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英語科の短期留学レポート

英語科の短期留学レポート  2015.10

忘れられない一ヶ月 5年F組22番 佐藤榛佳

 

 私は7月17日から8月16日までオーストラリアのアデレードに一ヶ月留学してきました。片道約1日かけて飛行機で移動して到着しました。私のホストファミリーはマザーがイギリス人ファザーはオーストラリア人でした。空港に迎えに来てくれたのはマザーのニッキーとシスターのハリーでした。最初の挨拶は順調だったのですが話していくうちに知らない単語が次から次へと出てきて聞き取るので手がいっぱいでした。後から言っていたことが分かって失敗したと何度も思いその度に「さっきは間違っていったけどほんとはこうだよ」といい話が途切れないようにかたことの英語で話し続けました。初日は同じ家に住むことになっていた中国人の留学生も家に来てその留学生やファミリーと母国について話したりしました。留学生の英語は中国語なのか英語なのかたまに分からなくなりよく聞き返しながら話していました。学校は中国人留学生が多く私はドラマのクラスを通じてたくさんの中国人と仲良くなれたと思います。初めは先生以外中国人でコミュニケーションとれるか心配でした。クラスメイトは中国語ばかり使うので困惑しました。ですが何もしたいと後悔しそうだったので英語で話して私も話したい!というと話してくれるようになりました。ここで私は自分が動かないと何も変わらないと心から思いました。時には英語が分からずケータイで和訳してくれたりして「日本語ではなんて発音するの?」なんて聞いてくれたり「中国語ではなんて発音するの?」なんて話もしました。一番私はドラマのクラスが大好きでした。学校から帰る途中急坂があるのですが毎日カラスみたいな鳥に追いかけられました。マザーと買い物に行ったときに肉を計り買いしました。20分ほど待っても頼んでいた肉が来ないのでお腹がすいたマザーはいきなりポテトチップスの袋を開けて食べ始め驚きました。

 

食事を食べるときに日本のように「いただきます」を言わないのでいつ食べようかとチラチラ周りをうかがいながら食べていました。日本に帰ってきてから「いただきます」を言い忘れるのが最近困っていることです。

 

一か月という短い期間でしたが英語まみれの生活は私にとってはとても充実した一ヶ月でした。海外に行き自分の世界が広がったと思います。この体験を将来にいかしたいです。行かせてくれた両親に感謝したいです。

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 短期留学で学んだこと 5年F組 21番 佐野 藍美

           

 全く実感がないまま出発を迎えた7月17日。楽しい留学生活ばかり考えていました。アデレード空港でホストファミリーとドキドキの対面。とても優しそうなファザーととびきりの笑顔で迎えてくれた7歳のブラザーに出会ったとき私の心はこれから始まる1ヶ月間に期待でいっぱいになりました。 

 

私のホストファミリーはマザーとファザーとブラザーの他に大学生のシスターと中国人留学生の女の子が二人と大家族でした。マザーはフィリピン人、ファザーはオーストラリア人とみんなそれぞれ英語のなまりが違って最初の1週間は英語を聞きとることができず自分の思いを伝えることもままならず部屋に一人閉じこもっていることが多かったです。

 

オーストラリアに着いてから2日後、私が最も楽しみにしていた学校生活が始まりました。私が通っていた学校はCharles Campbell Collegeという小学校から高校まである芸術系のとても大きな学校でした。日本人をはじめ、多くの国から留学に来ている人がたくさんいたので他の国の人たちと接し、いろいろな国の文化を吸収することができました。授業では私が大好きな教科体育が週3回もあり、最初は男子ばかりで怖かったのですが自分から話しかけることによってみんなの中に打ち解けることができたのだと思います。自分の英語力に自信がなく自分から話しかける勇気がなかった自分に現地の日本人の先輩の一言に勇気をもらいました。リセスや昼休みに自分から話しかけて一緒に食べたり、授業中疑問に思ったことはその場で解決したりとこの1か月で積極性が身に着きました。自分から話しかけることによってたくさんの良い友達ができ、日が経つにつれそこら辺歩いている生徒ほとんどが友達という状況でとても嬉しかったです。放課後はむかえにあるTargetというスーパーでお菓子を買ったり、日本でもおなじみのSubwayで友達とおいしいものをたくさん食べたりととてもenjoyしました。

