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英語科の短期留学レポート

英語科の短期留学レポート

短期留学で学んだこと 5年F組 中田 弥耶子

 今回の短期留学が私にとって人生で初めての海外進出でした。この学校に入学したのも留学をしたかったからだったので、この日まで本当に楽しみでした。自分の英語力できちんとコミュニケーションがとれるのか、留学先でうまくやっていけるのかなど、不安なこともたくさんありましたが、実際行ってみるととても楽しく充実した留学だったと思います。

 

 私はホストファミリーが途中で変更になりました。そのこともありホームシックになってしまいました。最初は戸惑いながらも現地の学校の先生に助けてもらったり、新しいホストファミリーに慣れるまでも少し時間がかかりました。ですが、留学して1週間がたつとだんだん心が落ち着いてきて、学校にも慣れてきました。オーストラリアはもちろん使う言語はすべて英語で訛りもあったため、最初は何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。でも私は勇気をふりしぼって、自分が理解できるまで何度も聞き返しました。そうして生活していくうちに、自分の英語力のなさを改めて実感しました。話したいことはいっぱいあったのにどうやって言うのか分からなくて、留学する前にもっと英語に触れておけばよかったなと後悔しました。

 

 学校では、一つ下の学年と授業を一緒に受けました。授業の内容的にはすごく簡単でしたが、やはりそれがすべて英語だったので、分からないことは先生に聞いてみたり、一緒に授業を受けている子に話しかけてみたり、いろいろ努力はしましたが完璧に理解することは難しかったです。休み時間では、学校の友達と自分のことやオーストラリアのことなどを話したり、一緒に写真を撮ったりして楽しかったです。

 

 私のホストファミリーの家は、68歳のファザーとフィリピン人の58歳のマザーと24歳のブラザーがいました。わりと高齢の夫婦だったので、いろいろと尽くしてくれました。英語はうまく喋れませんでしたが、何かを話そうとジェスチャーなども使って頑張ってみると、わざわざ手を止めて真剣に私の話を聞いてくれました。休日にはもっとオーストラリアのことを知ってほしいといって、いろいろな場所に連れて行ってくれました。面白い話もたくさんしてくれました。日本に帰るときも、またいつでも戻っておいでと言ってくれた、そんな心温かいホストファミリーで本当に良かったです。

 

 今回の短期留学を通して私はたくさんの新しい経験をすることができました。つらいこともあったけど、前向きな気持ちがあれば絶対に乗り越えられるということを改めて実感できました。たとえ英語がうまく話せなくても、文法や間違いなどは関係なく、話そうという気持ちさえあれば理解してもらえるということにも気づけました。この経験を生かして、これからの学校生活や様々な場面で活躍できるように頑張りたいです。

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短期留学で学んだこと  5年F組15番 三宅 綾乃

  私は今回の短期留学で、言語の凄さを知りました。私のホストファミリーはマザーとファザー、7歳のブラザーと9歳、15歳のホストシスター、あと犬2匹と猫1匹と魚がいました。皆日本のことが好きで、ブラザーとシスターは少しだけですが日本語もしゃべれます。その時に私は、感動しました。日本のことをこんなにも知っているとは思わなかったからです。それを最初に知った時、本当に嬉しかったです。そして、私が日本料理を作った時に、すごく喜んでくれて、全部食べてくれた時は本当に嬉しかったです。

 

 私は、まりもと千晶と3人でGolden Grove High Schoolという学校に通っていました。初日から大変なことがたくさんありました。学校がとても広く、授業の教室までの道を色んな人に聞いたりしました。さらに、学校の先生の言っていることが理解できなくて、よく現地にいた日本の留学生に頼ったりしていました。私はこの学校で日本語の授業をとっていました。そこで、日本語の先生に「日本で一番好きな店を教えてほしい」と言われプレゼンをしたり、現地の人とグループになって会話を作ったりしました。どちらとも「よかったよ!」と言われました。私はその時言語って凄いなと思いました。さらに私は日本の凄さも知りました。それは私たちが帰る週のことです。最初に先生が私たちに「最後の日にあなたたちのためにパーティーをする」と言いました。さらに、「その時に日本で有名なゲームを教えてほしい」と言われました。だから私たちは日本のゲームをプレゼンすることになりました。パーティー当日は日本が好きな人や興味のある人がたくさん集まりすごく盛り上がりました。パーティーはとても盛り上がり、本当にやってよかったなと思いました。

