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このブログを読んでいるみなさんは毎日誰かの機嫌をとっていますか? 

 「あの人、もしかして怒ってるのかな?」、「あの人、なんだか悲しそうだな…」そんなことを考えながら毎日を過ごすなんて息が詰まってしまいそうですし、誰かと会うことが億劫になってしまいます。 

でも私はなるべく「機嫌をとる」ように毎日を過ごしています。それは他人の「機嫌」ではなく、自分の「機嫌」をとることです。「今日は疲れているな」とか、「なんだか今日は元気が出ないな」と思う日にとっておきの「機嫌をとる」方法を用意しておくのです。特に元気がない、疲れているなと感じている時にはお肉を食べるようにしています。私はジンギスカンが大好きですが羊肉はいいお値段がするので、「明日からの生きる活力が必要だ!」と思う時に奮発して買います。そうすると、昨日お肉を食べたから今日の私は頑張れる!と、自分を励ますことができるのです 

失敗をしてしまった日や、自分のだめなところを考えて落ち込むこともあります。そんな時には家に帰った後に自分の好きなアロマオイルを温めて、なるべくリラックスした状態で本を読んだり、漫画を読みます。最近はエッセイコミックにはまっていて、落ち込んでいる時やつらい時にはこの部分を読むぞと決めているページがあります。そのお話を読むと、「失敗してしまうこともあるよね」と自分に対して少し寛容な気持ちになれます。失敗したときには自分の嫌な部分がクローズアップされ、本を読んでも集中できないことがあるので、気軽な気持ちで読めるエッセイコミックがおすすめです。 

 

周囲のことを考えることもちろん大切ですし、相手の気持ちを推し量ることも時には必要です。しかし、その前に自分自身が機嫌のいい状態でいることが大切だと考えています。疲れた時、落ち込んだ時、自分を元気にする方法をこれからもっと増やしていきたいです。 

他の人はどうか知りませんが、私はボロボロなものが好きではありません。自分の部屋や学校の机が散らかっていると、不快な気持ちになります。無形資産にも当てはまると思います。

もう役に立たないものを手放すことは、私の人生における重要な教訓です。古い習慣、人間関係、考え方にしがみついていると、行き詰まってしまう可能性があることに気づきました。慣れ親しんだものを手放すのは難しいかもしれませんが、そうすることで、より良いことが自分の人生に入ってくる余地が広がることを学びました。

この旅は私に自分自身をもっと信頼することを教えてくれました。自分の成長に役立たないことにこだわらずに前に進んでも大丈夫だと理解するようになりました。手放すということは、何かを失うということではありません。それは、新しい機会、より健全な人間関係、より前向きな生き方のための余裕を作ることを意味します。

また、私は自分自身を信じているよりも強いことも学びました。役に立たなくなったものを手放すたびに、少しだけ回復力が増し、変化に対応できるようになったと感じます。結局のところ、手放すということは、自分を尊重し、自分には幸せで満たされる権利があると知ることなのです。それは、オープンな心で変化を歓迎し、これから先にあるものは私が自分の後に残していったものよりも良くなると信じていることです。

休みたいなぁ、のんびりしたいなぁと思うことは誰にでもあることですよね。最近は自分でもそういう気持ちになることが多いように思います。でも、昔はそんなに休みに“のんびり”したいって思ったかな?とふと考えました。

そもそも休みの記憶をさかのぼっても、休みは忙しかった。スキーやキャンプ、登山もした。大学生のころは、ラグビー部のマネージャーをしていたので講義の合間に部室の掃除、洗濯、大学への書類提出、短期バイトのメンバー集め、宴会の幹事。一体いつ休みだったのか…。教員になってからも、しばらく新体操の副顧問をしていたので、土日は練習か試合。卒業生にも、趣味は仕事でしょといわれるくらいでした。

 

