしてください。あなたも同じように年を取るのです。

10  最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送ってください。「見ているのがつらいから」とか「私のいないところで逝かせてあげて」なんて言わないでほしいのです。あなたがそばにいてくれるだけで、私はどんなことでも安らかに受け入れられます。そして、どうか忘れないでください。私があなたを愛していることを。

 皆さんの好きな遊びは何ですか?小学校や中学校、年代によって様々なものがあると思います。大人の皆さんは、子供のころに流行っていた遊びは、何でしょう?もちろん年代によって違いはあったり、現代ではパソコンやスマホが流通しているので、特に子供たちにはネットでゲームをしたり、YouTube等で好きなアイドルやアーティスト、アニメなどの動画を見る人が多いかなと思います。コロナ禍の現在、お家で過ごして遊べるようなことは安全で良いと思います。オンラインでお友達とコミュニケーションを取ることも、容易に出来ますね。とても便利ですね。

 しかし、外で過ごすことも魅力的であると、私は感じます。私の子供時代を振り返ってみると、家で弟や友達とテレビゲームで遊ぶことも好きでしたが、やっぱり外へ出て体を動かすことが、何よりも楽しかったと思います。小学校時代は、近所の公園でどろけい、野球やサッカー、冬は雪合戦に熱を注いでいました。そんな子供時代の思い出を最近は、とても懐かしく感じる瞬間が多いです。私には2歳になる息子がいます。息子は公園で遊ぶのが大好きで、いつも「今日はどこに行きたいの?」と私が聞くと、必ず、「こーれん!こーれん!(公園のこと)」と返してきます。時間があるときには、息子を連れて近所の公園に行くのが日課になっています。子供たちがたくさん遊んでいる時間帯は避けながら、午前中の早い時間や夕暮れ時に行くことが多いですね。息子が好きな遊びは、滑り台、ブランコ、ジャングルジム、砂遊びなどなど。その様子を私は危険がない限り、基本は見守っています。その様子の中で、大人になっていろいろな魅力を感じます。滑り台やブランコは、誰かが使っているとその子が使い終わるまで、順番待ちをしますね。まだ息子が1歳の時には、自分の番が来ないとぐずったりしていましたが、保育園などでも教えてもらっているんでしょうね。今では、誰かが使っていると「じゅんばんばん!」と言って、順番待ちをしている様子があります。人間の成長ってすごいと感じる瞬間でした。公園には、子供たちだけではなく、犬を散歩に来る人も多いです。うちの息子は犬を発見するセンサーがあり、犬がいた瞬間に、「ワンワン!いた!」と大きな声で言います。私犬は好きなので、かわいいなあと見ていると、飼い主さんがわんちゃんと触れ合いをさせてくれる時もあります。少しお話をしたりなど、コミュニケーションの場にもなっています。また、時間があるときには、家から離れた大きい公園に行くこともあります。木々やお花が綺麗だったり、広い芝生なども心が落ち着きます。車の音もあまりしないので、安らぎの時間にもなります。公園によって、景色は様々です。それぞれの魅力があると思います。

 子供から大人まで、公園はいろいろなことを感じさせてくれる存在ではないかと思います。近所の公園に行ってみるのも良いでしょう。Googlemapで「公園」と検索するだけで、現在地周辺の公園から、少し遠い場所まで、調べることもできますよ。様々な発見や出会い、自分のお気に入りの場所が見つかるかも知れません。もちろん感染症対策はしっかりと。帰ってきたら、手洗いを忘れずに。

新体操を始めたのは中学生になったとき、部活は体操競技がやりたかったけど「練習になるからと」顧問の先生、体操競技の練習のつもりで始めたのが私の新体操人生の始まりでした。当時の新体操は徒手体操に手具を持ったかんじのもの。今の新体操とは大きく違っていたように思います。1年生ですから文句もいえずいわれるままに一生懸命練習した記憶が有ります。その後、新人戦からは念願かなって体操競技に没頭しました。得意種目は床運動と跳馬でした。ですが頑張りすぎて怪我をしてしまい大会に出られたのは3年生の最後の中体連でした。思うような演技が出来ず散々な結果、では高校生になったらと…ここでも体操競技部に入ろうとしたら、学校では専門の先生がいないという理由で新体操を薦められます。