 

 毎週土曜日には、ブラザーのサッカーの試合があり、日曜日には、ハスキー犬のパピースクールに行っていました。それ以外にも、家族で色んな場所に行ったり、シスターとブラザーと一緒に家でテレビゲームをしたりしていました。私はよく、自然公園のような所へ行きワラビーやカンガルーに餌やりをしたり、野生のエミューをみたり、コアラに触ったりしました。残念ながらコアラをだっこすることはできませんでしたが、日本ではできないようなことができたので、本当によかったです。最後の日に、私はホストファミリーから大量のオーストラリアのお土産をもらいました。どれも素晴らしいものばかりで私はとても感動しました。

 

私は最初、不安ばかりで、緊張し、うまくいかないこともたくさんありました。でも、ホストファミリーや学校の先生や現地の人に色々助けてもらい、おかげで最後には不安がなくなり楽しいと思えるような留学にすることができました。この1か月はほんとあっという間でしたが、楽しい時間と貴重な体験ができて本当によかったです。この1か月で経験したことを忘れず、今後、色んな場所で生かしていけたらいいなと思います。

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留学生活を体験して  5年F組14番 松井 さくら

私たちは1ヶ月間オーストラリアに留学してきました!英語が特に話せるわけでもなかった私は、ちゃんと現地で生活していけるのか、果たして学校の授業についていけるのだろうか、ホストファミリーはどんな人たちなのか、食事は口に合うのか、友達はできるのかなど、オーストラリア行の飛行機の中で一睡もできないほど沢山の不安を抱えて異国の地へ足を踏み入れました。しかし想像していた以上にホストファミリーは優しく、私を本当の家族のように迎えてくれたので不安はどこかへ吹き飛んでいきました。家族は皆中国人で、マザー、ファザー、10歳のブラザー、7歳と5歳のシスター、一つ年下の女子留学生の6人家族で常に笑いが絶えない明るい家庭でした。食事は大体ファザーが作ってくれました。私は中国の家庭は毎回中華料理が出るのだとてっきり勘違いしていましたが、基本的に日本の食事のようにご飯を食べることが多く、おかずなどもTHE 外国というようなものが出てくることは少なかったので太ることを気にしていた私にとってはうれしい食事でした。そしてとてもおいしかったので結局は食べ過ぎて太ってしまいました…

 

2日目はマザーと留学生と一緒にマザーの趣味のバドミントンをしに貸し体育館のようなところへ行きました。そこにはマザーが通っている教会の友達がたくさんいて、一緒にゲームをしてくれたりして楽しい時間を過ごしました。飛行機に乗りっぱなしで体がなまっていた私にはいいエクササイズでした。

 

そして次の日、ついに登校日がやってきました。北星の制服を着るとなんとなく心が引き締まった気がしました。学校まではファザーに送ってもらい、ついでに通学路を教えてもらったのですが、方向音痴な私はその後1週間ほど毎日迷子になりました。

 

私が通った学校はWilliam Light School というところで、小中高一貫の共学でとても人数が少なく住宅街の中にある落ち着いた雰囲気の学校でした。私のバディはJamieという子で可愛く、みんなの人気者的な存在でした。私は緊張してなかなか自分から話しかけることができませんでしたが、彼女はいつも私のことを気にかけてくれて優しく接してくれました。しかし彼女はスノートリップというイベントに参加するために私たちとは別の授業を受けていたのであまり話す機会がなくて残念でした。

 

学校の友達はみんな私たちのことを歓迎してくれて積極的に話しかけてくれました。いつも私たちが過ごしている女子校とは違い、男子がたくさんいたのでしばらくは慣れず、不思議な感覚でした。しかし男の子たちもフレンドリーでお昼休みに一緒にバスケットボールなどをして遊びました。授業は先生方のなまりが強く、通い始めて初めのほうは聞き取れずに苦労しましたが、だんだんと聞き取れるようになりました。授業内容は日本より簡単で、アートなどの日本でいう副教科の授業が多かったです。サイエンスの先生がお年を召していてかわいらしい女性の方で、面白い授業をしてくれたのでサイエンスの時間がとても好きでした。学校生活は毎日が刺激的でとても充実していました。