 さすがにロボットではないため、最近は疲れたなぁと実感する年齢にもなりました。また昨今の働き方改革により、「休む」ことを大切にするようにと社会も変化するなかで、私自身の休み方は何だろうと考えました。休みだから「寝よう」と思っても、寝すぎるとリズムが崩れたりもするだけで、1日もったいなかった…ということもありました。そもそも、睡眠時間を増やしてもリフレッシュというよりも、それはあくまでも体力回復でしかなく、気持ちを切りかえたりすることはできませんでした。

 大好きな旅行は強制的に居場所を切り離すことができるので、気分転換にはうってつけです。全国のいろいろな場所で景色をみたり、歴史を感じたりすることでリフレッシュもできますが、移動のルートを考えたり、予算を検討したりするなど頭を使います。普段と違う悩みなので、それはそれで楽しいのかもしれませんが、最近、究極にリフレッシュできることに気づいてしました。それは…「無」になること!そして今の私が「無」になっている時間は、旅先の浜で“貝を採る(掘る)!”です。笑 

この白い貝は、磯ハマグリというと島の人に教えてもらいました。探しているときは、音楽も聴きません。波や風の音、1日に3回しか来ない船のエンジンの音をBGMにただひたすら砂浜を掘り続けます。最近は何も目印のない砂浜でみつけるコツもわかってきたような気がします。大漁の時は、宿泊先の朝ごはんにしてもらいます。採れても採れなくても、疲れて体を伸ばすと目の前には蒼の絶景!があると、疲れているけど、いろいろスッキリします。

 リフレッシュのしかたは人それぞれだと思いますが、切り替えって大切だなぁと実感する今日このごろです。そろそろ今年度も折り返しです。残り半年は3年生のカナダ研修、そして中学課程の修了が待っています。忙しいですが、みんなと一緒に頑張っていこうと思っています。

最後に効果的な休み方のポイントというのを見つけたので紹介します。貝採りは結構、あてはまってるなっ!て思いました笑 みなさんはどうですか?

 

今年度より、英語科教員として母校に戻ってきました。卒業してから13年ぶりに北星女子に戻ることができ、この教員ブログが開設されてから毎週楽しみに読んでいた私がまさか、書く立場になるなんて!感謝の気持ちでいっぱいです。初投稿で何を書こうかと結構悩みましたが、今回は「言葉の力(ちから)」について書きます。

言葉って、言った側はあまり覚えていなくても、言われた側ってずっと心に残っているものですよね。私にとって今年は特に言葉の大切さ、ありがたさを感じています。

前任校を辞めると決めた時、誰にも言えずにいました。お世話になった人がたくさんいる中で、何と伝えたらいいのか分からなかったからです。

ある時、職場の皆さんが知ることになりました。ほとんどの方から「お疲れ様」「大変だったね」「4月からどうするの?」様々な言葉をいただきましたが、その中でもある先生からもらった言葉が忘れられません。

「久保先生、卒業おめでとう」

そうか。私はこの学校を辞めるのではなく、卒業するのか。「卒業」とは、相手の旅立ちや門出を祝福する「はなむけの言葉」です。新しいところでも頑張るんだよ!とエールを送ってくれたんだなと思わせてくれました。

初めて出した卒業生に辞める報告をした時は、「自分は先生が元気であればどこで働いていても気にしないです」という言葉をもらいました。こんな言葉、言えるようになったんだな、大人になったなと、しみじみしました。

4月に北星女子に戻ってきた際は先生方から「おかえり」の言葉をもらいました。いつか、北星女子に戻ってきたいと思っていた私にとって、この言葉に心が温かくなりました。

言葉は人に多くの勇気を与えます。一方で、感情的な気持ちでポッと出た言葉は凶器となり、心に傷をつけてしまうこともあります。これからたくさんの人と関わる中で、自分の肝に銘じていかなくてはいけないと引き締まる思いです。