 

休日にはホストファミリーに海やcityに連れていってもらいました。どこに行っても初めて目にする光景ばかりで私は圧倒されました。最初の頃は英語の理解に苦しみホストファミリーとの会話ができませんでしたが何度も同じ単語を耳にすることで慣れてきたら普通に会話ができるようになりました。その時私は自分のリスニング力が上がったと実感しました。

 

毎日日本に帰りたくないと思い続け、気が付けば最終日がやってきてしまいました。学校の友達との別れが辛くて一日中涙が止まりませんでした。毎日の学校生活が楽しすぎてずっと笑っていられました。笑いすぎて先生に怒られたこともありました。こんなにも笑っていられたのはホストファミリーを始め、オーストラリで出会ったすべての人のおかげだと思い、本当に感謝でいっぱいです。私はこの1か月間で自分から行動する大切さを学びました。言葉の壁がありなかなか話しかけたり自分の思いを伝えるのは難しいが何かを伝えようとする姿勢が大切だと思いました。これからもっと英語を勉強して絶対またアデレードに戻りたいです。アデレードは私にとって最高の場所です。

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留学を終えて 5年F組 19番 齊藤 茉椰

 

7月15日から8月16日までの一カ月間、私はオーストラリアのアデレードに留学に行ってきました。私にとって海外でのホームステイは二度目でしたが、一か月という長期間では初めてだったので、留学は楽しみでもありましたが少し不安もありました。

 

 私のホストファミリーは中国人の家庭で、私のほかにタイ人と韓国人の留学生がいました。韓国の子は私と同じ高校に通っており、登下校や勉強を二人でしたりなど、常に時間を一緒に過ごしていました。タイ人の子はこの家に既に一年間ステイしているらしく、とても英語が流暢でした。

 

 私が通ったHamilton Secondly Collegeは沢山の留学生を受け入れていて、私は留学生だけで編成されたクラスに入りました。留学生とはいっても、ほとんどがヨーロッパからの人達で、みんな私とは比べ物にならないくらい英語が流暢で、私はみんなと自分を比べて落ち込む日々が続きました。

 

 留学から一週間が過ぎた頃に、私に初めて友達と呼べる人ができました。その人はfoodの時間が一緒で、調理実習でペアを一緒に組んだりしていました。その子に「英語がうまく話せない。残りの時間がうまくやっていけるか不安だ」と話した時、「そんなに心配しなくても大丈夫。あなたは英語が上手だよ、もっと話すことを楽しんで」と言ってくれました。その言葉を聞いてから私は少しではありますが前よりも学校の人やファミリーとの会話に積極的に参加できるようになりました。

 

一か月は短いもので、やっと心に余裕ができた頃に帰国となってしまいました。もうすぐ日本に帰れるという気持ちもありましたが、もう少しオーストラリアに残って英語を使いたいという気持ちがとても強かったです。たった一か月の留学ではあまり成長できないと思っていましたが、帰国して、以前よりためらわずに英語を話せるようになったと思います。こんな短期間でも人は成長できるということを改めて知り、それが自信にもつながりました。

 

 今回のオーストラリア留学で学んだたくさんのこと、未だ残る後悔や反省などすべてを含めて今後の自分の成長に生かせるようにきちんと自分の糧にしていきたいと思います。最後に、支えてくださった先生方、背中を押してくれた友達、私の弱音や愚痴も嫌な顔せずすべて聞いてくれた家族に感謝しています。たくさん迷惑をかけましたが、これからももっと成長していくので、温かく見守っていてください。

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英語と、絵と、それから私。 5年F組18番 岡村 美玖

 

外国、それは言葉の通じない、文化も全く異なる所。そのイメージのおかげで荷物よりも重い緊張を抱えていた私は、丸1日かけてアデレードに向かいました。自信がなく、自分の夢も曖昧で、自分自身もろくにわかっていなかった私が、1ヶ月後にこの荷物の代わりに自信と夢という希望に満ちたお土産を持って日本に帰るなど、想像もしていませんでした。

 

