検索 OPEN/CLOSE

校長・教員ブログ

校長・教員ブログ

お祭りのシーズンです。札幌でも大きなお祭りがあって、今年は屋台が多く出ていました。久しぶりに出かけて、子どもと一緒に屋台をのぞいて歩いていると「金魚すくい」の文字が…。

「はっ!いけない!〈金魚〉の文字を息子に見せてはいけない…!」と思った時には時すでに遅し、金魚を発見してしまった息子は目をキラキラさせて「金魚すくいをどうしてもしたい!そして金魚を家で育てたい!」と言い出しました。…ちょうど1年前のこのブログに同じようなことを書いたのですが、息子は「何かを育てたい」という気持ちがとても強いのです。すでに家には飼って6年目になるウサギ、昨年から元気に冬を越したコクワガタ・オオクワガタのつがいがおり、さらに彼が植えたミカンやら何やらの鉢があり、それだけでもお世話がけっこう大変だし、小さな金魚は弱いことが多いので、金魚すくいは阻止しようと思いましたが、懇願されて根負けし、金色のかわいい金魚を一匹すくって帰ってきました。

1匹ならなんとか飼えるか…と思っていましたが、甘かった。その次の週、息子の通う学童で「お祭りごっこ」があり、なんと9匹の金魚をすくって帰ってきたのです…!合わせて金魚が10匹…!!すでに病気になっている金魚もいたので、大きさや弱り具合で分けて、水槽4つで飼うことになりました。水槽4つとなると水を換えるだけでもひと苦労ですが、小さい金魚たちが一生けんめい泳いでいるのを見るのはかわいいものでした。

ですが、やはりすでに弱っていたものが多く、朝起きて水槽をのぞくと、体の小さい金魚が動かなくなっている…ということが何度かありました。昨年は1匹いなくなるたびに号泣していた息子だったので、大丈夫かな…と思って見ていましたが、今年は悲しがっても涙をぐっとこらえて庭に埋めてあげていました。

6月のある朝、お祭りですくった金色の金魚が動かなくなってしまいました。さすがに泣くかな…と思いましたが、息子は泣かずにじーっと金魚を見て小さな声で「うちに来てくれてありがと。えさを食べてくれてありがと。泳いで見せてくれてありがと。大きなフンもしてくれてありがと。」と言いました。ああ、そんなことを考えていたんだなあ、ただ悲しがるだけだった去年とは違うじゃないか、子どもはちゃんといろいろ成長しているんだなあ、と思ったら、こっちが泣くところでした。

1年前も書きましたが、生き物を飼うのは大変です。でも、教えられることも多いです。そしてそんな経験を通して成長していく子どもの姿にはっとさせられることも多いものです。そんなことを考えた最近のできごとでした。──金魚は少なくなってしまいましたが数匹は今も元気に泳いでいます。長生きしてほしいな、と思っています。

なぜ病気になると声が出なくなるのか?声が出なくなるのは、声帯が炎症を起こすからです。

まず声の仕組みから見てみよう。私たちは皆、喉頭の中に声帯を持っており、一般的には声箱として知られている。喉頭は、私たちが呼吸をする管である気管の上部にあり、食べ物や飲み物を飲み込む管である食道のすぐ前にある。喉頭蓋と呼ばれるフラップがあり、飲食時に気管を閉鎖して窒息死しないようにしているが、常に有効というわけではない。私たちが飲み込むとき、喉頭蓋が気管を閉鎖できるように喉頭周囲の筋肉が喉頭蓋を上に動かします。

喉頭は、声帯の上の部分(声門上)、声帯のある部分(声門)、声帯の下の部分(声門下)で構成されています。上部は喉に、下部は気管につながっている。喉頭は軟骨でできていて支えになっており、それを動かす筋肉がある。喉頭の途中には声帯があります。声帯は前庭ヒダと呼ばれる繊維組織の帯の端にある。声を出したいとき、私たちは肺から空気を吐き出し、その空気は気管を上がって喉頭に入ります。私たちは筋肉を使って声帯を開閉し、声帯間の隙間を狭めたり広げたりします。空気は声帯を振動させ、その位置によって声帯が振動するピッチが変わるため、声が変わり、話すことができるのです。通常、男性は女性よりも喉頭が大きいため、声が深くなります。