私自身、もらった言葉を大切にしてこれからの北星女子での毎日を大切に過ごしていこうと思います。

 以前のブログで僕は「おもちゃドクター」であることについて述べた。いまでもこの活動は続いている。ただ、子供たちが大きくなるにつれ、修理するものが変わってきた。最近修理したのはお兄ちゃんの自転車だ。彼の自転車には電池式のライトが付いている。僕はこれがちょっと不安だった。なぜなら彼はよくライトを消し忘れるからだ。電池がなくなったとき,塾の帰り道が怖い…そう思った僕は発電式のライトを取り付けることにした。ライトを買ってきて、取付位置の確認をした。ところがこれがなかなかうまくいかない。取付位置が決まったら、今度は取付方法だ。手持ちの部品であれこれやってみたがうまくいかない。

 近所のホーマックで合いそうな部品を購入し再挑戦…それでもダメなのでAmazonで「溶接並みの強さ」を持つ接着剤を購入!ばっちり固定された…はずだった。1週間もたたないうちに「お父さん、ライト外れた!!!」と嬉しそうな息子。まだまだ修行がたりません。

 そうこうしているうちに,自転車は彼には小さくなってしまったので,妻が以前使っていたロードレーサータイプの自転車に乗り換えることにした。タイヤの空気圧をチェックし,チェーンにオイルをさす。ハンドルのガタつきを確認し,スポークの確認…しばらく使われていなかったので、点検項目がたくさんある。そこで気がついてしまった…。「ライトがない!?」よみがえる悪夢…今度はうまくつけられるのか?

  僕はあれこれと物を作ることや修理を楽しんでいる。その原点は小学生にある。はじめて分解したのは黄色い目覚まし時計だ。もちろん組み立てられる訳もなく,時計はバラバラのままだった。しかし,怒られなかった。「次はちゃんと組み立ててごらん」と父親から一言。あのとき父親の一言が無かったら,僕は色々分解・修理をすることと無縁の人生を送っていっただろう。だから父に感謝している。

今,僕の目標のひとつに「キャンピングカーをつくる」ことがある。本格的なものはできないが,自分好みの車中泊仕様(釣り仕様)にしていて,少しずつ進行している。今後どれだけの時間と手間がかかるのか心配ですが,楽しみながら制作しています。

そうそう,安心して下さい!車内の後付けライトも,ちゃんと点灯してますから!

毎年、夏のこの時期は我が家の「生き物」たちが増えます。だいたいは「何かを育てたい」という意欲の強い息子の熱意に押されてのことですが…。現在の家族はクワガタ3匹、カブトムシ2匹(カブトムシは先日開催された北星バザーでオスとメスのつがいを購入しました!とっても元気!)、フナ1匹、ウサギ1匹。それに息子が外で育てている野菜たち。毎日大切にお世話しています。

考えてみれば、私は、「生き物」のお世話は得意ではないまでも、そんなに苦ではありません。それは、幼少期から常に周りに犬や猫たちがいたからかもしれません。今まで関わってきた犬や猫たちからは、本当に多くのことを学ばせてもらいましたが、特に忘れられないのは犬の「クロ」と、猫の「クロ」です。

私が5才くらいのとき、当時住んでいた家の物置に、犬の親子が住み着いてしまったことがありました。黒いオス犬と、白いメス犬と、その子どもであろう子犬と。住み着かれても困るので、両親は最初その3匹をなんとか追い出そうとしました。けれど、3匹ともとても穏やかで、子犬もいるし、季節も冬だったので、しばらく様子をみることにしました。あまりかわいがると情が移ってしまうので、「クロ」「シロ」と名前はつけても3匹の前では呼ばないようにして、家族みんなで家の窓から見守っていました。3匹の中でも「クロ」は賢い犬でした。ごはんをあげても、自分は食べようとせず、シロと子犬が食べ終わるまで待ちます。そして、夜は物置の中ではなく、わざわざ物置の外に出て、物置の戸の前で寝るのです。クロの毛が白く凍るくらいの寒い冬の夜です。どんなに寒くても、雪が降っても、クロは戸の前から動きませんでした。「ああやってシロと子犬を守っているんだろうね、健気だねえ」と話す両親の言葉を聞きながら、当時5才の私の脳裏に、雪に降られながらシロと子犬を守るクロの姿は強烈に焼き付きました。春になると、いつしかその3匹はいなくなってしまったのですが、あのクロの姿だけは、今でも鮮明に覚えています。