私は、アデレードの中心街からかなり離れた小さな街のとある家に滞在していました。車通りも少なく、静かでゆったりした街は私の緊張をほぐしてくれました。ものづくりが趣味のmotherが主に私の世話をしてくれ、すぐに仲良くなることができました。fatherはとても穏やかな人で、日本の話を興味津々な顔で聞いてくれました。学校はスクールバスで20分ほどかかる高校に通っていました。自由奔放な校風で先生と生徒、友達同士共に個性を尊重し合える素敵な学校でした。

 

言いたいことがうまく伝えられない中、ホストファミリーや学校の友人たちと仲良くなる為に、私は特技である「絵」を描きました。有名人の似顔絵や色々なキャラクター、自分のオリジナルの絵など様々なものでしたが、みんなとても称賛してくれました。また、美術の授業であるDesignとVisual artでは先生方に多くの指導をしていただけた他、Dramaという演劇に関する授業では衣装デザインを担当させてもらい、3役分の衣装をデザインさせていただきました。学校で一番仲のよかったMicaelaは、私の絵をとても気に入ってくれ、私は休み時間のたびに彼女に新作を見せてはそれについて談笑し、ついには私に絵の依頼をくれました。また、マザーも私に、自作雑貨の販売のときに使う名刺のデザインをしてほしいといってくれました。

 

これらの出来事を通して、今まで「絵を描いたりデザインを考えたりするのは好きだけれど仕事にできるほどじゃないだろう」と考え、趣味の範囲で留めようと思っていたのが、仕事にしたいと思うようになり、この先の進路をはっきりと決定することができました。

 

さらに、自信が極端になく、いつも優柔不断だった私が決定に迷うことも少なくなり、自分の発言や考えに自信が持てるようになりました。これは、「Yes」「No」をはっきり言わなくてはならない英語圏の文化が影響したのだと思います。

 

最後の日、空港の駐車場で「初めて会ってここで会話した時より、ずっと成長したと思うなぁ」と私が呟くと、motherは「本当にそう思うわ。あなたのこれからも絵も楽しみにしているわ。」と言ってくれました。

 

お洒落で凛とした女性のmotherと心優しいfatherと過ごせたこと、Micaelaをはじめとする素敵な友達に出会えたこと、素晴らしい先生方に学べたこと、そのすべてが私を成長させてくれました。Thanks for my host family, my lovely friends, nice teachers, my parents and my sister.

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短期留学報告 5年F組17番 野口 愛未

 

 私は、7月17日から8月16日の約1か月間オーストラリアのアデレードに留学しました。留学は私の1つの夢でもありました。そして、オーストラリアは2回目ということもあり、不安で胸がいっぱいというよりは、「楽しみ」「わくわく」という感情のほうが心なしか強かったような気がします。これから始まる異国での生活に期待を膨らませ日本を旅立ちました。アデレード空港に到着すると、早速、私のホストファミリーとその孫が私を迎えに来ていました。そこから私のアデレードでの留学生活がスタートしました。

 

私のホストファミリーは、59歳のマザーと17歳のメキシコ人の留学生で、犬と猫を2匹ずつ飼っていました。2人とも本当に良い人で、ユーモアに溢れ毎日が本当に楽しかったです。最初はホストの話す英語のスピードについていけず、聞くことがやっとでした。ですが毎日聞いているうちに耳が慣れてきて、聞いて理解して話すことができるようになりました。

 

 私の通っていた、Banksia Park International High Schoolは、都市から約30分のところに位置し、緑に囲まれた自然豊かな場所にありました。私の学校は、International High Schoolということもあり、留学生の受け入れがとても活発で、現地の生徒も留学生慣れしているという様子が見受けられました。そして、いろいろな国の生徒がいました。日本、中国、韓国、インドネシア、タイ、台湾、マレーシア、スイス、メキシコ、イランなど。

 

現地に行き思ったことは、住んでいる国や話す言葉は違うけれど、英語でつながることができるということに本当に感動しました。

 