では、なぜ病気になると声が出なくなるのでしょうか?喉頭の炎症が原因です。風邪やインフルエンザなどのウイルス感染症にかかると、ウイルスは目、鼻、口から体内に侵入する。通常、感染者が咳き込んだウイルスが空気中に長く漂い、それを吸い込んだり、感染者が手に付着したウイルスを他の人が触れる面に付着させたりします。その後、その人が自分の顔に触れると、ウイルスは体内に侵入する。体内に入ると、ウイルスは鼻やのどの粘膜に付着して落ち着き、自己複製を始める。

体内にエイリアンがいることに気づくまで約2日かかる。これは潜伏期間と呼ばれ、感染初期にはウイルスの数が少なく、白血球がウイルスに遭遇する確率が低いために起こる。ウイルスが複製され、蓄積され始めると、他の場所に移動し始め、仕事をし、感染する準備を整える。この時点で、ウイルスは体内で検出されるのに十分な量となり、免疫システムが作動する。

Why do we lose our voice when we are sick? We lose our voice because our vocal cords become inflamed.

Let’s look at how the voice works to start with. We all have vocal cords inside our larynx, more commonly known as a voice box. The larynx is at the top of the trachea, the pipe we breathe through, and just in front of the esophagus, which is the tube we swallow food and drink down. There is a flap called the epiglottis which closes off the trachea when we eat or drink so that we don’t choke to death, but it isn’t always effective. When we swallow, the muscles around the larynx move it up so that the epiglottis can close off the trachea, and this is why we can feel it move when we swallow.

The larynx is made up of the area above the vocal cords (the supraglottis), the area with the vocal cords (the glottis), and the area below the vocal cords (the subglottis). The top part is connected to the throat and the bottom part is connected to the trachea. The larynx is made of cartilage to give it support and it has muscles that move it. Halfway down the larynx, we have the vocal cords. They are on the edges of a band of fibrous tissue called the vestibular folds. When we want to speak, we breathe out air from our lungs and it goes up the trachea and into the larynx. We can use our muscles to open and close the vocal cords, narrowing or widening the gap between them. The air makes the vocal cords vibrate and their position changes the pitch at which they vibrate, changing our voices and allowing us to speak. Men usually have a larger larynx than women, which is why their voices are usually deeper.

So, why do we lose our voices when we are sick? It happens because of inflammation of the larynx. When we get a viral infection, such as a cold or the flu, the virus enters our body through our eyes, nose, or mouth. They are usually coughed out by an infected person and they hang in the air long enough to be breathed in, or an infected person will have them on their hands and maybe put them on a surface that someone else will touch. That person will then touch their face and the virus will be in the body. Once inside the body, the virus attaches to the lining of the nose or throat and settles down to start replicating itself.

It takes about two days for the body to realize there are aliens inside it. This is called the incubation period and happened because in the early stages of the infection there are not many viruses and the chance of the white blood cells running across one is slim. As the viruses start to replicate and build up, it starts to move to other areas and gets itself ready to do its work and be transmitted. At this point, there is enough of the virus for it to be detected by the body and the immune system is fired into action.

One of the ways that the immune system fights a viral infection is through inflammation. The inflammation is caused by inflammatory cells that command local blood vessels to release fluid and plasma into the surrounding tissue. This fluid causes the tissue to swell and traps the viruses where they are. The white blood cells can then go in and kill them. When the viruses are in your throat, they will get down into the larynx and the inflammatory cells make the larynx and the vocal cords swell. Any change in their size will change the pitch of your voice, resulting in that “cold” voice we all know. If the swelling increases, it could reach the point where the vocal cords cannot vibrate at all and this results in a lost voice. It will get better once your body gets rid of the viruses and the inflation goes down.