私のやりたいのは体操で新体操ではない!。なぜかと聞かれたとき中学のときの団体でとても嫌な思いをしたからと伝えたら個人の種目をするように勧められ、その時入部した1年生のほとんどが退部しており残っていたのは私ひとり(どうしよう私が辞めたら部活がなくなるかも…どうしてそう思ったかはわかりませんが)とりあえずやってみるか。ここではじめて自分の意志で新体操をやることになりました。前置きが長くなってしまいましたが、3年目にしてやっとです。自分でやると決めてからは何にも優先して新体操やめて行った仲間にもう一度声をかけひとり、興味のありそうなクラスメイトを誘い二人目、マネージャーならと言ってくれた友人と先輩が3人で体操部再出発。人生何があるかわかりません。いまのように社会体育、ジュニアクラブが沢山ありどんなスポーツも小さな時から選んでやれる環境ではなかったので学校の部活が全てでした。専門のコーチがいるわけでわないので先輩方が教えに来てくれました。叉、年に1度、県の強化練習で東京から大学のコーチの方が指導に来て下さいました。その素晴らしいこと❤初めて本物の新体操を目の前に、さらにのめり込んでいきました。(こうなったら止まらないのが私です。)その後大学進学の時もあの指導にきてくださった方のいる大学へ、そしていまに至ります。自分が始めた頃の新体操とはずいぶん変わりましたが、指導できないから、わからないからでは生徒が可哀想、ルールの勉強も、審判の資格も他の人には…という思いでやってきました。最初はまるでやる気がなかった新体操との出会いでしたが、新体操を通してたくさんの人と出逢い、沢山の経験をすることができたのはやっぱりあの時の出会いがあったからなのでしょうね。

だから私はいつも思うのです。出会いはいつどんな時でも、その人にとって必然の出会いなのだから大事にしよう。いまの出会いが未来の貴方の大切な出会いになるかもですね。

 今まで普通にできていたことができなくなったり、生活のリズムや周囲の雰囲気が変わって、戸惑いや不安な思いを感じる時があるかもしれません。そんな今は少し意識をして自分のペースを守り、深呼吸をしたり体を動かしたり好きなことをして、それぞれ自分の心と体を守って欲しいです。皆さん、無理しすぎないでくださいね。それに加えて、私のおすすめはお祈りです。

 お祈りにも色々あります。かしこまったお祈り、人前でのお祈り、自分だけしか知らない切実な秘密のお祈り、友だちに語りかけるような気楽なお祈りなどなど。皆さんも、大きな何かに向かって祈ったことがあるのではないでしょうか。

 聖書には、私たちと世界を造られた創造主なる神がおられて、私たちの祈りにも耳を傾けてくださると書いてあります。優しい天のお父さんです。この天の父なる神に、私たちの正直な思いや願い事を打ち明けてみてはいかがでしょう。上手く話さなくちゃと考える必要はありません。子どものように素直な気持ちを伝えるのがコツです。

 すぐに祈った通りになるとは限りませんし、その通りにならないことの方が多いかもしれません。それでも、その祈りは確かに聞き届けられ、私たちが思う以上に覚えられていて、最善の時に最善の形で応えられることが多いと思います。それに、祈ること自体が、自分を取り戻す時間にもなるはず。ぜひともお祈りを通して皆さんの心が守られますように!

 最後に有名なお祈りを幾つか紹介したいと思います。高尚過ぎて私には…そう感じるかもしれませんがご心配なく!このようなお祈りもあるのだなということで。May God be with you!!