 私が選択した授業は、VISUAL ART, SENSETIONAL FOOD, ESL, MATH, SCIENCE, JAPANESEの6つでした。授業に慣れるにはすごく時間がかかったけど、友達が出来るにつれ、楽しめるようになりました。放課後や、週末は毎日友達と出かけました。学校の近くにある Tea Tree Plaza(TTP)というショッピングセンターやCITYに行ったり、アジア人8人ぐらいでディナーを食べに行ったり、カラオケに行ったり、トランポリンをしに行ったりと本当に毎日が充実していました。

 

私がこの留学で学んだことは、「すべて自分次第」「何事も積極的に」「感謝」「出会いの大切さ」辛いを楽しいに変えられるのは自分の気持ち次第。いつまでも受け身の姿勢では友達なんてできない。この体験は私の将来をつなぐ宝です。これを糧に毎日目標に向かって精進します。

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短期留学で学んだこと 5年F組 中田 弥耶子

 今回の短期留学が私にとって人生で初めての海外進出でした。この学校に入学したのも留学をしたかったからだったので、この日まで本当に楽しみでした。自分の英語力できちんとコミュニケーションがとれるのか、留学先でうまくやっていけるのかなど、不安なこともたくさんありましたが、実際行ってみるととても楽しく充実した留学だったと思います。

 

 私はホストファミリーが途中で変更になりました。そのこともありホームシックになってしまいました。最初は戸惑いながらも現地の学校の先生に助けてもらったり、新しいホストファミリーに慣れるまでも少し時間がかかりました。ですが、留学して1週間がたつとだんだん心が落ち着いてきて、学校にも慣れてきました。オーストラリアはもちろん使う言語はすべて英語で訛りもあったため、最初は何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。でも私は勇気をふりしぼって、自分が理解できるまで何度も聞き返しました。そうして生活していくうちに、自分の英語力のなさを改めて実感しました。話したいことはいっぱいあったのにどうやって言うのか分からなくて、留学する前にもっと英語に触れておけばよかったなと後悔しました。

 

 学校では、一つ下の学年と授業を一緒に受けました。授業の内容的にはすごく簡単でしたが、やはりそれがすべて英語だったので、分からないことは先生に聞いてみたり、一緒に授業を受けている子に話しかけてみたり、いろいろ努力はしましたが完璧に理解することは難しかったです。休み時間では、学校の友達と自分のことやオーストラリアのことなどを話したり、一緒に写真を撮ったりして楽しかったです。

 

 私のホストファミリーの家は、68歳のファザーとフィリピン人の58歳のマザーと24歳のブラザーがいました。わりと高齢の夫婦だったので、いろいろと尽くしてくれました。英語はうまく喋れませんでしたが、何かを話そうとジェスチャーなども使って頑張ってみると、わざわざ手を止めて真剣に私の話を聞いてくれました。休日にはもっとオーストラリアのことを知ってほしいといって、いろいろな場所に連れて行ってくれました。面白い話もたくさんしてくれました。日本に帰るときも、またいつでも戻っておいでと言ってくれた、そんな心温かいホストファミリーで本当に良かったです。

 

 今回の短期留学を通して私はたくさんの新しい経験をすることができました。つらいこともあったけど、前向きな気持ちがあれば絶対に乗り越えられるということを改めて実感できました。たとえ英語がうまく話せなくても、文法や間違いなどは関係なく、話そうという気持ちさえあれば理解してもらえるということにも気づけました。この経験を生かして、これからの学校生活や様々な場面で活躍できるように頑張りたいです。

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短期留学で学んだこと  5年F組15番 三宅 綾乃

  私は今回の短期留学で、言語の凄さを知りました。私のホストファミリーはマザーとファザー、7歳のブラザーと9歳、15歳のホストシスター、あと犬2匹と猫1匹と魚がいました。皆日本のことが好きで、ブラザーとシスターは少しだけですが日本語もしゃべれます。その時に私は、感動しました。日本のことをこんなにも知っているとは思わなかったからです。それを最初に知った時、本当に嬉しかったです。そして、私が日本料理を作った時に、すごく喜んでくれて、全部食べてくれた時は本当に嬉しかったです。

 