You can also lose your voice if you overuse it. If you shout a lot, your vocal cords can become inflamed. When you shout, you have to expel more air and your vocal cords vibrate much more and much faster than they usually do. This can cause them to become inflamed and then they cannot vibrate, in the same way as when you have a viral infection. It usually goes away with rest.

免疫系がウイルス感染と戦う方法のひとつに炎症がある。炎症は炎症細胞によって引き起こされ、血管から体液や血漿が周囲の組織に放出される。この液体が組織を膨張させ、ウイルスを閉じ込める。そして白血球がその中に入ってウイルスを殺すことができる。ウイルスがのどに侵入すると、喉頭まで到達し、炎症細胞によって喉頭と声帯が腫れる。声帯の大きさが変わると声の高さが変わり、その結果、誰もが知っている「冷たい」声になる。腫れが大きくなると、声帯がまったく振動しなくなり、声が出なくなることもあります。体内のウイルスが除去され、腫れが引けば良くなります。

また、声を使いすぎると声が出なくなることもあります。大声を出すと声帯が炎症を起こします。大声を出すと、より多くの空気を吐き出さなければならず、声帯は普段よりずっと速く振動します。そのため声帯が炎症を起こし、ウイルス感染したときと同じように振動できなくなるのです。通常は安静にしていれば治ります。

 現在の技術では、宇宙エレベーターは不可能ですが、そう遠くない将来、実現する可能性があります。

宇宙エレベーターの主なアイデアは、ケーブルが地表のどこかに固定されることです。ケーブルのもう一方の端は、約10万kmの高さにあるカウンターウェイトとして機能するハブに取り付けられます。重力と遠心力によって、ハブはその場に留まり、ケーブルは教え続けられる。36,786kmまでは重力が、そこから先は遠心力がケーブルに作用する。36,786kmは静止軌道の高さで、通信衛星が通常配置される場所です。その高さまでは重力で下に引っ張られ、それ以降は遠心力で上に引っ張られる。エレベーターでケーブルを上昇・下降させ、貨物を軌道上に放出することができるのです。

宇宙エレベーターのアイデアは、ロシアの科学者コンスタンチン・ツィオルコフスキーによって提起されました。彼はエッフェル塔を見て、軌道上まで伸びる同じような塔を想像したのです。というのも、それだけの重量を支えられる材料がないため、頑丈な塔は不可能だったからだ。1959年、ロシアのエンジニア、ユーリ・アーツタノフが、衛星をカウンターウェイトとして使い、そこからケーブルを吊るして地球に固定することを提案しました。これが、引っ張りケーブルの発想の原点です。 

宇宙エレベーターのようなものは、何十億円もかかる巨大な建設プロジェクトであり、技術の限界に挑戦することになる。では、どんなメリットがあるのでしょうか?

軌道に乗せるための費用が安くなる。2000年まで、スペースシャトルで1kgの物資を宇宙に運ぶには、約18,500ドルの費用が必要でした。それが、再利用可能な民間宇宙ロケットが開発されてからは、約2,720ドルにまで下がりました。今後も価格は下がり続けるでしょうが、宇宙エレベーターのような低価格にはならないかもしれません。計算上では、材料を宇宙に運ぶのに1kg50ドルという安さになる可能性があります。そうなれば、宇宙ステーションや恒星間宇宙ロケットの建設は、もっと手頃なものになります。スペースシャトルでは入りきらないようなものも送れるし、月面基地も作れる可能性がある。

では、人類が月面基地を建設することを阻んでいるものは何でしょうか?