中学生の時、一番多いときで、家には15匹の猫がいました。一番の古株は黒猫の「クロ」。泰然自若のたたずまいで、どっしりと構え、周りの猫たちから一目置かれているような風格のある猫でした。新入りの猫がクロにあいさつしに行くと「よく来た」とばかりにゆったりと頷き(…そんな風に見える)、怖いもの知らずの子猫がクロにじゃれつくと軽く尻尾でいなし(…そんな風に見える)、とにかくかっこいい猫でした。さて、猫が15匹もいると、ごはんの時間は大変です。われ先にとごはんに群がり、すきあらば隣の猫のごはんを奪い…という感じでてんやわんや。しかし、クロだけは違います。他の猫たちがごはんを食べるのをじーっと見守り、自分以外の猫たちが食べ終わると、やっと立ち上がり、残り物をゆっくりと食べるのです。その姿は中学生の私が見ても拝みたくなるほど素敵で、クロの人生哲学(?)から、日々学ばせてもらっていました。

…犬の「クロ」も、猫の「クロ」も、動物の本能のようなものでそれぞれしていた行動なのでしょう。けれど、その姿から教えられたことは多く、その教えは私という人間の土台の一部にしっかりと組み込まれています。弱いものや小さいものを守ること、受け入れること、見守ること…。言葉ではなく、動物たちの行動と姿から教えてもらいました。

「クロ」と「クロ」を思い出すと、なんだか温かい気持ちになります。ちょっと優しい気持ちになれます。その優しい気持ちを忘れずに、日々過ごしていきたいものだと思っています。

私は息子が生まれてから、歳を重ねるにつれて褒められる機会は減るものだということに気付きました。

私は息子が生まれてからというもの、親バカではありますが息子の全ての行動を褒めていると言っても過言ではありません。

それに比べて、私は最近誰かに褒められたかな…(けして卑屈になっているわけではありません。)と思ったのです。

ちなみに普段私が息子にかけている言葉は以下のようなものです。

起きることができてえらい!

おはようと言えてえらい!

お着替えができるのえらい!

バナナの皮を上手にむけてすごい!

保育園に行けるのえらい!

お名前言えるのがすごい!

靴下自分で脱げるのえらい!

YouTube見るのやめれたのえらい!

お風呂に入れてえらい!

語彙力のかけらもありませんが、息子がすること全てが本当にえらい、すごい、素晴らしいと感じてしまうのです。笑
当たり前のことしかしてないのに、小さい子供ができたら全てがすごい!と思えてしまうのは生きてきた年数、経験値などから感じることななのかな?と個人的には思います。

このことから思ったのは、中学生、高校生のみなさんは当たり前以上のこと(勉強や部活、人間関係、お手伝い等)を毎日頑張ってるって本当にすごい、えらいということです。大袈裟かもしれないけれど、そういう風に「自分って毎日すごい頑張ってる、えらい」と思えるようになると色々なことが前向きに考えられるようになると思います。
政氏 祐理
最後に、このブログを書いていて、ふと思い出した相手がいます。それは、バスケ仲間(前回ブログで登場した友人)のことです。その友人は、練習や試合後にLINEをくれます。私が良かったプレーを伝えてくれて、とにかく褒めてくれます。人は、何歳になっても褒められると嬉しくなったり、幸せな気持ちになったりするのだなぁと実感します。褒められて嬉しくない人なんていないんだなと。

年を重ねると褒められることが減りますが、そうやって褒めてくれる人のことを大切にしたいのと同時に、私も皆さんの良いところを沢山見つけて、褒めていけたらいいなと思っています。
みなさんもぜひ、人のいいところに目を向けて、沢山褒めあってほしいなと思います。