 私は、まりもと千晶と3人でGolden Grove High Schoolという学校に通っていました。初日から大変なことがたくさんありました。学校がとても広く、授業の教室までの道を色んな人に聞いたりしました。さらに、学校の先生の言っていることが理解できなくて、よく現地にいた日本の留学生に頼ったりしていました。私はこの学校で日本語の授業をとっていました。そこで、日本語の先生に「日本で一番好きな店を教えてほしい」と言われプレゼンをしたり、現地の人とグループになって会話を作ったりしました。どちらとも「よかったよ!」と言われました。私はその時言語って凄いなと思いました。さらに私は日本の凄さも知りました。それは私たちが帰る週のことです。最初に先生が私たちに「最後の日にあなたたちのためにパーティーをする」と言いました。さらに、「その時に日本で有名なゲームを教えてほしい」と言われました。だから私たちは日本のゲームをプレゼンすることになりました。パーティー当日は日本が好きな人や興味のある人がたくさん集まりすごく盛り上がりました。パーティーはとても盛り上がり、本当にやってよかったなと思いました。

 

 毎週土曜日には、ブラザーのサッカーの試合があり、日曜日には、ハスキー犬のパピースクールに行っていました。それ以外にも、家族で色んな場所に行ったり、シスターとブラザーと一緒に家でテレビゲームをしたりしていました。私はよく、自然公園のような所へ行きワラビーやカンガルーに餌やりをしたり、野生のエミューをみたり、コアラに触ったりしました。残念ながらコアラをだっこすることはできませんでしたが、日本ではできないようなことができたので、本当によかったです。最後の日に、私はホストファミリーから大量のオーストラリアのお土産をもらいました。どれも素晴らしいものばかりで私はとても感動しました。

 

私は最初、不安ばかりで、緊張し、うまくいかないこともたくさんありました。でも、ホストファミリーや学校の先生や現地の人に色々助けてもらい、おかげで最後には不安がなくなり楽しいと思えるような留学にすることができました。この1か月はほんとあっという間でしたが、楽しい時間と貴重な体験ができて本当によかったです。この1か月で経験したことを忘れず、今後、色んな場所で生かしていけたらいいなと思います。

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留学生活を体験して  5年F組14番 松井 さくら

私たちは1ヶ月間オーストラリアに留学してきました!英語が特に話せるわけでもなかった私は、ちゃんと現地で生活していけるのか、果たして学校の授業についていけるのだろうか、ホストファミリーはどんな人たちなのか、食事は口に合うのか、友達はできるのかなど、オーストラリア行の飛行機の中で一睡もできないほど沢山の不安を抱えて異国の地へ足を踏み入れました。しかし想像していた以上にホストファミリーは優しく、私を本当の家族のように迎えてくれたので不安はどこかへ吹き飛んでいきました。家族は皆中国人で、マザー、ファザー、10歳のブラザー、7歳と5歳のシスター、一つ年下の女子留学生の6人家族で常に笑いが絶えない明るい家庭でした。食事は大体ファザーが作ってくれました。私は中国の家庭は毎回中華料理が出るのだとてっきり勘違いしていましたが、基本的に日本の食事のようにご飯を食べることが多く、おかずなどもTHE 外国というようなものが出てくることは少なかったので太ることを気にしていた私にとってはうれしい食事でした。そしてとてもおいしかったので結局は食べ過ぎて太ってしまいました…

 

2日目はマザーと留学生と一緒にマザーの趣味のバドミントンをしに貸し体育館のようなところへ行きました。そこにはマザーが通っている教会の友達がたくさんいて、一緒にゲームをしてくれたりして楽しい時間を過ごしました。飛行機に乗りっぱなしで体がなまっていた私にはいいエクササイズでした。

 

そして次の日、ついに登校日がやってきました。北星の制服を着るとなんとなく心が引き締まった気がしました。学校まではファザーに送ってもらい、ついでに通学路を教えてもらったのですが、方向音痴な私はその後1週間ほど毎日迷子になりました。

 

私が通った学校はWilliam Light School というところで、小中高一貫の共学でとても人数が少なく住宅街の中にある落ち着いた雰囲気の学校でした。私のバディはJamieという子で可愛く、みんなの人気者的な存在でした。私は緊張してなかなか自分から話しかけることができませんでしたが、彼女はいつも私のことを気にかけてくれて優しく接してくれました。しかし彼女はスノートリップというイベントに参加するために私たちとは別の授業を受けていたのであまり話す機会がなくて残念でした。