 

しかし悔しい思いをすることもありました。私の語彙力不足で話がなかなか通じなかったり、相手の話が聞き取れなかったりしたことで自分の英語力がどれだけ不足していたか痛感しました。また、自分がいかに日本のことを知らないかも痛感しました。もしもう一度海外へ行く機会があれば、日本人としての自覚と知識をしっかり持っていきたいと思います。

 

そして一緒にいた日本人の友達と日本語で話すことが多かったので、英語を話すように心がけていたらもう少し成長できたのではないかなと少し後悔しました。

 

オーストラリアの人々はみんな親切で、迷子になると必ずみんな道案内をしてくれました。のんびりした性格の私にはオーストラリアのゆったりした時間の流れがとても合ったし、

 

ただの住宅街なのに建物自体がおしゃれだったり日本にいたら経験できないこと、感じられないことが沢山ありました。そしてオーストラリアが大好きになりました。

 

逆に日本がいかに恵まれているか実感し、ますます日本のことも好きになりました。

 

「絶対留学なんか行きたくない」「日本から出たくない」となんの根拠もないのに言い張っていた私はどこへ行ったのか…。

 

1ヵ月がこんなに短く感じ、充実していたのは初めてです。

 

留学することができて本当にうれしく思いますし、こんなに素晴らしい沢山の経験ができたのは母や先生方のおかげです。本当にありがとうございました。

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短期留学で学んだこと 5年F組 13番 増田美羽

 

 私が1カ月間オーストラリアで暮らして学んだことは数え切れないほどたくさんあります。その中でも特に私が身に持って感じたことは、誰にも日本語が通じない環境なので何が何でも英語で伝えなければならないということです。普段ホストファミリーと会話するときに、何か伝えたいことがあってもその言い方がわからないときはどうにか自分の知っている英語で伝えなければなりません。本当は辞書で調べてちゃんとした語句で伝えたいところですが、いちいちそんなことをしていると時間もかかるし第一にホストファミリーと話す時間がどんどん削られてしまいます。ちゃんとした英語で話したいという気持ちは凄く大事だと思いますが、それ以上に私たちが一生懸命伝えようとする姿勢を持って話すとホストファミリーに限らず現地の人たちも一生懸命分かろうとしてくれました。

 

私のホストファミリーは、マザーと11歳のブラザーのChadと7歳のシスターのLaraがいました。ChadとLaraはすごくフレンドリーな性格で初日から私にどんどん話しかけてくれるぐらいだったので毎日たくさん英語を話すことができたということもあってか、留学に行く前と後の私の英語力は自分でも驚くほど伸びたと思います。

 

まず現地に着いて1週間も経たないうちにびっくりしたときや嬉しいときなど無意識に出る言葉が英語で出てくるようになりました。それに続き学校の生徒や先生方の話すスピードは容赦ないぐらい早くて、最初のころは何を言っているのかさっぱりわかりませんでしたが、留学の後半になってくるにつれ一つひとつの単語が聞き取れるようになりました。聞き取れるようになったので自分で喋る英語のスピードも徐々に上がってきて、それが通じると英語を話すことがとても楽しくなってきました。正直最初の頃は何をするにでも英語なので途中で嫌になるときもありましたが、こうして自分の成長が分かるともっと頑張りたくなるし帰りたくないと思います。

 

私は現地の学校への一人派遣を希望したので学校で分からないことがあれば誰かに聞くなど全て自分でこなさなければならなかったです。なので、この留学では英語力はもちろんそうですが一人の人間としても成長できたのではないかなと思います。困ったときは何でも一人で解決しようとするのではなくて誰かに聞いたりしながら生活することが大事だと感じました。私の通った学校はAberfoyle Park High Schoolというところで、たくさんの生徒がスクールバスで通っていて、私もそのうちの一人でした。学校の敷地がすごく広くて最初は建物の場所を覚えるのが大変でいつも道に迷っていましたが近くにいる生徒に聞くとみんな快く教えてくれました。オーストラリア人は比較的フレンドリーな性格なので私からの質問にも快く答えてくれました。なので、自分ひとりだからと言って怖がる必要もなく、一か月間楽しく学校に通うことができました。