先週の土曜日の朝、北星学園女子中学高等学校の校長として初めての学校説明会を迎えるにあたって、準備はしつつも、これから私自身を待ち受けているものが何なのか、よくわからないまま学校に到着しました。まずは、暑くなるという天気予報にしたがって、校舎に空気が流れるように、窓を開けながら廊下を歩きました。(エアコン設置のための工事が来週の月曜日から始まりますが、今年は、自然の風と扇風機、スポットクーラーに頼っています。)

 このブログでは、インスピレーションが自分に与えてくれる影響について触れてきましたが、インスピレーションの素晴らしさの一つは、たとえこちらが探していないときであっても、インスピレーションの方が私たちを見つけ出してくれることです。この日も、生徒とその家族を迎え、親になった元生徒に挨拶し、日本での女子教育の将来に対する私のビジョンを語り、模擬授業や学校見学を通じて生徒、家族、教師が互いに交流するのを観察していると、インスピレーションが私の心にやってきました。

 本校での新しい発見があるたびに、生徒や家族が自分たちの将来に希望を抱き、自分たちの将来を想像しているのが見てとれました。生徒や家族が見学している間、私も廊下を歩き、生徒や家族を観察し、挨拶をしました。見学が進むにつれて、生徒たちの顔が新しい自分を発見し、生き生きとしているのに気づきました。一人ひとり、自分がどの道を選ぶかによって、どんな人間になるかを想像していました。見学の初めは静かだった生徒たちも、帰る頃には私と目を合わせ、挨拶をし、会話をしてくれるようになっていました。

 一日が進むにつれて、私は色々な出会いによりますます刺激を受けていることに気づきました。学校は、窓から入ってくる涼しい風だけでなく、教室に座り、廊下を歩き、明るい新しい未来を想像する少女たちや家族一人ひとりから生まれるエネルギーと可能性の熱量で満たされていました。生徒たちが徐々に勇気を引き出していくのを見て、私は感銘を受けました。話す勇気、一歩踏み出して質問する勇気、新しいことに挑戦する勇気、新しい未来を想像する勇気です。

 改めて、ご来校いただいた皆さまに心から感謝します。私たちが教員として成長し、挑戦を忘れずに努力する力を与えられる機会の一つが、このような日です。私たちはありのままの皆さんを歓迎し、皆さんと一緒に学び、皆さんから学ぶことを楽しみにしています。皆さんの希望に満ちた明るい未来への夢を共有しながら、お互いが本当の自分になるために努力できる未来に向けて、一歩ずつ、一日ずつ…歩みを進めましょう。

 皆さまにまたお会いできるのを楽しみにしています!!

 

Inspiration is Contagious #3

Karen Bessin, Principal, Hokusei Gakuen Girls’ Junior / Senior High School

Last Saturday morning I arrived at school, not sure of what to expect as I prepared for my first school Open House as principal of Hokusei Girls’ Junior / Senior High School.  In Sapporo in this season, the weather still varies widely from day to day, but last Saturday the predictions were for heat, so I went around the hallways in anticipation, opening the windows to get the air moving through the building. (Construction for air conditioning vents starts next Monday, but for this year, we are still relying on windows, fans, and spot coolers.)

One of my favorite things about inspiration is that it can find us when we aren’t looking for it.  As I went about my day, welcoming students and their families, greeting former students now turned parents, laying out my vision for the future of girls’ education in Japan, and observing students, families, and teachers connecting with each other through model classes and school tours, inspiration found me.  

With each new encounter, each new experience, I could see girls and families building enthusiasm for their futures, imagining what the future might hold for them.  While students and families were touring, I walked the halls too, observing and greeting students and families.  As the tours progressed, I noticed students’ faces coming alive with self-discovery, each girl imagining the person she might become depending on which paths she will choose.  Students who were quiet at the beginning of the tours were making eye contact, saying hello, and having conversations with me by the time they were ready to go home.