 「フランチェスコの平和の祈り」
主よ、わたしを平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、争いがあるところに赦しを、分裂があるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、誤りがあるところに真理を、絶望があるところに希望を、闇あるところに光を、悲しみあるところに喜びを。
ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
 理解されるよりも理解する者に、愛されるよりも愛する者に。それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、許すことによって赦され、自分のからだをささげて死ぬことによって とこしえの命を得ることができるからです。

「ニーバーの祈り」
神よ、 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

「マザーテレサの祈り」
主よ、きょう一日、貧しい人や病んでいる人を助けるために わたしの手をお望みでしたら きょう、わたしのこの手をお使いください。
主よ、きょう一日、友を求める人々を訪れるために わたしの足をお望みでしたら きょう、わたしのこの足をお使いください。
主よ、きょう一日、優しいことばに飢えている人々と語り合うために、わたしの声をお望みでしたらきょう、わたしのこの声をお使いください。 
主よ、きょう一日、人は人であるという理由だけで どんな人でも愛するために、わたしの心をお望みでしたら きょう、わたしのこの心をお使いください。

「夏が来れば思い出す 遙かな尾瀬 とおい空」(江間章子作詞、中田喜直作曲)

私が思い出す夏の思い出は、やはり吹奏楽コンクールです。生徒と一緒に泣いたり笑ったりする活動は何にも代えがたいものです。いまだに、「あの時のコンクールでは大変でした…」などと卒業生と思い出話に花が咲くこともあります。

本校の吹奏楽部は、部員数の減少にも負けず今年もコンクールに挑戦し、F.レハール作曲のワルツ「金と銀」を演奏して銀賞を受賞することができました。今回は、プロの作曲家に依頼し、生徒たちの様子を伝えた北星女子スペシャルアレンジで取り組みました。当初は参加することすら危ぶまれていましたが、コンクール後の振り返りでは「このままでは参加は無理」「みんなの意識も低くて」から「どんどん上手くなってきて」「みんな意欲が出てきて凄いと思った」「今までのコンクールで一番楽しかった」など、生徒たちの“大きな成長”というには言葉が足りない“驚異的な成長”を遂げることができたコンクールでした。

時期を同じくして行われた、東京オリンピック2020は感動の連続でした。感動の理由は何だったのでしょうか。メダルラッシュだから?勝っても負けても礼儀正しい選手たち?感動の理由は、アスリートたちの自己へのチャレンジする姿だったのではないか、と私は思っています。自己へのチャレンジが感動を与えたのは、オリンピアンだけではなく吹奏楽部員の頑張りも遜色ないものでした。決して長いとはいえない学生生活、みなさんも是非部活動に参加し、自己へのチャレンジを楽しんでみてはいかがでしょう。

本校では中学1年生の行事でJICA札幌の「ほっかいどう地球ひろば」を訪問します。海外協力隊で活動した方からお話を伺ったり,施設内の様々な仕掛けに触れることで,JICAの活動や世界の現状について,学びます。ちなみに,併設されているレストランカフェ「地球こうさてん」ではリーズナブルなお値段で,世界の様々な美味しい料理をいただけます。機会があれば,是非訪れてみてください。

さて,コロナ禍で大変な状況で中止や延期する行事も少なくないなかで,今年度も7月に私たちを受け入れてくださり,無事に訪問することができました(JICA札幌の皆さま,本当にありがとうございました!)。そこで,私も生徒と同様に施設を探索しているなかで,ある展示()に目が留まりました。それがこちら!

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その名も『くらして初めて知ったどローカルごはん 日本で作れる世界のレシピとお話』です。

中身をパラパラとめくってみると,世界各国の料理が地域別・国別にその国を訪れた人の思い出・エピソードと共に紹介されています。これは面白そう!と感じ,帰宅後に即座にAmazonで購入しました。海外旅行にも気軽に行けない昨今,掲載されている料理やエピソードを見るだけでも異国情緒を感じることができます。さらに,この本の素敵なところは,日本ではなかなか手に入りにくい食材を,簡単に手に入るもので代替し,レシピを紹介してくれる点です。