 

たいていの日はファミリーがどこかへ連れて行ってくれます。いろんなところへ行きましたが、私のおすすめはマリオンというショッピングセンターです。いろんなお店が入っていてすごく楽しめると思います。もし家から行ける距離であればぜひ行ってほしいです。

 

このように私がオーストラリアで素晴らしい経験ができたのはやはり家族のおかげだと思います。この留学のために一生懸命準備してくれた家族のためにもこの一か月間という時間は一秒たりとも無駄にしてはならないですし、そういう思いこそがダイレクトに私の英語力を向上させたのだと今改めて思います。そして私は留学から帰ってきてからもっと英語が好きになりました。またこの経験で得た自信と実力をこれからの将来に存分に活かしていきたいです。これから留学に行く皆さんにはぜひ何か一つ揺るがない目標を持って出発してほしいと思います。

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   短期留学で学んだこと   5年F組11番 小島 まり

 

この一カ月という短期間は、ある程度やりたいことが決まっている私にとってはちょうどいい期間だったと思っています。短い間だということがわかっているだけに何事にも一生懸命に取り組めたと思います。日本でもこんな風に毎日に目標を持って生活するべきなのだと気づかされました。また、たとえ英語であっても人との出会いというのは本当に

 

大きな影響をいつも与えてくれました。私が通った共学の高校にもたくさんの人が通っていました。それぞれがかけがえのない個性を秘めているんだと学校生活の様々なシーンで実感しました。理科が苦手な子は実は美術のクラスでとても美しい作品を作っていた、冷たいと思っていた人がただの人見知りだった、など。ある人を一つの面からみて自分の中で勝手に判断するということは愚かなことなのだと更に深く理解した気がします。

 

 大好きな飛行機から見下ろす眺めはいつも最高ですが、今回のオーストラリア行きの飛行機からの眺めは更に素晴らしくて、自然の壮大さに感動しました。また、日本の20倍以上の大陸をシドニーからアデレードへと移動する際、人や車、町が本当に小さく見え、自分がいかにちっぽけな存在であるかを思い知り、謙遜になる機会があったことに感謝しています。小さな存在だからこそ、できる精一杯のことをやっていこうと決心することができました。なので、滞在中は毎朝早起きして勉強をしました。日本の家でどんなに頑張ってもなかなかなれなかった朝型に慣れてしまいました(日本に帰ったらまた元の生活にもどってしまったのだけれど)! 

 

 今回、Unley High School という共学の公立高校に通いました。一か月だけなので、あまり勉強っぽい教科は取らずに美術や工作、演劇などを中心的に選択しました。同じ工作のクラスで一緒に粘土で壺を作っていた東京から来た同い年の男子は、将来芸術家になりたいと言っていました。私も、中学生の時少し芸術家になることを考えてはいたのですが、どうせ食べていくのはかなり厳しいだろうからとあきらめていました。しかしそんな中で彼の真剣に夢をかなえようとする姿に影響され、私ももっと勉強しようと思いました(芸術家じゃないんかーい)。また、日本人同士でも確固として英語を使う彼の模範にも感謝しています。彼のほかにも、尊敬するべき人にたくさん会いました。いつかもっとビッグな大人になって、彼らと再会できることを願います。

 

 このアデレードでの一か月で、英語力はもちろん、人間的にも大きな気づきを得ました。これからもっと素敵な人になるためにも今、札幌での生活を一生懸命頑張ろうと思います。

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短期留学で学んだこと 5年F 組10番 加藤 茜

 

 「英語を学びに行くわけじゃない」ずっと思っていたことだったけれど、ステイ先が中国系のファミリーに決まったとき、その思いはより強くなりました。アデレードで過ごした一カ月は、私にたくさんの変化をもたらしてくれたと思います。出発時、私の心の中は不安より不満の方が勝っていました。現地校への派遣は一人を希望していたけれど三人で派遣されることになっていたし、ホストファミリーが英語を使わないのではないか、なぜ家での言語の欄にCHINESEとしか書かれていないのか…。帰ってきた今、ホストファミリーや学校を含め、全てが私の成長になくてはならないものであり、最高の環境であったと胸を張って言うことができます。

 