まず、宇宙エレベーターが受ける大きなストレスが問題です。ケーブルに最も大きなストレスがかかるのは、静止軌道に乗った時点です。鋼鉄製のケーブルを使用した場合、その力は鋼鉄の引張強度の約60倍にもなります。地上と宇宙の端では応力が最も小さく、静止軌道上では応力が最も大きくなるため、ケーブルをテーパー状にすれば、長さ方向の応力をほぼ等しくすることができます。

しかし、ケーブルが鋼鉄製であれば、テーパーをつける部分が太すぎて合理的でなく、ケーブル全体の重量が重すぎて維持できない。

その解決策は?カーボンナノチューブ、つまりグラフェンです。これは、鉄の200倍の強度を持ち、6倍の軽さを持つ素材です。この素材は、ケーブルの材料として完璧なものです。ただ、必要な長さと量を作る方法がまだないのが一時的な問題ですが、この問題は解決されるでしょう。

2つ目の問題は、テザー(綱)です。高い応力に耐えなければならない。また、どこに設置するかという問題もある。陸上なら、どこの国か?宇宙までの距離を短くするために山の上に置くのか?海を利用したテザーにするのか?これらはすべて解決可能な問題です。

3つ目の問題は、エレベーターそのものです。地球上のエレベーターは、すべてケーブルにつながれて昇降しています。しかし、宇宙エレベーターは、ケーブルが動かないので、そのようなことはできません。そのため、自力でケーブルを昇降させなければならない。また、気密性が高く、人が乗っても安全なものでなければなりません。

4つ目の問題は、スペースデブリ(宇宙ゴミ)です。NASAは現在、50万個のスペースデブリを追跡しています。ロケットや宇宙ステーションは、これらの破片を回避することができますが、静止型宇宙エレベーターはそうはいきません。そこで、エレベーターを海中につなぎ、移動できるようにすることが考えられます。しかし、このような巨大な物体を移動させるのはかなり困難な作業であり、すぐにできるものではありません。そこで、レーザーを使ったターゲティングシステムが考えられます。スペースデブリをターゲットにして、その片側を過熱するのです。そうすると、わずかな減圧が起こり、スペースデブリがどちらか一方に押しやられてしまう。そうすれば、宇宙エレベーターを守ることができますし、宇宙の浄化にも使えます。

宇宙エレベーターが直面する問題の多くは、すでに解決されているか、あるいはもうすぐ解決されるでしょう。日本の会社は2050年までに宇宙エレベーターを作ると言っていますし、中国の会社はさらに上をいって2045年を約束しています。宇宙エレベーターはもうすぐできるのでしょうか?おそらく今後10年間は無理でしょうが、25年以内には?その可能性は十分にあります。

今から15年ほど前、当時恵泉女学園理事長を務め、神学者でもあった一色義子先生のお宅にお邪魔したことがありました。先生は東京世田谷にある古い洋館にお住まいでした。「こんな古い洋館が珍しいそうで、映画の撮影にも使われたのよ」と義子先生が笑いながら話してくれたのを覚えています。先生はわざわざご自分で紅茶を入れてくださり、本やひと時代昔の映画などからしか見聞したことのない、とても興味深いお話をしてくださりました。今思い出してもそれは歴史の重みが詰まった貴重なひと時でした。

その時、私たちの学校の始まりであるスミス女学校(正式名称:札幌長老派伝道教会女子寄宿学校)に最初に入学した7名の生徒の一人で、後に日本YWCAの総責任者を務め、恵泉女学園を創立した河合道先生や、河合道先生を友として同志として支えた一色義子先生の母親一色ゆり先生に関わる話などを伺うことができました。その話の中で義子先生が、「自分は子供のころスミス先生の膝に抱かれたことがある」という話をされました。それはスミス先生が日本を去る前、教え子の河合道先生のもとを訪れた際、遊びに来ていた義子先生をその膝の上にに抱いてくださったというお話でした。3才頃だったそうです。自分を膝に乗せて抱いてくれたスミス先生の手はゴツゴツしていたのを覚えているそうです。

スミス先生の手の話を聞いて思い出したことがありました。先生は花々がとてもお好きだったことが学校に残された記録から知ることができます。銭函で行われていた日曜日の教会学校の帰り、道端で目に留まった綺麗な草花を学校に持ち帰り校庭の花壇に植えていた話が残っています。