このように書いている私ですが,実際のところ,ほとんど料理をしないので,だいたいの料理は目で見て満足してしまっています。しかし,そんな私でも簡単に作れそうな料理がありましたので,挑戦してみました。

その名は「デレレ」

「デレレ」とは,アフリカのザンビア共和国やジンバブエの郷土料理で,現地の言葉でオクラ,あるいはそのスープを指すようです。材料はオクラとトマトと塩と重曹,以上!作り方もいたってシンプル,オクラを輪切りにし,鍋にイン!!軽く浸す程度の水と塩と重曹を入れ,軽く煮立たせたら,なるべく小さくカットしたトマトを鍋に入れ,鍋の底が少し茶色っぽくなったらできあがり!!!

そして,私が実際に作った「デレレ」がこちら(ちなみに,私は重曹すらカットしています)

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1日目()は煮詰めすぎて,スープというよりはソースのようになってしまったので,リベンジしたのが2日目()です。どちらにしても,トマトの甘みやオクラの粘り気や旨味が存分に感じられ,紹介してくださった方が書いていたようにホッとする味でした。また,2日目にはクリームチーズを投入してみたのですが,これもまた,絶品!!やはり,トマトとチーズの相性はバツグンですね。ここにご飯を入れたら,トマトリゾットみたいになって…と妄想も膨らみます。

 せっかく,本を購入したので,これからも簡単な料理を少しずつやってみようかな,と思いました。皆さんも是非,この本を購入し,世界に思いを馳せてみませんか。

大学生時代に夢中になっていたものの一つに「インド旅行」があります。どうしてインドだったのか、少し振り返ってみたいと思います。

インドへの伏線は、中学生の時にさかのぼります。

 中一の時、英語の担当の先生から紹介されたペンパル(手紙による国際文通)はインドの男の子でした。「どうしてインドの生徒?」と心に引っ掛かるものがありながらもやり取りをしていたことがありました。中二のある時、週刊漫画雑誌の広告にあったネパール(インドとチベットの間に位置していて、エベレストがあるヒマラヤ山脈でも有名な国です)をテーマにした写真集『カトマンズ発 失われた風景を求めて』(中村保)の広告が目に留まりました。特に印象的だったのは「いつかのあなた いつかの日本を そこでみた」というキャッチコピーでした。

「遠く離れた国で自分や日本がどうして見えるのだろう?本当に見えるのだろうか?見えるとしたらどんな景色なんだろう?」という疑問が自然にわいてきて、その広告を切り取り、今でも大事にしまっています。南アジアに興味・関心が高まっていったのはこの頃からでした。

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 インドを強く意識するようになったのは高校生の時です。インドに行ったことがある知人の方から『河童が覗いたインド』(妹尾河童)を紹介してもいました。舞台美術家の著者が、全編手描き(文字もイラストも)で描いている空前絶後のインド読本決定版とも紹介されているもので、何度も読み返しては、いつかは行ってみたいなと思うようになりました。よかったら覗いてみてください。

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そして、インド行きの決心をしたのは大学1年生が終わるころの3月でした。私は大学の寮に住んでいたので、3月は卒寮をひかえた4年生たちが卒業旅行先(当時は海外が主流でした)から次々と帰寮して、寮のあちらこちらで土産話を聞くことが恒例となっていました。その中にインドから帰国した先輩が「インドでの体験は人生観が揺さぶられるものだった。卒業旅行といわずにもっと早く、インドに行くべきだった。君も行きたい国があるなら学生うちに行くことをすすめるよ。もし、インドに行きたいのならば、行ってみるべきだよ。」と話をしてくれました。この話を聞いて、これまでの自分の体験や思いが次々と線で繋がり、迷うことなくインドへの旅行を決意することとなったのです。

その後、費用の工面等もあって、最初にインドに行ったのは大学2年生の2月でした。

自分の思いが他者との縁によって実現し、自分自身の世界が広がっていく貴重な体験でした。

 インド珍道記については、また別の機会にお話ししたいと思います。

 

 

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