 私はWilliam Light R-12 Schoolという、Cityからバスで約30分ほどにある学校に通っていました。家からはバスで30分、歩いても40分ほどの距離だったので、寒い日も雨の日も歩いて学校に通っていました。学校は小学校と隣接していましたが、全校生徒は小さな体育館に集まれるほどの人数でした。私たちはYear10、私たちより一つ年下の生徒が多く属するクラスに配属されていました。南オーストラリア州では義務教育はYaer10で終了し、Year11からは大学進学や就職するための専門的な勉強を始めるので、現地の生徒の勉強に対する姿勢に私との違いを感じました。来年に向けて科目選択に悩むクラスメイトを見て、ただなんとなく何も考えずに、大多数が入学するからという理由で高校に入学させてもらった私は、自分の進路や人生を真剣に考えてみようと思うようになりました。授業の形式も日本とは違い、日本でありがちな「先生が板書をして、それを書き写す」というような授業はほぼありませんでした。私が特に好きだったのは物理の授業で、車のスピードを計測するために学校をとびだしたり、グラウンドで50m走をしたり、たくさんのデータをとって、結果に対してみんなでディスカッションをするというものでした。ESLのクラスでは、オリジナルのストーリーを書いたり、家庭科の授業では週一回のクッキングの授業に加え、プロテインについてのレポートを書くという課題も課されました。「日本の授業が」というより、日本で自分がどれほど勉強に対して受け身であったか痛感しました。

 

向こうの学校では長い休み時間が2回あり、広い芝生にみんなで座ってランチを食べたり、外のコートでバスケットボールをしたり、長い時間集中していることが苦手な私にとってはとても過ごしやすい時間割でした。先生方やバディー、たくさんの友達のおかげで学校生活はとても充実していて、困ったことも全くと言っていいほどありませんでした。

 

私のホストファミリーは三人家族で、四歳になる男の子とその両親、そして中国からの留学生の四人でした。私のホストファミリーはやはり家では中国語を話し、私に話しかけるときのみ英語を使ってくれていました。初めのうちは、私は何も考えずに日本で学んだ英語を「ぶつけて」いました。ただ用件が伝わればいい、くらいの気持ちで話しかけていましたが、ときどき私の英語が伝わらないことがありました。一番印象に残っているのは、友達と遊びに行くことを伝えようとしたときに使った”hang out”が伝わらなかったことです。私は学校でDiscussionのクラス、去年ならばSurvival Englishのようなスピーキングの授業をとっていますが、いつも決められたスクリプトを読むか、決められた質問をし合い答える形式のものが多く、相手のことを考えながら話す機会は多くなかったので「英語をぶつける」という結果になってしまったのだと思います。会話に違和感を感じた時から、私は「伝える」ことを意識して目を見て、相手の反応を見て会話をするようになりました。伝わらなさそうだったら、言い方を変えて、ジェスチャーを交えて。英語を母国語としない人と英語で話すのは初めてだったので新鮮でした。ありがとう、ごめんなさいや挨拶は本当に大事なコミュニケーションツールとなりました。ホストファミリーとの間だけに限らず、朝道路ですれ違う人、店員さん、バスの運転手さん、たくさんの人と繋がれるきっかけになって、改めて大切さを感じています。

 

オーストラリアで過ごした一か月間、私は本当に色々なことを体験しました。テコンドーのレッスンに連れて行ってもらったり、ダンスレッスンを受けに行ったり…。最終日には朝五時に待ち合わせをして暗い中を一時間歩き、友達とビーチに日の出を見に行ったのは本当にいい思い出です。色々なことに追われて生活していた私にとって、一か月間の留学は自分を見つめなおすとてもいい時間になりました。

 

Thank you for everything, never forget the days with you.