大正時代の本校の卒業生が、校庭に咲く花々の名前を書き残しているのを思い出しました。「老木の桜、白木蓮、ピンクのウツギ、シジミ花、つつじ、雪柳、枝垂桜、真赤なボケ、ボタン、藤、黄バラ、花かいどう、枝垂柳、ニセアカシヤ、モミジ、ライラック」。校庭の花々に関して生徒が記録したのは大正時代。創立から25年以上が経っていたはずです。そこからスミス先生に続く他の宣教師たちの先生も同じように花々を大切に育てていたことがわかります。今も校庭には多くの花が咲き続けています。

卒業生の書いた文章に次のようなのもが残っていました。

「先生の手の爪にはよく黒土が挟まっていました。」

 〇色の見え方 形の美しさは、感受性によって様々なとらえ方がありますが、色には「膨張色」や「収縮色」という特徴を持つものがあります。広がって大きく見える色、逆に、圧迫感や小さく見える色のことです。

その他の特徴を挙げれば、「進出色」や「後退色」といったものがあります。これは、飛び出て見えたり、奥まって見えるなど、見え方に距離を感じさせる色が存在するのです。

今回は、公共の場や私生活の中で、【色の効果】によって、本来魅力あるものが、そうではなくなっているという問題について考えてみたいと思います。

  1.【車の色】 先日、車を中古で買ったのですが、これまでにはまず選ぶことのなかった白色の車を購入しました。

今までは、自宅周辺の植栽の緑を目立つ環境づくりがしたい。その実現のために、黒っぽい車を選んできました。 自宅の外壁が黒に近いこげ茶色(ガルバリウム鋼板)であり、車庫備え付け住宅のためシャッターはなく、白の車を置くと車の白が、一番目立ってしまいます。

僕の追い求める理想の一つである、緑色の葉や草花(自然)を最良と言える状況で見る環境を創り出すこと。それが良い住宅環境であると考えているからです。  

白色の車を置いた時、自宅の周辺の植栽の緑は目立たないでしょう。

それを防ぐために住宅に合わせて黒っぽい車がベターだと思ってきました。

 2.【ガードレールの色】 ドライブが好きなのでよく山道を走るのですが、ほとんどのガードレールが未だに白色です。雄大な自然の中で、このガードレールだけが浮いて見えてきます。ただ、ガードレールを目立たせるといった意味では役割を果たしているのです。

 国土交通省が策定したガイドラインを見ると、「ガードレール以外の道路附属物(遮音 壁、落下物防止柵、防雪柵、ベンチ、バス停上屋、視線誘導標、舗装・路面への表示など)などにも、景観上の配慮事項」などが規定されています。

景観を整える取組みについて、これからもっと考えていくべきだと思っています。

ちなみに、札幌の大通はこげ茶 や、ダークグリーンで統一しています。電柱もなく、自然が目立ついい取り組みをしています。

 3.【アトリエの色】 学校の絵画室で100号以上のキャンバスに描くとき、キャンバスの後ろにポスターやプリント類が貼ってあったり、棚に小物や本が置いてある時があります。その場合に、その色と形が邪魔してどうしても描きにくいと感じてしまいます。そのため壁面にあるものをすべてよけて、何も無い状態にしてから描くのです。

そうすると、配色などのバランスをうまく取りながら描くことができます。

こういったことから本校の絵画室は。天井、壁、床、棚、ド アが全てライトグレーで統一しています。反射光に色がつかないようにするためです。

  4.【洗面所の色】  例えば歯磨き粉を薬局に買いに行ったとき、何を基準に選びますか?僕は商品を選ぶのに、時間がかかってしまいます。扉のない我が家の棚は、商品が家のインテリアになるからです。派手な色で効果など文字で表現しているものではなく、出来るだけ控えめで、膨張しない色を選びます。

  〇【まとめ】  色を無差別に配置することによって、見せたいものが逆に見えなくなり、魅力あるものがそうではなくなることが多々あります。色を統一することで、景観が良くなることもあります。色はそれだけ主張するものであるということです。

絵画で言えば、完成にむけて、注目して欲しいと思うところの彩度を高めるように、今後は身近なところでより一 層、自然の魅力が伝わるような、街の景観を改善する必要があると日々感じるのです。