 

学校の友達はみんな私たちのことを歓迎してくれて積極的に話しかけてくれました。いつも私たちが過ごしている女子校とは違い、男子がたくさんいたのでしばらくは慣れず、不思議な感覚でした。しかし男の子たちもフレンドリーでお昼休みに一緒にバスケットボールなどをして遊びました。授業は先生方のなまりが強く、通い始めて初めのほうは聞き取れずに苦労しましたが、だんだんと聞き取れるようになりました。授業内容は日本より簡単で、アートなどの日本でいう副教科の授業が多かったです。サイエンスの先生がお年を召していてかわいらしい女性の方で、面白い授業をしてくれたのでサイエンスの時間がとても好きでした。学校生活は毎日が刺激的でとても充実していました。

 

しかし悔しい思いをすることもありました。私の語彙力不足で話がなかなか通じなかったり、相手の話が聞き取れなかったりしたことで自分の英語力がどれだけ不足していたか痛感しました。また、自分がいかに日本のことを知らないかも痛感しました。もしもう一度海外へ行く機会があれば、日本人としての自覚と知識をしっかり持っていきたいと思います。

 

そして一緒にいた日本人の友達と日本語で話すことが多かったので、英語を話すように心がけていたらもう少し成長できたのではないかなと少し後悔しました。

 

オーストラリアの人々はみんな親切で、迷子になると必ずみんな道案内をしてくれました。のんびりした性格の私にはオーストラリアのゆったりした時間の流れがとても合ったし、

 

ただの住宅街なのに建物自体がおしゃれだったり日本にいたら経験できないこと、感じられないことが沢山ありました。そしてオーストラリアが大好きになりました。

 

逆に日本がいかに恵まれているか実感し、ますます日本のことも好きになりました。

 

「絶対留学なんか行きたくない」「日本から出たくない」となんの根拠もないのに言い張っていた私はどこへ行ったのか…。

 

1ヵ月がこんなに短く感じ、充実していたのは初めてです。

 

留学することができて本当にうれしく思いますし、こんなに素晴らしい沢山の経験ができたのは母や先生方のおかげです。本当にありがとうございました。

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短期留学で学んだこと 5年F組 13番 増田美羽

 

 私が1カ月間オーストラリアで暮らして学んだことは数え切れないほどたくさんあります。その中でも特に私が身に持って感じたことは、誰にも日本語が通じない環境なので何が何でも英語で伝えなければならないということです。普段ホストファミリーと会話するときに、何か伝えたいことがあってもその言い方がわからないときはどうにか自分の知っている英語で伝えなければなりません。本当は辞書で調べてちゃんとした語句で伝えたいところですが、いちいちそんなことをしていると時間もかかるし第一にホストファミリーと話す時間がどんどん削られてしまいます。ちゃんとした英語で話したいという気持ちは凄く大事だと思いますが、それ以上に私たちが一生懸命伝えようとする姿勢を持って話すとホストファミリーに限らず現地の人たちも一生懸命分かろうとしてくれました。

 

私のホストファミリーは、マザーと11歳のブラザーのChadと7歳のシスターのLaraがいました。ChadとLaraはすごくフレンドリーな性格で初日から私にどんどん話しかけてくれるぐらいだったので毎日たくさん英語を話すことができたということもあってか、留学に行く前と後の私の英語力は自分でも驚くほど伸びたと思います。

 

まず現地に着いて1週間も経たないうちにびっくりしたときや嬉しいときなど無意識に出る言葉が英語で出てくるようになりました。それに続き学校の生徒や先生方の話すスピードは容赦ないぐらい早くて、最初のころは何を言っているのかさっぱりわかりませんでしたが、留学の後半になってくるにつれ一つひとつの単語が聞き取れるようになりました。聞き取れるようになったので自分で喋る英語のスピードも徐々に上がってきて、それが通じると英語を話すことがとても楽しくなってきました。正直最初の頃は何をするにでも英語なので途中で嫌になるときもありましたが、こうして自分の成長が分かるともっと頑張りたくなるし帰りたくないと思います。

 