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短期留学で学んだこと 5年F組9番 神山 紫帆

 

 私は7月17日から8月16日までアデレードへ1カ月間留学してきました。出発する前は、喋れなかったらどうしよう、聞きとれなかったらどうしよう…そんな不安でいっぱいでした。そして時は過ぎ、アデレードへ到着。ホストファミリーと会ったとき、喋れなかったら…聞きとれなかったら…と出発前に悩んでいた不安は一瞬で消えました。なぜならホストマザーはゆっくりと私に伝わるように英語を話してくださり、そして私が話す英語を一生懸命聞きとってくれたからです。

 

ホストファミリーは元々英語圏出身ではなく、マザーの英語は聞き取れるものの、一方でファザーが話す英語は聞きとりづらく最初のほうはきょとんとした顔で聞いていることが多かったです。でも話しているうちに聞きとれるようになり、最後は苦手意識なく話すことができました。ファザーは日本に興味を持ってくれていて、日本について色々質問してきてくれました。ですが自分の勉強不足で求められている返答ができなかったり、説明できなかったりと、とても悔しい思いをしました。でも答えられなくてもファザーは笑顔で気にしないでと言ってくれました。

 

そして私のホスト先には2歳と7歳のシスターが居ました。シスターとは一緒にテレビを見たり、かくれんぼしたりなどほかにもたくさんの遊びをしました。7歳のシスターに日本語を教えると、初めて聞いたのにも関わらず、発音が良くておどろきました。子供の吸収力はすごいなと実感しました。

 

 学校での生活は、あまり思い描いていたような生活ではありませんでした。最初の2日間、現地の女の子がバディをしてくれました。聞きとれなかったらどうしよう、伝わらなかったらどうしようという不安からバディにあまり話しかけることができず、逆にバディも私にあまり話しかけてきませんでした。でも、バディとの生活が終わった後は一人なので、授業のときに隣に座る女の子と話したり、授業が2つかぶっている中国人の子達と仲良くなることができました。

 

 休日は、ファミリーと一緒に動物園や博物館など、様々なところへ行きました。動物園では私が留学する前からしたいと思っていたコアラを抱っこすることができてとても嬉しかったです。あとは友達と一緒にシティへ行っておいしいものをたくさん食べたり、ショッピングをしたりと充実した休日を過ごせてよかったです。

 

 私は今回の留学で様々な経験をすることができました。言葉が通じなくても話してみる勇気が大切だと、そしてそれは自分に足りなかった能力だと実感しました。でもこの留学を通して、英語や世界中にもっと興味をもつことができたし、失敗したことを次回にいかしてまた留学するぞ!という強いやる気につながりました。今回このような経験ができたのも、いろいろな方のおかげだと思っています。素晴らしい経験をさせていただいて本当にありがとうございました。心の底から感謝しています。

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短期留学を終えて 5年F組08番 伊藤沙那

                  

 私は7月17日から8月16日まで、南オーストラリア州のアデレードに留学してきました。まだ見ぬ土地に不安と期待を馳せながらも、18日、無事アデレード空港に到着しました。私の生活した家には、ホストファザーのLennyとマザーのMiena、それから愛らしい動物たちが居ました。毎週教会(River Of Life というものでした)に行き、そこに訪れていた色々な人たちと話すこともすごく楽しみでした。他にはウサギのBuddy(バディ)の散歩をする、シスターのMichel と買い物に出かけるなどして、休日を過ごしました。ホストマザーの作るインド料理はとても美味しくて、毎回おかわりしていました。

 

 その後すぐに学校も始まり、私はReynella East College という学校に通い始めました。そこでは、時折平日の授業を休んで他の授業の一環として遠足に行く、という取り組みをしていました。私はVictor Harbor とコアラやカンガルーなどがいる Cleland Wildlife Park、それからCentral Marketにも行きました。それらの道中のバスの中で他の留学生たちと様々な話をしたり、引率として来てくれた先生も優しく声を掛けてくれたりと、退屈せず、むしろ充実した日を過ごせました。最初『時間通りに、迷わずに教室まで辿り着けるかな』『バスは大丈夫かな』と心配になりましたが、2週間が過ぎるとちゃんと次の教室まで足が運べるようになっていて、バスは前日にマザーが地図を描いてくれたのと一緒に乗ってもらったので、一人で乗っても無事に到着できてホッとしました。授業はどれも楽しくて、特にダンスは毎回のレッスンが楽しみになっていました。この学校にはInternational Room という部屋があって、そこでお昼を食べる、他の子のバディであるAshleyのギターを聴きに行くなどして過ごしているうちに、月日はあっという間に過ぎていきました。

 