幼少期からピアノを習っていた私は、コンクールに出たあと、ご褒美がありました。当時大好きだったディズニーなどのVHS(生徒のみなさんVHSってご存じですか?)、コンクールが無事に終わるたび、買ってもらっていたのを思い出します。誕生日やクリスマスに買ってもらったものを合わせるとものすごい数になりました。人によっては、「モノで釣って意欲を引き出すのは邪道だ」と思われてしまいそうです。大人になった今は、それも一理あるし、そちら側の気持ちも十分に分かります。音楽ってその人を彩る飾りではなくて、もっともっと深く考え、本質を突き止めていくべき崇高なもの。

 幼少期のピアノへの向き合い方を振り返ってみると、「大好きなもの」と言えるほどの気持ちには至っていなかったように感じます。生まれたころから姉のレッスンへ連れられていた→ハイハイができるようになったら姉のレッスン中にピアノの下を歩き回っていたらしい→気がついたら姉ととなりのトトロを連弾して遊んでいた→レッスンに行くようになっていた→発表会やコンクールの本番を経験していた。全て自分の意思とは関係なく、自動的に私のピアノ人生は始まっていたのです。だからといって、それが嫌だと反発するわけでもない私は、静かに本番を迎え、「冬は発表会、春からはコンクールの時期」毎年の恒例行事になっていました。

 大きな声では言えませんが小さいころ練習熱心ではなかった私は、弾けるようになるために練習をするというよりは本番のために練習をする生徒でした。それでも本番が終わるたびに少しは成長して、達成感を得て、好きなVHSも増えていく、また次はどんな曲が待っているのか…。曲の難易度が上がっていくと、少しは曲の本質に目を向けるようにもなり、あっという間に今ここにいます。ちょっとしたお楽しみや遊び心があったことで、自分の機嫌をとりながら到達できたことも多かったように思います。メリーポピンズやサウンドオブミュージック、ライオンキングなどの数々の作品は、その時がんばった自分の記憶を呼び起こせるご褒美です。

校庭に咲春の花々登下校や部活動で校庭を往来する私たちの目を楽しませてくれなした校庭残雪の塊融け始めるとフキノトウクロッカスの花を皮切りにコートのまわりで冬を越し融雪の中から顔を出した数個のテニスボール煉瓦(レンガ)歩道に沿って咲く水仙(すいせん)の黄色い花とともに本格的な春の到来を私たちにしらせてくれます 

水仙が咲き始めるとチューリップや連翹(れんぎょう)躑躅(つつじ)が一斉に咲きはじめ北星の校庭が「様々な草木の花々が同時に咲き誇る札幌の春を私に思い出させてくれま。今年は桜の開花が例年より早かったようで講堂に向かう渡り廊下横の満開の桜が一般公開の英語劇を見に来校したみなさんやご家族を出迎え年英語科の素晴らしいパフォーマンスを祝福してくれました 

連休前イースター礼拝が守られた日のお昼休みには好天の中多くの生徒が校庭でエッグハン楽しみましたイラック会の皆さん、準備ありがとうチョコエッグをゲットして教室に戻ってくる生徒の笑顔私も元気をもらいました。色づき始めた紫丁香花(はしどい・ライラック)のつぼみたちもエッグハントに興じる生徒の歓声に目を覚ませたのか日に日に花を咲かせています。と白ライラックの花が連休明けに登校する皆さんの目を楽しませてくれ3年生と6年生は満開のライラックを背景に個人写真を撮る時期になりました。 

忙しい学校生活の中、登下校や校庭での部活動の合間に少しだけ手と足をとめ校庭に咲く花を眺める気持ちの余裕樹木の剪定、花苗の植え替えなど日々校庭を手入れしてくださっている皆さんへの感謝の気持ちを忘れずに初夏の校庭をみなさんと楽しみたいと思っています。 

 

最後にひとつ質問です。写真の花梨(カリン)の花は校庭のどこにあるでしょう?