私は現地の学校への一人派遣を希望したので学校で分からないことがあれば誰かに聞くなど全て自分でこなさなければならなかったです。なので、この留学では英語力はもちろんそうですが一人の人間としても成長できたのではないかなと思います。困ったときは何でも一人で解決しようとするのではなくて誰かに聞いたりしながら生活することが大事だと感じました。私の通った学校はAberfoyle Park High Schoolというところで、たくさんの生徒がスクールバスで通っていて、私もそのうちの一人でした。学校の敷地がすごく広くて最初は建物の場所を覚えるのが大変でいつも道に迷っていましたが近くにいる生徒に聞くとみんな快く教えてくれました。オーストラリア人は比較的フレンドリーな性格なので私からの質問にも快く答えてくれました。なので、自分ひとりだからと言って怖がる必要もなく、一か月間楽しく学校に通うことができました。

 

たいていの日はファミリーがどこかへ連れて行ってくれます。いろんなところへ行きましたが、私のおすすめはマリオンというショッピングセンターです。いろんなお店が入っていてすごく楽しめると思います。もし家から行ける距離であればぜひ行ってほしいです。

 

このように私がオーストラリアで素晴らしい経験ができたのはやはり家族のおかげだと思います。この留学のために一生懸命準備してくれた家族のためにもこの一か月間という時間は一秒たりとも無駄にしてはならないですし、そういう思いこそがダイレクトに私の英語力を向上させたのだと今改めて思います。そして私は留学から帰ってきてからもっと英語が好きになりました。またこの経験で得た自信と実力をこれからの将来に存分に活かしていきたいです。これから留学に行く皆さんにはぜひ何か一つ揺るがない目標を持って出発してほしいと思います。

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   短期留学で学んだこと   5年F組11番 小島 まり

 

この一カ月という短期間は、ある程度やりたいことが決まっている私にとってはちょうどいい期間だったと思っています。短い間だということがわかっているだけに何事にも一生懸命に取り組めたと思います。日本でもこんな風に毎日に目標を持って生活するべきなのだと気づかされました。また、たとえ英語であっても人との出会いというのは本当に

 

大きな影響をいつも与えてくれました。私が通った共学の高校にもたくさんの人が通っていました。それぞれがかけがえのない個性を秘めているんだと学校生活の様々なシーンで実感しました。理科が苦手な子は実は美術のクラスでとても美しい作品を作っていた、冷たいと思っていた人がただの人見知りだった、など。ある人を一つの面からみて自分の中で勝手に判断するということは愚かなことなのだと更に深く理解した気がします。

 

 大好きな飛行機から見下ろす眺めはいつも最高ですが、今回のオーストラリア行きの飛行機からの眺めは更に素晴らしくて、自然の壮大さに感動しました。また、日本の20倍以上の大陸をシドニーからアデレードへと移動する際、人や車、町が本当に小さく見え、自分がいかにちっぽけな存在であるかを思い知り、謙遜になる機会があったことに感謝しています。小さな存在だからこそ、できる精一杯のことをやっていこうと決心することができました。なので、滞在中は毎朝早起きして勉強をしました。日本の家でどんなに頑張ってもなかなかなれなかった朝型に慣れてしまいました(日本に帰ったらまた元の生活にもどってしまったのだけれど)! 

 

 今回、Unley High School という共学の公立高校に通いました。一か月だけなので、あまり勉強っぽい教科は取らずに美術や工作、演劇などを中心的に選択しました。同じ工作のクラスで一緒に粘土で壺を作っていた東京から来た同い年の男子は、将来芸術家になりたいと言っていました。私も、中学生の時少し芸術家になることを考えてはいたのですが、どうせ食べていくのはかなり厳しいだろうからとあきらめていました。しかしそんな中で彼の真剣に夢をかなえようとする姿に影響され、私ももっと勉強しようと思いました(芸術家じゃないんかーい)。また、日本人同士でも確固として英語を使う彼の模範にも感謝しています。彼のほかにも、尊敬するべき人にたくさん会いました。いつかもっとビッグな大人になって、彼らと再会できることを願います。

 

 このアデレードでの一か月で、英語力はもちろん、人間的にも大きな気づきを得ました。これからもっと素敵な人になるためにも今、札幌での生活を一生懸命頑張ろうと思います。

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