 今回、人の暖かさに触れる機会が多くありました(教会の礼拝後のティータイムのような時間〈ブレイクタイムとでも言うのかな?〉、バスの乗降の時のあいさつ、などなど)。1か月という期間は短いですが、その中で素晴らしい経験ができたと思います。それを忘れずに、札幌での生活を頑張っていきたいです。

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Australia短期留学 5年F組 板谷百華

 

私は7月17日から8月16日までAustraliaのAdelaideに一ヶ月間の短期留学をしました。そしてわたしはこの留学を通して沢山のことを学びました。私が楽しいことも辛いことも沢山経験できたのは素敵なホストファミリーと学校のおかげだと思います。

 

まずわたしのホームステイ先はスペイン出身のおじいちゃん、おばあちゃん、そして2人の同い年の中国人留学生がいる家庭でした。おじいちゃん、おばあちゃんはすごく明るくていつも笑っていてこの留学中沢山元気をもらいました。また、私に積極的に話しかけてくれて沢山英語を話す機会を作ってくれました。そのお陰で、Australiaに来たばかりのころは英語を聞くだけでパニックになっていましたが、今は冷静に英語が聞けるようになりました。そして留学生の子も英語が話せない私に沢山話しかけてくれて、一緒に買い物に行ったり、料理をしたりと沢山の楽しい時間を過ごすことができました。またこの留学生は私が留学中に不安なとき同じ留学生として多くの場面で助けてもらいました。そして彼女とは日本に帰ってきてからも連絡を取り合う大事な友達になりました。このようにホストファミリーが積極的に話しかけてくれたおかげで沢山英語を話す機会があったし、沢山の楽しい時間を過ごすことができました。

 

また私が行った学校はMITCHAM GIRL’S HIGH SCHOOLという女子高でした。初めは海外の女子高に1人で行くことがすごく不安でしたが行ってみるとみんなフレンドリーですごく楽しい学校生活を送れました。授業では日本にはないようなPHOTOGRAPHY,DANCE ,IT,GYMなどの変わった授業があり自分の好きな授業が取れたので楽しみながら勉強することができました。そしてオーストラリアの授業ではただノートを写すだけでなく、自分の意見を発表することや、自分で考えてものづくりをすることが多かったので少し難しかったです。ですがそのおかげで来てすぐの時よりも積極的に自分の意見を言えるようになりました。またお昼休みも現地のこと一緒にご飯を食べていたおかげで英語の勉強だけではなく日本とオーストラリアの文化についても交流することができました。このように留学生に対して親切な生徒や先生ばかりだったので楽しい女子高生活を送ることができました。

 

しかし留学中は楽しいことだけではなく言葉がうまく伝わらなくてイライラしてすることや、学校で英語が話せない私に冷たく接してくる子が居て落ち込むこともありました。その時はもう日本に帰りたいと思いましたがそれ以上に悔しくて絶対英語を話せるようになってやる!というやる気がでてきました。このように留学中は楽しいことはもちろん辛いこともありましたがその時にはホストファミリーや学校の友達、先生に支えられたおかげで行く前よりも英語が好きになったし、今はもっと英語を勉強したいと思うことができました。なので次回留学に行くときは今回の留学を生かして更に良いものにしたいと思いました。

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5年F組6番 石塚亜里紗     短期留学で学んだこと

私がこの四週間で学んだこと、得たことはたくさんあります。 初渡航ということもあり、何もかもが新鮮でしたが、一か月間現地の高校へ通うというのはかなり緊張しましたし、不安な気持ちもありましたが、最初はこっちに来ている実感がわかないままでした。

 

日本が恋しい?ホームシックになってない?とよく聞かれましたが、実を言うと、私にとってはオーストラリアがホームだと言いたくなるほどでした(笑)

 

現地の生活では日本との違いもあり、どうすればいいのか分からないこともありましたが、分からないことはすぐ聞こう、行動に移そうと心掛けたことで、物事がスムーズに進んだと思います。

 

今ではなんだか信じられないのですが、留学する前までは引っ込み思案で、イエスノーなどの意思表示ができなかったのです。将来についてもぼんやりとしているし、それではダメだということを自覚し、自分を変えたいという気持ちを持って1か月を過ごしました。失敗は成功のもとともいいます。ここでは失敗も怖くない!と思い、失敗を恐れずに、たくさんのことを経験していくことで、メンタルが強くなりました。

 