As the day progressed, I found myself increasingly inspired.  The school was filled not just with the cool breeze entering the windows, but with the warmth of the sparks of energy and potential that came from each girl and each family that sat in our classrooms, walked in our halls, and imagined a bright new future.  I was inspired as I saw students gradually draw on their own courage: the courage to speak, to reach out and ask questions, to try new things, and to imagine a new future.

And so, I want to thank you for visiting.  You have inspired us to become the best educators we can be, changing and growing to be the school that can challenge and support you in turn.  We see you. We stand ready to learn with you and learn from you. We share your dreams for a bright future, a future in which we can all strive to become our true selves, one step at a time, one day at a time.

Thank you for bringing your light and energy into our school to inspire us! We can’t wait to see you again!!

 今週末は高校学校祭です。「笑顔満祭」をテーマにこの数週間生徒も教員も準備をしています。今年度はアトラクションと体験だけでなく,コロナ禍を乗り越えて2019年以来の飲食が復活します。例年通り,保護者の方々のご協力をいただき,バザーも行います。さらにさらに!キッチンカーが来てくださり,ファミリーマートも出店し,ファミッペも遊びに来てくれる予定です。6日(土)の9:30~13:30に足をお運びくだされば幸いです。 

 私自身の高校学校祭を思い出してみると,高校3年生のときに飲食をやりました。食べ物に何を売ったかを思い出せないのですが,ドリンクメニューにカルピスがあったことだけは覚えています。売り上げたら売り上げた分だけ,利益になるので,カルピスの原液を購入し,パッケージに書かれている推奨の割合(4~5倍希釈)から始めてどれだけ薄くしてもカルピスとして成立するか,を実験しました。当日は7~8倍希釈で売った気がします。高校生が学校祭で売ったことなので,許してくださる(?)行為な気がしますが,大人になった今,購入してくださった方々への懺悔の気持ちも込めて,ここに記そうと思います。 

 大人になったときに思い出して懐かしい気持ちになれる,皆にとってそんな学校祭になってほしいと思います。 

今年も教育実習の季節がやってきました。若々しい実習生に会うと自分もこうだったのだろうか?と思います。今回はこの若々しさにちなんで、「庄助さん」をご紹介しようと思います。

庄助さんは短編集『茗荷谷の猫』(木内昇・文春文庫)に登場する大学生のあだ名で、同時にその物語のタイトルでもあります。芸術を学ぶ大学生の彼は、若さあふれる熱意をすべて映画に注ぎ込み、ある浅草の映画館に通い詰めます。そのあまりの熱心さからそこで働くまでになった彼は、「僕は、いずれ活動写真の監督になりますので」と口癖のように語ります。

しかし「庄助さん」の主役は庄助さんではありません。それは彼を雇った映画館の支配人です。庄助さんからはおっさんと呼ばれ辟易する支配人でしたが、同じ時間を過ごすうちふたりは心を通わせ、おっさんは奥底にしまい込んでいた過去を語ります。この支配人も、かつては庄助さんのように芸で身を立てようともがきつつ、かなわなかったのです。

そのおっさんのもつ泣き笑いを映画に昇華しようとする庄助さんに、おっさんの思いが重なります。そしてふたりの思いが開花しかけたそのとき、突然庄助さんは姿を消してしまいます。失意に沈むおっさんでしたが、再会した庄助さんに彼は言葉を失うのでした

この物語からは、若い庄助さんの一途さや熱意があちこちににじみ出ていますが、そのエネルギーの大きさが強く印象に残るのは、むしろそれが失われる瞬間です。その喪失感こそが、庄助さんが持っていたものがどれほど大きく貴いものだったかを感じさせます。だから、おっさんは発したことばを言い切ることができなかったのです。

青春の情熱と哀惜、そして喪失までぎゅっと詰まったこの珠玉の一遍は発表から10年以上たった今も全く古びません。興味を持たれた方はぜひ、この『茗荷谷の猫』を手に取っていただければと思います。

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