強歩会の季節となりました。昨年は天候不良により実施できずにいたため、コロナ禍の影響も含め4年ぶりの実施となります。生徒たちは20㎞歩くこの行事に、少しマイナスなイメージを抱いているかもしれません。追い打ちをかけるように先生方に「昔はもっと長い距離を歩いた」などと言われ、ますます“どんな行事なの?”という雰囲気になっていきます。

私が北星の生徒だったのは30年ほど前のことです。当時の強歩会は地下鉄真駒内駅に早朝に集合し、そこからゴールの支笏湖までの国道をひたすら歩いていきました。

思い出といえば、支笏湖が見えてからゴールまでの道のりがとにかく長い!ということ。ゴール後の安堵とともに足に違和感を持ち、靴を脱いでみると靴下が赤くなっていたこと。次の日、筋肉痛になりながら登校したこと。(音楽科は土曜日も授業がありました。)一週間たっても足の水膨れが消えなかったこと。あれ?あまりいい思い出ではないような気が…。でも後味は決して悪いものではなく、この約33㎞を歩ききったからこその自信というか、達成感というか、何だか知らないけど、多少のことでも私は大丈夫!という気持ちになりました。何よりも、30年以上時が経過しても強歩会の話題で盛り上がれる元北星ガールズ。『どんどん無表情になっていた人』『体調不良でも完歩した』など、今でも話題に上ります。

 北星の思い出は沢山ありますが、行事に対する関わり方がそれぞれという点で、友人と自分の思い出の濃さに差があります。しかし、皆が同じゴールに向かって歩く強歩会の思い出は、それぞれの心に同じように残っていると感じます。

友人に関わらず、同窓生に会うと「強歩会って今もあるんですか?」との質問を受けます。「ありますよ」と答えると“まだやってるのね”と驚きの半面、“まだ続いている!”という安心感も伝わってきます。続けて、「今は10㎞以上距離が短くなり、コースもなだらかです」と話すと、“なんですって!?”というリアクションが…。

 かつて「北星の先生方は毎年大変そうだな」と思いながら参加していた行事にまさか自分がその立場で歩くとは…と思いつつ、心構えができているという点で(さらに距離が短くなっていることもあり!)強歩会は私の中で少し楽しみな行事でもあります。

久しぶりとなる今年の強歩会は、生徒たちにとって未知の世界への一歩です。ゴール後は疲れていると思いますが、そのことも含め時が経過しても友人と語り合える、良い思い出の一つになっていることを願っています。

第二言語を学ぶと、脳内では何が起こるのか?海馬と大脳皮質が大きくなる。脳の灰白質は密になり、白質は増えます。これらの変化は、幼少期から第二言語を学ぶ子どもに顕著に現れますが、大人になってから第二言語を学ぼうとする人にも見られます。

人類が言語を発達させたのは、約20万年前という説がある。その証拠に、言語を持っていなければできないような抽象的で象徴的な行動が描かれた洞窟画が存在する。また、顔の筋肉を動かして言葉を発するための遺伝子「FOXP2」が、ネアンデルタール人が持っている遺伝子と異なることも証明されています。つまり、私たちは共通の祖先から分かれた後、約20万年前に言語を発達させたはずなのです。というのも、人類が世界中に拡散し始めたのが7万年前ですから、すべての人類が同じ言語を持つには、すでに言語を持っていたはずだからです。

私たちは皆、まだ子宮の中にいるときに最初の言語を手に入れ始めます。生まれたばかりの赤ちゃんは、その言語特有のメロディーとイントネーションで泣きます。これは、子宮の中から聞いていなければできないことなのです。そして、赤ちゃんは真似をしたり、練習をしたり、試行錯誤しながら学んでいきます。言語を習得するにつれて、脳のさまざまな部分が成長し始めます。言語は、脳の3つの部分で処理されます。最初の部分は、左半球にあるブローカ野です。ブロカ野は、左半球にあり、音声を作り出し、考えを明確にするのが仕事です。話し始めると発火しますが、話し続けるうちに消えていきます。聞くときも同様ですが、聞き覚えのある単語であれば、すぐに消えてしまいます。しかし、私たちが知っている単語であれば、すぐに消えてしまい、知らない単語であれば、長く発火します。2つ目の領域は、ウェルニッケ領域で、上側頭愛部後方にあります。ブローカ野とつながっていて、理解力を司る。最後の領域は角回で、聴覚、視覚、感覚信号を処理する領域の近くにあります。その仕事は、言葉をイメージ、感覚、アイデアに結びつけることです。