それは、留学という、このような大きなきっかけがないと変わることができなかったと思います。

 

私が通ったSalisbury East High Schoolでは、ほとんどが現地の学生のように見えましたが、ついさっきすれ違っただけなのに、みんな笑顔で名前を呼んでくれたり、教室まで送ってくれたりと、彼らの素敵な接し方を見ているとフレンドリーとはこのことを言うのだと改めて感じました!そのおかげか、みんながバディのような感じでした(笑)

 

登校初日にも関わらず、皆と同じように授業を受けました。履修したのは数学、理科、社会、英語、家庭科で、家庭科はファッションとフードに分かれていました。

 

初日について今でも鮮明に覚えていることは「家庭科のミシンを使う授業がすごく嫌で、今すぐにでも変えたかったこと」です。本当は変えてもらおうと思っていました。自分がミシンが上手く使えないくらい不器用だから失敗したくないし・・・なんて思っていて、そんな時に先輩の「人はネガティブな第一印象を持ちやすいけどそれをやめて、何にでもまず”面白そうなところ”を探そうとしたり、興味を持ったりするのが大事」という言葉を思い出しました。 それから出来る限り頑張ってみよう!とポジティブにとらえて、何とか作品を完成することが出来ました。 成し遂げた嬉しさのおかげか、最後に一番大好きな教科に変わったので、少し変な言い方ですが、いい思い出になりました。

 

他の授業では私も現地の生徒と同じように、家庭科では自分の主食について、英語では2人の有名人についていろいろな点を比較するエッセイを書きました。

 

現地の生徒とまったく同じ文字数指定で書いたのも、英語力向上につながったと思います。

 

提出するときには、提出用のサイトがあり、課題一覧から選んでアップロードする、という方法でした。

 

それを知らずに夜の11時までに提出と言われた時はびっくりしましたが、自分自身のパソコンがあって、家でも出来る、これはとても効率が良いと思いました。日本の学校でもアップロード形式を採用してほしいくらいです(笑)

 

そのサイトには今日の授業内容の予定や、課外授業など、私が知らないこともたくさん掲載されていました。

 

朝はホストが送ってくれていましたが、下校は学校から家まではバスで30分、そこから40分歩きました。毎日好きなものを食べていた私にとっては良いエクササイズになりました。

 

ちょうど新校舎へと移行していることもあり、とても綺麗な環境で過ごすことができました。

 

私が好きだった場所の一つが、Canteen、こちらで言う購買のようなところで、飲み物はもちろん、たくさんのホットチップス(日本のフライドポテトの事です)とミートやピザのパイがありました。

 

オーストラリアでは私の大好きなホットチョコレートが主流で、Canteenにも、どこのカフェにもあり、1か月間で何回飲んだかわからないほどです。

 

リセス、ランチタイムと、たくさんお昼を食べる時間があるにもかかわらず、日本のお弁当のように、みんながお昼を持ち込んでいる姿はあまり見ませんでした。いつ食べているんでしょうか・・・いまでも疑問です。

 

私の留学期間中には、東京から来た中学生、韓国から来た中学生がいたのですが、彼らは現地生徒と同じ授業ではなく特別授業だったので、あまり関わりを持てなかったのが残念でした。

 

ですが、二週間目にある女の子と友達になりました!

 

最初は流暢すぎる英語のせいか、現地の学生だと思っていたのですが、なんと、日本からの留学生だったのです!いろいろな国の血が入っている子だったので、話しかけてもらうまでは気づきませんでした。最初の二週間がもったいないない!と少し後悔です。

 

話を聞くと彼女は日本育ちで、東京の高校のカリキュラムで1年留学をしているそうです。

 

同じ数学と英語の授業を受けていて、ビクターハーバーへ遠足に行ったときにも、crushの話などでたくさん盛り上がりました!

 

最終日には私のホストと彼女でアデレード1素晴らしいピザ(ホスト曰く)を食べに行くほどです。

 

こうして、違う国の言葉がさらに分かるようになると、楽しいことも倍になると実感しました。コミュニケーションツールが増えていくことで、自分に自信を持つことが出来るようになったと思います。帰国した今でも″Miss you!”とメッセージをくれるような友達ができました。そんな4週間のすべての出会いと経験に感謝したいです!

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