新しい言語を学ぶと、脳のこれらの部位が変化しますが、言語を学ぶ時期によって変化の仕方が異なります。例えば、両親が異なる国籍の場合、子供の頃に第二言語を学ぶと、2つの言語があたかも1つの言語のように脳の中で発達します。ブロカ野が大きくなるだけで、1つの言語しか学ばなかった場合よりも大きくなります。しかし、彼らの脳は、1つの言語を話す人にはない変化を遂げます。脳はより多くのニューロンと樹状突起(ニューロン間の結合)を成長させ、脳の灰白質の部分をより密にします。また、脳の異なる葉をつなぐ白質にも影響があります。白質は強化され、脳はより効果的に葉の間を行き来するようになります。より多くの繊維が成長し、白質の体積が増加します。また、前帯状皮質にも変化が見られます。これは、注意の配分、意思決定、倫理、道徳を司る脳の部分です。バイリンガルの子どもでは、どの言語が話されているかを監視し、脳内で使用する言語を切り替えることに大きく関与するため、より密度が高くなります。

大人になってから第二言語を学ぶと、また違ったプロセスがあります。母国語を扱う脳の部分はすでに決まっていて、変更することはできません。バイリンガルの子どもたちのように、第二言語をそこに混ぜることはできません。大人が第二言語を学び始めると、その処理のほとんどは前頭葉で行われます。練習を重ね、第2言語をより流暢に話せるようになると、処理は第1言語の処理に使われる脳の部位に移ります。しかし、子供の場合は混ざり合うのとは異なり、大人の場合はまったく新しい領域が作られます。ブローカ野に、第二言語を扱う第二の領域ができるのです。しかし、灰白質はより濃く、白質はより多いという利点は変わりません。脳は処理能力に優れ、第二言語の学習は人生の他の部分にも影響を及ぼします。第二言語を話す人は集中力が増し、記憶力が向上し、認知症の発症を4年以上遅らせることができるのです。

誰しも人生で、つらいこと・大変なことにぶち当たることがあります。

そういう時に、ぶれず、曲がらず、折れずに立ち向かい、目標に向かって努力し続けることできる力を、英語では“Resilience”といいます。

生まれつきフィジカルもメンタルも鋼のように強い人もいるかもしれませんが、そんな人だけではありません。私も含めて、みんな、日々学びつつ、誰かに助けてもらいながら、頑張ることができているのだと思います。

 私は、「もう大変だ!」という壁にぶち当たったときのために、自分自身を助け、鼓舞してくれるような言葉・歌・動画などのアイテムをストックしておくようにしています。

今回のブログのタイトルにも書いた『誰かを楽しませなければ、生きている意味がない』という言葉もその一つです。これは、日本を代表するアニメ制作者である宮崎駿さんの言葉です。仕事をするうえで、自分のやり方が正しいか迷うことは多々あります。教師という仕事は、成長の途中にある生徒たちと多くかかわる職業ですから、自分の言動に今ひとつ自信が持てなくなることも少なくありません。そんな時は常々この言葉を思い出し、「自分の言葉は誰かをハッピーにできただろうか」とか、逆に「自分の言動によって誰かが悲しくならなかっただろうか」と自問するようにしています。それが自分の価値基準をより鮮明にしてくれますし、これからやるべきことに向けて背中を押してくれたり、逆に思いとどまらせてくれるものです。

たくさんの言葉のシャワーを浴びることは、人生を豊かにしてくれるものだと言われます。ぜひ、生徒のみなさんも素敵な言葉のシャワーを浴びて、人生をより楽しいものにしてほしいと思います。いい言葉があれば教えてくださいね! Have a nice life!

PAGE TOP